2015年05月11日

ごぉるでん うぃいく 2

 5月5日の朝、目が覚めたときから気分は完全にぐうたらモードである。軽い朝食を取り、いつものようにソファに寝そべってダラダラしていたが、さすがに若干の罪悪感に苛まされた。「なんかしなくちゃ。せっかくのゴールデンウィークやし、、」とあれこれ考えて、永いこと自転車(シクロクロスのプロントくん)のバーテープを交換していないことを思い出した。
 
IMG_2318.jpg この白いバーテープは4年半ほど前に換えたものだ。さすがにいつも手が触れる部分が真っ黒になっている。そうだ、これを換えよう。自宅には新しいバーテープ(といっても4年以上前に買ったもの)の買い置きがある。
 バーテープの巻き方には、ステムに近いところ(つまりハンドルの中心部)から端っこに向かって巻いていく上巻きと、端っこからステムに向かって巻いていく下巻きの、2種類の方法がある。このプロントくんは購入したときに上巻きで巻かれていて、それに習って私も自分で交換するときは上巻きにしている。上巻きだとステム寄りのバーテープの端っこをビニールテープなどで固定する必要がないのが気に入っている。(何のこといってるのか判らない人、すまんが「バーテープ 上巻き」でググってみてちょ)

IMG_2320.jpg ロードバイク系自転車のハンドルにはブレーキバーがくっついているので、バーテープの巻き方はなにやら難しいように感じてしまうが、実は簡単である。コツはテンションをつけながら(つまり引っ張りながら)巻くこと。これだけだ。
 ちょちょいと30分ほどで交換。この写真ではわかりにくいけれど、実は左側部分は失敗作である。でも、こんなところをジロジロ見る人はいないし、ジロジロ見るようなやつに失敗を指摘されても別に構わないや、と開き直ってこれで完成とした。


 しかしその後はやることがなくなった。せっかくのゴールディンウィークなのにねー、、、、、やっぱゴールデンウィークやし、、、飲むか? と前日に引き続き昼間っからのんだ。
 

IMG_2322.jpg


 これが「香住鶴・山廃吟醸純米酒」である。もうひとつの「生酛純米酒」は、この時すでに飲んじまって、もうない。このあと、この日は寝るまで、やれ香住鶴だ、ビールだ、黒霧島だといっては、とっかえひっかえお酒を飲んで終わった。



       *          *

 5月6日。さすがに反省した。こんな事ではいかん。ということで朝から、それほど汚れてもいない新車を洗うことにした。普段は家内のコルトが入っている家のガレージにレヴォーグくんを入れて、水でジャアジャア流しながら洗う。このクルマはガラスコーティングしてあるので水洗いで充分だ。ワックスのような深みのある艶というのはないが、とにかくピカピカにはなるので気持ちが良い。むふっ。クルマが綺麗になったら今度はどこかに出かけたくなる。そこで、娘とイヌと連れだって箕面記念の森公園に行ってみた。(奧さんは仕事)

 この公園は、私がサイクリングの最中に見つけた隠れ家的な場所だ。以前に私がサルに襲われかけた場所もこの近くである。きっとここなら、ゴールデンウイークでも満員渋滞ギュウギュウ詰めということはなかろうと、午後からクルマで向かったら案の定、2-30台程度の駐車場にはまだまだ空きの余裕があった。

DSC01725.jpg 敷設された遊歩道から公園内の湿地帯を撮ってみた。ご覧の通り、誰もおらん。公園内には芝生広場や展望台もある。展望台からは川西方面の街並みや丘陵の住宅街が見渡せて、なかなか気持ちが良い。そのあと、私のおなじみの自転車コースを辿って、野間の大ケヤキを見物して帰宅。帰宅したら、ゴールデンウィークらしいドライブに満足して、また飲んだ。

 、、、やっぱゴールデンウィークは、飲まんと、、。


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posted by Yas at 19:35| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月08日

ごぉるでん うぃいく

今年のゴールデンウィーク。週末土曜日の2日は仕事に出た。その理由が「土曜日に仕事をやっとけば、GW 明けの仕事がやりやすい」というものだ。仕事の効率を考えた判断と言えなくもないが、実は相当に不健全であることに本人は気がついている。そのかわり(そのかわりもクソもないんだけど)、3日から6日まではしっかり休ませていただくことに決めた。そのゴールデンウィークの過ごしぶりといえば、、

明けて3日は、新しい愛車・レヴォーグを駆って兵庫県の日本海側にある、カニで有名な香住に出かけることにした。目的は三つ。春まで楽しめる「香住ガニ」を食べること、香住産の日本酒「香住鶴」の酒蔵に立ち寄って、現地限定の香住鶴を買うこと、餘部(「あまるべ」と読む)鉄橋跡(いまや「跡」になってしまった)の展望台に上ること、だ。

中国自動車道・福崎インター経由で播但自動車道、国道9号線、県道4号線を走って香住に向かうと、途中に香住鶴の酒蔵がある。ここで山廃吟醸純米酒と生酛(きもと)純米酒を購入した。どちらも酒蔵でしか買えない限定品だ。酒蔵を出るとちょうど昼飯時になったので、ネットで調べた地元でも評判の料理屋さん「喜いち」に向かう。さして大きなお店ではないが、上手い具合に駐車場が空いていたので、クルマを置き、店内に滑り込むことができた。お刺身定食とカニの天ぷらをいただく。美味しゅうございました。メニューにはカニのコースもあったが、昼食ということで自重した。
そのあと、香住漁港の朝市センターで香住ガニ(いわゆるベニズワイガニである)を求めたところで、雨が降ってきた。「どうかいな?」と思いながら、餘部鉄橋跡まで走ったが、展望台のふもとの道の駅は大渋滞。渋滞や行列の大キライな私が、道の駅の駐車場が空くのをゆっくり待てるはずもなく、すぐに退散。雨は徐々に強くなる。訪問地の候補にしていた海の展望公園や岬の展望台は楽しめない。、、ということで、そのまま帰路についた。
往復で330 km ほど。帰路には渋滞もあって、トータルで8時間ほどクルマを運転していたドライブ(まさしくドライブ)だった。、、渋滞はキライだ。慌ただしく酒を買い昼食を食べて帰ってきただけなので、カメラを持って行ったもののシャッターチャンスはまるでなし。だから写真もなし。

翌日。この日は、いつもの休日のようにダラダラとテレビを見ながら過ごすことに決めた。しかしいつもの休日と同じでは GW のムードが出ない。やっぱり GW なら、GW 風の特別なことをしたい、、、、、やっぱ、飲むか? と、前日に買った香住ガニを肴に「香住鶴・生酛純米酒」を昼間からいただいた。観るのは HD に録画しておいた「火野正平・にっぽん縦断こころ旅」「Love in the afternoon (昼下がりの情事)/オードリー・ヘップバーン、ゲーリー・クーパー」。そんなこんなで4日はあっという間に過ぎていった。

5日と6日はゴールデンウィーク後半の2日間になる。適当に話は続く。


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2015年04月27日

日本細菌学会のこと 5

 基礎細菌学をキーワードにして、あらゆる領域で細菌・真菌を扱っている基礎科学研究者との連携を可能にする学会が、細菌学会の将来の姿としてはもっとも現実的である。というのが前回の話。

 このことによって、他の学会にはない特色ある活動ができると私は思っている。それで学会員が増えるかどうかはわからないが、少なくとも、今やたくさんの学会の選択肢がある臨床・検査系の医者・研究者の復帰を期待して医学細菌学に固執していては先は拓けない。それに感染症学会や臨床微生物学会などの学会は、そもそも細菌学会でフォローできない問題を扱い、それが評価されて今の隆盛をみているのだから、例えば感染症学会と同じような活動を細菌学会が今から試みても、長い年月の間に離れた参加者が戻ってくるとは思えない。すでに、その分野のパイは他学会に取られてしまっているのだ(ちょっと表現が悪いけどね、そういうことだ)。

 一方、基礎細菌学を追求する立場で、病原細菌に限らぬ多種類の細菌・真菌を扱える学会は、国内では細菌学会をおいて他にはない。このアドバンテージは絶対に生かすべきである。ただ前回の最後に書いたように、ここにも問題はある。植物細菌でも環境細菌でも、応用微生物でも、生物モデル系細菌でも、それらを議論するための学会がすでに存在する。そんな学会の人達を誘引する必要があるのだが、それはきっと難しい。

 そこで、それぞれの立場の細菌学に共通する問題を横串にして異分野連携を促すような仕組みが必要になってくると思う。難しいが、国内でこれが可能なのは細菌学会だけである。私が会長になる次回の学術集会で、「横断的微生物研究コミュニティーの創生と確立」をメインテーマに掲げたのは、そんな考えを反映させてのことだ。もちろん、この「微生物研究コミュニティー」には、細菌感染症の分野も細菌検査系の分野も、農獣医系細菌も、理学工学系細菌も、すべてが含まれる。ほんとにそんなことができるのかまだわからないが、とにかくこのテーマの下でシンポジウム・ワークショップの企画をお願いしているところである。

 われながらダラダラと書いたが、組織としての学会がどうあるべきかということを順を追って考えてみた。しかし、本当に大切なのは細菌学会の存続ではない。重要なのは、我が国の細菌学が科学として健全に発展することである。それが達成できるのなら、何かの問題が生じて日本細菌学会が潰れたって別に構わない。(潰れないように努力しますけど)
 基本的に、良い研究をすれば人は集まるものだ。良い仕事を育むためには、お互いの研究を評価して切磋琢磨する土壌が必要だ。その土壌の役割は学会が果たすべきだが、それは学会員にインセンティブを与えて会員増を図るような努力とは全く別の話である。幸いにも、このシリーズの冒頭で書いたように、細菌学会の学術集会は再び活気を取り戻しつつあり、たくさんの良質な研究を育む準備はできはじめているように私は思っている。

 あとは、良い仕事をするだけだ。良い仕事をしましょう。みなさん。

と思っても、なかなか思い通りに行かんところがもどかしい。
、、、、私も頑張ります。

:研究費のある所に人は集まるものでもある。細菌学を看板にした高額のグループグラントの獲得を目指すのは、もう一つの重要な「細菌学活性化」の方策だと思う。



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2015年04月20日

日本細菌学会のこと 4

前回、年1回の学術総会は盛況なのにもかかわらず、日本細菌学会は3割(1,000人)程度の会員を失い、また長い歴史の間に医学細菌学における中心的な立ち位置を失って、さらに基礎細菌学を育むコミュニティーとしての力強さも失った(のかもしれない)、と指摘した。そこで今回、再び本学会が活性を取り戻し、上質な細菌学研究を生み出す土壌となるためには何をどうすればいいのかについて考えてみた。

実は、同じようなことは10年以上前から指摘されていて、2004年に本学会は「学会活性化小委員会」なるものを立ち上げている。この委員会の使命はその名の通り「学会の活性化」であった。この小委員会の活動に当たって当時の内山竹彦理事長は若手の学会員の意見を重視した。その意見のまとめ役の担当が、なぜか私になっていたのである。コンピュータに保存された当時のファイルを探ると「活性化及び予算増 試案」というのがあった。この試案では「学術総会のポスターを作成して、広報に努めるべき」「シンポジウム・ワークショップの数やタイムスケジュールの基準を作り、テーマを公募制とする。これを何らかの委員会が企画調整して毎回のプログラムを決定する」「大学院生および若手研究者を特に encourage するための合宿セミナーを企画する」などのアイデアが盛り込まれていた。現在、これらは全て実現している。

また、この試案の冒頭には、(私はすっかり忘れていたのだが)以下のようなコメントが記載されている。
ーーーーーーーーーー
「学会活性化」の各論を討議する前に、学会の方向性について見解を統一する必要があると思います。特に、会員増を図って規模拡大を目指すのか、医学細菌学に焦点を当てた小規模であるが濃密な学会を目指すのか、という点は各論の内容を左右することでもあるので重要かと思います。当日に理事長の見解をお示しいただけたら幸いです。
ーーーーーーーーーー
この指摘は今もまさに通用する。

前回に書いたように、感染症学会や臨床微生物学会が「臨床・感染症」をキーワードに活発に活動している現在、細菌学会が、時計の針を逆行させるように、この領域(同じキーワード)で再び中心的な役割を果たすようになるのは極めて難しい。もし医学細菌学にこだわるのならば、基礎医学細菌学に特化した小規模学会として活動し、それなりに成果を生むことなら可能だと思う。これが細菌学会活性化(あるいは再生)のひとつのパターンである。そうではなくて会員増を視野に入れて、学会を活性化させるというのならば、本学会の得意な基礎細菌学を中心にあらゆる細菌の基礎研究を取り込んで活動の裾野を広げる、という別のパターンも考え得る。今後の細菌学会が取り得る方向性としては、試案のコメントのように、この二通りのパターンしかない(と思う)。

そして現実には、細菌学会にはすでに医科系細菌学以外の領域の研究者の方々が多数参入されている。つまり、本学会はすでに後者の方向性で舵を切っている。答えは明白である。

ただし、これにも問題はある。

あまり時間が取れず、一週間に少しずつしか書けないので書いている本人も焦れてきましたけど、もう少しお付き合いください。、、、ということで、、、つづく。



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2015年04月13日

日本細菌学会のこと 3

引き続き、日本細菌学会の話。

学術総会が盛況なのに、学会本体はなぜ不調と言われるのか? 私の考えるところでは、これには日本細菌学会の歴史が関係している。

日本細菌学会が昭和2年に発足し、まもなく90周年を迎えることは前々回のエントリで書いた。その間、本学会には長きに渡って日本の医学微生物学を支えてきたという自負がある。世界的に著名な北里柴三郎先生や志賀潔先生を輩出したばかりでなく、R プラスミド(耐性プラスミド)の研究や細菌毒素の研究では日本が世界の最先端を走っていた。それが、ほんの数十年前の話である。

しかし現在、細菌学を取り巻く環境はすっかり変わってしまった。日本細菌学会と同時期に発足した日本感染症学会(大正15年設立、以下括弧内は設立年)や、食品微生物学会(昭和55年発足)、日本環境感染学会(昭和61年発足)、日本臨床微生物学会(平成2年発足)などがそれぞれの専門性を発揮した活動を展開しつつ住み分けを進めるなかで、医学系細菌学における日本細菌学会の絶対的な重要性は(いまでももちろん重要であることには変わりないのだけど)失われた。しかし、それに気づかず「医学系細菌学・感染症制圧」のみが伝統ある日本細菌学会の学会活動の本流であると勘違いし続けたのである。そして、細菌学会のもう一方の重要な柱であるはずの充実した基礎細菌学研究領域の裾野を広げる努力を怠り、学会の内側を向くばかりで、それ以外の領域に研究をアピールすることをしなかった。私が自分のラボのウェブサイトで「日本細菌学会には『細菌学とはどうあるべきか?』という陳腐な問答が存在する」と書いたのはその頃を指してのことだ。以下、少しだけ引用する(自分の文章ですけど)。

ーーーーーーーーーーーー
さらに、日本の細菌学会に目を向けると、「病原細菌を研究せねば意味がない」「感染予防・治療に結びつけねばならない」という話を今でも耳にする。「細菌学とはどうあるべきか?」という陳腐な問答が存在するのである。もちろん、すべての日本の細菌学者がそのようなことを考えているわけではないし、研究機関などの立場によって研究者の考え方が違うことは認める。それにしても、科学の世界で「XX学とは○○でなくてはならない」という話がまかり通るのはどういうことであろうか? 他の領域の、例えば生化学で「生化学とは○○であるべきである」という人がいるだろうか? このような発想の中ではセレンディピティもなにもあったものではない。
ーーーーーーーーーーーー

その結果、日本細菌学会で輝きを増さねばならないはずであった基礎細菌学も萎縮した。そして、細菌学領域以外の研究者から見て、細菌学が基礎科学とは思われなくなったのである(と私は思っている)。実際、最近の大学医学部の細菌学系教室の教授人事は「基礎細菌学」研究ではなく「感染制御」研究を念頭にした人選が進められているように見受けられる。医学部でいう感染制御とは院内感染である。院内感染の原因病原体のほとんどは細菌だ。しかし、「感染制御」を看板に医学部の細菌学系教室に赴任する先生方の多くは、(日本感染症学会員であっても)日本細菌学会の会員ではない。あるいは、日本細菌学会では活発に活動をされていない。そうした方々が主宰する研究室のメンバーが細菌学会から足が遠のくのは自然なことだ。そして、学会員数が減少する。これが、日本細菌学会が危ないと感じられてしまうひとつの理由である(と私は思っている)。

もうひとつ、細菌学会では長い間、3,500人前後の会員を擁するのが普通のことであった、という(歴史にかかわる)問題もあると私は思っている。現在、本学会の会員数は学生会員を含めて約2,500人程度である。1,000人も会員が減ったのだから、学会が危ない、と思うのだろう。しかし、この会員数は日本ウイルス学会のそれとほぼ同数である。日本ウイルス学会は、私は内情は知らないが、外から見て日本細菌学会ほど危機が叫ばれているわけではない。むしろ順調に人材を輩出していて学会あるいは学問領域としては堅調だ。同じく活発に活動している日本寄生虫学会の会員数は1,000人足らずで日本細菌学会よりもずっと少ない。すなわち、3,500人から2,500人への会員数の減少そのものは、学会の活性とは関係がないのである。問題は、研究の方向性と質であって、会員数ではない。だから私は細菌学会内部で時々いわれる、「学会の会員数を増やすにはどうすれば良いか」という議論に与しない。「学会活動によって上質な細菌学研究を涵養するにはどうすれば良いか」という議論の方がよほど大切である。

今回はおしまい。細菌学会の「明日はどっちだ?」につづく、、。


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2015年04月06日

日本細菌学会のこと2

 前回からの続き。

 本年の日本細菌学会総会は第88回となる。会場は岐阜市内の長良川国際会議場であった。会場を少し離れて堤防を越えると長良川の清々しい流れを楽しめたらしいが、あいにく私は会場内をあちらこちらと立ち歩くばかりで、そのような時間をゆっくりと取ることはできなかった。基本的に、アカデミックプログラムのある時間は興味のあるセッション会場に居たし、そうでない時は学会の委員会か、学会運営に関わる何某かの担当の先生方と、色々な相談事をしていた。今回、そんなに忙しかったのには理由がある。

 ひとつは、来年の第89回の総会を私が担当するということに関係している。来期の総会長として、今回の総会の各会場の規模はどうか、参加者の入りはどうか、ポスター会場の掲示板の間隔や大きさはどうか? 関係企業の展示ブースや土産物屋の出店の様子などをスカウティングさせていただいた。
 もうひとつの理由は、やはり理事長としての任務に関係している。前回に書いたように、本学会は絶望的な赤字体質に陥っている。学会は基本的に収益団体ではないので、何かの事業で爆発的な収益を上げて黒字転換することは無理だ。そうであれば、支出を大幅に削るしかない。しかし、個々の事業をとり上げて、それらを廃止したり保留したり縮小したりしていても「大幅」な支出の削減は難しい。根本的に赤字体質を改善するためには、組織全体を効率化するべく作り替えるのがもっとも効果的である。というか、それしかない。それほど膨大な赤字を生み続けてきたのだ。この学会は。ということで、そのために総会の会期中に開催されるあちらこちらの委員会に顔を出し、様々な方面の先生方に様々なお願いをしていた。おかげで理事会のある前日から総会会期の3日間の合わせて4日間は、私にとってあっという間に過ぎていった。(すいません。ちょっとウソついてます。一度、会場を離れて、金華山に登ってました。)

 学会の危機とは裏腹に、学術総会はそれ自体、非常に活気があった。各会場は(巨大な第一会場を除いて)、たいてい6-7割の席が埋まっていたし、もちろんセッションによっては立見が出ている会場もあった。なぜこの学会が、会員の減少や財務危機に晒されて斜陽状態と思われているのか、不思議である。私の学生時代は、細菌学会といえば会場よりもロビーの方に人が溢れ、会場では玉石混淆(はっきり言って「石」の方が多かった)の一般口頭発表がトコロテンのように短い時間で立て続けに行われていて、学問的には欲求不満の溜まる、とても面白いと言えるものではなかった。さらに、懇親会で初めて「こんなにたくさんの参加者がいたのか?」と驚くほど、学会場では人の気配が薄く、学術総会としては全く活気がなかった(と、私は記憶している)。それが、一般講演がポスターになり、口演はシンポジウムとワークショップで比較的まとまった発表が聴けるようになってからは、面白く学術総会を過ごせるようになった。また、一般演題がポスターになって、見る気になれば全ての演題を閲覧して、その中から気になった演題で発表者と議論することがかなうようになった。これも一般演題がトコロテンの口頭発表だった時代にはできなかったことだ。ここ十数年で、学術総会は充実してきていると言っていい。

 すなわち日本細菌学会の学術総会は(開催年度によってテーマに偏りがあるとしても)、破綻していない。それなりに勉強しようと思えば、ちゃんと勉強できる、しっかりとした総会が開催されているとと思う。

 それが、なぜ、日本細菌学会の危機が云われるようになったのか? 
 次回はその辺のことを書く。

 つづく。


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2015年03月30日

日本細菌学会のこと

 実は、本年1月に、日本細菌学会の理事長を拝命した。任期は3年である。来年の春には日本細菌学会の学術集会の総会長も担当することになっている。つまり、何の因果か、来年は理事長と総会長を兼務することになる(ちょっとめずらしい)。

 日本細菌学会は、昭和2年に北里柴三郎先生の会長で開催された第一回衛生学微生物学寄生虫学聯合学会を源流としている。その後、研究グループの分離独立と学会名称の変更があったりして、昭和22年に日本細菌学会になった。昭和2年に発足したと考えると、もうすぐ90周年を迎えるということになる(私が担当する学術集会は『第89回』ということだ)。まことに歴史のある学会である。

 しかし、ここ数年は低迷の度合を深めている。学生を除く正会員数は10数年前から減少し、最盛期に比べて約千人減った。また、過去5年間では支出超過の財政状態が続き、赤字総額はふにゃらら万円(郊外に家を1軒建てることができるくらいの額)に及ぶ。歴史はあるが運営状況は火の車である。まるでどこかの老舗旅館とか老舗料亭のようだ。

「こんなときにどうして理事長などになってしまったのだろうか?」と自問してみるが、逆に言えばこんなときだから若輩の私にお鉢が回ってきた、とも考えられなくはない。任期は3年。その間に何ができて何ができないか? そんなことを考えてみた。というか、今年に入ってずっと考え続けている。

       *             *

、、、、と、以上のような下書きを書いたのが2週間ほど前である。その後、先週末に細菌学会総会が岐阜で開催された。

 更新が滞りがちになった本ブログだが、今回から暫くは細菌学会のことを書いてみたい。それでちょこっと更新頻度が上がるかも、、、。って、別に誰も期待していないでしょうけど、、。



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2015年03月15日

「ガツン」と行け

 先週のこと。愚息が久しぶりに帰省してきた。「学位を取りました」という報告のためらしい。

 彼は学部を京大の工学部で過ごし、「やりたいことが東大の大学院にある」と言って修士課程から東大大学院工学研究科のお世話になっていた。もともとは化学専攻である。

IMG_2297.jpg 学位論文は iPS 細胞の浮遊培養法に関するものらしい。生来、血を見るのがキライで、親と同じ生命系分野を専攻するのにも抵抗があったといい、それで有機化学を専攻したはずが、なぜか iPS 細胞を研究テーマに博士号を取った。ここらあたりの心境の変化は興味あるが、息子を相手にそんな話をしてもはじまらん。ということで、親に渡すために持ってきた学位論文を黙って受け取った。あ、、「おめでとう」くらいは言ったかもしれん。
 写真中、隣にあるのは30年近く前の私の学位論文である。当時の研究室の標準用紙であったレターサイズの紙に印刷したので、A4版の息子の学位よりもタテが短くヨコが長い。

 ikki.jpg 私の家は、親族に学問・教育系に関わっている者が何人かいるが、学問家族というわけではない。私の親父は商売人だったし、兄は会社員だ。だから彼が研究分野に進んだのは私の影響だ(と私は勝手に思っているが、間違ってないと思う)。そんな影響を与えてしまって、これから本人はイバラの道を歩むのかと思うと、ちょっと心配だ。ポスドク(特任研究員)のあいだはなんとかなるが、そこで篩にかけられて常勤職に就けないと、大学・研究機関以外で就職先を見つけ出すのは極めて難しい世界なのである。この仕事に向いていれば良いが、とびきり優秀な場合を除いて、それは学位を取ったくらいではわからない。 似たような業界にいても、おそらく親にしてやれることは何もない(本人も望んでないと思うけど)。あとは自分の才能と努力で乗り切ってくれ。

 ところで、彼は今秋に結婚したいらしい。どうも今回の帰省は学位取得の報告よりも、結婚の相談の方がメインの目的だったようだ。大学院修了、結婚と、今年は彼にとって大変な年になるのかもしれない。まぁ「ガツン」とやるしかないな。、、「ガツン」と行け、「ガツン」と。、、、と書いていて思い出した。私は大学院在学中に結婚したのだった、、。そしてその半年後に大学院を修了した。

 同じような人生を送っとんな。、、まぁ「ガツン」と行け。


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posted by Yas at 18:54| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月02日

ごちゃごちゃと新車自慢

先週の日曜日に、注文していたクルマ(先日のエントリーで話題にした)の納車準備ができたというので、ディーラーさんに受け取りに行った。スバル/レヴォーグ・1.6 GT-S Eye-Sight というクルマである。

来店を約束した朝の10時にディーラーに出向くと、担当の人が車検証や製品保証書やらと一緒に、分厚い説明書を何冊も抱えて私のところにやってきた。まずは車検証と保証書関連の確認、それから実車のところに行って、外観確認とレヴォーグに独特の機能の操作方法などを聞く。ここまでで1時間半ほど。それから店内に戻って今度は説明書を元に説明を受ける。これで約2時間。最後に、Eye-sight の操作に関する DVD を見せられた。DVD鑑賞はお断りしてもよかったのかもしれないが、きっと一生に一度のことであろうと、ありがたく見せていただくことにしてそれで2時間半。

Key.jpgこんなに長くかかった納車は初めてである。スバル(のディーラー?)は気合いが入っている。最後に、ディーラー店長さんと一緒に納車セレモニーの写真を撮って、ディーラーを出た。これも、別に断ってもよかったのかもしれないけれど、ディーラーさんの気合いに押されてついポーズを取ってしまった。


以前から、スバルのクルマには興味があった。特に、スバル車のオーナーが、決して自分のクルマの悪口を言わないことに気がついてからは、いっそう気になった。調べれば、世には「スバリスト」という、スバル好きでずっとスバル車に乗り続けている人を指す言葉まであるらしい。そこまで人に好かれるのには、理由があるはずだ。それと、スバル特有の水平対向エンジンにも興味があった。実は私が初めて所有したクルマ(兄と共有だった)は、やはり水平対向エンジンのフォルクスワーゲン・ビートルだった。今度購入するクルマは、私の年齢や平均所有年数から考えて最後のクルマになる可能性だってある。そうすると、最初と最後に所有したクルマがどちらも水平対向エンジンを搭載していた、なんてオツじゃん(何の意味もないけど)、、とも思ったりした。

そこで、「スバル車に乗せてちょうだい」と、やおらスバルディーラを訪れたのが一ヶ月以上前のことだった。そのときの目当てはインプレッサか XVだった。ところが、「インプレッサとか XV とか、レヴォーグなんかも良いかも」という私の言葉に食いついて、担当セールスさんが「ではまずレヴォーグに試乗されませんか?」と強く勧めたのだった。「へぇ、? レヴォーグかぁー、そんなに興味ないんやけどなー」と思いながら、乗ってみたらこれがびっくりするくらい良かった。試乗の短い時間だったけれど、加速は力強くて速い。路面の段差を拾いながらカーブを曲がっても動揺がない。室内は強烈に静か(変な言い方すまん)で、エンジンの振動もほとんど感じない。私の感覚では、その後に試乗したインプレッサや XV よりも、レヴォーグの方がはっきりと上質であるように感じた。こうなるとレヴォーグしか目に入らない。後はグレードと色を選んで、値段交渉をして、納得したので初来店から三日で決めた。

写真で見ての通り、今度のクルマは赤色にした。ガラスコーティングをしてもらったソリッドカラーの赤いボディは、金属というよりも、光沢の強い樹脂か陶器のようにツルツルしている。このブログでクルマのレビューをしてもはじまらんが、ドアの開閉音は適度に重厚だし、低い姿勢のボディはかっこいい。素直に、所有した喜びを抱かしてくれるクルマである(と思ってる)。

先週の土曜日には、慣らし運転をかねて、奈良県と三重県の県境にある月ヶ瀬に行ってみた。月ヶ瀬には有名な梅林がある。私の住む伊丹からだと、西名阪国道を利用するのが便利だ。西名阪には天理 IC から針 IC の間に有名な坂(『有名』なって言う割に、名前は知らんが、、)がある。レヴォーグはこの坂道も、何事でもないかのようにグイグイと上っていった。あんまり軽く上るので慣らし運転であることを忘れてついアクセルを踏んでしまったくらいである。んで、期待通り、アクセルを踏んだ分だけこのクルマはさらに力強く坂道を駆け上がってくれた。、、本当に良いクルマに巡り会ったと思っている。もちろん、先々代の日産・セレナ(7年くらい乗った)も先代の三菱・グランディス(こっちは15年乗った。)も、当時の目的にあった良いクルマだったけれど。レヴォーグも、今回の新車購入のテーマである「走り」に合った良いクルマだ。

IMG_2291.jpg
ところで、この日の目的地の月ヶ瀬梅林だが、、。まだ早すぎて、全く梅は咲いていなかった。散策した周囲で、唯一咲いていた花を写真にパチリ。

「梅一輪 一輪ほどの暖かさ」、、、


、、、って、いうてる場合かっ。まだ寒いわっ!


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2015年02月23日

ベッドで待つアクセプト


最近、当研究室で書いた二つの論文が立て続けに雑誌にアクセプト(採択)された。そんなに大きな仕事の論文ではないので、「嬉しい」というよりは肩の荷が下りて「ほっとした」、という気持ちの方が強い。そんな仕事である。

ずっと以前は、紙に印刷した論文を航空便で雑誌社に投稿したものである。発送はできるだけ早いのがよかろうと郵便局本局まで走り、2ヶ月ほどして、また航空便で返送されてくる雑誌社からの A4サイズの書類の入る封筒の返事を心待ちに待ったものだ。しかしそれも今は昔のこと。論文投稿も雑誌社からの返事も、すべてインターネット経由で済まされる時代になった。

論文を投稿した先が海外の雑誌社の場合(ほとんどの場合がそうだ)、返事は日本時間で夜の間に届くことがほとんどだ。それでも、少し前なら、コンピュータの前に座らなければメールボックスを開けることはできなかったので、返事のメールを目にするのはたいてい翌日の朝だった。しかし、最近ではスマホというのがある。んで、私は眠りが極端に浅い。睡眠中、何度も夜間に目が覚めることなど日常のことである。

そこで目が覚めてしまうと、よせばいいのにスマホでメールをチェックしたりする。そして、そんなときに、寝ている間に届いていた雑誌社からの返事を、ベッドの中で読むようなことが多くなった。「ベッドで待つアクセプト」。ユーミンの曲のタイトルのようである。

アクセプトならいいが、その返事に査読者の不愉快なコメントが書いてあったり、面倒な追加実験の指示があったり、リジェクト(不採択)の決定が書かれてあったりすると大変である。ムカムカして確実にその後は眠れない。

ベッドの中で目にするのは論文の採択/不採択の通知だけではない。私が編集を担当している雑誌社から届く、他の研究者が投稿した論文の査読依頼も夜中にベッドの中で読んでしまう。投稿された論文のタイトルを見て、アブストラクト(要約)を読んで、自分が編集を引き受けるべきか、引き受けるとしたら査読者をどのようにして選ぶのか、ということまで考えてしまう。不運なときは、そのまま朝を迎えることになる。

インターネットのせいで、えらいことになったものである。ひとの睡眠時間を奪いよって、、、。とにかく「あぁやだやだ、こんな生活」とか思うけれど、やっぱり夜中に目が覚めるとスマホでメールチェックをしてしまう。

われながら因果な仕事である。ん?、、、性格なのかもしれん?、、


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posted by Yas at 22:09| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月16日

三条通り・ギア・グランディス

 先日の建国記念日。京都三条にある1928ビルで上演されている「ギア」というのを観に行った。そのウェブサイトによると、「ギア」とは「演劇でもない、ミュージカルでもない、サーカスでもない!日本発!日本初!京都で出逢える、感動エンターテイメント!」らしい。彼らは Non-verbal performance とも名乗っている。パントマイムとマジックとダンスとジャグリングを交えながらストーリーを展開していく見世物(やっぱ、「演劇」ちゃうんか?)と言ったらいいのだろうか。

 1928ビルの3階にある「ギア」の常設舞台は90人程度の観客収容数だ。休日などはほぼ満席になるという。Non-verbal なので、私の娘のような障害者にもだいたいのストーリーはわかるようにできている。そのためか、そうした人達も観客の何割かを占めている。上演時間は80分。家内が娘のために見つけてきた見世物(演劇やろ)だ。決して我慢強くはない娘がどういう反応を示すのか、ちょっと心配だったが、上演中はしきりに興に乗って拍手をしていたので、きっと本人にとって面白かったのだと思う。いやいやもちろん、私も楽しませていただきました。

 1928ビルは三条通りに面して建っている。昭和3年(1928年)に大阪毎日新聞社京都支局ビルとして建築されたものを耐震補強して現在も使用しているということで、レトロ感が満載だ。そこで上演後、このレトロなビルの2階にあるカフェ・レストランで遅い昼食をとり、さらに三条通りに他にも散在する大正/昭和期のレトロな建物を楽しんで、夕方に帰宅した。久しぶりの休日らしい休日であった(はいはい、すいません。休みの日になるとほとんど寝そべってテレビを見ているだけなのは私です)。


 ところでこの日は、電車ではなく、愛車グランディスで京都に行った。

IMG_22791.jpg
 愛車グランディス。シンザー撮影。

 グランディスでの遠出はこれが最後になる(はずである)。実は、先月中旬に新しいクルマの購入契約をしたので、古いこの車は下取りでディーラーに引き取られていく運びになる。15年間も乗り続けた愛車で、エンジンはまだ達者なのだけれど、残念ながらオイルが漏れているのか燃えているのか、消費量が激しくなって油圧警告灯がすぐに点灯するようになった。んで、クルマを点検したディーラーさんが「もう買い換えられた方がいいかもしれません」というので買い換えを決めた。愛着のあるクルマだが、ディーラーに、「さらに長く乗っていただけるように頑張って修理します」ではなく「買い換えろ」と言われたら仕方ない。
IMG_2277.jpg「しかし、言っとくけど、今は三菱のクルマで欲しいのはないから、買い換えるのなら他所のメーカーのクルマやで」と言い捨て、その数ヶ月後に言葉通り、三菱車ではない写真のクルマを注文した。

 数日後に納車されるはずなんですけどね、、。
 



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posted by Yas at 21:58| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月09日

MacOSのクリーンインストールで、、2

 前回の続き。「続き」の割にえらい間があいて、すまんこって。

 MacBook Air をクリーンインストールして、iPhoto の写真を取り込もうとしたら、母艦の iMac にあった iPhoto の写真がなぜかほとんど失われていた、、という話。

 iPhoto には講演スライドのネタになる画像データもたくさんあったので、これが使えなくなるととっても困ってしまう。そこで、MacBook Air のバックアップを取っていた HD のタイムマシーン機能を使って、iPhoto の写真だけを復元しようとしたが、やり方がよくわからないままポチポチとクリックしていたら(よい子は決して真似しないようにね)、意図しないところで勝手に復元が始まってしまった。「あ」と思ったがあとの祭り、これは復元作業を待つしかない、、。、、

 と思ったが、この復元がいつまでたっても終わらない。復元中の進捗状況を示すバーがチロチロするばかりで少しも進まない。こうなると気持ちは焦るばかり、ついコンピュータを強制終了してしまった(よい子は決して真似しないようにね)。

 そして、再起動。ところが、立ち上がった画面にはゲストユーザーのアカウントしかない。私のアカウントが消えてしまったのだ。しかも、このゲストユーザーアカウントは管理者アカウントではない。管理者アカウントではないということは、システムを変更できないということだ。どうでもよい書類の変更以外は、何もできない。何もできないからシステムの復旧などできるわけがない。完璧な詰みである。

 どうしたらいいのかしばらく考えたが、妙案が浮かぶはずもない。結局「command」+「R」で再びユーティリティーだけを呼び出して、再びクリーンインストールすることにした。これでまた小一時間ほど、時間を浪費した。クリーンインストールの後、システム設定やほかのアプリの復旧が普通にできるのは先のクリーンインストールで経験済みなので、とにかくiPhotoだ。iPhotoの復旧だ。MacBook Air のタイムマシーンは、どうやらクリーンインストール前後でユーザーアカウントが変わってしまっているので使えないことが(やっとここで)わかった。しかし、バックアップファイルの中身は保存されている。これを個別にインストールできないかと四苦八苦して、ついにタイムマシーン内の iPhoto ライブラリーの中身(iPhoto Libraryを右クリックして「パッケージの内容を表示」で開くことができる)を直接MacBook Air のピクチャ/iPhoto Library の下層に放り込んで画像をすべて復旧することができた。

 同じ方法で母艦の iMac の画像も復旧した。このときの作業で、去年の7月23日から30日の間に画像が失われたことも判明した。それにしてもこの日は疲れた。iMac と MacBook Air の二台を合わせて10回くらい再起動したが、コンピュータが再起動するときにはヒトを疲れさせる電波か何か出てるんじゃないか?と思うくらい再起動のたびにドッと疲れた。

 あまりに疲れたので、このことを記録のためにエントリに残すことにした。不毛な話をここまで読んでくださった方、ありがとうございました。Macユーザーの皆さんは、FileVaultとクリーンインストールにはくれぐれもお気をつけくださいな。

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2015年01月31日

MacOS のクリーンインストールで、、


 Mac OS X には FileVault という暗号化機能がある。ユーザーデータを暗号化して、容易に他人がアクセスできないようにするというものだ。

 この FileVault 機能が、私の MacBook Air で、知らない間にオンになっていた。そして、なぜかその暗号化作業が2週間ほどずっと続いていて終われないでいた。暗号化を中止しようとしても、「ディスクの暗号化が終了してからオフにしてください」というメッセージが現れて、中止を受け入れてくれない。暗号化中でも、他の作業は普通にできるのだが、どうやら暗号化作業は電力消費が激しいようで、バッテリーがすぐに空になるので困っていた。それだけではない。最近、どうもこのコンピュータの動きがおかしい。SSDの空き容量も少ないし、その中身を見てみるとおそらく不要なフォルダがいくつもある。考えてみれば、Macを買い換えるたびに、「移行システム」を利用して直前まで使用していた Mac のシステムをそのまま丸写しして何年もやってきた。多分、Mac 4台か5台分、10年以上の資産を(ジャンクも)引き継いできたのだろうと思う。

 そこで、この際だからいっそのことOSをクリーンインストールしてみることにした。クリーンインストールとは、ストレージ(この場合はSSD)を空っぽにして、OSだけをインストールすることである。FileVault に関係したトラブルシューティングをネットで調べてみると、暗号化が終わらないなどのトラブルにはクリーンインストールが一番の解決策だということだ。、、、インストール後には以前の環境が失われて、復旧には時間がかかるかもしれないが、もう少しこの MacBook Air を長く使いたいのなら、やっぱクリーンインストールだ。

 まず、インストールが失敗した時の用心に、あらかじめダウンロードした Yosemite OS をターミナルのコマンドを使って USB に格納して単体のインストールデバイスを作製する(なんのことを言ってるか判らん人もいると思うが、、、すまん)。それから、MacBook Air を「Command」 + 「R」で再起動。画面に現れるユーティリティーを使って SSD をすべて消去する(おぉ怖っ)。それからさらに、OSX を再インストールを指定して1時間ほどして、クリーンインストールが完了した。

 その MacBook Air を改めて起動してみると、なぁーんもないサラッピンの Mac を起動したのと同じ Welcome 画面が出るので、システムを設定していく。アプリケーションは純正添付のもの以外何もない。とりあえず AppStore に行って、「購入済み」のリストから必要なものだけを選んでインストールする。これは数分で完了した。iTunes の音楽もほとんど Store 経由でコピーされるので問題はない。問題は、iPhoto である。当然、iPhoto の写真はすべて消えている。その中には仕事に使う画像データも含まれているので、母艦である iMac から転送する、、転送する、、転送、、?、と思って iMac の iPhoto を見ると、なんとここの写真もなぜかほとんどが消えていた。

 どうすんの?、、、

あ、長くなったので、また次回に続く、、。(ここに書かれた方法でクリーンインストールを試みられて、失敗されても当サイトはなんの責任もとりません。念のため)


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posted by Yas at 15:53| Comment(0) | コンピュータ & ガジェット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月19日

ちょっとまとまりのないハナシかも


 阪神・淡路大震災から20年が経った。

 その時を思い出して「研究者は基本的に世間の穀潰しだ」とブログに書いたのは8年前。もちろん、応用技術に手の届くところで研究をされている方もたくさんいるので、そうとばかりは言えないが、これは自戒を込めた思いだった。「いずれ役に立つだろう」という建前と「面白いからやっている」という本音とを抱えながら、自分で稼いだわけではない大金を使って研究をさせていただいている。だから、「穀潰し」でも新知見を求めて真面目に研究はする。そう思っているのは本当だ。なのに、メンツとか名誉とか予算獲得とかのためなのか、はたまた論文を書くということの教育を受けていないのか、加工したデータを使って論文を書くような研究者たちがいるという話(最近もありましたね)を聞くのはつらい。

IMG_2268.jpg


 ところで先週末、あやっちが2度目の出産のために産休に入った。産休前の最終日には、ケーキを用意して産休祝い(?)をした。


 あやっち。ゆっくりしてくださいね。




IMG_2267.jpg しかし、あやっちがいま担当しているプロジェクトを止めるわけにはいかないので、シンザーにこれを引き継いでもらうことにした。このプロジェクトは、8年前まで当ラボに在籍していたオーニシ2号の、ある発見がキッカケになって始まった。それを5〜6年かけてトッシーが広げて、あやっちが締めようとして2年経ったが、とりあえず時間切れだ。つまりこのプロジェクトは8年かけても終わることができなかった。そんなに大プロジェクトというわけではない。データは溜まりに溜まっている。でも納得のいく結論が得られていない。あやっちが復帰するまでシンザーに頑張ってもらうが、いつになったら終われるのやら、、。しかし、、。

 このプロジェクトを始めたのは、冒頭の「研究者は基本的に世間の穀潰しだ」と書いた頃だ。穀潰しにも五分の魂。ちゃんと終わるまで、終われない。


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2015年01月14日

2015年の2週間


 2015年も2週間が過ぎようとしている。

「今年はまだスケジュールが空いていて気がラクだわい」と思っていたのもつかの間、降り積もる雪のように会議や出張の予定がやってきて、あっという間にカレンダーが埋まっていく。今日も、余裕があるはずだったのに、続けさまに会議の日程調整のメールや雑多な事どもの問い合わせメールなどが届き、その対応に追われて新着論文チェックもできず、読みたかった論文も充分に読めず、悶々とほぼ1日を過ごす羽目になった(しかしブログは書いている、、)。正月が過ぎて成人の日も終わって、従来の仕事のペースになってきているということかもしれない。

      *          *

 昨年の暮れ、ある製薬会社から、拙著「劇的プレゼン術」の二次使用をしたいという申し出が出版社にあった。なんでもその会社が運営する会員専用の Web サイトに内容を掲載したいとか、。ありがたいことである。本というのは、大評判の大人気にでもならない限り、出版して少したってしまえば売れてるのだか売れてないのだか、著者にはちっともわからない(ということは多分それほど売れていないということだろうけど)。出版直後に韓国での翻訳書出版の話があったが、それも沙汰やみになってすっかり動きの見えなかった拙著にとっては、嬉しいお知らせであった。これがきっかけで、またちょっと売れてくれたら嬉しいな。

      *          *

 大阪大学大学院の医学系研究科では、医学博士の審査対象論文を iThenticate というソフトにかけて、世間に出回る論文や Webサイトにあるテキストとの類似性を検証して、その結果を報告する必要がある。その論文とは、よほど優秀な学生の手によるものを除けば、大抵は指導教員の手直しが入って入って原文はほとんどなくなってしまているものである。つまり、指導教員が書いたものに限りなく近くなる。その結果、指導教員がほとんど書いたような論文のテキストの類似性を指導教員の責任で検証せねばならんという、なんとなく不毛に近い状況が生まれる。先日の検証では15%の類似性という結果が出た。失礼なっ! 他人の論文のテキストなんか丸写しするもんかっ。と思って調べてみると、論文中にある URL や、引用論文が「類似性がある」とカウントされるようだ。設定を細かに変更して、そのような箇所の類似性は削除できるのだが、忙しいのに年に1度や2度の検証のために細かな設定をするのも面倒だ。ということで、私が(ほとんどを)書いた論文は「15%の類似性」というレッテルがついて、医学系研究科の審査に付されることになった。なんか納得がいかん、プライドにも傷がつく、、、。ということでやっぱり、次の機会にはちゃんと設定して検証にかけることに決めた。

、、2015年の2週間はこんな感じ、、、。


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posted by Yas at 22:19| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月07日

本棚ひとつ分をこれから整理するつもり

IMG_2265.jpg 仕事始めの日、年末の自宅の片付けで出てきた文庫本数十冊を研究室に持ち込んだ。書棚に入りきらず、長いこと机の上にほったらかしになっていた文庫本だ。書棚を買い足すかどうか少し考えてみたが、もう私もそこそこの年齢だし、読んだ本を溜め込んだところですべてを読み直すことはない。もう一度読みたくなったら、それほど高くない文庫本のこと、もう一度買えばいい。まぁ絶版になるという心配はあるが、、我が家は広くない。「断捨離」という言葉はあまり好きではないけれど、モノを持ちすぎるよりも整理してスッキリする方がやはり性にあっている。ということで、これからは時間をかけて、自宅にある書籍をどんどん処分していこうと思っている。

 研究室に持ち込んだ本は、研究室のみんなに見てもらって気に入ったものは持って帰ってもらう。吉村昭さんの「雪の花(種痘の苗を日本に初めて持ち込んだ笠原良策の話)」とか「白い航跡(慈恵医大の創始者である高木兼寛の話)」とか、、星新一さんの「祖父・小金井良精の記(東大医学部の解剖学の祖の伝記)」とか、北杜夫/楡家の人々とか、村上春樹さんとか、、、色々あるよ、、、とか言っていたら、さすが生物系の研究室の人たちである、その方面の本は次々と片付いていった。その中で、サーヤが選んだのは「戦艦武蔵/吉村昭」だった。

 私は人様の趣味にケチをつけるようなことは言いたくないが、しかし流石にうら若き女性が最初に選ぶ小説としてはいかがなものか、、、と尋ねると、「お父さんが読むかな、と思って、、」と彼女は答えるのだった。

 しかし私は知っている。サーヤは武闘派で、こういう勇ましいものが好きなことを。、、

 お父さんの西川センセ、、ダシに使われてまっせ。


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posted by Yas at 22:15| Comment(1) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月05日

これって、どうよ?

今日は仕事始めである。

新春のご挨拶をかねて、ほのぼの系の話題でも取り上げようと思っていたのだが、今朝の毎日新聞朝刊で、むちゃくちゃ違和感のある記事を読んで腰を抜かしそうになったので、そのことを書く。

その記事とはこうだ。
***********
政府は来年度から、小中学生を対象にした「起業家教育」の導入を全国の学校に促す取り組みを始める。経済産業省が来年度予算の概算要求で、起業家教育の拡充名目で5億円を要求。

(前略)ーーー起業家教育は、総合学習の時間などを使って模擬の「株式会社」を設立する体験をしたり、外部から起業家を呼んで話を聞いたりして、子供たちの「起業家精神」を養うもの。ーーーー(中略)ーーーーー日本での起業希望者は、1997年の160万人台から2012年には80万人台まで減少するなど、起業への挑戦者が少ないことが大きな課題となっている。経産省は「自ら考え、主体的に判断する能力など、生きる力を養うことができる」(担当者)との教育効果も期待している。
***********(毎日新聞2015年1月5日朝刊から引用)
http://mainichi.jp/shimen/news/20150105ddm002100050000c.html

小中学校で起業教育? 私には全く意味がわからない。そもそも起業への挑戦者が日本で少ないのは、起業を志す人間が少ないのではなくてベンチャーキャピタルのような投資家の投資トレンドに問題があるからだと私は理解しているのだが、違うのだろうか。もし起業家が少ないのが原因だとしても、小中学生にそのような起業家教育をして、何がしかの効果が得られるとも思えない。この計画の旗振り役が経済産業省というのにも違和感がある(かといって、文部科学省が旗振り役でもおかしいけれど)。そもそも、起業家って、習ってなれるものなのか?

こんな教育を受けた小中学生が高校生になって、授業中に「国語や社会を勉強しても儲からん。英語は世界展開の時に役に立つかも、、」と学習教科を勝手な価値判断で値踏みしたりするかもしれないと思うとぞっとする。小中学生の間は、基礎的な学力とコミュニケーション能力を身につけるべきで、それをどのように使うかはそれ以後の個々の問題だというのが常識だと思っていたけれど、そうではないようだ。

それで思い出したことがある。私が小学生の頃、梱包資材や文具の卸商売をしていた父親の店に置いてあったコンパスがとても使いやすいというので、教室で同級生から注文を受けて、代金と引き換えにコンパスを渡していた(つまり売っていた)ら、担任の先生に見咎められたことがあった。その先生は優しく私に「友達にはお店の場所を紹介して、そこで買ってもらうようにしなさい」と言った。それを聞いて私は「ん?学校でお金のやりとりしたらあかんのや、、」と納得した。40年以上前の話である。

映画「マルサの女(伊丹十三監督/宮本信子主演」では、なんだったかの商売をする小学生(中学生だったかもしれない)が、やはり先生に見咎められ、「どうして小(中)学生が商売をしてはいけないの? 決して楽して儲けているわけじゃないのに、、。これでもクレーム処理とか大変な苦労をして稼いでるんだよ(大意)」と主人公に問いかける場面がある。先述の40年以上前の経験をした私は、この場面を見て妙に安心した覚えがある。この映画はおよそ25年ほど前だ。その間には、子供達に対する教育の意味は変わっていなかった、ということだ。それが、今や政府が旗を振って起業家精神を小中学生に注入しようとしている。

時代は変わったのか? 経産省の考え方がおかしいのか?

意味わからん。


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posted by Yas at 21:53| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月01日

迷える仔羊

 みなさま、あけましておめでとうございます。


年賀状J.jpg


 今年も宜しくお願い致します。


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posted by Yas at 10:30| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月31日

12月のツラツラ2

12月のツラツラのつづき


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 12月12日。文部科学省の遺伝子組換え技術等専門委員会に出席した。この委員会の委員を拝命して10年が経つが、この日が私の最後のお務め日だった。

 10年前に初めて会議に出席した時は、遺伝子組換えに関わるカルタヘナ法を碌々理解してもおらず、会議の内容はチンプンカンプンだった。3時間ほどかけて霞が関にやってきて、会議中に一言もしゃべらずに、また3時間かけて大阪に帰るような日々が最初は続いた。しかし立場上必要ということはおそろしいことだ、何度も関連法規を読んでいるうちにポイントがわかるようになってきた。遺伝子組換えの大臣確認申請で、最も多いものはウイルスの作製実験だ。これも門外漢の私にはよくわからないテクニックや材料が多かったのだが、そのうち慣れた。

 最初の数年は確か3ヶ月に2回ほど開催されていた委員会は、途中から2ヶ月に一度と決められた。だから私の任期中には60回以上の委員会が開催されて、そのうち多分40回くらいは出席したのだと思う。私に期待されたのは「細菌毒素の組換え」の知識である。10年の間に何度か更新の時期があったが、その度に「細菌毒素となると、やはり堀口先生にお願いしたいので、、」と言われて再任してきたのだった。しかしその任期中に、細菌毒素の組換えが問題になるような案件は、実は数えるほどしかなかった。だから、私が委員会に貢献したというよりも、委員会を通じて遺伝子組換えに関わる様々なことを教えていただいた、という方が的を射ている。

 最終日のこの日、しかし偶然、細菌毒素の組換え案件があった。大した事は発言していないけれど、「まぁ、これでも有終の美を飾ることができた、と言っていいのでしょうか」と最後の挨拶のネタに使わせていただいた。これで当分、霞が関を定期的に訪れるようなことはなくなると思う。が、、実は先月から、本学の遺伝子組換え委員会の委員長を仰せつかってしまっている。
 
 遺伝子組換え申請の審議とはまだしばらく縁が切れそうにない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 もう少し書こうと思っていたけど、残念ながら時間切れで、今回はエピソード一つです、、。すまん。

、、、みなさま、また来年。
よいお年をお迎えくださいませ、、。


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posted by Yas at 18:55| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月29日

2014年12月のツラツラ

 はたと気がつくと今日は12月29日。年も押し迫ってきたというのに、今月は二度しか更新していない。すまん。

IMG_2263.PNG 書きたいことは色々とあったけれども、今月もやっぱり仕事から帰ると疲労困憊もしくはお酒飲んでいち早く酔っ払ったりして、コンピュータに向かう気が全く起きなかった。んで、、、一昨晩は高校時代の友人と飲んだ。最近は、飲んだあと数日は疲れが取れず「ほんとに年取ったな」と感じることが多い。おかげで(何が『おかげ』なのかどうかわからんが)、昨晩はとってもよく眠ることができた。iPhone アプリの Sleep Cycle でみると、なんと100%の快眠度で9時間40分の睡眠だ。文句なしのチャンピオンデータである。
 こんな数字を見ると、それだけで元気が出る(完全に気のせいですけど)。んで、今日は今年の仕事の最終日で、元気よく予定通りの仕事を済ませて先ほど帰ってきた。まだ、わりと元気だ。ということで、今月にあった事どもなどをツラツラと書いてみることにする(最近、このパターンが多いような気もするが、、)。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 今月に入ってすぐに、仕事に使っている iMac や MacBook Air の OS を最新の Yosemite にヴァージョンアップした。iPhone などの iOS8で採用されたシンプルなアイコンがあまり好きではなくて、その iOS8 に合わせてデザインされたという Yosemite にはあまり期待していなかったが、ヴァージョンアップしてみるとこれがなかなかよかった。アイコンも半透明のウインドウも上品で使っていて気持ちが良い。唯一心配だったのは「ことえり」の廃止で、ユーザー辞書や追加辞書の資産を引き継ぐことができないという情報があったことだ。私は Yosemite を導入する前に「ことえり」の追加辞書で有名な「山葵辞書」を重宝して使っていたのだが、これが使えないのは困る。

 そこで、Yosemite の日本語入力でも「山葵辞書」使える方法をネットで調べてみた。「Yosemite では山葵辞書は使えない」という意見がほとんどだったのだが、色んな方のサイトでの情報をつなぎ合わせて、ともかく山葵辞書を Yosemite の追加辞書として登録できることがわかった。以下、そのメモである。

1.まず、Mountain lion で動作している Mac を用意する。ここに山葵辞書のファイルをどこか(ユーザーの辞書フォルダ以外)のディレクトリに格納しておく。
2.ことえり単語登録から「Mac OS 9 の辞書をコピーして使う...」コマンドと山葵辞書を選択すると、辞書フォルダに山葵辞書ファイルが現れる。これを USB メモリなどにコピーする。
3.Yosemite で動作している Macに移動して、システム環境設定「キーボード」の「入力ソース」タブを選択し、画面をスクロールして再下部にある「追加辞書」ウインドウに USB メモリにコピーしたファイルをドラッグアンドドロップする。

 これでOK。

 Yosemite の日本語入力の変換候補の表示はとても早い。これがとても嬉しい。私はブラインドタッチで入力するので(プチ自慢です)、「ことえり」をはじめとしたこれまでの日本語入力の変換候補のモッタリとした表示では、どうしてもキー入力を待たないといけないタイミングができてしまう。Yosemite ではこれがない。これだけでも OS を Yosemite に変える意味がある。と私は思っている。

 以上、、Yosemite メモ、、。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 Macつながりの話をもうひとつ。やはり今月に入って、秘書のヒグチさんの iMac も私の iMac と連携するために Yosemite に OS を変えることにしたのだが、そもそも彼女の使っている Mac は年季の入った旧式だ。最新 OS の Yosemite を入れるにはちょっとツライ。ということで、私の iMac を新しくして、いま使用中のものをヒグチさんに使ってもらうことにした。

 その iMac が届いたのが12月19日の金曜日である。次の週は会議や出張でまとまった時間が取れないので、21日の日曜日に研究室に出て仕事を済ませた夕方から、新しい Mac のセットアップを始めた。

IMG_2256.jpg 旧 iMac と新 iMac。それに MacBook Air のそろい踏み。iMac は「移行アシスタント」で環境を移行中。MacBook Air は携帯ハードディスクにバックアップ中。

 Mac は新しい機械を導入しても「移行アシスタント」で内部環境は移行できるので比較的楽チンだ。しかし、インターネットサービスとのやりとりに必要なユーザー ID やパスワードは、改めて入力し直さないといけない。、、これがえらいことである。ちょっと今から思い出すだけでも、dropbox, Google drive, Evernote, Apple Store, iCloud, amazon などがある。これらを利用するためにそれぞれ別個の ID やパスワード(私は同じものを使っていない) の入力が必要だ。さらに、ダウンロードしたアプリを使用するためのアクチベーションキーというのもある。これらを全て覚えているのは無理だ。ということで、私はあるソフト(詳細はヒミツ)に記録しているのだが、それでもいくつか記録漏れがあった。そんなパスワードやらなんやらを、メールの記録やら自分の記憶やらを辿ってひとつひとつ利用可能にしていく。、、、これに半日かかっちまった。

、、久しぶりの Mac 購入である。 Mac の「移行アシスタント」は便利だけれど、機械を新しくした場合はそれだけで済まされない作業があることを、すっかり忘れていた。

 みなさま、お気をつけて、、。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ツラツラは、まだしばらく続く(と思います)、、。つづく、、。


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posted by Yas at 20:41| Comment(1) | コンピュータ & ガジェット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月18日

研究室のささやかな1日

 STAP 細胞の作製実験が再現できなかったというニュースがネット上で流れた今日、当研究室ではささやかな研究の進展があった。社会的に大きな騒動になった STAP 細胞は、研究者の誰もが「不毛」と感じ、「うまくいくわけがない」と予想した通り、やはり再現はできなかった。この件については、明日(19日)の午前中に理研が正式に発表するらしいので、もう少しマスコミ報道は続くかもしれないけれど、ようやくこれで結末を迎えることになる(んでしょうね)。

 一方、当研究室では、2年ほど前にテルチー(当時はテルテル・チョコチップスという芸名だった)が作製に成功して研究室が盛り上がったプローブを使った本実験がようやくワンサイクル終了し、今日その結果が出てきたのだった。思えば長い道のりだったけれど、その実験結果は予想以上に期待を抱かせるものだった。もっと混乱したデータが出るだろうと思っていたのだが、現時点でもある程度は現象の説明が可能な傾向を示していた。この日のうちに、テルチーは那覇の実家に23日に帰省する予定だったのを大晦日まで延期して、年内に次の実験をすることに決めた(私は強要してませんよー)。STAP 細胞の話題に比べれば、はるかにささやかだが、われわれにとってはもしかすると記念すべき日になるのかもしれない。そんな予感さえした。

 ささやか、と言えば、先週末にすったもんだして仕上げたオカケーの論文がやっと、ささやかなオンラインジャーナルにアクセプトされた。散々苦労させられてきた論文だったが、ようやく日の目をみる運びになったわけだ。そこで、ささやかに研究室でスパークリングワインを開けてお祝いをした。オカケーはこれで無事に大学院博士課程を学位取得修了できることになる。
IMG_2255.jpg
 季節はクリスマスだ。サーヤとイッシーが、研究室の熱帯魚水槽から生やしているポトスにクリスマスの飾り付けをしてくれた。

 ささやかな研究室の営みである。




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2014年12月10日

歯を抜いた

 お久しぶり。三週間のご無沙汰です。

 この間、書きたいことはいくつか(OS を Yosemite に替えたり、甥の結婚式に出席したり千葉大学への今年二度目の出張に出かけたり)あったのだけれど、なんだか疲れて(飲み会もあった)更新する元気も出ないまま三週間が経ってしまった。んで昨日、歯を抜いた。久しぶりの更新の話題としてはどうかと思うが、そのことを書く。

 事の起こりは11月22日の細菌学会関西支部総会だ。総会長の筒井ひろ子先生から、若手奨励賞の審査員を仰せつかった私は、朝一番から会場に入り、午前中のすべての演題の座長を務めたり、昼間は幹事会に出席したりして、プログラムの最後の方にはヘロヘロになって懇親会を迎えた。懇親会場の兵庫医科大学のレストランにはあの宝塚ホテルが入っている。出される料理が不味いはずはない(「あの」って言っても知らない人も多いかも、、。宝塚ホテルは、あの有川浩の短編小説「阪急電車」の、あの映画版の冒頭のロケに使われている、あの由緒正しいホテルなのである)。んでその懇親会で、調子に乗ってお喋りしながらパクパクと料理を食べていたら、「ガキッ」というか「ムニュッ」というか、右下二番目の奥歯に違和感を感じた。さらに懇親会後に梅田に出て二次会、三次会で飲んでいるうちに、違和感を感じた奥歯がジンジンと痛んできた。はっきりと痛い。

 しかし、2ー3日経つとその痛みは自然と治まった。しかしまた2ー3日経つと、痛みが蘇る。そんなことが続いたこの日曜日に、ついに激しい痛みを感じて月曜日に歯医者さんを予約して火曜日に診察をしてもらうことにした。出向いた歯医者さんは北千里界隈では親切で有名らしい(だから予約したんだけど)。この先生、歯科衛生士さんに手際よく撮られたレントゲン写真を見て、「これは抜歯以外にないですね」とあっさりおっしゃる。「もちろん、今日すぐに抜くというわけではないんですけど、、覚悟を決められてから、後日改めて抜きますよ」と続けた。「歯が痛くて仕事になりませんので、もう今日のうちに抜いちゃってください」と言うと、妙にテンションが上がった様子で「そうですかっ。じゃぁ抜きましょうっ」と、麻酔されてゴリゴリッと(痛かったけど)2-3分でその奥歯が抜かれた。親知らずではない永久歯を抜いたのは初めてだった。

 「このあとですけど、抜いた歯はブリッジか義歯かインプラントで補うことになります。抜いた跡が回復して検診してからのことですから、どうするかゆっくり考えておいてください」と先生は言う。
 そうか。永久歯を抜いたら入れ歯になるのか。そのことに初めて気がついて「死ぬまで自分の歯で食事をしたいものですね」みたいな、どこかでよく聞いたようなセリフが頭をよぎった。考えてみれば、抜いてしまえば次の歯が生えてくることはないのだ。抜く前にもう少しよく考えて、場合によってはセカンドオピニオンを求めに他の病院に行ってもよかったのかも、、。「今日のうちに抜いてください」と言ったら歯医者さんのテンションが上がった理由がわかった気がした。

 しかし、抜歯を急いだ理由はちゃんとある。

 これから忘年会のシーズンだ。心置きなくいっぱい飲んで、いっぱい食べたいですやんか。


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2014年11月18日

野本明男先生

 東京大学名誉教授の野本明男先生が亡くなられた。野本先生には、科研費特定領域研究「感染マトリックス」で大変お世話になった。「感染マトリックス」は、当時の特定領域研究班としては多くの研究者を抱える格別に大きい研究班だった。その中には、野本先生と同じウイルス学者、細菌学者、免疫学者、寄生虫学者がいた。ウイルスや細菌や寄生虫を縦糸に、それぞれの感染のなかで見られる共通の現象を横糸にして、感染症研究者の有機的なネットワークを構成する(なんか、研究費の申請書みたいになってきた)というのが本研究領域の目的だった。野本先生はその領域代表者だったのである。野本先生のことは、これまでに何度かこのブログでも取り上げさせていただいた(こことかここを見てください)。

 私はこの特定領域で細菌毒素班のまとめ役を仰せつかっていた。感染現象を研究テーマに標榜するこの研究領域にあって、生きた寄生体を対象にしない細菌毒素という計画研究斑は、異質だった。「細菌毒素はねぇ、文科省に行っても説明が難しいんだよぉ」と野本先生はニコニコしながら私によく仰っていた。きっと、野本先生にはご苦労をおかけしたに違いない。

 特定領域研究は5年間の研究期間がある。研究班が始まったころは、「堀口さん」と呼んでいただいていたのが、2ー3年経つと「堀口っ」に変わった。さらに、お酒がお好きで、酔うと「お前はなぁ」と肩を叩かれたりした。酒飲み同士のよしみからか可愛がっていただいたように思う。「清濁併せ呑む」とは、野本先生のお人柄を表す時によく耳にした言葉だが、いろんな意味で大先生であった。

 私が長年参加していた霞ヶ関の会議でも、野本先生は座長を務められていた。手術入院から復帰されて会議に出てこられた先生に「復帰おめでとうございます」と無邪気に声をかけると、「いや、あんまりめでたくないんだよ」と遠慮がちに言われた。このとき、何もかもわかっていたわけではもちろんないが、迂闊に「おめでとうございます」という言葉を選んだことを後悔した。そしてこれが、先生と私との最後の会話になった。あの時、どんな言葉をおかけすればよかったのか、今までなんども考えたが、ついにお話しする機会を再び得ることはできなかった。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。


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posted by Yas at 21:49| Comment(0) | 私的先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月17日

インドネシア4

バンドン工科大生命科学部では酷い目にあった我々だが、インドネシアの滞在そのものは楽しかった。

バンドンで宿泊したホテルの名前は Hotel California。同年代の方々には懐かしい、Eagles の名曲と同じ名前である。ドアの前には Eagles/Hotel California のCD(本物ではないと思うけど)が貼付けられていた。ホテル内に三つある会議場の名前は The Beatles と Beethoven と Pink Floyd。朝食をとったレストランでは初日にはその Eagles の Hotel California が、2日目には It never rains in Southern California (カリフォルニアの青い空/アルバート・ハモンド)や Have you ever seen the rain?(雨を見たかい/クリーディンス・クリアウォーター・リバイバル) が流れていた。夕方にビールを飲んだラウンジでは Angie/The Rolling Stones だ。ビールを運んでくれたボーイさんに「ここのオーナーは、70-80年代のロックが好きなのか?」と聞くと、嬉しそうに「もちろん!」と答えてくれた。いやー、インドネシアとは思えない(って勝手な思い込みです。インドネシアの皆さんすいません)、なかなか楽しいホテルだった。部屋も広くてキレイで、アメニティもしっかりしていた。

最後の夜は三木さん堀田さんと私で、近くのショッピングモールで夕食をとった。「旅行好きの目加田先生に知られたら、絶対怒られるぜっ」と言いながら、有名ブランドショップの居並ぶモール内の、しかも和食屋さんに入った。店の入り口にあるメニューに「モダン焼き」があるのを見て、堀田さんが「きゃー、モダン焼き。私食べたことがないんです」という。堀田さんは大阪出身である。大阪出身で、しかも堀田さんくらいの年齢になって(何歳かは知らんが)、モダン焼きを食べたことがないというのはどういうことじゃ? きっといいとこの娘さんに違いない。とか考えながら、ここは堀田さんの希望を酌んで、モダン焼きを中心に餃子やらビーフ豚カツ(イスラム教徒の多いインドネシアでは、豚肉が提供されることはない)を注文した。ビーフ豚カツやら餃子(たぶん豚肉は入っていない)はまずまずだったが、モダン焼きは、日本でいうところのオムそばであった。ビールはインドネシアのビンタンビール。暑い国にあう、すっきりとした飲み口であった。

IMG_2226.jpg
翌日の最終日は、バンドン空港からシンガポールに飛んだ。バンドン空港は国際空港なのだが、かなり小さくて搭乗口は一つしかない。搭乗券の改札を通ると、結構な距離を歩いて飛行機に向かう。まるで千原せいじさんみたい。ここからシンガポールを経由して10時間以上かけて関西国際空港へと帰る。

連れは三木教授、堀田さんと私の三人である。日頃は微研内で顔をあわせることはあっても、それほど長話をすることはない。だが今回はとにかく道のりが長い。いい機会なので(と思っていたのは私だけかもしれない)、飛行機の待合や空港のスタンドバーで馬鹿話をしまくった。すると最初は楽しそうに相槌を打ってくれていた三木さんの反応が、だんだんと鈍くなってきた。どうやら話疲れてきたらしい。このおっさん、喋りすぎ、と呆れられたのかもしれん。、、、三木さんは大阪府立高津高校出身である。私の高津高校出身の友達たちは、私以上に皆んなむちゃくちゃ喋り好きの馬鹿話好きなのに、、、「三木さん、ほんま高津出身か?」とか言い掛かりをつけながら、さらにバカ話を強要してやった(しかし岡部先生も審良先生も高津高校出身だ。中には普通の人もいるみたい。あたりまえか)

関西国際空港に到着したのは午後9時20分。入国(帰国)手続きも荷物受け取りも税関もスムーズに通過して、午後9時45分の尼崎行きのリムジンバスに乗った。関西国際空港は優秀だ。

んで、実は、帰国してもう一週間以上経つ(ブログの更新が遅すぎっ)。帰国の翌日に宮崎に出張。ホリプレ講演を90分して、その夜は一泊(いつものように、三澤さん宅に泊めていただいた。いつもありがとうございます)。先週末は京都大学大学院医学研究科の合宿プログラムで90分の英語講演をした(バンドン工科大生命科学部とちがって、もちろん先生方もその場にいらっしゃったばかりか、丁寧に私を紹介してくださった。ありがとうございました)。

この一ヶ月。嵐のようであった(ベタな喩えですまん)。今年もあと一月半。なだれ込むようにして年末に突入する。


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2014年11月13日

インドネシア3

 前回の続き。

 そして昼食後、東京で翌日に用務のある目加田所長と松浦副所長と別れて再び生命科学部に向かった。到着したのは午後1時直前である。誰か生命科学の先生が待ち構えているかな、と思っていたが誰もいない。建物に入って、オフィスとおぼしき部屋に行っても誰もいない。周辺の部屋を探しまわると、事務方のような男性がいたので尋ねると、別の部屋に連れて行ってくれた。そこには午前中にあった教員スタッフがいて、男性を指差し「彼に案内してもらいますわ。私もあとで参ります」と云った。

 男性に連れられて行った部屋は鍵が閉まっている。もちろん誰もいない。男性は「ここだ」といって部屋の鍵を開けて出て行った。残されたのは私と、私に付き合ってくれた三木さんと堀田さんだけだ。「なんじゃ、これは? どういうことや?」と、三人ですることもなく佇んでいると、やがて10人程度の学部学生(と彼らは云った)が部屋に入ってきた。「日本人の講師が講義するのを聴きにきたのか?」と聞くと「そうだ」という。ただし、30分前に先生からこの講義のことを初めて聞いたらしい。この時で午後1時20分。教員は来ない。さらに何か動きがあるようでもないので、仕方なく勝手にコンピュータをプロジェクタにつなぎ、マイクを準備して講義を始めることにした。10分後には大学院生という10名ほどの一団が来たが、やはり教員は来ない。

 講義すること1時間。3ー4名ほどは講義の内容に食いついている様子だったが、他の学生はぼんやりとスクリーンを眺めているばかりである。「質問はあるか?」と聞くと、講義の内容について質問したのは一人。あとは、やはりぼんやりと座っている。「もしかすると、われわれの研究所が提供する奨学金のことを聞きに来たのか?」と聞くと、「そうだ」という。なんじゃそら? 細菌学の講義は要らんかったんちゃうんか、。

「じゃぁ、仕方ないので奨学金の話をしますか」と三人で相談するが、松浦副所長が帰ってしまったので資料もないし、説明の準備もしていない。そこで堀田さんが、Google mail に添付してあったファイルを急遽ダウンロードして資料スライドを準備してくれた。説明は三木さんにお願いした。だってオレ、1時間の講義で疲れてるもん。

IMG_2216.jpg んで、三木さんが必死のパッチで概要を説明してくれて、詳細はさらになんと堀田さんが説明してくれた。その説明でさらに1時間。「どう?この奨学金制度って、魅力あると思わん?」と聞くと、しかし残念ながら「思わない」というのがその場に居た学生さん達の総意のようだった。一般的な学部学生である彼らには、どうやら留学志望も研究志望もないようだ。そんな学生達に留学生奨学金制度が魅力的なわけはない。

IMG_2218.jpg 計2時間。ついに最後まで、「私もあとで参ります」と言った人も含めて、生命科学部の教員は一人も来なかった。どこかで話の行き違いがあったのだと思うが、どうしてこうなってしまったのかわからない。倒れ込むようにしてホテルに戻り、費やした2時間を思い返しながら、みんなでビールを飲んで反省会をした。

 海外に出ると、いろいろなことが起こるものである。


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2014年11月09日

インドネシア2

前回の続き。

バンドン滞在の二日目、午前9時過ぎにバンドン工科大学に到着し、生命科学部の執行部の教員に微研の奨学制度の説明をする。しかし、先方は単位互換による学生の交換留学の話を繰り返しするばかりで、なかなか話が噛み合わない。話し合い終盤に、ようやくバンドン工科大学の教員から学生に奨学制度を紹介してもらうことで会議は終了した。その時に「すでに少し話をしてあるけれど、5ー10人は希望者がでそうですよ」と先方の教授が話し、「午後からの講義、楽しみにしています」と私に言ってくれたのだが、、、、。

もう一件、バンドン工科大学では薬学部も訪問し、ここではすでに学部長が選んでくれていた奨学生候補者と面談した。やはり、優秀で素直そうな学生さんだった。

そして昼食後、午後1時からの私の講義だが、ここで予想外のことが起こった。

(つづく。すまん。今日は疲れていて根気がないので、また次回です)


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2014年11月05日

インドネシア

 インドネシアのバンドンにいる。11月3日の昼前に関西国際空港を出発、シンガポール経由で夜にジャカルタ市内に着いた。同道者は私と同じ微研の三木教授と今回の仕事の秘書業務をしてくれている堀田さんである。ジャカルタ市内のホテルで、先着されていた目加田所長と松浦副所長と落ち合って、4日の朝にインドネシア大学の医学部を訪ねた。微研が来年度から計画している外国人留学生支援制度に応募する学生の面接のためである。

 この奨学金制度はこれまでのものと少し違う。大学院在学中に250万円/年の奨学金を支給する(ここまでは普通の奨学金と変わらない)のに加えて、奨学生の就学態度や業績、将来性などが評価されると、有給研究員さらには微研教員としてのポストが用意される。優秀な学生には存分に研究業績を挙げていただき、学者としての地位を確立してから母国に戻ってもらう、という計画である。留学元の国の研究教育機関にとっては、小さいながらも人材育成の道が立ち、微研にとっては国際交流とともに優秀な外国人学生の確保につながるというわけだ。今回は微研の紹介をかねて、そんな留学制度に応募を希望する学生と面接するのが主要な目的である。

 インドネシア大学医学部はオランダ植民地時代に建築された堂々たる建物にあった。面接した学生はそれぞれみんな優秀で、控えめだが意欲があって近頃の日本の大学ではあまり見ないタイプの学生ばかりであった。残念ながらインドネシア大学に提供できる奨学生の枠は多くてふたつである。「できればみんな採用したいね」と先生方と話をしながら大学をあとにした。そのあと、チャーターしたタクシーで100 km ほど離れたバンドンに移動した。今度はバンドン工科大学の学生達に会う。今、11月5日の午前6時15分。午前中にホテルを出る予定である。まぁそれは予定通りでいいのだけれど、。

 実は、10月下旬に、急にバンドン工科大学から「訪問される先生に学生対象の講義をして欲しい」という要望があった。しかも、Bacteriology が専門であることがポイントだったのかどうか、なぜか Prof. Horiguchi にお願いしたい」と名指しされた。講義時間は1時間。英語の講義はそれなりに準備しないといけないのだけれど、他の仕事も詰まっていたのでいかにも時間がない。急遽、自分にとって(英語で)喋りやすい内容を選んでスライドを組んだ。その講義は今日の午後1時から始まる。どうなることやら。

IMG_2213.jpg んで昨晩。スライドの確認をしていて、帰国後すぐ(次の日)の宮崎出張で使うために用意していたスライドファイルが壊れていることに気がついた。ラボの iMac で作成したファイルを Dropbox にアップロードする時に何かをやっちまったらしい(決して Dropbox のせいではないと思う)。
、、、、ちょっとピンチである。

(写真はバンドンの夜明け。宮崎用スライドを朝から修復していて、イライラしていてもいかんと気晴らしにホテルの窓から撮った。)


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2014年11月02日

世界 細菌学系のどじまん

 現在、私は少なくとも3つ(実はちゃんと覚えていないので、他にもあるかもしれない)の科学雑誌のアカデミックエディターを務めている。

 ひとつめの出版社からはほとんど論文が回ってこない。ホントに編集業務をやってんのかね?と思うくらい何の連絡もないが、その雑誌のウェブサイトを見ると確かに自分の名前が Editorial Board に載っているので、正式に編集委員ではあるらしい。
 ふたつめは、私の所属する日本の学会が国際的な出版社に委託して出版している雑誌である。色んな行きがかり上、最初の5ー6年間は編集長を務め、その任期を終えたあとも編集業務から足を洗うのを許してもらえずに、いまだに associate editor を務めている。

 みっつめの雑誌の associate editor は、三ヶ月ほど前に依頼された。これ以上忙しいのもイヤやしなー、、と躊躇したが、私には「これも経験である」とすぐに考えてしまう悪いクセがある。そのクセが災いして、結局引き受けることになった(、、「なった」って、自分で決めたんですけどね)。この雑誌は、超メジャー誌を筆頭に多数の有力誌を擁する有名出版社が発行している。そんな雑誌から編集担当の依頼があったのだから、研究者としては光栄に思ってもいいのかもしれない。それに、噂ではこの雑誌の編集委員になっても、年間に処理を割り当てられる論文は4ー5編だということだった。

 ところが、実際に引き受けてみると全く違った。引き受けて少し経ってから、ほぼ確実に2週間に1編の割合で論文が割り当てられる。ふたつ目の雑誌でも、2ー3週間に1編の割合で論文が割り当てられるので、わりに忙しい。

 Associate editor の最初の仕事は、割り当てられた論文を読んでしかるべき研究者に論文の査読を依頼するか、あるいは査読依頼をせずに不採択の結論にするか決定することにある。モタモタしていると次の論文がやって来るので、どうするのか即決しなければならない。それでこの三つめの雑誌だが、実は、届いてくる論文の質が必ずしも高くないことがわかった(よく知られている雑誌なんですけどね)。今まで、論文を査読者に回したのは一編だけである。あとはすべて associate editor (つまり私)の段階で不採択だ。そんな論文を読んでいると、読み終わるまでにだいたい不採択にする結論が出る。のど自慢で出演者が歌っている最中に「カン」と鐘が鳴って歌を中断させて、出演者には退場してもらうのとよく似ている。

 論文を読むと、だいたい results の途中当たりで「カン」と私の頭の中で鐘が鳴る。不採択だ。それより先に論文を読むことはない。Immature とか entirely inconclusive とか理由を付けて in-depth review は行ないません、と宣言して不採択とする。

 んで、この頃は、2週間に一度くらい、私の頭の中で「カン」と鐘が鳴っている。


、、、ところで、明日からインドネシアに出張してきます。リアルタイムで更新していないブログなので、別に予告しなくてもいいのだけれど、、3泊4日で帰ってきたら、次の日からは宮崎出張。一週間はちょいと飛び回ってます。


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2014年10月28日

誕生日

本日は私の誕生日である。55歳になった。

しかしアタフタと仕事に追われている毎日だ。自分の誕生日のことなどすっかり忘れていた。今朝、娘に「たんじょうび、おめでとぉ」と云われて思い出したが、大学に出てしばらく仕事をしていたらまた忘れた。

IMG_2206.jpg
お昼に、ラボの部員室でみんながデコレーションケーキを囲んでいたので、また思い出した。「先生のケーキですよ」とアヤッチが数字のロウソクをケーキに立ててくれた。55歳。
誕生日の歌と言えば「Happy birthday to you,,」だけれど、私はなぜか幼稚園の時に習った歌を思い出す。

メロディ今日は私の誕生日 赤ちゃんになって生まれた日
お父様もお母様も 祝ってくださる うれしい うれしいメロディ

けれど、やっぱりロウソクを吹き消すのには「Happy birthday to you,,」が似合う。


仕事を終えていつも通りに家に帰ると、家内が赤ワインとステーキと観葉植物のプレゼントを用意してくれていた。その赤ワインを飲みながらこれを書いている。

そうだ。幼馴染みのひーちゃんからも誕生日のお祝いメールをいただいた。

本人は、ややもするとすぐに今日が自分の誕生日であることを忘れるような体たらくだったのに、、、みなさんありがとうございました。何か大変なことが起こりそうな予感のする55歳です。皆々様、今後ともよろしくお願いいたします。


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2014年10月27日

今年三度目の北海道・札幌

先週末の24ー25日、北海道大学にホリプレ講演で出張した。ホリプレ、すなわちプレゼンや論文作成に関わる講演はそろそろお断りしようと考えているが、まだ以前に引き受けた講演がいくつか残っている。先々週は武庫川女子大に行ったし、再来週は宮崎大学に同じ用件で行く。それでとりあえず、ホリプレ講演のご依頼は受付を終了させていただきます。関係の皆様にはご了解いただけますよう、よろしくお願いします、、。

北海道は今年3度目であった。1回目は2月。吹雪の札幌を歩いてウニ丼を食べて、雪の中に埋もれそうになりながら北海道大学・人獣共通感染症リサーチセンターに行った。2度目は8月に千歳空港からニセコで開催された細菌学若手コロッセウムに参加した。夏とは思えない肌寒さで、風邪を引いて咽喉をつぶした。んで、今回は、北海道大学・獣医学部でのホリプレ講演である。高校生の頃、北大の獣医に入りたいと漠然と思っていた(その希望は諸般の事情で受験する事なく頓挫した。もっとも、受験しても合格したかどうか、入学後に無事に獣医学部に入れたか(北大は入学後に配属学部が決まる)わかったものではないが、、)私にとっては、ある意味で特別な場所である。これまで、人獣共通感染症リサーチセンターまで出向いた事は何度もあるが、獣医学部に足を踏み入れるのは初めてだった。

IMG_2205.jpgこの日は午後1時半に千歳空港に到着、快速エアポートライナーで札幌駅についたのは午後2時半であった。人獣共通感染症リサーチセンターの大西なおみさんにお迎えにきていただき、海外出張でボスの東さんが居ない研究室で、しばし情報交換して獣医学部に到着したのは講演の10分前であった。関係者の皆さん、ヤキモキさせてすいませんでした、、。写真はこの日の北大構内のイチョウ並木。ちょうど良い感じだった。

講演時間は1時間半。いつものスライドでいつものように喋りだしたのだが、やはり同じネタで喋り過ぎなのか、イマイチ気合いが入らない。こういうときはあまり良い結果にならない。決して滑らかとは云えない調子で話すこと60分。早々と用意した話題をすべて話してしまった。以前、山口大学で同じ話をした時には、90分間一杯使い切ったのに、今回はえらく早かった。やはり演者本人が面白がって話さないと、淡々と講演が進んでしまって早く終わるのかもしれない。いやー、あんまりよくなかったなー、、と思っていたら、存外質問が多くて結局90分をちゃんと消化することができた。講演終了後も、何人かの方からご質問を頂き、面白かったですとお褒めの言葉も頂いたが、、でも潮時かな、と本人は思う。演者が飽きているような講演はするべきではない(といっても、再来週には宮崎でまだ講演しますけど)。次にこのような講演依頼を受けるとしたら、続編「研究者の劇的プレゼン術 2」でも出版したときかも、、そんな予定も依頼もありませんけどね。

講演終了後、この日偶然にも来札していた帯広畜産大学の川本先生(かわもっちゃん)と一緒に、今回ご招待いただいた北大獣医の石塚先生とでススキノに繰り出した。石塚先生に連れていただいたのは狸小路3丁目にある「おたる 魚一心」というお店である。これまで、観光客相手の上品な北海料理店にはよく入ったが、このお店は全く違っていた。店内は小振りで、メニューの紙札と日本ハムファイターズとソフトバンクホークス(なぜにソフトバンク?)の野球選手のサイン色紙が所狭しと貼り付けられていたりして、とてもオシャレとは云えないが,豪快に盛られたお刺身や焼き物が気軽に楽しめる。地元の人に人気のお店のようだ。店の親父さんもおかみさんも気さくで居心地がいい。次に札幌に来た時には,また訪れたいと思わせるような店だった。ここに大西さんも合流して、ビールが苦手なかわもっちゃんを除いた三人で生ビールを飲みまくった。石塚先生はビール以外飲まないという、一徹な酒飲みである。2軒目は、以前も訪れたことのある北大関係者御用達の居酒屋コーシカだ。前回、この店を訪ねた時は、コーシカのマスターが何かの病気で検査手術を受けるという前日だった。不安気なマスターを肴にして、人獣共通感染症リサーチセンターの鈴木定彦先生と遅くまで飲んだのだった。
んで、この日。コーシカを訪ねたら、マスターは元気だった。「2ー3年前に大阪からの出張で、スズキさんと一緒にここに来たんですけど、覚えてます?」と尋ねてみたが、「覚えてない」と言われた。これが大阪なら絶対「覚えてるで、、」と客商売をやっている人なら云うところだが、あいにくここは札幌である。大阪人の文脈は通じない。が、コーシカは相変わらず居心地のよいお店だった。あれよあれよという間に午前0時をまわり、1時になる前に店を出た。

翌日は、午前中に新千歳空港に戻り、かねてから食べたかった「あじさい」の塩ラーメンをいただいた。新千歳空港には「あじさい」が2軒ある。空港ビル3階のラーメン横丁みたいな一角にある店はいつも混んでいるが、1階の到着ロビーにある店は空いていてすぐに食べることができる。前回8月に来たときに知った裏技である。

今回は、短い滞在だったけれど非常に濃密な札幌出張であった。


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