2015年09月05日

大分空港にて

 大分空港にいる。昨日の朝から参加していた別府で開催された日本細菌学会九州支部総会からの帰り道である。本日の午後6時55分発の飛行機で伊丹に帰る予定で、宿泊付きのパック航空券を購入したのだが、予想外にプログラム(チケット購入時にはプログラムがわからなかった)が早く終了してしまって時間を持てあましている。

 プログラム終了は正午。宮崎大学の三澤さんと昼食を取って空港行きのバスに乗ったのが午後2時過ぎ。そして空港に3時着。なぁんもやることがない。同じバスで空港に到着した、同じ研究所の飯田哲也(今回は特別講演に招かれていた)は早い便でさっさと伊丹に立ってしまった。冷たいやつである。念のためカウンターで搭乗便の変更が可能かどうかきいてみたが、やっぱりダメだった。仕方がないので、さほど大きくない空港ビルを一回りして、コーヒーを買って PC コーナーに陣取ってこれを書いている。だって何もやることがないんだもん。ぶつぶつ、、、。

ファイル 2015-09-05 16 33 56.jpg 九州支部総会は別府の山手にあるビーコンプラザというところで開催された。別府では、建物や施設の名前にやたらと「ビー」という単語がつくのだが、どうやら Bepp の B のようだ。まぁそんなことはどうでも良いが、、。総会の発表演題数は一般講演で32題。先日に参加した東北支部総会と同じである。しかし、発表内容の傾向はかなり違ったし、雰囲気も違った。行ってみないとわからないものである。こうして感じたことは、細菌学会運営の今後の方策に生かしていただこうと思っている。

 昨晩は九州大の林哲也さん、宮崎大の三澤さん、招待演者の京大ウイルス研の朝長さん、それに冷たい飯田哲也と飲んだ。林さんが「関サバと関アジが食べたい」というので、海鮮を看板にする居酒屋に入った。食べるものは大分県産のサカナ、タマゴ、ニラ、シイタケだ。どうも大分には特産品が多い。アジ・サバももちろん食べた。本当に関アジや関サバなのかどうか確認する術もないが、間違いなく美味しかった。午後11時頃に散会してホテルに戻り、シャワーを浴びて寝た。ホテルには温泉岩風呂もあったのだが、あいにく私はあまりお風呂に興味はない。翌る日、早朝入浴もできたが、それもせずさっさと会場に出向いたので、せっかく世界有数の温泉湧出量を誇る別府に滞在したのに、それを楽しむことはなかった。先日、博多に行ったのに「博多ラーメン」を食べなかったし、、。仕方ない。出張ですから、、、

 来週は、あわじしま感染症免疫フォーラムと宮崎出張がある。
 まだしばらく、出張が続く。


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posted by Yas at 16:40| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月03日

福岡・博多

 福岡大学理学部化学科で、昨日・一昨日と2日間にわたって7コマの講義&講演をした。毒素シンポジウム仲間の塩井さんに依頼されてのことである。福岡というのか博多というのか、、、だいたい博多区って、区なのになんで新幹線の駅名になってるのやら、、他県人にはわからんが、、とにかく私にとって初めての訪問ではないが、ひとりで福岡市内を移動したのは初めてである。博多駅から天神までバスで行き、地下鉄七隈線で福岡大学に到着。

IMG_2382.jpg 理学部で講義や講演をするのは初めてである。私の持っているどんな話なら、理学部の学生さんに楽しく聴いていただけるのか少し迷ったが、「キミたちが『細菌学』の話を聞くのは、人生でこれが最初で最後かも知れませんぜ」と学生さんに細菌学の基本の基本から話を始め、2日間で細菌毒素の各論(と、「ホリプレ」)まで話しきった。聴講生は10名ほど。少ないがみんな極めて真面目である。私の講義は毎度おなじみ「talking class 」で、学生さんと質疑応答を繰り返しながら話が進む。質問されると、みんな真剣な眼差しでスライドの図表を見ながら頭の中で答えを探っている。こういうのを見ていると、講師としてはとても楽しい。おかげでハードワークなはずの7コマ連続講義も、楽しく過ごすことができた。学生の皆さん、ありがとー。

 初日、3コマ分のお勤めを果たしたあとの夜は、天神近くの日本酒の美味しいお店(奈良の「風の森」があった)に連れていただいた。この席には、福岡大の塩井先生や香月先生ばかりか、熊本は崇城大の上田直子教授やら九州大の中島欽一教授までが「ホリグチ、来とるらしいやんけ」とわざわざ来てくださった。上田先生、遠いとこありがとうございます、中島欽ちゃん、ごちそうさんでした。「来阪された時は、ごちそうしまっせ」と皆さんと別れ、次の日に4コマ分の講義をして夕方の新幹線に乗って帰阪した。車内で鑑賞しようと iTunes でレンタルした映画を用意していたのだが、さすがに疲れたと見えて途中で寝入ってしまい、そのまま新大阪に到着した。

 、、、そして明日から大分県は別府に出張する、、、。このパターン、今月後半まで続く予定である。


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posted by Yas at 21:15| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月31日

国立国会図書館で「黒い秘密兵器」を読む

 先週週末は一泊二日で東京出張だった。初日は国立国会図書館、二日目は北里生命科学研究所と日本学術会議への用務だった。

 国立国会図書館へは、プレゼンテーションのやり方(ホリプレ)の出張講演の依頼を受けての出張であった。なんでも、国会図書館の方々、とくに「調査及び立法考査局」という部署で仕事をされている方々は国会議員に国政の課題を調査・分析してプレゼンテーションすることが業務のひとつとかで、そのプレゼンにおいてのテクニックや心構えを講演して欲しいとのことだった。へぇ、こっちはただの研究者でっせ。国会図書館の方々にお話しできるような内容なんかあるんですかいな? と躊躇したが、「どうしても」と国会図書館の業務内容やこれまでのプレゼンのスライド例のファイルまでお送りいただいたので、「それでは」とお引き受けすることにした。

IMG_2377.jpg 国会図書館。いつも通りにホリプレ講演をした(一部、国会図書館用の話題を盛り込みました)あと、普段は一般人の入ることのできない閉架書庫に案内していただいた。どうやら閉架書庫は地下8階まであるようだ、、、案内いただいたのは、雑誌専門の書架だった。「なにか見てみたい雑誌などはございますか?」と館員の方。昔の雑誌で見てみたいものと言えば、漫画雑誌だろう(皆さんそうですよね?)。そこで、しばらく考えて貸本時代の思い出がある「少年画報」と「ぼくら」が見てみたいと言ってみたが、あいにく両雑誌とも別の書棚に移ったばかりらしく見つからない。それではと、見せていただいたのは初期の少年サンデーや少年マガジンだ。両誌とも1959年創刊。私の生まれ年と同じである。漫画小僧だった私がこのふたつの雑誌を読み出したのは、多分5-6歳頃だったはずだ。そこで1965年発行のものを手にとって見せていただいたら、あら懐かしい、、。「紫電改のタカ」に「黒い秘密兵器」、「伊賀の影丸」に「オバケの Q太郎」。

 「紫電改のタカ」では主人公・滝城太郎の宿敵モスキトンが亡くなる場面だった。「黒い秘密兵器」では椿林太郎が秘球を編み出すためにロケットに野球ボールを投げつけるているし、「伊賀の影丸」では主人公の影丸が宿敵の阿魔野邪鬼(Wikipedia による。私の記憶では天野邪鬼だったんだけど、、、)と対決していた。
 思わず「うひゃぁ、どひゃあ」と興奮して、案内してくださった館員の方に解説したが、、まぁ、迷惑やったでしょうねぇ、、館員の方々は苦笑いするばかりだった。

IMG_2378.jpg この日は、夕方に宿泊するホテルのある清澄白河に行き、近くの飲み屋で夜から群馬大の富田先生と東大医科研のミムミムとで飲んだ。ちょっと微妙に珍しい組み合わせだったが楽しく飲んで、清澄白河・森下界隈が真っ暗になる時分まで飲んだ。

 次の日の午前中は白金の北里大学で、エバメクチンの発見者である大村智先生と少々お話しをさせていただいた。午後は日本学術会議へ、、。夕方には新幹線に乗り、夕食は駅弁で済ました。「湘南シラス弁当」。大変美味しゅうございました。

、、、、んで、明日からは福岡出張であります。


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2015年08月26日

「なかやパーティー」再び

 あわじしま感染症・免疫フォーラム(AIFII)にご参加の皆様へ。

 今年も「なかやパーティー」を開催します。9月9日、午後7時くらいから、、。場所はもちろん「なかや」さんです。予算は5,000円。今年は、少し小規模で20名程度の参加人数を考えております。

 どなた様も奮ってご参加ください。研究分野、年齢、ポスト、国籍、全く問いません。ご参加希望の方は、ホリグチまでメールか、あるいはこのブログのコメント欄から申し込みください。あるいはどなたか知り合いを通じて連絡いただいても構いません。

 それではみなさま、楽しみにお待ちしております。



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2015年08月25日

細菌学会東北支部総会

 日本細菌学会の東北支部総会に出席した。関西支部所属の私が東北支部総会に出席したのには、もちろん理由がある。日本細菌学会は財務状況が芳しくない。何かのプロジェクトが足を引っ張ったとかいう個別の問題ではなく、財務状況のよかった昔の状況を引きずって構造的に支出が多い組織になってしまっているからだ。本年から理事長を仰せつかった私の使命は、とりあえず学会の支出規模を縮小させることである。そのための方策のひとつに、全国で7つある学会支部との予算上の関係の見直しがある。しかし、各支部の活動も知らずに、一方的に学会本部の都合のよいように組織改編はできない。そう考えて、今年は理事長として各支部の総会に参加することにしたわけである。東北支部総会はその最初の総会である。

 会場は福島県郡山駅前のビッグ・アイという市民ホールである。実は私は、福島県には初めて滞在する。空港バスを降りてすぐに気がついたのだが、道行く人は、やはり福島弁を話している。私にとって、福島出身と言えば北里大学生命科学研究所の盟友阿部章夫教授である。この人は福島を離れて長いのにもかかわらず、いまでも福島弁を喋る。おかげで福島弁=阿部 という図式が私にはすっかりすり込まれてしまっている。だからここでは、行き交う人(福島弁を話す人)すべてが阿部先生に見えた。コーヒーショップの店員さんも、ラーメン屋のおばさんも、市民ホールの受付の人も、、、小さな子供までが福島弁を喋る。おかげで、どこに行っても阿部先生に囲まれているかのような居心地の悪い(「良い」とも言えるかも知れん)気分になった。もちろん、行き交う福島人に罪はない。

 さて東北支部総会である。この支部会では、本部が「細菌学会」であるにもかかわらず、細菌学者に加えてウイルス学、免疫学、あるいは腫瘍学に関わる先生方もたくさん参加されていた。聞いてみると、東北大・細菌学講座教授であり、総長でいらした故石田名香雄先生の影響が大きいとのことだ。石田先生はセンダイウイルスの発見者として有名なだけではなく、細菌学、腫瘍学、免疫学にも精通され、それぞれで業績を残されている。その石田先生に直接あるいは間接的に薫陶を受けた先生方が集まってくるのが東北支部総会ということだ。それならば様々な先生方が参加されるというのもうなずける。また、本部の細菌学会員ではなく、東北支部だけの支部会員の数が全会員の4割にも及ぶという。2日間の開催で、演題数は30を切ることはないということだ。、、、支部総会の世話人の回し持ちで、漫然と総会を開催しているどこぞの支部会に聞かせてやりたいような活動ぶりであった。まぁそういう話は、別の機会にするが、、。

 福島の滞在は2日間。会場前のホテルに宿泊したので、100メートルも離れていない郡山駅前の範囲をウロウロするだけの2日間だったが、初日の夜と2日目の学会終了後にラーメンを食べた。とくに2日目は福島で有名らしい「郡山ブラック」という独特のラーメンを食した。中身は濃口醤油ラーメンであった。

IMG_2374.jpg 円谷英二さんの故郷、須賀川に近い福島空港はウルトラマンのてんこ盛りである。玄関横にはビートル号、建物のフロアには円谷プロ自慢の怪獣達の像がそこかしこに鎮座している。建物に入る自動ドアには科学特捜隊の基地のような装飾が施してある。

IMG_0070.jpg
 福島-伊丹間の航空便は便数が少なく、飛行機も小さい。けれど、小さい飛行機はあまり高くを飛ぶわけではないようで、富士山をはじめ浜名湖や伊勢湾が近くによく見えた。

 来週の週末は九州支部総会がある。大分県は別府での開催だ。、、、別府には何度か行ったことがあるが、、、、もちろん九州支部総会に参加するのは初めてだ。、、それと、その前に東京出張がある。


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posted by Yas at 18:52| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月21日

夏休み2015

 先週末(8月15日)から19日まで夏休みをいただいた。私にしては珍しくアクティブな休暇だった。

 15日は朝からホームセンターに行って、簡易セメントとプラスチックのヘラを買い、ずっと前から割れて剥がれていたガレージ前のタイルの補修をした。こういう事には疎いのだが、ネットで手順を調べて、ホームセンターの店員さんに相談して、、自宅の施工業者からもらっていたタイルを12枚ほど貼り替えた。目地ゴテを用意しなかったのでタイルの隙間からセメントが溢れて、あまり綺麗には出来なかったが、まぁよかろ。この部分はクルマのタイヤに踏まれるところ(だからタイルが割れた)なので、体裁よりも頑丈に作ることの方が大切だ。ということで勝手に納得した。
 この日の午後は夕方から TOHO シネマズ伊丹で、話題の「ジュラシック・ワールド」を観た。娘に合わせて、3D の日本語吹き替え版である。 登場人物にイライラさせられて、恐竜にドキドキさせられるのはシリーズ前作と変わりがないが、本業の声優ではない俳優のアテレコが拙かったのと、無駄(に思える)3D が気になった。ナマの英語セリフと2D の映像を見ながら脳内3D 変換した方がストーリーに入り込めるかも、、と何度も思いながら観てしまったので、私としてはいまひとつ。

DSC01777.jpg 16日は完全休養。17日はイオンモール伊丹昆陽でオーダーメイド枕の調整と買い物。18-19日は広島に一泊ドライブした。片道380km ほどの高速道路のドライブだ。 目的地は三段峡と厳島神社。三段峡には、関西で言うなら赤目四十八滝のような峡谷ハイキングコースがある。ハイキングコースの全長を歩こうとすると、1日がかりの行程になってしまうので、片道50分の人気の黒淵コースを辿ることにした。このコースにはつづら折りの坂道を迂回する渡し舟がある。その舟から眺める渓谷はなかなかの壮観である。ハイキングコースは森の中を抜けるので暑くはないが、湿度が高いのでかなり汗をかいた。

DSC01786.jpg 19日は宮島へ。娘と私は二度目だが、家内は初めての厳島神社参拝である。盆明けの平日にもかかわらず観光客で一杯だった。とくに外国人が多く目についた。さすが世界文化遺産である。社内を歩いていると、ちょうど満潮時で神社回廊下に流れ込んだ満ち潮のなかを、大きなタイが泳ぐのを発見した。、、、さすが世界文化遺産、、。参道沿いの「いな忠」さんであなご飯弁当、「牡蠣屋」さんで牡蠣飯弁当を買い求め、帰路の宮島サービスエリアで食す。どちらの弁当も作りたてを渡してくれたので温かくて美味しかった。これで今回の広島ドライブの目的を全て達成できた。

 新しい愛車のレヴォーグ君は快調である。おかげで、今回の往復800km ほどのドライブをほとんど疲れ知らずで済ませることができた。「全車速追従機能付クルーズコントロール」は大変便利である。ただ、車速設定を高速にしすぎると、たくさんのクルマが走るなか、アクセルを踏んでいないのに高速で自車が走行するので、ちょっと心配になる。これも慣れの問題かも知れんけれど。

 ということで、私としては珍しく長い休暇をいただいたのだが、その間もひっきりなしに iPhone に仕事メール(そのうちのいくつかはとっても面倒な用件のもの)が飛んできて、実はあんまり心は休まらなかった。一斉休暇をはずして休暇を取ると、そのあいだ他の皆さんは仕事をしているので当然と言えば当然だが、、、おかげで、昨日(20日)はそのメールの処理に夕方までかかってしまった。恨むべきは仕事を断れない自分自身である、、。

 んで、いま、細菌学会関係の用務で福島県郡山市にいる。これからしばらく、毎週どこかに出張する予定が入っているので、気が向いて時間があればその都度報告しようかなとか、、思っている。 


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posted by Yas at 21:33| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月13日

佐藤勇治先生・博子先生

 先週の8月6日、無菌体百日咳ワクチンを開発された佐藤勇治・博子先生ご夫妻が研究室を訪問してくださった。佐藤ご夫妻と懇意にされている目加田先生と松浦先生の発案で、「ボルデテラ今昔懇話会」と銘打って当研究室の仕事をネタに、百日咳研究にまつわる四方山話をしていただくことになっていたのだ。

 百日咳ワクチンは1950年代に全菌体を成分として実用化され、そのおかげで百日咳患者は世界的に激減した。しかし、免疫付与能の高い製品ほど副作用も強いといわれ、実際に副作用による事故が社会問題となっていた。日本では副作用が原因でしばらくワクチン接種が見合わされ、その後に百日咳の爆発的な再流行を経験している。佐藤ご夫妻はこの問題を解決する副作用のほとんどない無菌体の成分ワクチンを開発された。このワクチンは1981年に世界に先駆けて我が国で実用化され、再び百日咳を激減させた。やがてこの無菌体ワクチンは世界的に普及した。今ではこのワクチンを「佐藤ワクチン」と呼ぶ国もあるほどで、佐藤夫妻は「微生物の狩人」として、例えば国内では北里柴三郎先生や志賀潔先生と並び称されてもおかしくない業績を挙げられたのである。

 私が論文の上で佐藤先生ご夫妻のことを知ったのは1986-7年。たしか博士課程の最終年次の頃だった。実際に初めてお会いしたのは、おそらく次の年。私が北里研究所附属家畜衛生研究所に研究員として勤務を始めた年だった。このとき、私の所属した部署が佐藤先生にあるサンプルの抗原解析をお願いしたのだが、お送りしたサンプルに手違いがあって先生にご迷惑をお掛けした。そのことでまず博子先生から電話でお叱りを受け、そしてそのお詫びと説明に、なぜか新米研究員の私が、当時の国立予防衛生研究所(現国立感染症研究所)の佐藤先生の研究室につかわされたのだった。いま思えば、そのときの責任者が自ら出向くのを嫌がったのだろう。その時、ひとしきりお詫びする私に向かって、憤懣やるかたない勇治先生は「キミのようなものが来て何ができるっ!? なぜ一人前の者を寄越して来んのかっ」と激しい口調で言い放たれた。それは当然のことだったのだが、私には勇治先生がとりつく島もない厳しい人に見えた。

 その翌年。青森の大鰐温泉で開催された毒素シンポジウムで、再び佐藤先生にお会いした。このとき佐藤先生は、その前年にお会いした時とはうって変わって「堀口さん、、こちらに来てご一緒しませんか?」と優しく昼食に誘ってくださった。そして、前もって配付されるシンポジウムの抄録集を開いて「DNT の精製の抄録を読んだ(当時の毒素シンポでは、図表や引用文献の挿入された詳しい抄録が配付された)けれど、何十年も誰も精製できなかったこの毒素をよく精製できたね」と言ってくださった。「キミのような者」から「堀口さん」に扱いが変わったのに面食らい、さらに DNT の精製の仕事をお褒めいただいて今度は感激した。これをみて佐藤先生のことを、態度の豹変する気むずかしい人物とかんがえるのは間違いだ。そうではなく、この先生は仕事だけを見てらっしゃるのである。この時も、私ではなく私のした仕事をお褒めくださったのだ。だから私などは「キミのような者」でも「堀口さん」でもどちらでもよいのである。研究者として誠に真っ直ぐな方である。私はそう感じた。

 国立予防衛生研究所を定年退職されたあと、私は勇治先生とも博子先生とも一度ずつ学会などでお会いした。それからおそらく10年以上の月日が経っていたと思う。この日お会いした佐藤先生ご夫妻は終始柔やかで、当研究室のメンバーの拙い発表を楽しそうに聴いてくださり(ラボのボスとしては冷や汗ものであった)、また率直にご意見をくださった。

 現在、百日咳感染は世界的に増加傾向にある。それは無菌体百日咳ワクチン接種の普及した国においても同様で、このことは無菌体ワクチンの見直しや改良といった問題提起を生んでいる。そのことに話が及ぶと、佐藤ご夫妻は現役の研究者の目になって、開発当初から無菌体ワクチンには改良が必要であることを予見していたことや、百日咳ワクチン開発の現況について色々とお話をしてくださった。私にとっては大変収穫のある懇話会であった。

F0000043.jpeg 最後に、佐藤先生ご夫妻と、懇話会発案者の目加田所長と松浦副所長、それから研究室のメンバーで一緒に集合写真を撮った。もし将来に、当研究室から百日咳ワクチンに関わる重要な仕事が出たら、これは記念碑的な集合写真になるだろうと思ったが、、、そんな日が来るのやらどうやら、、。それはきっと私の定年までわからない。


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posted by Yas at 19:12| Comment(0) | 私的先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月01日

夏目漱石のブログ

 夏目漱石の「硝子戸の中」という小品を読んだ。

 ある日、ぼんやりと「なんかええことないかいな」とネットで青空文庫を検索していて見つけた。小説ではない。日々、漱石の自宅を中心に身の回りで起こる事どもをあれやこれやと書いている、いわゆる随筆である。この作品の最初の項で、漱石は「私の書くような閑散な文字を列べて(新聞の)紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える」と書いている。作品のボリュームから考えて、本当に新聞紙面をある短い期間だけ埋めるために依頼されたものなのかもしれない。

 漱石特有の軽妙だが深みのある文章で綴られた「日々の出来事」が、漱石の人となりを透かして見せる。そんな作品である。「ある意味からして、だいぶ有名になった」猫の話が出てくるので「吾輩は猫である」以後に書かれたもののようだ*。世間で評判の話題を取り上げるでもなく、自らの経験に深い洞察を与えるでもなく、ただひたすら「犬も歩けば棒に当たる」ような在り来たりの話が繰り広げられている。

 これは、漱石のブログやな。ぼんやりと読みながらそう思った。意味深なメッセージが隠されたような、漱石のその他の作品とは全く違う、脱力感の漂うブログ。このブログは、あらかじめ用意されていたかのような、それまでの項をまとめるようなわざとらしい文章で三十九回目に突然終了する。「漱石の作品にもこういうものがあったんや」とちょっと驚いたのでここに書いた。

 ところで、話が全く変わるが、イエスのクリス・スクワイアが6月に亡くなったのを偶然知った。1970-80年代のロック好きなら彼の事をご存知だと思うが、私の好きなベーシストであった。謹んでご冥福をお祈りします。

*:あれっと思って調べたらやっぱり「吾輩は猫である」は漱石の処女作だ。だから「硝子戸の中」がそのあとに書かれたのは当然だった。


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posted by Yas at 14:08| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月25日

Prof. Alan Hall

 Prof. Alan Hall が亡くなった。 今年の5月3日、ジョギング中に心臓発作を起こしたらしい。その訃報は Nature Cell Biology,  EMBO J や J Cell Biol などの誌上で、追悼文とともに生命科学界に伝えられた。それを見て驚いて、「Alan Hall さんが亡くなったらしいっ」と研究室で触れて回ったが、今の研究室には Alan Hall 先生のことを知る者がいなかった。でも、それも仕方ないことかもしれない。私が Prof. Alan Hall と関わりを持ったのはずいぶん昔のことなのだ。

 Prof. Alan Hall は、Rho ファミリー GTP 結合タンパク質が細胞の形や運動を制御をする分子スイッチであることを発見した人である。細胞の運動や形は、細胞骨格と呼ばれる構造物のひとつを構成するアクチンという分子の重合と脱重合で左右される。1992年、Prof. Hall は、当時ポスドクだったらしい Ridley さん(Ridley さんがポスドクだったことは上記の追悼文で初めて知った)と連名で、この発見を Cell 誌に報告した。私は当時、DNT という細菌毒素が宿主細胞に作用してアクチン系骨格の構築を促進するという、当時の知見では、この先いったいどうしたものやらと途方に暮れるような実験結果をもてあましていた。そんな私に、この論文は完璧な回答を与えてくれたのである。

 、、そうか、じゃぁターゲットは Rho 関連の情報伝達分子かも、、と考えて(誰でも考えるけど)、その後に世界中の細胞生物学者から次々と報告されはじめた Rho の機能や構造に関する研究を後追いすることによって、DNT の作用機序を全て調べ上げることができた。そして、その時の成果を論文投稿した Nature 誌の査読者から求められた追試をするために、p50 RhoGAP という分子がどうしても必要になった。私はその発現プラスミドを譲って貰うために Prof. Hall に手紙を書いた。プラスミドは数週間後に送られてきた。そのプラスミドには、「ごめんね、送るのが遅くなって。、、、頑張ってね」という内容の、 Alan Hall のサインの入った手書きの手紙が添えられていた。Prof. Hall ほどの人なら、ラボのメンバーに発送手続きをさせることもできただろうし、秘書に手紙をタイプさせることもできただろう。しかし、その手紙は彼の自筆(だと思う)の手書きだったのだ。 当時、徒手空拳で仕事をしていた私にとって、この手書きの手紙はなによりの励ましになった。

 それから数年後。Prof. Hall の講演が本学医学部で催された。その日、私は何かの所用で講演の開始に間に合うことができず、遅れて慌てて会場に入った。その時ちょうど会場で映し出されていたのは、「ボルデテラ壊死毒(DNT) は Rho を活性化する」と大書されたスライドだった。Prof. Hall はそのスライドを使って Rho の研究に関する背景を話していたのだ。会場が大阪大学なので、大阪大学所属である私を気遣ったリップサービスだったのだろうが、それにしても私の所属と仕事を覚えていてくれたことに感激した。

 こうした僅かな一連の出来事だったが、それで私は Prof. Hall の思いやりのある人間性を感じた。その私の印象が正しかったことは、彼が亡くなって学術誌に掲載された追悼文を読んで初めて知ることができた。ついに私は、彼と直接に話をする機会を得ることがなかった。

 ところで今日、実は先ほど札幌出張から帰ってきたところである。用務は、北海道大学の人獣共通感染症リサーチセンターでの英語講演だった。獣医系の研究センターでの講演ということで、古い話だがあえて DNT の作用機序の話を盛り込んだ(DNTはブタの病気の症状に深く関係する)。だが講演の出来は良くなかった。色々とあって準備が不充分で、最終稿ではないスライドファイルを使って講演をしてしまい、講演途中で意味不明のスライドを映写してしまうという失態を犯してしまった。そればかりか、本番で一度も使ったことのないリモコンポインターを使って、スライドやアニメーションの切り替えを何度もミスした。おまけに私自身がなぜか講演に集中できず、研究のポイントをうまく伝えられなかったり、喋っている最中に何度も英語が破綻したりした。要するに、忙しいからといって準備を怠るとこういう事になる、、という典型的な拙いプレゼンの例を自分で演じてしまったのである。

 Prof. Hall さんの追悼をこのブログで書こうと決めていて、その Hall さんの助けを受けて達成できた研究成果の講演を上手く仕上げることが出来なかった。なんだか彼に申し訳ない気持ちでこの文章を書いている。、、もっとも、Hall さんは私のことなど何も気にかけていないと思うけれど、、。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。


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2015年07月16日

Ooh La La

今月から、Apple Music という音楽配信サービスが開始された。すでにご利用の方々もたくさんいらっしゃることと思う。今月から3ヶ月間はお試し期間ということで無料で利用できる。

私は音楽を聴くのは好きだが、特定のジャンルやミュージシャンに傾倒しているわけでも、音楽そのものに造詣が深いわけでもない。多くは、何かの家事や仕事、あるいはドライブをしているときの BGM としてその場で音楽を流すだけだ。だから、もしかすると Apple Music のような配信サービスは私のリスニングスタイルにとても合っているのかもしれない。

何もよく知らないままこのサービスの利用を始めたら、”For You”というタグで、私の好みに合わせた音楽やミュージシャンの一覧を見ることができた。何が好みなのかは、私の iTunes ライブラリの内容や、スタートの時に尋ねられたアンケートの回答の内容で判断しているのだろう、まさしく好みの音楽がラインナップされている。ここで選択した音楽のページ右上にある+ボタンをクリックすると、その音楽がマイミュージックに登録される。こうすると、Apple Music 内の音楽も自分が所有する音楽と同じようにシームレスで再生することができる。

私の ”For You” には、1970-1980年代のロックやポップスが並んでいる。私にとって音楽といえば、この頃のものが一番詳しいわけで、こうなるのも当然といえば当然である。その中には、興味はあったけれどお金がなくてレコード(レコード!)を買えなかったミュージシャンのナンバーがいくつもある。ドゥービー・ブラザーズ、ロリー・ギャラガー、ザ・フーにレオン・ラッセル、、、その他いろいろ。こういう楽曲が気楽に聴けるのだ。これはかなり良い。

Ooh La la.tiffなかでも、ハマってしまったのはフェイセズの Ooh La La (アルバム) だ。、、現在、私の教授室でヘビーローテーションちうである。、♬ Ooh っ Laっ La ぁ〜♪、、とご機嫌で聴いていたら、シンザーくんが用事で私のところにやってきた、、。

「なんですか? これ?」
「フェイセズの Ooh La La やがな、知らん?」
「知りません」
「フェイセズのヴォーカルはロッド・スチュワートやったんやで」
「、、、、、、、ロッド・スチュワートって誰ですか?」

このアルバムのリリースは1973年。シンザーくんは30歳前半だ。、、ワタクシ55歳。、、ロッドは何歳になったんだろうか?


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posted by Yas at 22:15| Comment(0) | コンピュータ & ガジェット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月11日

大した話でもない

 実は、長い間続いたこのブログをそろそろ閉鎖しようと思っていた。

 日常、ひたすらコンピュータに向かって仕事をして、さらにブログの記事を書くためにオフの時間にもコンピュータに向かうほどの気力が無くなってきたし、なにより加齢ととも就寝時間が早くなったので、その時間の余裕もなくなってきた。

 それに、私や周囲を取り巻く色々色々の事情もあったりして次に書く(書こうと思っていた)「閉鎖のご挨拶」をもってYas's Green Recipes を終了します、、、とするつもりだった。その「最後のご挨拶」さえ、書く余裕がなくて三週間ほど過ぎた。

 さてそれで先日のこと。伊勢志摩で開催された「トキシンシンポジウム」に参加した。一昨年、第60回の開催を私が主催させていただいた「トキシンシンポジウム(毒素シンポジウム)」である。そのシンポジウムで、千葉大のヤヒロくんと阪大微研藤永研のマツムラくんに、「最近ブログの更新が滞ってますね」と指摘された。彼らはこのブログをよく見てくれているそうだ。

 「実はもうそろそろ終わろうかと思っている」と言うと、マツムラくんは「先生のブログ、たくさん見ている人がいますよ、、」と残念そうに応える。マツムラくんは実直で控えめな男だ。そのマツムラくんにそんな風に言われると、ちょっと迷う。彼はまもなく、ボスの藤永さんについて金沢大学に異動し、微研を去る。

 ということで、このブログをどうするか、、、、もうしばらく考えることにした。


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2015年06月20日

おっさんの繰り言

 ラボメンバーから仕事(研究)の報告を受けていて、「そういう仕事のやり方をしていたら、いつまでたっても進捗はないやろ」と感じることがある。しかしなぜ「進捗はないやろ」と感じるのかを説明するのは難しい。私以外の、ラボや研究グループを指導される立場の皆さんにはそんな経験はないだろうか?

 いや、いちおう説明はできる。でもその説明ではおそらく相手に納得してもらえない。こういう状況に遭遇したとき、そしてその研究テーマが重要なものであるとき、研究リーダーは色々と思い悩むことになる。
 一見すると実験の選択や手順は妥当に見えるが、目の前の壁を乗り越えるためにはもっと多くの仕事量が必要だと(私が)感じる時、なぜか上手くいかない実験の上手くいかない理由を調べることなく放置して、それを解決するべく別のもっともらしい実験をいくつも計画している時、欲しい実験結果を得るための適正なスケールで実験をしていない時、自分が気になる目の前の問題を解決するためだけの小さな実験を繰り返したりしている時、などがそれにあたる。こうした「一見すると妥当に見える実験」は、実験者本人が妥当だと考えていることもあって、論理的に「なぜだめか」を説明するのは難しい。これを理解してもらうには、センスとか経験とかが必要なのだが、こうした状況に陥る実験者にはそのセンスとか経験とかが足りない。そんな時に「経験を積みなさい」と云ったところで、目の前の実験に苦しんでいる本人には何の足しにもならない。

 初学者には、経験者が目の前で実験をやって見せて、細かい実験手技の意味を教えて、ナマの実験データを一緒に吟味して、一緒に試行錯誤してやるのがよいと思う。こうして経験を積むと同時に、実験センスとはどういうものか理解できるようになると思うからだ。マニュアル本(この頃は科学実験でもマニュアルの花盛りである)をなぞるだけではダメだ。

 しかし最近はもしかすると、初学者を教える方もマニュアル人間化しているのかもしれない。そんなことをおっさんボスは考えている。

 初学者の皆さん。ボスが理不尽なことを言っているように感じる時、ホントはそんな事情が関わってるのかもしれませんので、ちょっと振り返って考えてみてくださいな。、、、いや、ホントに理不尽なことを言ってるだけなのかもしれませんけど、、。


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posted by Yas at 16:25| Comment(1) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月10日

イマドキの、、

先週土曜日。共同研究員として財団微研会から当研究室に派遣されているスズコーが結婚式を挙げた。お相手は、大学時代からお付き合いのあったという、笑顔の魅力的な女性である。式と披露宴は香川県の宇多津という町にある、海を望むことのできる豪奢な結婚式場(リゾート・ウェディングと呼ぶらしい)で執り行われた。派遣先の教授として、そこに私も参列させていただいた。

参列者は100-120名ほどだったかと思う。レストランタイプのちょうど良い広さのパーティー会場で、色々な意味でコンパクトな良い披露宴だった。このブログでも何度か書いているが、結婚披露宴の良し悪し(これもいつも書いているけれど「悪い披露宴」というのはあまりないけど)は、参列した新郎新婦の仲間達の、結婚をお祝いする気持ちがどれだけ強いのか、どれだけ新郎新婦を盛り上げてあげられるのか、にかかっていると思う。その意味で、この日に集まった新郎新婦の仲間達は最高だった。みんな元気で、みんな嬉しそうに、パーティーで披露されるイベントの度ごとに新郎新婦のところに行って雰囲気を盛り上げていた。

IMG_2354.jpg極めつけは、参列者全員に「恋するフォーチュンクッキー」を踊らせるという一種のフラッシュモブ(ネットや口コミで示し合わせて、ある場所ある時間に突然おこなうパフォーマンス)だった。「老若男女相混ざった披露宴の参列者でそんなことをするのは無理やろ」と思ったが、新郎側と新婦側の双方の仲間達が連絡を取り合って準備したそうで、思いのほか踊りの出来が良く、それに引きずられて参列者全員が立ち上がって手拍子をしたりして会場全体が相当盛り上がった。

IMG_2353.jpg
突然の「恋するフォーチュンクッキー」に、ひとり茫然とする新郎。
一方の新婦はこのフラッシュモブの計画を知っていて、事前に準備もしていたらしい(新婦も踊っていた)。

その新郎側の仲間の大半は、財団阪大微研会の若手達である。財団微研会では人材を育てるのに苦労しているという話をよく聞くが、この企画力と行動力を見て「財団微研の前途は明るいんちゃうん?」と本当に思った。

この日は、宇多津という今まで縁もゆかりもなかった町で、いいものを見せていただいた。ちょっと記憶に残りそうな1日だった。


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posted by Yas at 18:48| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月04日

一閃

 つい先日の出来事。

 当研究室には数鉢の観葉植物がある。もとは、私の教授就任祝いに当時の技術職員の方が下さったベンジャミンと、私が戯れに買った小さい水耕栽培のパキラの2種類だけだった。それにいつの間にやらポトスが加わり、パキラが株分けされ、さらにドラセナ・コンシンネやらドラセナ・サンデリアーナとかやら(あぁややこしぃ)、名も知らんタロイモみたいなのやら、、と故(ゆえ)知らず増殖し(って、買ったか貰ったかしてるんですけどね)、おかげで月曜日の朝には水やりしたり、ベランダに鉢を出したりして、色々と世話を焼かねばならんはめに陥っている。

 だいたいが無精な性格である。大きくなりすぎた枝を剪定するでもなく、無計画に肥料やって水やりしているだけなので株がすぐに大きくなる。大きくなると切り戻しもせずに大きな鉢に移し替える。するとまた株が大きくなる。ちょうど今頃は鉢の植え替えに良い季節だ。、、こうしてどの観葉植物もどんどん大きくなっていく。どうせなら定年までに、よく育っているパキラを天井に届くくらいに大きくしてやろうかと密かに考えたりもしている。

 その鉢の植え替えを前に、今年に入ってから立ち枯れてしまったゴムの木を処分することにした。そのゴムの木は根腐れをしてしまっていたようで、ぼそっと簡単に鉢から取り出すことはできたが、幹がかなりの長さになっていたので短く切らないと捨てられない。しかしあいにく研究室にはノコギリがない。、、、としばし考えていたら、D4のサーヤがかつて空手部に所属していたことを思い出した。

「サーヤ、ちょっと回し蹴りで折ってくれ、、」と、試しに頼んでみた。うら若き娘である。ブランクがあるし、そんなことできません!などと断られるだろうと思っていたら、
「え〜? 折れるかなぁ〜?」とすっと進み出て、軽く首をコキコキさせて

 こういうことになった。


IMG_2345.jpg
 いや、観葉植物の世話の合間に、面白いものを見せていただいた。さすが(いつも書いているが)武闘派教授の異名を取る大阪市立大学・西川禎一先生の愛娘である。

 西川センセ〜,娘さん、元気に頑張ってますよ〜、,。


 明日はその西川先生にお招きいただいて、大阪市立大学で90分の講義をする予定である。



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posted by Yas at 18:40| Comment(1) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月01日

ひっさしぶりの北摂行


 仕事が溜まっていて忙しくてその気にならんだの、新車を購入したので調子を見なきゃだのと、なんだかんだと言い訳して自転車に乗るのを随分とサボってここ数ヶ月。すっかり身体がなまってしまったように思う。

 そもそも、仕事が溜まっているのはまぁその通りだが、忙しくて他に何もする気が起こらないとかいうのは明らかに気のせいだし、新車もいつまでも新車であるわけもない。身体はなまりきって、なんだか気持ち悪い。ということで、前の土曜日に久しぶりに「自転車通勤&帰路は北摂まわり」大作戦を敢行した。以前は毎週のように北摂を巡っていたような気がするが、実に、、、何ヶ月ぶりやら思い出せないくらい久しぶりである。 



 ポタリング(何度も書いているが、私は自転車でダラダラとあっちこっちをほっつき回るので、これをサイクリングとは自分ではとても呼べない)を休んでいるあいだに、トラックを記録してくれていた EveryTrail が iPhone 動かなくなっちまった。んで最近、代わりに Stravaというソフトを入れた。Strava は EveryTrail よりも簡単にログを取って保存できるので便利だ。でもブログへの埋め込みはご覧のようにイマイチのようだ。、、もう少し検討してみます。


 サボっていた間に変わったのはログ記録アプリだけではない。茨木山中の景観も随分変わった。少し前までは、茨木から豊能に向かう府道110号線は、時折通り過ぎるクルマを除けばひっそりとしていて、そこかしこから小さなせせらぎの音が聞こえてきたものだが、、、
IMG_2348.jpg
 今や、こんな事になってしまっている。第二名神の高架柱とのことだ。100メートルはあるのかな、、。こんな調子で至る場所の山林が切り拓かれて、SF 的な光景が繰り広げられている。



 この日は、私の北摂コースの中では中短距離のコースをとって39 km。大学への往路を入れると60 km 弱の走行距離であった。以前なら大したことのない距離だったはずなのだけれど、帰宅したら身体の節々が痛んでいた。運動不足も極まれリ、、、。実は最近、自転車にまつわるある決意をしたので、しばらくは(そんなに頻繁ではなくとも)継続的に中長距離を走るつもりでいる。その決意の中身はまだここには書けん。,、しばし待て(、、?、、興味ないですか、そーですか、すいません)。

 ちなみに、この6月1日から自転車運転に関わる改正道路交通法が施行された。,,皆さん、気をつけましょう。

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posted by Yas at 21:29| Comment(0) | 自転車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月27日

あるベテラン秘書さんを偲ぶ会

 先日の日曜日(5月24日)。リーガロイヤルホテルにおいて菊谷研の秘書さんだったKKさんを偲ぶ会がしめやかに執り行われた。彼女は昨年の9月22日に、病気療養のかいなく亡くなられた。ちょうど、微研と東大医科研が主催する「第13回あわじ免疫・感染症学フォーラム」が開催される前日だった。彼女は微研・菊谷研究室の秘書として、このフォーラムの運営には深く関わってこられた。その開催時期に亡くなられたのは不思議な縁、と言っていいのかもしれない。

 KKさんは山村雄一先生、岸本忠三先生、菊谷仁先生のもとで秘書として仕事をされた方である。山村先生と岸本先生はそれぞれ11代総長と14代総長を務められ、菊谷先生も微研所長を務められている。いずれの先生も(あえて云うのも恥ずかしいが)著名で、輝かしい業績と経歴をお持ちである。こうした先生方が口を揃えて「彼女なしでは何もできなかった」とおっしゃるほど、研究室の裏方として素晴らしい仕事をされた。これは万人が認めるところだろうと思う。

 私は、菊谷先生が微研に移ってこられて暫く後に開催された微研の何かのパーティーで、木下タロウ先生夫人(はっちゃん)に紹介していただいて、初めて彼女を知った。その時はなぜ秘書さんをわざわざ紹介してくれたのか、よくわからなかったのだが、そのあと、私の研究室のすぐ上階にあった菊谷研に私が頻繁に出入りするようになってその意味がわかった。それほどこの人は菊谷研にとって(あるいは微研にとって)大切な人物だったのである。

 私が微研初のテニュアトラックであったプロジェクト助教授に就任したとき、「キクタニからお祝いしてもらうわ」と、(菊谷先生にお伺いを立てる前にさっさと)KKさんは私のために事務什器をあれよあれよという間に業者に注文してくれた。キクタニならそうするはずだ、という彼女の判断だったようだ。菊谷先生とKKさんとの信頼関係を示す出来事だった。
 上述の「あわじ免疫・感染症学フォーラム」の第1回は菊谷先生が担当された。教授になったばかりの私は(なぜか)まるで菊谷研の番頭さんのように、KKさんと相談しながらフォーラム運営の事務処理をして、その時にたくさんのことを彼女に教えていただいた。あるとき、フォーラム後に宿泊するホテルが取れずに困っていた外国人演者のために、「満室です」と予約をことわる一流ホテルに「大阪大学総長岸本忠三のゲストなんですけど、お宅では賓客のために部屋をリザーブしているんじゃないんですか?」と食い下がり、みごと一部屋を勝ち取った。彼女の実力を垣間見た瞬間だった。(まぁ、こんな事は彼女にとっては何でもないことだったと思うけれど)

 偲ぶ会は、岸本忠三先生や谷口維紹先生をはじめ大阪大学旧細胞工学センターや医学部第三内科の関係者のお歴々など100名以上が参列した。事務職員である秘書さんを偲ぶ会としては異例の規模である。いやそもそも、秘書さんを偲ぶ会が大学関係者主催で開かれることが今まであったのかどうか、これからあるのかどうか、、。このことを考えても、このKKさんがどれほど優秀な秘書であったか想像できる。

 岸本先生は「ワシが死んだら、偲ぶ会を仕切ってくれ」とKKさんに頼まれていたそうだ。なのに、KKさんの偲ぶ会の発起人に自分がなるとは思わなかった、と嘆かれていた。本当に、早すぎるお別れである。

 KKさん、今までありがとうございました。
 あらためて安らかにお眠りください。


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posted by Yas at 21:50| Comment(0) | 私的先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月20日

鴨川をはさんで、、

 昨日、京都大学医学部に出張講義に行った。先月末には、鴨川を隔てた対岸にある京都府立医大で講義した。来月は大阪市立大と京都府立大での講義が予定されている。今年度の出張講義やセミナーがぼちぼち始まりだしたというわけだ。

 私の講義ネタは依頼元の要請によって変わる。基本的には「細菌毒素学」だが、細菌学の基礎概論を依頼されるときもあるし、さらには細菌学を理解するための基礎生物学の話を交えることを求められることもある。獣医系の大学だと、動物の感染症の話もする。セミナーでも、外国人留学生相手の場合、大学院生のカリキュラムの一端として開催される場合、プロフェッショナルな研究者相手に話す場合などでもちろん内容が異なる。研究者相手でも、細菌学者が主な聴者なのか、それ以外の分野の研究者が多いのかによっても異なる。つまり何が言いたいのかというと、同じスライドを用意してホイホイとどこに行っても同じ話をするわけではない、ということだ。そのたびに数枚の新しいスライドを用意し、順序を変えて構成を練る。これでも割と時間をかけているつもりだ。

 今回の京大医学部の講義はずばり「細菌毒素学」だ。私を呼んでくれたイチロー先生は無論立派な細菌学者でらっしゃるので、余計な講釈は反ってイチロー先生の普段の講義の邪魔になる。そこで清く、細菌毒素の定義、分類、病気のとの関わり、毒素遺伝子の起源なんかの話をした。先月の京都府立医大は100名程度の学生で埋まった大講義室での講義だったが、この日の京都大学の講義棟は、解剖棟を改修してできたとかいうことで、スクリーンと演壇をぐるりと囲んで扇状に階段席が並んでいる。

IMG_2326 (1).jpg だから、スクリーンの左側に立って話すと、向かって左側最前列の学生さんからスライドが見にくくなり、右側に立っても同じ側の最前列の学生さんからはスライドが見にくくなる。それが気になったので、3時間の講義の間、ずっと左に行ったり右に行ったり歩き続けながら講義した。学生さんから見たら、「なんちゅう落ち着きのない先生や?」と思われたかもしれん。

 京都府立医大の講義では厳しく出欠を取られているためか、学生の出席率が高かかった。はじめから100人程度の学生がいるのはそのためだ。一方、京都大学の講義では、開始時間当初は30人程度しか学生がいなかった。講義の後半に入っても、60人程度までではなかっただろうか? しかし出席している学生さんはみんな熱心である。京都府立医大(あぁややこしい)でも、熱心な学生さんの数は京都大と変わらないかもしれないが、なにせ総数が多いぶん講師と学生のあいだに距離を感じたのに対して、京都大学では学生がかなり近くに感じた(色んな意味で)。ただしたぶん、出席率は良くない。このあたりは大学によっての考え方の違いだろう。

 学生が多人数だと、こちらが質問したときに「わかりません」と一言答えて流そうとしたり、質問されることに嫌悪の表情を表す奴もいるが、少人数ではそういうことは滅多にない。これはやっぱり講師と学生との間の距離感の違いかもしれない。そして、「わかりません」と答えても「考えてみろ」と返すと、必ずそれほど的外れではない答えが出てくる。医学部に合格する素養があれば、やはりそれくらいのことはできるのだろう。なのに、講義中に全くモノを考えないのはもったいない。

 間に15分の休憩をはさんで3時間、そんな調子で講義した(京都府立医大の時も同じ時間構成だった。ただし、講義内容はちょっと違う)。3時間の講義というのは結構疲れるものだ。しかもこの日は、上に書いたような理由で無用に歩き回った感があって、いっそう足が疲れていた。和書・洋書を問わず、たくさんの学術本やプロトコール集や、小説・雑誌などで囲まれた実に教授室らしいイチロー先生の教授室で美味しいコーヒーをいただき、午後のスケジュールの都合で乗ってきたクルマで帰阪したが、クルマの中でアクセルペダルやブレーキペダルを踏む度に、なんども脚が攣りそうになった。

 講義がエクササイズになるなんて、情けない。


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posted by Yas at 18:54| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月15日

科研費審査結果の開示(怪事?)

 今年度の文部科学省科学研究費補助金(科研費)の採否と審査結果内容がそれぞれ4月はじめと5月はじめに発表された。前年度からの継続課題がある私は、今年度は挑戦的萌芽研究のみを応募して不採択に終わった。わりと野心的なテーマで、計画調書もそれなりにまとまって書けていると思っていたが、その一方で自前の実験データが全くなくて他グループの先行研究を下敷きにした発案だったので、いくら挑戦的萌芽研究といっても不採択も充分あり得ると予想していた。だから、それほど残念な思いはなかった。

 ところが、今月に発表された審査結果の内容を見て少し困惑した。審査結果は、日本学術振興会の電子申請システムのウェブサイトから個人ページを開くと見ることができる。開示の内容は、その種目の採択率、各研究領域における全応募課題中のおおよその順位、絶対評価による評定要素(点数で表される)などである。

 そこで私の応募した研究課題だが、おおよその順位は「A」だった。これは不採択課題の中で上位20%に位置することを意味している。これはいいが、問題はそのあとだ。絶対評価による評定要素は1−4の4段階に分かれている。これを複数の審査員が点数付けをして、その平均点が応募者に知らされることになっている。評定のための観点は1)挑戦的萌芽研究としての妥当性、2)研究課題の波及効果、3)研究計画・方法の妥当性の3項目である。私の応募した研究課題の平均点は、それぞれ、1)3.67(採択課題の平均点:3.41)、2)3.67(同:3.44)、3)3.33(同:3.28)であった。つまり、全ての観点において私の評点は採択された課題の平均点よりも高かった、ということだ。評点は4点が最高点だから前者2項目では9割以上、残りの1項目も8割以上の評点を獲得していることになる。これでなぜ不採択?

 いやいや、一部の評点が著しく低かったのかもしれん(平均点から見て考えられないけど)と思い直して、さらに審査結果を読む。審査結果には評点2以下となった項目が明示されるが、私の研究課題では2以下の評点をつけた審査員は一人もいない。なので、研究計画に問題があると判断されたわけではなさそうだ。

 では、総合評点か? 見てみると、総合評点の平均点が「3.00」、相対評価では1名の審査員が上位6-25%を示す「A」評価を下していた。ただし上位5%以上を示す AA 評価はない。ここが問題だったのかもしれない。ということで、ちょっとだけ(ほんとちょっとだけ)納得したが、しかしやはりわからない。上に書いたように、私の評点はどの項目においても採択課題の平均点を上回っていたのに、なぜ総合評点が高くないのか? しばらく一段審査員の気持ちになって考えてみた(一応、私は一段審査員・二段審査員のどちらの経験もある)が、やはりよくわからない。採択課題の平均点より高い研究課題が不採択って、、? 審査結果を最後まで見ても、「研究経費の妥当性」や「法令遵守・人権保護を必要とする研究課題の適切性」で問題を指摘されているわけでもなかった。

 わからん。審査結果の開示制度は、不採択になった応募者にある程度納得してもらうためにもあると思うのだが、こうなると開示されたために余計に疑問が出てきてしまう。

 、、だれか、考えられる理由を教えてもらえませんか? 「オマエが審査員に嫌われとるからや」とかいうのはナシで、、、。


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posted by Yas at 18:22| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月11日

ごぉるでん うぃいく 2

 5月5日の朝、目が覚めたときから気分は完全にぐうたらモードである。軽い朝食を取り、いつものようにソファに寝そべってダラダラしていたが、さすがに若干の罪悪感に苛まされた。「なんかしなくちゃ。せっかくのゴールデンウィークやし、、」とあれこれ考えて、永いこと自転車(シクロクロスのプロントくん)のバーテープを交換していないことを思い出した。
 
IMG_2318.jpg この白いバーテープは4年半ほど前に換えたものだ。さすがにいつも手が触れる部分が真っ黒になっている。そうだ、これを換えよう。自宅には新しいバーテープ(といっても4年以上前に買ったもの)の買い置きがある。
 バーテープの巻き方には、ステムに近いところ(つまりハンドルの中心部)から端っこに向かって巻いていく上巻きと、端っこからステムに向かって巻いていく下巻きの、2種類の方法がある。このプロントくんは購入したときに上巻きで巻かれていて、それに習って私も自分で交換するときは上巻きにしている。上巻きだとステム寄りのバーテープの端っこをビニールテープなどで固定する必要がないのが気に入っている。(何のこといってるのか判らない人、すまんが「バーテープ 上巻き」でググってみてちょ)

IMG_2320.jpg ロードバイク系自転車のハンドルにはブレーキバーがくっついているので、バーテープの巻き方はなにやら難しいように感じてしまうが、実は簡単である。コツはテンションをつけながら(つまり引っ張りながら)巻くこと。これだけだ。
 ちょちょいと30分ほどで交換。この写真ではわかりにくいけれど、実は左側部分は失敗作である。でも、こんなところをジロジロ見る人はいないし、ジロジロ見るようなやつに失敗を指摘されても別に構わないや、と開き直ってこれで完成とした。


 しかしその後はやることがなくなった。せっかくのゴールディンウィークなのにねー、、、、、やっぱゴールデンウィークやし、、、飲むか? と前日に引き続き昼間っからのんだ。
 

IMG_2322.jpg


 これが「香住鶴・山廃吟醸純米酒」である。もうひとつの「生酛純米酒」は、この時すでに飲んじまって、もうない。このあと、この日は寝るまで、やれ香住鶴だ、ビールだ、黒霧島だといっては、とっかえひっかえお酒を飲んで終わった。



       *          *

 5月6日。さすがに反省した。こんな事ではいかん。ということで朝から、それほど汚れてもいない新車を洗うことにした。普段は家内のコルトが入っている家のガレージにレヴォーグくんを入れて、水でジャアジャア流しながら洗う。このクルマはガラスコーティングしてあるので水洗いで充分だ。ワックスのような深みのある艶というのはないが、とにかくピカピカにはなるので気持ちが良い。むふっ。クルマが綺麗になったら今度はどこかに出かけたくなる。そこで、娘とイヌと連れだって箕面記念の森公園に行ってみた。(奧さんは仕事)

 この公園は、私がサイクリングの最中に見つけた隠れ家的な場所だ。以前に私がサルに襲われかけた場所もこの近くである。きっとここなら、ゴールデンウイークでも満員渋滞ギュウギュウ詰めということはなかろうと、午後からクルマで向かったら案の定、2-30台程度の駐車場にはまだまだ空きの余裕があった。

DSC01725.jpg 敷設された遊歩道から公園内の湿地帯を撮ってみた。ご覧の通り、誰もおらん。公園内には芝生広場や展望台もある。展望台からは川西方面の街並みや丘陵の住宅街が見渡せて、なかなか気持ちが良い。そのあと、私のおなじみの自転車コースを辿って、野間の大ケヤキを見物して帰宅。帰宅したら、ゴールデンウィークらしいドライブに満足して、また飲んだ。

 、、、やっぱゴールデンウィークは、飲まんと、、。


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2015年05月08日

ごぉるでん うぃいく

今年のゴールデンウィーク。週末土曜日の2日は仕事に出た。その理由が「土曜日に仕事をやっとけば、GW 明けの仕事がやりやすい」というものだ。仕事の効率を考えた判断と言えなくもないが、実は相当に不健全であることに本人は気がついている。そのかわり(そのかわりもクソもないんだけど)、3日から6日まではしっかり休ませていただくことに決めた。そのゴールデンウィークの過ごしぶりといえば、、

明けて3日は、新しい愛車・レヴォーグを駆って兵庫県の日本海側にある、カニで有名な香住に出かけることにした。目的は三つ。春まで楽しめる「香住ガニ」を食べること、香住産の日本酒「香住鶴」の酒蔵に立ち寄って、現地限定の香住鶴を買うこと、餘部(「あまるべ」と読む)鉄橋跡(いまや「跡」になってしまった)の展望台に上ること、だ。

中国自動車道・福崎インター経由で播但自動車道、国道9号線、県道4号線を走って香住に向かうと、途中に香住鶴の酒蔵がある。ここで山廃吟醸純米酒と生酛(きもと)純米酒を購入した。どちらも酒蔵でしか買えない限定品だ。酒蔵を出るとちょうど昼飯時になったので、ネットで調べた地元でも評判の料理屋さん「喜いち」に向かう。さして大きなお店ではないが、上手い具合に駐車場が空いていたので、クルマを置き、店内に滑り込むことができた。お刺身定食とカニの天ぷらをいただく。美味しゅうございました。メニューにはカニのコースもあったが、昼食ということで自重した。
そのあと、香住漁港の朝市センターで香住ガニ(いわゆるベニズワイガニである)を求めたところで、雨が降ってきた。「どうかいな?」と思いながら、餘部鉄橋跡まで走ったが、展望台のふもとの道の駅は大渋滞。渋滞や行列の大キライな私が、道の駅の駐車場が空くのをゆっくり待てるはずもなく、すぐに退散。雨は徐々に強くなる。訪問地の候補にしていた海の展望公園や岬の展望台は楽しめない。、、ということで、そのまま帰路についた。
往復で330 km ほど。帰路には渋滞もあって、トータルで8時間ほどクルマを運転していたドライブ(まさしくドライブ)だった。、、渋滞はキライだ。慌ただしく酒を買い昼食を食べて帰ってきただけなので、カメラを持って行ったもののシャッターチャンスはまるでなし。だから写真もなし。

翌日。この日は、いつもの休日のようにダラダラとテレビを見ながら過ごすことに決めた。しかしいつもの休日と同じでは GW のムードが出ない。やっぱり GW なら、GW 風の特別なことをしたい、、、、、やっぱ、飲むか? と、前日に買った香住ガニを肴に「香住鶴・生酛純米酒」を昼間からいただいた。観るのは HD に録画しておいた「火野正平・にっぽん縦断こころ旅」「Love in the afternoon (昼下がりの情事)/オードリー・ヘップバーン、ゲーリー・クーパー」。そんなこんなで4日はあっという間に過ぎていった。

5日と6日はゴールデンウィーク後半の2日間になる。適当に話は続く。


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2015年04月27日

日本細菌学会のこと 5

 基礎細菌学をキーワードにして、あらゆる領域で細菌・真菌を扱っている基礎科学研究者との連携を可能にする学会が、細菌学会の将来の姿としてはもっとも現実的である。というのが前回の話。

 このことによって、他の学会にはない特色ある活動ができると私は思っている。それで学会員が増えるかどうかはわからないが、少なくとも、今やたくさんの学会の選択肢がある臨床・検査系の医者・研究者の復帰を期待して医学細菌学に固執していては先は拓けない。それに感染症学会や臨床微生物学会などの学会は、そもそも細菌学会でフォローできない問題を扱い、それが評価されて今の隆盛をみているのだから、例えば感染症学会と同じような活動を細菌学会が今から試みても、長い年月の間に離れた参加者が戻ってくるとは思えない。すでに、その分野のパイは他学会に取られてしまっているのだ(ちょっと表現が悪いけどね、そういうことだ)。

 一方、基礎細菌学を追求する立場で、病原細菌に限らぬ多種類の細菌・真菌を扱える学会は、国内では細菌学会をおいて他にはない。このアドバンテージは絶対に生かすべきである。ただ前回の最後に書いたように、ここにも問題はある。植物細菌でも環境細菌でも、応用微生物でも、生物モデル系細菌でも、それらを議論するための学会がすでに存在する。そんな学会の人達を誘引する必要があるのだが、それはきっと難しい。

 そこで、それぞれの立場の細菌学に共通する問題を横串にして異分野連携を促すような仕組みが必要になってくると思う。難しいが、国内でこれが可能なのは細菌学会だけである。私が会長になる次回の学術集会で、「横断的微生物研究コミュニティーの創生と確立」をメインテーマに掲げたのは、そんな考えを反映させてのことだ。もちろん、この「微生物研究コミュニティー」には、細菌感染症の分野も細菌検査系の分野も、農獣医系細菌も、理学工学系細菌も、すべてが含まれる。ほんとにそんなことができるのかまだわからないが、とにかくこのテーマの下でシンポジウム・ワークショップの企画をお願いしているところである。

 われながらダラダラと書いたが、組織としての学会がどうあるべきかということを順を追って考えてみた。しかし、本当に大切なのは細菌学会の存続ではない。重要なのは、我が国の細菌学が科学として健全に発展することである。それが達成できるのなら、何かの問題が生じて日本細菌学会が潰れたって別に構わない。(潰れないように努力しますけど)
 基本的に、良い研究をすれば人は集まるものだ。良い仕事を育むためには、お互いの研究を評価して切磋琢磨する土壌が必要だ。その土壌の役割は学会が果たすべきだが、それは学会員にインセンティブを与えて会員増を図るような努力とは全く別の話である。幸いにも、このシリーズの冒頭で書いたように、細菌学会の学術集会は再び活気を取り戻しつつあり、たくさんの良質な研究を育む準備はできはじめているように私は思っている。

 あとは、良い仕事をするだけだ。良い仕事をしましょう。みなさん。

と思っても、なかなか思い通りに行かんところがもどかしい。
、、、、私も頑張ります。

:研究費のある所に人は集まるものでもある。細菌学を看板にした高額のグループグラントの獲得を目指すのは、もう一つの重要な「細菌学活性化」の方策だと思う。



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2015年04月20日

日本細菌学会のこと 4

前回、年1回の学術総会は盛況なのにもかかわらず、日本細菌学会は3割(1,000人)程度の会員を失い、また長い歴史の間に医学細菌学における中心的な立ち位置を失って、さらに基礎細菌学を育むコミュニティーとしての力強さも失った(のかもしれない)、と指摘した。そこで今回、再び本学会が活性を取り戻し、上質な細菌学研究を生み出す土壌となるためには何をどうすればいいのかについて考えてみた。

実は、同じようなことは10年以上前から指摘されていて、2004年に本学会は「学会活性化小委員会」なるものを立ち上げている。この委員会の使命はその名の通り「学会の活性化」であった。この小委員会の活動に当たって当時の内山竹彦理事長は若手の学会員の意見を重視した。その意見のまとめ役の担当が、なぜか私になっていたのである。コンピュータに保存された当時のファイルを探ると「活性化及び予算増 試案」というのがあった。この試案では「学術総会のポスターを作成して、広報に努めるべき」「シンポジウム・ワークショップの数やタイムスケジュールの基準を作り、テーマを公募制とする。これを何らかの委員会が企画調整して毎回のプログラムを決定する」「大学院生および若手研究者を特に encourage するための合宿セミナーを企画する」などのアイデアが盛り込まれていた。現在、これらは全て実現している。

また、この試案の冒頭には、(私はすっかり忘れていたのだが)以下のようなコメントが記載されている。
ーーーーーーーーーー
「学会活性化」の各論を討議する前に、学会の方向性について見解を統一する必要があると思います。特に、会員増を図って規模拡大を目指すのか、医学細菌学に焦点を当てた小規模であるが濃密な学会を目指すのか、という点は各論の内容を左右することでもあるので重要かと思います。当日に理事長の見解をお示しいただけたら幸いです。
ーーーーーーーーーー
この指摘は今もまさに通用する。

前回に書いたように、感染症学会や臨床微生物学会が「臨床・感染症」をキーワードに活発に活動している現在、細菌学会が、時計の針を逆行させるように、この領域(同じキーワード)で再び中心的な役割を果たすようになるのは極めて難しい。もし医学細菌学にこだわるのならば、基礎医学細菌学に特化した小規模学会として活動し、それなりに成果を生むことなら可能だと思う。これが細菌学会活性化(あるいは再生)のひとつのパターンである。そうではなくて会員増を視野に入れて、学会を活性化させるというのならば、本学会の得意な基礎細菌学を中心にあらゆる細菌の基礎研究を取り込んで活動の裾野を広げる、という別のパターンも考え得る。今後の細菌学会が取り得る方向性としては、試案のコメントのように、この二通りのパターンしかない(と思う)。

そして現実には、細菌学会にはすでに医科系細菌学以外の領域の研究者の方々が多数参入されている。つまり、本学会はすでに後者の方向性で舵を切っている。答えは明白である。

ただし、これにも問題はある。

あまり時間が取れず、一週間に少しずつしか書けないので書いている本人も焦れてきましたけど、もう少しお付き合いください。、、、ということで、、、つづく。



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2015年04月13日

日本細菌学会のこと 3

引き続き、日本細菌学会の話。

学術総会が盛況なのに、学会本体はなぜ不調と言われるのか? 私の考えるところでは、これには日本細菌学会の歴史が関係している。

日本細菌学会が昭和2年に発足し、まもなく90周年を迎えることは前々回のエントリで書いた。その間、本学会には長きに渡って日本の医学微生物学を支えてきたという自負がある。世界的に著名な北里柴三郎先生や志賀潔先生を輩出したばかりでなく、R プラスミド(耐性プラスミド)の研究や細菌毒素の研究では日本が世界の最先端を走っていた。それが、ほんの数十年前の話である。

しかし現在、細菌学を取り巻く環境はすっかり変わってしまった。日本細菌学会と同時期に発足した日本感染症学会(大正15年設立、以下括弧内は設立年)や、食品微生物学会(昭和55年発足)、日本環境感染学会(昭和61年発足)、日本臨床微生物学会(平成2年発足)などがそれぞれの専門性を発揮した活動を展開しつつ住み分けを進めるなかで、医学系細菌学における日本細菌学会の絶対的な重要性は(いまでももちろん重要であることには変わりないのだけど)失われた。しかし、それに気づかず「医学系細菌学・感染症制圧」のみが伝統ある日本細菌学会の学会活動の本流であると勘違いし続けたのである。そして、細菌学会のもう一方の重要な柱であるはずの充実した基礎細菌学研究領域の裾野を広げる努力を怠り、学会の内側を向くばかりで、それ以外の領域に研究をアピールすることをしなかった。私が自分のラボのウェブサイトで「日本細菌学会には『細菌学とはどうあるべきか?』という陳腐な問答が存在する」と書いたのはその頃を指してのことだ。以下、少しだけ引用する(自分の文章ですけど)。

ーーーーーーーーーーーー
さらに、日本の細菌学会に目を向けると、「病原細菌を研究せねば意味がない」「感染予防・治療に結びつけねばならない」という話を今でも耳にする。「細菌学とはどうあるべきか?」という陳腐な問答が存在するのである。もちろん、すべての日本の細菌学者がそのようなことを考えているわけではないし、研究機関などの立場によって研究者の考え方が違うことは認める。それにしても、科学の世界で「XX学とは○○でなくてはならない」という話がまかり通るのはどういうことであろうか? 他の領域の、例えば生化学で「生化学とは○○であるべきである」という人がいるだろうか? このような発想の中ではセレンディピティもなにもあったものではない。
ーーーーーーーーーーーー

その結果、日本細菌学会で輝きを増さねばならないはずであった基礎細菌学も萎縮した。そして、細菌学領域以外の研究者から見て、細菌学が基礎科学とは思われなくなったのである(と私は思っている)。実際、最近の大学医学部の細菌学系教室の教授人事は「基礎細菌学」研究ではなく「感染制御」研究を念頭にした人選が進められているように見受けられる。医学部でいう感染制御とは院内感染である。院内感染の原因病原体のほとんどは細菌だ。しかし、「感染制御」を看板に医学部の細菌学系教室に赴任する先生方の多くは、(日本感染症学会員であっても)日本細菌学会の会員ではない。あるいは、日本細菌学会では活発に活動をされていない。そうした方々が主宰する研究室のメンバーが細菌学会から足が遠のくのは自然なことだ。そして、学会員数が減少する。これが、日本細菌学会が危ないと感じられてしまうひとつの理由である(と私は思っている)。

もうひとつ、細菌学会では長い間、3,500人前後の会員を擁するのが普通のことであった、という(歴史にかかわる)問題もあると私は思っている。現在、本学会の会員数は学生会員を含めて約2,500人程度である。1,000人も会員が減ったのだから、学会が危ない、と思うのだろう。しかし、この会員数は日本ウイルス学会のそれとほぼ同数である。日本ウイルス学会は、私は内情は知らないが、外から見て日本細菌学会ほど危機が叫ばれているわけではない。むしろ順調に人材を輩出していて学会あるいは学問領域としては堅調だ。同じく活発に活動している日本寄生虫学会の会員数は1,000人足らずで日本細菌学会よりもずっと少ない。すなわち、3,500人から2,500人への会員数の減少そのものは、学会の活性とは関係がないのである。問題は、研究の方向性と質であって、会員数ではない。だから私は細菌学会内部で時々いわれる、「学会の会員数を増やすにはどうすれば良いか」という議論に与しない。「学会活動によって上質な細菌学研究を涵養するにはどうすれば良いか」という議論の方がよほど大切である。

今回はおしまい。細菌学会の「明日はどっちだ?」につづく、、。


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2015年04月06日

日本細菌学会のこと2

 前回からの続き。

 本年の日本細菌学会総会は第88回となる。会場は岐阜市内の長良川国際会議場であった。会場を少し離れて堤防を越えると長良川の清々しい流れを楽しめたらしいが、あいにく私は会場内をあちらこちらと立ち歩くばかりで、そのような時間をゆっくりと取ることはできなかった。基本的に、アカデミックプログラムのある時間は興味のあるセッション会場に居たし、そうでない時は学会の委員会か、学会運営に関わる何某かの担当の先生方と、色々な相談事をしていた。今回、そんなに忙しかったのには理由がある。

 ひとつは、来年の第89回の総会を私が担当するということに関係している。来期の総会長として、今回の総会の各会場の規模はどうか、参加者の入りはどうか、ポスター会場の掲示板の間隔や大きさはどうか? 関係企業の展示ブースや土産物屋の出店の様子などをスカウティングさせていただいた。
 もうひとつの理由は、やはり理事長としての任務に関係している。前回に書いたように、本学会は絶望的な赤字体質に陥っている。学会は基本的に収益団体ではないので、何かの事業で爆発的な収益を上げて黒字転換することは無理だ。そうであれば、支出を大幅に削るしかない。しかし、個々の事業をとり上げて、それらを廃止したり保留したり縮小したりしていても「大幅」な支出の削減は難しい。根本的に赤字体質を改善するためには、組織全体を効率化するべく作り替えるのがもっとも効果的である。というか、それしかない。それほど膨大な赤字を生み続けてきたのだ。この学会は。ということで、そのために総会の会期中に開催されるあちらこちらの委員会に顔を出し、様々な方面の先生方に様々なお願いをしていた。おかげで理事会のある前日から総会会期の3日間の合わせて4日間は、私にとってあっという間に過ぎていった。(すいません。ちょっとウソついてます。一度、会場を離れて、金華山に登ってました。)

 学会の危機とは裏腹に、学術総会はそれ自体、非常に活気があった。各会場は(巨大な第一会場を除いて)、たいてい6-7割の席が埋まっていたし、もちろんセッションによっては立見が出ている会場もあった。なぜこの学会が、会員の減少や財務危機に晒されて斜陽状態と思われているのか、不思議である。私の学生時代は、細菌学会といえば会場よりもロビーの方に人が溢れ、会場では玉石混淆(はっきり言って「石」の方が多かった)の一般口頭発表がトコロテンのように短い時間で立て続けに行われていて、学問的には欲求不満の溜まる、とても面白いと言えるものではなかった。さらに、懇親会で初めて「こんなにたくさんの参加者がいたのか?」と驚くほど、学会場では人の気配が薄く、学術総会としては全く活気がなかった(と、私は記憶している)。それが、一般講演がポスターになり、口演はシンポジウムとワークショップで比較的まとまった発表が聴けるようになってからは、面白く学術総会を過ごせるようになった。また、一般演題がポスターになって、見る気になれば全ての演題を閲覧して、その中から気になった演題で発表者と議論することがかなうようになった。これも一般演題がトコロテンの口頭発表だった時代にはできなかったことだ。ここ十数年で、学術総会は充実してきていると言っていい。

 すなわち日本細菌学会の学術総会は(開催年度によってテーマに偏りがあるとしても)、破綻していない。それなりに勉強しようと思えば、ちゃんと勉強できる、しっかりとした総会が開催されているとと思う。

 それが、なぜ、日本細菌学会の危機が云われるようになったのか? 
 次回はその辺のことを書く。

 つづく。


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posted by Yas at 19:05| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月30日

日本細菌学会のこと

 実は、本年1月に、日本細菌学会の理事長を拝命した。任期は3年である。来年の春には日本細菌学会の学術集会の総会長も担当することになっている。つまり、何の因果か、来年は理事長と総会長を兼務することになる(ちょっとめずらしい)。

 日本細菌学会は、昭和2年に北里柴三郎先生の会長で開催された第一回衛生学微生物学寄生虫学聯合学会を源流としている。その後、研究グループの分離独立と学会名称の変更があったりして、昭和22年に日本細菌学会になった。昭和2年に発足したと考えると、もうすぐ90周年を迎えるということになる(私が担当する学術集会は『第89回』ということだ)。まことに歴史のある学会である。

 しかし、ここ数年は低迷の度合を深めている。学生を除く正会員数は10数年前から減少し、最盛期に比べて約千人減った。また、過去5年間では支出超過の財政状態が続き、赤字総額はふにゃらら万円(郊外に家を1軒建てることができるくらいの額)に及ぶ。歴史はあるが運営状況は火の車である。まるでどこかの老舗旅館とか老舗料亭のようだ。

「こんなときにどうして理事長などになってしまったのだろうか?」と自問してみるが、逆に言えばこんなときだから若輩の私にお鉢が回ってきた、とも考えられなくはない。任期は3年。その間に何ができて何ができないか? そんなことを考えてみた。というか、今年に入ってずっと考え続けている。

       *             *

、、、、と、以上のような下書きを書いたのが2週間ほど前である。その後、先週末に細菌学会総会が岐阜で開催された。

 更新が滞りがちになった本ブログだが、今回から暫くは細菌学会のことを書いてみたい。それでちょこっと更新頻度が上がるかも、、、。って、別に誰も期待していないでしょうけど、、。



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posted by Yas at 18:52| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月15日

「ガツン」と行け

 先週のこと。愚息が久しぶりに帰省してきた。「学位を取りました」という報告のためらしい。

 彼は学部を京大の工学部で過ごし、「やりたいことが東大の大学院にある」と言って修士課程から東大大学院工学研究科のお世話になっていた。もともとは化学専攻である。

IMG_2297.jpg 学位論文は iPS 細胞の浮遊培養法に関するものらしい。生来、血を見るのがキライで、親と同じ生命系分野を専攻するのにも抵抗があったといい、それで有機化学を専攻したはずが、なぜか iPS 細胞を研究テーマに博士号を取った。ここらあたりの心境の変化は興味あるが、息子を相手にそんな話をしてもはじまらん。ということで、親に渡すために持ってきた学位論文を黙って受け取った。あ、、「おめでとう」くらいは言ったかもしれん。
 写真中、隣にあるのは30年近く前の私の学位論文である。当時の研究室の標準用紙であったレターサイズの紙に印刷したので、A4版の息子の学位よりもタテが短くヨコが長い。

 ikki.jpg 私の家は、親族に学問・教育系に関わっている者が何人かいるが、学問家族というわけではない。私の親父は商売人だったし、兄は会社員だ。だから彼が研究分野に進んだのは私の影響だ(と私は勝手に思っているが、間違ってないと思う)。そんな影響を与えてしまって、これから本人はイバラの道を歩むのかと思うと、ちょっと心配だ。ポスドク(特任研究員)のあいだはなんとかなるが、そこで篩にかけられて常勤職に就けないと、大学・研究機関以外で就職先を見つけ出すのは極めて難しい世界なのである。この仕事に向いていれば良いが、とびきり優秀な場合を除いて、それは学位を取ったくらいではわからない。 似たような業界にいても、おそらく親にしてやれることは何もない(本人も望んでないと思うけど)。あとは自分の才能と努力で乗り切ってくれ。

 ところで、彼は今秋に結婚したいらしい。どうも今回の帰省は学位取得の報告よりも、結婚の相談の方がメインの目的だったようだ。大学院修了、結婚と、今年は彼にとって大変な年になるのかもしれない。まぁ「ガツン」とやるしかないな。、、「ガツン」と行け、「ガツン」と。、、、と書いていて思い出した。私は大学院在学中に結婚したのだった、、。そしてその半年後に大学院を修了した。

 同じような人生を送っとんな。、、まぁ「ガツン」と行け。


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2015年03月02日

ごちゃごちゃと新車自慢

先週の日曜日に、注文していたクルマ(先日のエントリーで話題にした)の納車準備ができたというので、ディーラーさんに受け取りに行った。スバル/レヴォーグ・1.6 GT-S Eye-Sight というクルマである。

来店を約束した朝の10時にディーラーに出向くと、担当の人が車検証や製品保証書やらと一緒に、分厚い説明書を何冊も抱えて私のところにやってきた。まずは車検証と保証書関連の確認、それから実車のところに行って、外観確認とレヴォーグに独特の機能の操作方法などを聞く。ここまでで1時間半ほど。それから店内に戻って今度は説明書を元に説明を受ける。これで約2時間。最後に、Eye-sight の操作に関する DVD を見せられた。DVD鑑賞はお断りしてもよかったのかもしれないが、きっと一生に一度のことであろうと、ありがたく見せていただくことにしてそれで2時間半。

Key.jpgこんなに長くかかった納車は初めてである。スバル(のディーラー?)は気合いが入っている。最後に、ディーラー店長さんと一緒に納車セレモニーの写真を撮って、ディーラーを出た。これも、別に断ってもよかったのかもしれないけれど、ディーラーさんの気合いに押されてついポーズを取ってしまった。


以前から、スバルのクルマには興味があった。特に、スバル車のオーナーが、決して自分のクルマの悪口を言わないことに気がついてからは、いっそう気になった。調べれば、世には「スバリスト」という、スバル好きでずっとスバル車に乗り続けている人を指す言葉まであるらしい。そこまで人に好かれるのには、理由があるはずだ。それと、スバル特有の水平対向エンジンにも興味があった。実は私が初めて所有したクルマ(兄と共有だった)は、やはり水平対向エンジンのフォルクスワーゲン・ビートルだった。今度購入するクルマは、私の年齢や平均所有年数から考えて最後のクルマになる可能性だってある。そうすると、最初と最後に所有したクルマがどちらも水平対向エンジンを搭載していた、なんてオツじゃん(何の意味もないけど)、、とも思ったりした。

そこで、「スバル車に乗せてちょうだい」と、やおらスバルディーラを訪れたのが一ヶ月以上前のことだった。そのときの目当てはインプレッサか XVだった。ところが、「インプレッサとか XV とか、レヴォーグなんかも良いかも」という私の言葉に食いついて、担当セールスさんが「ではまずレヴォーグに試乗されませんか?」と強く勧めたのだった。「へぇ、? レヴォーグかぁー、そんなに興味ないんやけどなー」と思いながら、乗ってみたらこれがびっくりするくらい良かった。試乗の短い時間だったけれど、加速は力強くて速い。路面の段差を拾いながらカーブを曲がっても動揺がない。室内は強烈に静か(変な言い方すまん)で、エンジンの振動もほとんど感じない。私の感覚では、その後に試乗したインプレッサや XV よりも、レヴォーグの方がはっきりと上質であるように感じた。こうなるとレヴォーグしか目に入らない。後はグレードと色を選んで、値段交渉をして、納得したので初来店から三日で決めた。

写真で見ての通り、今度のクルマは赤色にした。ガラスコーティングをしてもらったソリッドカラーの赤いボディは、金属というよりも、光沢の強い樹脂か陶器のようにツルツルしている。このブログでクルマのレビューをしてもはじまらんが、ドアの開閉音は適度に重厚だし、低い姿勢のボディはかっこいい。素直に、所有した喜びを抱かしてくれるクルマである(と思ってる)。

先週の土曜日には、慣らし運転をかねて、奈良県と三重県の県境にある月ヶ瀬に行ってみた。月ヶ瀬には有名な梅林がある。私の住む伊丹からだと、西名阪国道を利用するのが便利だ。西名阪には天理 IC から針 IC の間に有名な坂(『有名』なって言う割に、名前は知らんが、、)がある。レヴォーグはこの坂道も、何事でもないかのようにグイグイと上っていった。あんまり軽く上るので慣らし運転であることを忘れてついアクセルを踏んでしまったくらいである。んで、期待通り、アクセルを踏んだ分だけこのクルマはさらに力強く坂道を駆け上がってくれた。、、本当に良いクルマに巡り会ったと思っている。もちろん、先々代の日産・セレナ(7年くらい乗った)も先代の三菱・グランディス(こっちは15年乗った。)も、当時の目的にあった良いクルマだったけれど。レヴォーグも、今回の新車購入のテーマである「走り」に合った良いクルマだ。

IMG_2291.jpg
ところで、この日の目的地の月ヶ瀬梅林だが、、。まだ早すぎて、全く梅は咲いていなかった。散策した周囲で、唯一咲いていた花を写真にパチリ。

「梅一輪 一輪ほどの暖かさ」、、、


、、、って、いうてる場合かっ。まだ寒いわっ!


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posted by Yas at 21:17| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月23日

ベッドで待つアクセプト


最近、当研究室で書いた二つの論文が立て続けに雑誌にアクセプト(採択)された。そんなに大きな仕事の論文ではないので、「嬉しい」というよりは肩の荷が下りて「ほっとした」、という気持ちの方が強い。そんな仕事である。

ずっと以前は、紙に印刷した論文を航空便で雑誌社に投稿したものである。発送はできるだけ早いのがよかろうと郵便局本局まで走り、2ヶ月ほどして、また航空便で返送されてくる雑誌社からの A4サイズの書類の入る封筒の返事を心待ちに待ったものだ。しかしそれも今は昔のこと。論文投稿も雑誌社からの返事も、すべてインターネット経由で済まされる時代になった。

論文を投稿した先が海外の雑誌社の場合(ほとんどの場合がそうだ)、返事は日本時間で夜の間に届くことがほとんどだ。それでも、少し前なら、コンピュータの前に座らなければメールボックスを開けることはできなかったので、返事のメールを目にするのはたいてい翌日の朝だった。しかし、最近ではスマホというのがある。んで、私は眠りが極端に浅い。睡眠中、何度も夜間に目が覚めることなど日常のことである。

そこで目が覚めてしまうと、よせばいいのにスマホでメールをチェックしたりする。そして、そんなときに、寝ている間に届いていた雑誌社からの返事を、ベッドの中で読むようなことが多くなった。「ベッドで待つアクセプト」。ユーミンの曲のタイトルのようである。

アクセプトならいいが、その返事に査読者の不愉快なコメントが書いてあったり、面倒な追加実験の指示があったり、リジェクト(不採択)の決定が書かれてあったりすると大変である。ムカムカして確実にその後は眠れない。

ベッドの中で目にするのは論文の採択/不採択の通知だけではない。私が編集を担当している雑誌社から届く、他の研究者が投稿した論文の査読依頼も夜中にベッドの中で読んでしまう。投稿された論文のタイトルを見て、アブストラクト(要約)を読んで、自分が編集を引き受けるべきか、引き受けるとしたら査読者をどのようにして選ぶのか、ということまで考えてしまう。不運なときは、そのまま朝を迎えることになる。

インターネットのせいで、えらいことになったものである。ひとの睡眠時間を奪いよって、、、。とにかく「あぁやだやだ、こんな生活」とか思うけれど、やっぱり夜中に目が覚めるとスマホでメールチェックをしてしまう。

われながら因果な仕事である。ん?、、、性格なのかもしれん?、、


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posted by Yas at 22:09| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月16日

三条通り・ギア・グランディス

 先日の建国記念日。京都三条にある1928ビルで上演されている「ギア」というのを観に行った。そのウェブサイトによると、「ギア」とは「演劇でもない、ミュージカルでもない、サーカスでもない!日本発!日本初!京都で出逢える、感動エンターテイメント!」らしい。彼らは Non-verbal performance とも名乗っている。パントマイムとマジックとダンスとジャグリングを交えながらストーリーを展開していく見世物(やっぱ、「演劇」ちゃうんか?)と言ったらいいのだろうか。

 1928ビルの3階にある「ギア」の常設舞台は90人程度の観客収容数だ。休日などはほぼ満席になるという。Non-verbal なので、私の娘のような障害者にもだいたいのストーリーはわかるようにできている。そのためか、そうした人達も観客の何割かを占めている。上演時間は80分。家内が娘のために見つけてきた見世物(演劇やろ)だ。決して我慢強くはない娘がどういう反応を示すのか、ちょっと心配だったが、上演中はしきりに興に乗って拍手をしていたので、きっと本人にとって面白かったのだと思う。いやいやもちろん、私も楽しませていただきました。

 1928ビルは三条通りに面して建っている。昭和3年(1928年)に大阪毎日新聞社京都支局ビルとして建築されたものを耐震補強して現在も使用しているということで、レトロ感が満載だ。そこで上演後、このレトロなビルの2階にあるカフェ・レストランで遅い昼食をとり、さらに三条通りに他にも散在する大正/昭和期のレトロな建物を楽しんで、夕方に帰宅した。久しぶりの休日らしい休日であった(はいはい、すいません。休みの日になるとほとんど寝そべってテレビを見ているだけなのは私です)。


 ところでこの日は、電車ではなく、愛車グランディスで京都に行った。

IMG_22791.jpg
 愛車グランディス。シンザー撮影。

 グランディスでの遠出はこれが最後になる(はずである)。実は、先月中旬に新しいクルマの購入契約をしたので、古いこの車は下取りでディーラーに引き取られていく運びになる。15年間も乗り続けた愛車で、エンジンはまだ達者なのだけれど、残念ながらオイルが漏れているのか燃えているのか、消費量が激しくなって油圧警告灯がすぐに点灯するようになった。んで、クルマを点検したディーラーさんが「もう買い換えられた方がいいかもしれません」というので買い換えを決めた。愛着のあるクルマだが、ディーラーに、「さらに長く乗っていただけるように頑張って修理します」ではなく「買い換えろ」と言われたら仕方ない。
IMG_2277.jpg「しかし、言っとくけど、今は三菱のクルマで欲しいのはないから、買い換えるのなら他所のメーカーのクルマやで」と言い捨て、その数ヶ月後に言葉通り、三菱車ではない写真のクルマを注文した。

 数日後に納車されるはずなんですけどね、、。
 



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posted by Yas at 21:58| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月09日

MacOSのクリーンインストールで、、2

 前回の続き。「続き」の割にえらい間があいて、すまんこって。

 MacBook Air をクリーンインストールして、iPhoto の写真を取り込もうとしたら、母艦の iMac にあった iPhoto の写真がなぜかほとんど失われていた、、という話。

 iPhoto には講演スライドのネタになる画像データもたくさんあったので、これが使えなくなるととっても困ってしまう。そこで、MacBook Air のバックアップを取っていた HD のタイムマシーン機能を使って、iPhoto の写真だけを復元しようとしたが、やり方がよくわからないままポチポチとクリックしていたら(よい子は決して真似しないようにね)、意図しないところで勝手に復元が始まってしまった。「あ」と思ったがあとの祭り、これは復元作業を待つしかない、、。、、

 と思ったが、この復元がいつまでたっても終わらない。復元中の進捗状況を示すバーがチロチロするばかりで少しも進まない。こうなると気持ちは焦るばかり、ついコンピュータを強制終了してしまった(よい子は決して真似しないようにね)。

 そして、再起動。ところが、立ち上がった画面にはゲストユーザーのアカウントしかない。私のアカウントが消えてしまったのだ。しかも、このゲストユーザーアカウントは管理者アカウントではない。管理者アカウントではないということは、システムを変更できないということだ。どうでもよい書類の変更以外は、何もできない。何もできないからシステムの復旧などできるわけがない。完璧な詰みである。

 どうしたらいいのかしばらく考えたが、妙案が浮かぶはずもない。結局「command」+「R」で再びユーティリティーだけを呼び出して、再びクリーンインストールすることにした。これでまた小一時間ほど、時間を浪費した。クリーンインストールの後、システム設定やほかのアプリの復旧が普通にできるのは先のクリーンインストールで経験済みなので、とにかくiPhotoだ。iPhotoの復旧だ。MacBook Air のタイムマシーンは、どうやらクリーンインストール前後でユーザーアカウントが変わってしまっているので使えないことが(やっとここで)わかった。しかし、バックアップファイルの中身は保存されている。これを個別にインストールできないかと四苦八苦して、ついにタイムマシーン内の iPhoto ライブラリーの中身(iPhoto Libraryを右クリックして「パッケージの内容を表示」で開くことができる)を直接MacBook Air のピクチャ/iPhoto Library の下層に放り込んで画像をすべて復旧することができた。

 同じ方法で母艦の iMac の画像も復旧した。このときの作業で、去年の7月23日から30日の間に画像が失われたことも判明した。それにしてもこの日は疲れた。iMac と MacBook Air の二台を合わせて10回くらい再起動したが、コンピュータが再起動するときにはヒトを疲れさせる電波か何か出てるんじゃないか?と思うくらい再起動のたびにドッと疲れた。

 あまりに疲れたので、このことを記録のためにエントリに残すことにした。不毛な話をここまで読んでくださった方、ありがとうございました。Macユーザーの皆さんは、FileVaultとクリーンインストールにはくれぐれもお気をつけくださいな。

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posted by Yas at 18:33| Comment(0) | コンピュータ & ガジェット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする