2016年02月29日

「ウチ」の「カキ」

 いま放映されている NHK 朝ドラの「あさが来た」をほぼ毎日見ている。脚本がいいのだろう、ストーリーがすっきりしていて、セリフのやり取りも面白い。こういう楽しい番組があるだけで、朝のひと時がすいぶんと違ってくる。

 しかし、ひとつだけこの番組で気に入らないことがある。舞台が大阪のこの番組で何度も出てくる「ウチ」というセリフの発音だ。主演の波瑠さんをはじめ、演じる女優さんたちの「ウチ」の発音が私にはおかしく聞こえるのだ。私にとって幼い頃に聞き慣れた「ウチ」の発音が違うと、その度にぎょっとしてドラマに集中できない。そういうと家内には笑われるが、本当に気になるのだから仕方がない。

「ウチ」は一人称の大阪弁である。一人称単数にも複数にも使う。ただし、一人称単数で使うのは女性だけだ。一人称単数では「ウ」、複数では「チ」と発音する。ドラマ「あさが来た」の女優さんはほとんど全員が一人称単数、つまり自分のことを指す「ウ」を「チ」と発音している。私にとって正しい発音をしているのは、私が見た中では女中「うめ」役の友近さんと、主人公「あさ」の娘である千代の友人の「田村宣」役の吉岡里帆さんだけだ。友近さんは愛媛県、吉岡さんは京都の出身である。少なくとも西日本出身の女優さんの「ウ」は私にはしっくりと聞こえる。

 ネットで調べてみると、発音についてはどうもいろいろと説があるようだが、少なくとも大阪市内の私の周囲(すなわちドラマ「あさが来た」の舞台界隈)では、そのような発音だった。
 

 言葉の発音は微妙で難しい。研究室で似たような話題になった時に、私や他の関西出身のスタッフが口にする「季」と「柿」と「牡」は、東日本出身のシンザーやイッシーには「夏季」以外は区別がつかないということがわかった。ええいっ。不便なやっちゃ。

 しかし、同じ日本国内でも日本語の発音に苦労するのだ、。英語の R と L とか、wh とか th とか、、聞き取れんでも発音できんでも構わんやろっ。と今更ながら改めて思ったりした。


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posted by Yas at 19:00| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月22日

レヴォーグ1周年

 本日、レヴォーグ納車から1周年。

IMG_2471.jpg 愛車は昨日、ちょうど12ヶ月点検から戻ってきた。1年間の走行距離は13,000 km と少し。これまで全く不満はない。驚くほど走行性能は高いし、燃費も悪いわけではない。前車のグランディスよりも4割ほど良いくらいで、前車と違ってレギュラーガソリンでいいので、月間の燃料代は半分くらいに減った。



DSC01717.jpg
 何よりも、これまで所有したクルマの中で、これほど運転していて楽しいクルマはなかった。点検中はスバルの別のクルマを代車に割り当てられていたのだが、レヴォーグが戻ってくるのが待ち遠しく感じるほどだった。

 そういえば、最近は遠乗りしてないな。、、春には何処かに行こうかしらん。



 一応、記念に、。ブログにアップしてみた。


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posted by Yas at 21:47| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月19日

「焼きのり」と「ブタの鼻」

 先日、久しぶりに「よしむら」で吉森先生とお酒を飲んだ。実は「よしむら」を訪れるのは1年ぶりだ。店の引き戸を開けて顔を出した時には、さすがに「最初見た時、誰だかわかりませんでしたよ」と言われた。、、、よしむらさん、不義理しててすんませんでした、、、。

「よしむら」さんは私が大阪で一番美味しくて居心地がいいと思っている居酒屋さんである(、、それならなんで1年間もご無沙汰やったんや? というのはナシにしてね、、)。魚、肉、野菜にかかわらず、出してくれる料理は完璧で、よしむらご夫婦との話も楽しい。鰆の昆布〆、太刀魚の焼き物、牡蠣昆布、、美味しゅうございました。

 楽しく飲んでいてふとメニューを見ると、1年の間に幾つか見慣れないメニューが増えている。その中に「焼きのり」というのがあった。「なんですか? これ? 焼きのりだけだしてくれるん?」と尋ねると、よしむらさんは「焼きのり、いきますかっ」と嬉しそうにいう。よほど自慢の「焼きのり」らしい、、。「焼きのり」が自慢? わけがわからんが、面白そうなので注文してみた。

 すると、出てきたのがこれ。

IMG_2468.jpg

 よしむらと彫られた木箱。? 事情を知っている吉森先生は大笑いして喜んでいる。こっちは何のことか、相変わらずわからない。




IMG_2469.jpg 実は、この木箱、フタを開けるとこうなっている。

 木箱の底には、火のついた炭がある。さらに和紙を底に張った中箱があってそこに海苔が入っている。どうやら、炭火で海苔をほんのりあぶりながら食べましょうという企画モノのようだ、、。お好みで、ワサビをつけて、、、。よしむらさんは自慢げである。

「なんで、こんな、、焼きのりにここまで凝るんですかっ?」と聞くと、、
「ホリグチ先生のブタの鼻の研究と同じですよ。なかなか他人にはわかってもらえない『こだわり』って言うんですか?そんな感じですわ」
 い、いやっ、オレのブタの鼻の研究は仕事やし、、、いやいや、よしむらさんの「焼きのり」も仕事か、、。でも、こ、こだわりって、、ちょ、ちょっと違うし、、、いや、一緒か、、。いやいや、しかし、「なかなか他人にはわかってもらえない」って?、、。

 一流の料理人であるよしむらさんの仕事を、私の研究に例えてもらって光栄である、、。焼きのりも絶品であった。
しかし、なんかちょっとだけ、しっくりこないものを感じた夜であった。



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posted by Yas at 10:37| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月10日

"without any requirement for ,,,"

 研究の世界に長くいると、多かれ少なかれ誰しも何らかの科学雑誌の編集委員(Editorial Board Members)を務めるようになる。私もそうだ。多くはないが幾つかの国際雑誌(と自称、他称しているもの)の編集委員に名を連ねている。

 そのうちの一つに、編集委員を引き受けたものの、その役目を果たすのに少し重荷を感じている雑誌がある。この雑誌の出版社は、いわゆるメジャージャーナルとその姉妹誌をたくさん抱えていて、超高額な講読料や話題性重視(偏重)の編集方針(と世間で思われている)で、時折り研究者コミュニティーからやり玉に挙げられている。その出版社が抱える雑誌のうち、私が編集委員を引き受けたのは Open access, Peer review, Fast decision を唱う、比較的新しい流行りのスタイルをとっている雑誌である。編集方針には「本雑誌に掲載する論文の要件は、技術および方法論が確かな原著であること。インパクトや新規性は問わない」ことが明記されている。論文の重要性の評価は読者に委ねるということだ。同様のコンセプトの雑誌は他の出版社(組織)からも出版されている。しかし実はこの編集方針が、時に編集委員にとって厄介なものになる。

この部分、かつては確かに"without any requirement for novelty or broad interest"のような表現になっていたのだが、最近 ",,without any requirement for impact or conceptual advance" に変更されている。「novelty(新規性)を問わない」ことに無理があると雑誌社も気づいたのだろうか、。

 少し前までの常識では、科学論文は堅固な方法論で成立していることは当たり前で、内容の評価は、新規性とインパクトの大きさに依って立っていた。レビューアは新規性のある結論を確かなものにするために追加実験を要求したり、より良い論文になるように助言を与えたりするものだ。ところがこの雑誌では新規性は問わないといい、その基準に従って論文を評価するように編集者やレビューアにも要求する。つまり、新規性も科学領域に与える影響もほとんどない結論の論文でも、方法論的にちゃんと実験していれば、この雑誌では採用されるということになる。普通に複数の実験をして、何らかの無理のない結論を導けば採用されるということだ。

 無論、この雑誌に投稿されてくる論文の中には、道理のわからない実験と稚拙な考察で構成されたようなものもある。このような論文は問題なく不採用だ。しかし、方法論には問題はないが全く新規性のないものや、結論にも問題はないが何の意義があるのかわからない論文を、この雑誌の基準で評価するのは難しい。基準をまさに尊重するなら、これらの論文は採用されてしかるべきである。しかし新規性や影響力を意識して研究を進めることに慣れた研究者の性が、これを許さない。レビューアは問題点を挙げて厳しい(本来正当な)評価をし、私は不採用を決める。

 不採用を決めると、しばらくして出版社のオフィスからメールが届く。「本当に不採用なのか?あなたが一度不採用を決めると著者は二度と再投稿できないのだが、しかるべき修正を加えることで採用にならないのかどうかもう一度考えてくれないか?」「レビューアのひとりはコメントの冒頭で『興味深い知見を含んでいる』と書いている。興味深いということは改訂をすれば掲載可能なのではないか?」 というのである。編集者としては、編集方針に照らし合わせてどこがどのように問題で不採用となったのかを(もちろん英語で)申し述べなければならない。不採用のたびにこんなやり取りが繰返される。これほど労力がかかって無駄なことはない。これに対して、論文を「採用」とした場合はオフィスからクレームが届いたことはない。それならばいっその事、どんな論文でも「採用」にしてしまえという衝動に駆られてしまうほどである。実際、そこまで極端ではないが、知見の新規性の乏しい(いわゆるつまらない)論文を編集方針の基準に照らして「採用」にしたことはいくつもある。

 なぜこれほどまでにこの雑誌社は論文の不採用を嫌がるのか? もしかすると、インパクトには欠けるが中堅どころのそこそこの論文を根こそぎ自分たちの雑誌で掲載して、他社の雑誌に回したくないのではないか? と勘ぐりたくもなる。

 こういうことをしていると、玉石混淆の論文が大量に投稿されてくるのは想像に難くない。一方、編集委員は今までの経験から、投稿された論文の担当を引き受けてしまうと大変な作業があとに待ち構えていることがわかっている。だから、よほど自分の領域にフィットした論文でなければ、担当を断ることになる(はずだと思う。私はこの雑誌に限ってそうしている)。その結果、大量に投稿された論文はオフィスでスタックし、オフィスのチェックが終わっても、編集委員をたらい回しにされてなかなかレビューアが決まらないということが起こる。

 実際、この雑誌はそんな状況に陥っている。つい先日、オフィスから「あなたの専門領域から外れることはわかっているけれど、担当してくれる編集委員がいないのよ助けて」と懇願するような依頼が来たので仕方なく引き受けた論文の履歴を見ると、12月23日に投稿、オフィスのチェック終了が1月6日、そのあと9人の編集委員に断られて2月5日に私のところに届いている。投稿からレビューアに回るようになるまで一月半である。その前に届いた投稿論文も同じようなものだった。もはや、この雑誌の売りであった Fast decision は望めない。さらにすでに書いたように、この雑誌で採用された論文の質は必ずしも良いものばかりではない。つまるところ「研究のインパクトは論文を掲載した雑誌のインパクトと無関係で、個々の論文がそれぞれ別個に評価されるべきだ」との考え方に基づいて考案されたこのような雑誌の編集システムはかなり危うい状態になっていると私は感じている。

         ー     ー     ー     ー     ー

 一方、有名な雑誌社のブランド名が影響しているのか、この雑誌の Impact factor は実は低くない。その Impact factor を目当てにまた大量の論文が投稿されて、またオフィスにスタックしてと、悪循環に陥っているようにも見える。普通に考えればこのような雑誌の Impact factor が高止まりするはずはないのだが、、、。この雑誌とほぼ同じコンセプトで編集されている別の雑誌の Impact factor は年々下がってきている。しかし、私が編集委員をしている方の雑誌の Impact factor は、驚いたことに上昇傾向にある。そんな Impact factor に見合うだけの論文が本当に掲載されているのか、はなはだ疑問だが、事実上がっているのだから仕方ない。私は別に Impact factor 信奉者ではないが、 この数字が今後どうなるのか少しだけ興味がある。

 こういう状況を見て、昔読んだショートショート(超短編小説)を思い出してしまった。作者は星新一さんか筒井康隆さんだったと思う。こういう話だ。ある日、主人公の男はテレビを見ていて、画面に合わせるかのように自分の目に数字が映るようになったのに気がついた。調べてみると、どうやらその数字は見ている番組の視聴率のようだ。見えた数字を記録しておいて、後日発表された視聴率と照らし合わせるとぴったりと合っている。この特殊能力は、最初は、男にとって特段役に立つものではなかったが、やがてそれが世間に知られるようになると様相は変わる。この男がいれば労力とコストをかけて視聴率を調べる必要がなくなり、テレビ業界は視聴率調査を男の手(目)に委ねるようになった。そしてついには、良い数字が見えたことにしてもらおうと、テレビ局関係者がこぞってこの男を饗応するようにまでなり、男は大金持ちになる。しかしその時、実はもう男には視聴率を感知する能力はなくなっていたのだった。だが男は全く困らない。なぜなら、世間にはすでに視聴率を調査するシステムが完全に失われていて、視聴率は男の思うままに決められるようになってしまっていたのだから、、、。
 
 雑誌の Impact factor は今もしっかりとした調査に基づいて算出されているのは知っているが、その計算に使われる数字が雑誌社のブランド名に引きづられて、掲載されている論文の実態とかけ離れて一人歩きしているとしたらどうだろう? 確かに Impact factor も視聴率も、論文や番組の質とは直接的には関係がない、という意味では同じなのかもしれない。そうだとすると、我々は今、このショートショートと似たような状況の中にいるのかもしれない。ショートショートの中の男の目は、雑誌社のブランド力に当たるのかもしれない。男を饗応する局関係者は、我々自身である。



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posted by Yas at 17:13| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月31日

IIJmio(格安SIM)の月額請求料金

携帯の契約先をソフトバンクからMVNO(仮想移動体通信事業者というらしい)の IIJmioに変えてから一ヶ月以上経った。以前にも書いたが、これは、携帯端末の料金を2年間のローンで支払った後も、基本料金プラスオプションやらなんやらの組み合わせで支払う月額料金がほとんど変わらず8千円から9千円になってしまう、大手キャリアの料金体系に激しく疑問を持った結果の措置だった。

 んで、先週に先月途中からの支払額が確定したようなので調べてみた。

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 消費税を入れて947円だった。「音声通話機能付きSIM」の月額基本料と音声通話機能付帯料を併せて月額 1,600 円のコースで、使用開始日からのきっちり日割り計算ポッキリ。ややこしいオプション料やら値引きやらのプラスマイナスは一切なし。明快である。明快すぎて思わず笑ってしまうほどだ。(ただし、通話をすれば通話料金は加算される。私の場合、12月15日から31日の間に通話発信をしていないということだ)

 契約しているコースは3GBの通信パケット量だが、通信スピードをIIJmio提供のアプリで低速に設定すると、その間はその3GBは消費されない。それに普段は大学や自宅のWIFIを使っているので、出張が重なるようなことがなければ、パケットの消費量は基本的に多くない。今日は1月31日だが、1月分の通信量はまだ1.8 GB以上残っているほどだ。残ったパケットは来月分に加算される。

 こうしたMVNOの弱点は、いわゆる携帯アドレス(@softbank とか @ezweb などが付いているアドレス)が使えないところだが、私の場合は携帯アドレスをほとんど今までも使っていなかったので問題はほとんどない。それ以外、全く不都合はない。

 請求額を確認してそのあとすぐに追加のSIMを家内のために契約し、アップルストアで iPhone6sも購入した。その5日後には全てが整って回線を開通することができた、。携帯ショップに出向いてあれやこれやと手続きを踏む必要はない。お手軽である。

 いかがでしょう、、皆様もご検討されては、、、。一応念のため言っときますが、IIJmioから宣伝を依頼されているわけではございません、、。

:これを機会に端末も iPhone5 からiPhone6s に乗り換えて、液晶が4インチから4.7インチと大きくなった。「大きすぎたら使いにくいやろ」と思っていたが間違いだった。表示領域がわずかでも大きくなると、使い勝手が大きく変わり、 iPhone5 時代とは違ってWebでの調べ物やニュースの閲覧の機会が大幅に増えて、iPad miniを使う機会がめっきり減った、、。


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posted by Yas at 18:28| Comment(0) | コンピュータ & ガジェット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月24日

貧乏症

 最近、雑用の交通整理を心がけるようにしたら(とは聞こえがいいが、要するに断ることのできる用務を断っているだけ)、自分の仕事(研究)に関わる時間を比較的取れるようになった気がしている。この日も夕方前からは、最近報告してもらった実験データの吟味や新着論文のチェックやらで時間を過ごすことができた。自分の興味にフィットした論文を見つけ、ダウンロードしてざっくりと拾い読みする。自らピペットを持って実験できなくなった研究者(年数を経た大抵の教授はそうだ)にとっては至福の時間である。

 そうして最近報告してもらった実験データのことを考えながら新着論文を眺めていると、ちょっと気になった記述を見つけた。「これ、ウチの仕事に使えるんちゃうん?」と、もう少し詳しく読んでみたくなる。大げさではなく、こんな時は高揚感があって心臓がドキドキと高鳴ることさえある。この論文を詳しく読みたいっ、気のついたことをその論文に激しく手書きでメモを取りたいっ、、そんな衝動にかられる。

 そのためにはダウンロードした論文を印刷しなければならない。私は専用のプリンタを教授室に置いている(大抵の教授はそうしている)。しかし、教授一人でたくさん印刷するのはコスト面で気がひけるので、比較的コンパクトなインクジェットプリンタを使って、しかも片面使用済みの用紙の裏に印刷する。私の貧乏症なところである。

 コンピュータでプリント操作をしてしばし待つ。早く印刷しないかな、、ええぃっ、じれったい、、、と高鳴る胸を押さえつつ待っていると、用紙の表裏を間違ってすでに印刷された面に印字してしまった。だらぁっ、私としたことがなんということじゃ。気を取り直して、用紙の裏表を確認してもう一度印字する、、。と、次に印刷されてきたものは字が随分とかすれている。どわぁっ、黒インク切れかいっ、、。

 黒インク黒インク、、、研究室には備蓄のインクカートリッジもあるが、やっぱり貧乏症の私はサードパーティー製の詰め替えインクも用意している。、、早く論文を見たいんやけどなぁ、、でも詰め替えインクがせっかくあるし、、、と、実験室からプラスチック手袋を持ってきてインクを詰める、、。、、もうっ、オレはヒマなんかっ、、。

IMG_2461.jpg 空っぽになったカートリッジに細工をしてインクを入れていたら、なんか情けなくなってきた、、。阪大には700人以上の教授がいるが、忙しい時にインクジェットプリンターのインクを手で詰め替える教授が何人いることか、、、。微研や iFReC には絶対おらんな、、。私が常日頃お付き合いいただいて尊敬申し上げている一流と呼ばれるあの先生やあの先生なんか、絶対こういうことはなさらない。「キミ、これをちょっと印刷してくれたまえ」と下々の者にコピーを用意させるに違いない、。

 忙しいのに、インクを自分で詰め替えて、用紙の裏紙を使って印刷しているような教授はあかん。この辺がオレのあかんとこや、、。あ〜、、オレはあかん教授や、、、。

 だいたい、3ヶ月に一度くらい、私はインクを詰め替えてはこうして反省を繰り返している、、。


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posted by Yas at 11:41| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月13日

生化若手の会・九州支部/デヴィッド・ボウイ/竹田圭吾

 この連休の10日に、生化学若手の会九州支部の依頼でプレゼンテーションの講演をしてきた。プレゼン講演に関してはこのあと予定がないので、もしかしたらこれが最後になるのかも知れない。

IMG_2436.jpg 会場は福岡県八女市のグリーンピア八女という宿泊施設である。参加者は30名程度。多くが大学院生のようだった。生化学会若手の会は古い歴史を持っていて、私は若い頃から「こういうのを運営する若い奴というのはどんな奴なんやろな−」とある種の畏敬の念を持って想像していたものだ。それから数十年。そんな「若い奴」の依頼で講演する自分はすっかり歳をとったような気がする。

 当初は「50分でご研究の話とプレゼンテーションの話をお願いします」という依頼だったのだが、それでは時間が短すぎる。それに生化学や生命科学を志す若者の集まりが「細菌感染」を主軸とする私の話を聞きたいと思っていると勘違いするほど私もトロくはない。プログラムの構成は明らかにプレゼンテーションの講演を私に期待している事を示していた(講演後、スライド作成のグループワークが設定されていた)こともあるので、「いやいや、お気遣いなく。50分みっちりプレゼンテーションの話をしましょう」ということにした。

 この会には、九州大学生体防御医学研究所の鈴木淳史教授も招待演者として参加されていた。鈴木先生の方は研究のご講演である。いわゆるダイレクトリプログラミングで線維芽細胞から肝細胞を作製するという研究の話で、大変興味深く聞かせていただいた。こういうところで思いがけず素晴らしい研究の話を聞くと、めちゃくちゃ得した気分になる。さらに鈴木先生の講演のあとには、留学や研究室運営などについての座談会が設定されていた。どうやら若くして教授になられた鈴木先生の経験や考えを聞きたいということのようだ。しかし、、(これは鈴木先生ご本人にも賛成していただいたのだが)成功者の経験談は参考にならんよ、、キミたち、、。少なくとも私はそう思っている(詳しくはこちらをどうぞ)。

 私のプレゼンの講演はいつも通り、、とはいかず、すこし盛り込みすぎて時間を超過してしまった。講演のなかで「講演時間厳守」を唱えていたにもかかわらず、である。これには「そういう失敗をするのがプレゼンというもので、だから難しいんですよ」とよくわからん説明をして誤魔化しておいた。

IMG_2437.jpg そのあとのスライド作成のグループワークでは、スタッフが作成した仮想実験のプロトコールとデータに従って、それぞれ方法を示すスライドとデータグラフのスライドを参加者が作成するという企画だった。それを見て、私が批評するということだったが、参加者それぞれが私のスライド作成における注意事項にもとづいて工夫しているのがわかって面白かった。みんな真面目である。もっとも、こんなときにふざける奴はおらんと思うが、、、。写真はそのグループワークの風景である。


 参加してみて感じたのだが、生化若手の会のミーティングの主眼は参加者の研究発表をもとに議論するという点にはなく、どちらかというと研究者としてやっていく上での諸問題にテーマを決めて話合うなどして相互啓発するような、、そういったところに重点が置かれているように見えた。それはそれで大切なことだが、巨大な生化学会の若手の会なのに、それではすこしもったいないような気がする。しかし、スタッフのひとりに聞いてみると生化学会からの支援はかなり少なく、それなりの規模で研究発表会をするのには無理があるとのことだった、、。学会それぞれによって、若手育成ひとつとっても色々と考え方があるのだろう、、。

 今回の出張は私の都合で日帰りにしたので、早朝に家を出て7時過ぎの新幹線に乗り、久留米駅で送迎バスに乗り換えて12時過ぎに到着し、講演後はスタッフの運転するクルマで久留米に舞い戻り、午後7時前の新幹線で帰阪するという慌ただしい出張になった。帰宅して落ち着いてニュースや新聞を見て、ロック歌手のデヴィッド・ボウイとジャーナリストの竹田圭吾さんが亡くなったことを知った。竹田圭吾さんは客観性・公平性・ユーモア性、全てを備えたとても素敵なジャーナリストで、大好きな人だった。デヴィッド・ボウイに至っては、若い頃「この人は死ぬことなんてないんじゃないか?」と私が何となく思っていたような人だった。生化若手の会もそうだったが、自分が年齢を重ねたことを強く感じさせるような出来事がいくつもあった連休だった。 

 謹んでご冥福をお祈りします。


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posted by Yas at 18:37| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月07日

ららぽーとEXPOCITY

 グランド・オープンの賑わいも、もう落ち着いたやろ、、と、昼食に「ららぽーとEXPOCITY」に行ってみた。

IMG_2434 (1).jpg

 超満員でした。世間にはまだお正月ムードが残っていたようだ。フードコートで空いたテーブルを探すも見つからず。




IMG_2435 (1).jpg

 フードコートから見る景色はなかなのものである。窓から見えるは太陽の塔と大阪大学の医学部と工学部の一部。残念ながら微研やiFReC は見えん。



 仕方がないので、スゴスゴと何も食べずに駐車場を出て近所の「丸源ラーメン」へ、、。ここのラーメンはどれも平均点が高いと思う。

 大阪大学の皆さん。まだ昼飯にららぽーとに出かけるのは早いようですぜ、、。


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posted by Yas at 19:24| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月01日

2016年 おめでとうございます

 あけましておめでとうございます。

 年賀状にも書きましたが、今年のスローガンは「気ぃ抜いたら終わりやんけ」です。時間や仕事に終われる毎日が続く今日この頃、今年は前向きに明るく楽しく元気よく過ごします。

年賀状jpeg.jpg








 今年もよろしくお願いします。


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posted by Yas at 09:23| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月27日

年末の反省

 一昨日の土曜日のこと。前日の金曜日にクルマで出勤してそのまま市内に飲みに出かけたので、この日は自転車で大学に向かった。実は、2ヶ月以上前にタイヤとチューブとブレーキワイヤー・バッドを交換してから、自転車には一度も乗っていなかったのだが、。

 天気は上々。気温も高い。タイヤを28C から 25Cに細くしたので走りは軽快だし、ブレーキも静かによく効く。しかしあいにく身体は全然軽快ではなかった。運動不足。前傾姿勢を維持できず首が痛くなる。これはもう全然だめな状態である。17-18 km ほどの平坦な道のりなのに、息が上がるしやたらと時間もかかるし、、。

 運動不足。これは今年の課題だ。明日は仕事納め。来年はなんとかしなくちゃ。


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posted by Yas at 22:17| Comment(0) | 自転車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月23日

早石修先生・ジフテリア毒素・ADPリボース転移反応

前回、岡本おさみさんが亡くなったことを書いたが、実はその日、新聞では早石修先生が亡くなられたことが報道されていた。

私などがご経歴を紹介するのは畏れ多いのだが、、、早石先生は大阪帝国大学医学部を卒業されて留学後、京都大学医学部教授、大阪大学医学部教授、東京大学医学部教授を併任も含めて歴任され、私などが研究者として物心ついた頃には財団法人大阪バイオサイエンス研究所長を務められていた。世界が認める偉大な生化学者である。

早石先生のご業績を数え上げるとキリがないが、細菌毒素屋である私が取り上げるとすればやはり、本庶佑・西塚泰美・早石修(いずれも恐れ入りまくってしまうような偉大な研究者である)の名前で発表された、ジフテリア毒素が ADP リボース転移反応を触媒する酵素であることを示した研究になる。私が調べたところでは、この研究に関する最初の論文は1968年の J. Biol. Chem.に掲載されている。ウィキペディアによると本庶先生はこの研究で博士号を取られている。この仕事は、単にジフテリア毒素の作用を解明したということにとどまらない。私の知識では、この研究は酵素活性を持つ細菌毒素を初めて示した研究であるし、NAD の ADP リボース部分が酵素によって転移されうる事を初めて示した研究でもある。

その後、コレラ毒素や百日咳毒素が三量体 GTP結合タンパク質を ADP リボシル化する同様の酵素毒素であることが明らかになり(百日咳毒素の作用は当時北海道大学の宇井理生先生の手によって明らかにされた)、いまではたくさんの細菌毒素が ADPリボース転移酵素であることがわかっている。こうした知見に先鞭をつけたのが早石先生のグループなのである。なぜ多数多種類の細菌毒素が揃いも揃って特殊な ADP リボース転移酵素活性を持っているのか、科学的な理由はわかっていない。あるいは、二匹目三匹目(十匹目とか二十匹目かもしれん)のドジョウを狙った細菌学者がこぞって ADP リボース転移反応を目印に毒素機能の解析をした結果なのかも知れない。

最近はさすがに、新しい ADPリボース転移酵素毒素の発見ラッシュは止んでいるが、それにしても生化学者であり分子生物学者であった本庶先生・早石先生のご研究は、多大な影響を細菌学研究にも与えたのだと言っていいと思う。

謹んでご冥福をお祈りいたします。


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2015年12月19日

岡本おさみさん

 岡本おさみさんが亡くなった。
 加藤和彦さんが亡くなった時もそうだったが、この喪失感はやはりとてつもなく大きい。

 「りんご」「おきざりにした悲しみは」「旅の宿」「制服」「こっちを向いてくれ」「祭りのあと」「地下鉄に乗って」「ひらひら」「落陽」「いつか夜の雨が」「都万の秋」「君去りし後」、、、いくらでも思い出の唄を数え上げることができるが、、、、

「病んだ街を 見下ろしながら
 野ウサギが 吹き鳴らす
 草笛のように 笑う
 そんな壊れやすい 午後に
 君が好きだ」

 と吉田拓郎さんが唄う「君が好き」がとても好きだった。

「退屈が 誘う夕暮れに
 ワインを 飲みながら
 退屈さを 潤している
 こんな暇つぶしの 夜に
 君が好きだ」

 あかんあかん。思い出すだけで泣いてしまいそう、、。

 冥福をお祈りします。

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2015年12月17日

格安SIMに移行した

前回の記事でも書いたように怒濤の過密スケジュールが先々週にひと段落して、先週からはペースを守った仕事ができているので少し調子がよい。スケジュール過多のときは仕事以外のことは何もする気が起きずに何だか後ろ向きに過ごしていたが、今はいい方向に向いているのだろう、すこしはブログを更新する気にもなってきた。

さてそれで、、、総務省の有識者会議が通信各社に携帯電話料金の値下げを提言したとかいうニュースが先日来流れていたが、それとは全く無関係に、最近、アップルストアからSIMフリーの iPhone 6s を購入して通信会社もソフトバンクからMVNOの格安通信会社に替えた。これまで使っていた iPhone 5 は3年と3ヶ月使った。2年を過ぎた時に端末代金の月払いが終わったにもかかわらず、月々の携帯料金はほとんど下がらないのに愕然として、それ以来格安SIMのことを少しずつ調べて今回ついに通信会社の切り替えに踏み切ったというわけだ。

私が選んだ(といっても大して検討したわけではない)のは IIJmio という通信会社である。この会社は Docomo の通信網を使った格安SIMを提供している。アップルから iPhone 6s が届いてから、ソフトバンクに電話をして MNP 予約番号というのを発行してもらう。これはソフトバンクとの解約を意味するので、電話の相手は「解約を考え直していただければ、新しい iPhone 6s が実質無料で、さらに30,000円分のクーポンが付きますが如何でしょう?」と(多分マニュアル通りの)引き留め工作にかかるが、生憎こちらの意志は堅い。「海外出張のときに SIMフリーの iPhone を使いたいんですよ(ホントはそれほどでもないが)」と丁重にお断りして電話を切る。

それからアマゾンで IIJmio SIM音声通話パックを490円で購入。届いた説明書に従って IIJmio の Web サイトから契約申込みをする。このサイトから直接契約申込みをすると3,000円かかるのだが、あらかじめ音声通話パックを別途購入しておくと490円ですむ。摩訶不思議な仕組みである。申込自体は、免許証などの本人確認書類のアップロードを含めても数十分で終わる。次の日に本人確認完了の連絡が入り、その2日後にはSIMカードが届いた。同梱されている案内に従って電話で開通手続き(これも数分で終わる)をすませると、小1時間ほどで今まで使っていた iPhone 5 の通信状態が「圏外」になり、それからしばらくして新しい SIM カードを装着した iPhone 6s の画面に docomo のサインが点灯した。それから IIJmio のサイトの案内通りに設定ファイルやユーティリティーファイルをインストールして、終わり。そのあと、 iPhone 5 の環境を iPhone 6s に移すのに時間がかかったが(母艦のMacと有線で繋がっていて、かつ iPhone の容量が64GBしかないのに3-4時間かかった)、それから3日間、、快適に使用できている。IIJmio、格安SIM、問題なしである。IIJmio は高速通信のパケット容量を「クーポン」という名前で扱っている。私は 3GB クーポン/月のプランを取りあえず選んだが、低速(最大200kbps)ならクーポンを消費せずに通信を楽しめる。メールチェック程度の使用なら低速でも充分なようだが、Podcast を低速で聴くのはどうやら無理だ。

ちなみに、iPhone 6s - IIJmio の組み合わせで初めてチャットした相手は盟友あべっち。音声通話を初めて着信したのは、たまたま来阪した藤田保健衛生大のツカモトくんからの電話だった。いちおう記念なので、、記録記録、、。


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posted by Yas at 19:32| Comment(0) | コンピュータ & ガジェット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月05日

11月は、、、んで、来年は、、、、


 先月はブログ更新が一度だけ。ついに更新回数の最低記録を作ってしまった。こういう事は気にしても仕方ないのだけれど、やっぱり健全じゃない余裕のない生活を送っているのかも、と反省してしまうこの頃である。

 振り返ってみると、先月からこっちにかけて、準備に時間のかかる会議がふたつ。京産大での講演、阪大での講義、宮崎大での講義、若手コロッセウム鹿児島への出席、細菌学会理事会、細菌学会関西支部会、とある研究費の報告会、BMB2015 での講演、、、大切なグラントの申請書作成、、と息つく間もなく時が過ぎ、気がつくと12月になっていた。BMB2015の講演が終わる頃には、「先生、もうこれで少しスケジュールに余裕ができるんですよね、、?」と何人ものラボのメンバーに言われる(慰められる?)ほどであった。

 「師走」に入るたびに毎年同じようなことを書いているけれど、やはり来年こそは仕事のやり方を整理しないと「あぁ忙しい、忙しい、、」とか言っているあいだにやがて定年がやってきておしまい、、みたいなことになりそうである。これはあんまりよろしくない。第一、楽しくない。

 んで、たった今、溜まっていた仕事が一応すべて捌けたのでこれを書いている。ラボには誰もいない。とても静かな環境のなかで、一人静かに反省をしたところである。

 来年はやりますよ、、私は、、、。何をどうするかはとりあえず置いといて、、やりますよぉ、、きっと、。

 と、、今年もまだ一ヶ月あるというのに、勝手に新たな決意をしてみた。
、、、どうするかは知らんが、、とにかくやりますよぉ、、、。


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posted by Yas at 12:11| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月17日

キジー

久しぶりのエントリでのっけからグチを書くのもどうかと思うが、最近とても忙しい。

朝から、てんこ盛りで届いたメールの返事を書き、書類や発表スライドを作成したりラボメンバーの書いてきたものを添削したりで、夜になればキーボードに触るのも嫌になるほどである。だからどうしてもブログを更新する気になれない日が続いてあっという間に最後の更新から3週間が経ってしまった。けれど、どうしても今夜は書かないといけないことがあった。この9月の中旬から、新潟大医学部の基礎配属(新潟大学は基礎配属で他組織にも学生を派遣するシステムがあるらしい)で当研究室に参加していたキジーがその配属期間を終えたのである。

先週末に、そのキジーの送別会をした。その時にラボメンバーから「先生、キジーのことは絶対ブログに書いてくださいね」と言われた。新潟大から「阪大微研で細菌学をやってみたい」とわざわざ大阪までやってきて、とても熱心に実験をしてくれたキジーにメンバーも感動しているということだ。

キジーのテーマは、ある細菌にトランスポゾンを飛ばして作製した多数の挿入失活変異体の病原性をスクリーニングするというものだった。計画した当初はシンザーと「そんな実験、ど素人の学部4年生には荷が重いで、、」と云っていたが、フタを開けてみると全く問題はなかった。2ヶ月の間に分子生物学の基礎を覚え、トランスポゾンを実際に細菌に導入してライブラリーを作製し、3,000クローンほどの菌の病原性をある方法で解析し、複数の病原性欠損株を分離した。一部を他のメンバーと分担したとはいえ、そのうちのいくつかの株では、すでにトランスポゾンの挿入位置まで同定してしまった。驚くべきパフォーマンスと言うほかない。

IMG_2416.jpgかといって、別に夜に日を継いで実験をしていたわけではない。定刻の9時頃にラボに出てきて夕方過ぎには帰宅する。近くのテニススクールに入会してテニスを楽しんだり、休日には近在の友人と出かけたりしていたようだ。自然体で大変な仕事量をこなすキジーは、ラボのみんなに好かれた。

最終日の今日、ラボを去る彼女に久しぶりの表彰状(基礎配で優れたパフォーマンスを示した学生にだけ渡していた)を授与し、手土産に拙著「研究者の劇的プレゼン術」を贈呈した。キジー、きっと良い医者になってくれ。いやいやあるいは、細菌学者になってくれてもいいよ。どちらにしても将来が楽しみな学生さんだった。

しかしただひとつ不満がある。大阪滞在の最終週の週末、最後だからとキジーは友達と近くをゆっくり観光するというので、どこに行くのか尋ねたら京都だと答えが返ってきた。

、なんでやねん。、、そこは大阪見物やろ、、。

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posted by Yas at 21:57| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月28日

56歳

今日は私の56歳の誕生日であった。

研究室の皆さんが、ショートケーキでお祝いしてくれた。みんな、毎年ありがとう、、。

アヤッチが云う。
「先生っ、おめでとうございますっ。ビルゲイツと誕生日が同じですよね〜」
「ほんま?」
「先生、毎年誕生日に自分で言って自慢してたじゃないですか〜」
「、、、、知らんっ」

教授たるもの、自分が云ったことは30分くらいで忘れるものだ、、。そんな一年も前のこと、覚えてるかっ。
とは言うものの、、本当かなと疑って「10月28日生まれの有名人」とかいうウェブサイトで、チェックしてみる、、。確かに、ビルゲイツと私は同じ誕生日だ(生まれ年はもちろん違う)。さらに、徳川慶喜さんも新暦に読み換えると10月28日生まれらしいことがわかった、、、。慶喜さん、大政奉還前後はわけのわからん人だと思っていたけど、こうなるといきなり親近感が湧いたりする、、いやいや慶喜さん、幕末・維新の頃は大変だったでしょうね、、、ご苦労さんでした、、、。そのウェブサイトをさらに見てみると、ファッションモデルの菜々緒さんも誕生日が同じ(もちろん生まれ年は違う)らしい、、。菜々緒さんって、、、よく知らんが、、、「大体やな、菜々緒で思い出したけど、オレはあいつとあいつの区別もつかんのや」と、思いついたままのことを傍若無人に口にする。

研究室で思いついたままのことを好き勝手に云わずして、教授は勤まらん。

「あいつとあいつって、誰ですか? 全然わかりません」
「あいつやがな、、、、片一方は、親父さんがあいつ、、、」
「全然わかりません」
「あいつは、ホラー映画の「リング」とか「らせん」とかに出てた、、」
「真田広之ですか?」
「何言うとんねんっ、、。女やがなっ、、もうっ」

教授たるもの、ラボのメンバーには理不尽でなくてはならん。。

「、、、松嶋菜々子ですね、、、?」
「そうそう、そいつそいつ、、、それとあいつと区別がつかんのや」
「あいつって、誰ですか?」
「だから、お父さんがあいつなんや、、、いっぺん、米原の駅で見たことがある、、、」
「そんなの、、わかりません」
「あいつはやな、、あいつと共演してたんや、、あの「舞妓はぁ〜ん」とか云う映画に出てた、、、」
「、、、、阿部サダヲですか、、??」
「そう!、、阿部サダヲとあいつが、詐欺師の話の映画に出てた、、、」

シンザーが、私の話からキーワードを拾ってはネットで調べる。
「それは『夢売るふたり』ですね?」
「あ〜、、そうそう、それそれ、、、」
「ということは、松たか子ですか、、、。お父さんは松本幸四郎ですね」
「そうそう!、、松本幸四郎、、米原駅で見たことあるんやがな、、、、、。んで、オレは松嶋菜々子と松たか子の区別がつかんっ。、、そういう話や、、」
「、、、、、、、、、、」

56歳。老いは確実に忍び寄っている。


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posted by Yas at 22:21| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月13日

反省のタイヤ&チューブ交換

先月のシルバーウィークでのこと。休日だし、久しぶりにのんびり自転車で仕事に行こうとして、ビアンキくんで自宅を出たら15分ほど走ったところでタイヤ(正確にはチューブ)がバーストした。
実はその数週間前にガレージに置いてあったビアンキくんの後輪がパンクしているのを発見してチューブを交換したのだった。その時は、すぐに乗るわけではなかったので、少しだけ空気を入れてそのままにしたのだが、どうもその時に、チューブがタイヤのビード(ホイールのリムにはめるタイヤの部分)に噛んでいたのを見すごしてしまったようだ。タイヤに噛まれたチューブに目一杯空気を入れると、破裂する。当然の結果である。

慌てて家内に電話して迎えに来てもらい、懲りずに今度は折りたたみ自転車の Tikit くんで家を出たら、今度は何もない平坦な道でコロンとチェーンが外れた。「やれやれ」と、チェーンをはめようとしてよく見ると、どうやらチェーンが伸びてきているようだ。ビアンキくんのチューブの破裂といい、Tikit くんのチェーン伸びといい、要するに整備不良と云うことだ。自転車通勤から少し離れていたためにこの体たらく。ひとしきり反省するが、以前のように頻繁に自転車通勤できる日々がやってくるのかどうか、、諸般の事情を鑑みるとかなり不安になる。

IMG_2399.jpg
この機会に前後輪のタイヤもチューブも交換してしまおうと、シルバーウィークのうちに楽天でビアンキくん用のタイヤとチューブを購入したものの、時間がなくて取り付けできなかったのがようやく昨日、やっと作業する時間と気力が整った。
こんな姿で長い間放ったらかしにしてごめんよビアンキくん。



IMG_2400.jpgタイヤとチューブの交換などチョチョイのチョイだ、と始めたものの、ここでも自転車離れがたたって、すっかりコツを忘れていてタイヤのビードをリムにはめるのに一時間以上もかかってしまったが、とりあえず完成。シクロクロスのビアンキくんには、これまで700 x 28C のタイヤを履かせていたのだけれど、今回は少し細めに 700 x 25Cにしてみた。

さらに、その作業中に前輪のブレーキシューがかなり摩耗しているのも見つけてしまった。、、整備不良きわまれり、、。ブレーキシューは買い置きがあるけれど、Tikit くんのチェーンは買わなきゃ、、。

ビアンキくん、Tikit くん、ごめんよ僕が悪かった。今の仕事の調子だとルンルンと自転車通勤する時間の余裕も心の余裕も乏しいけれど、季節はサイクリングに最高の秋だ。いつかきっと復活するからね、、。それまでは、ちゃんと整備するので許してくれ、、、。
、、と云っている間に、サイクリングに最悪の冬がやってきてしまうような気がするけれど、、。


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posted by Yas at 19:56| Comment(0) | 自転車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月06日

大村智先生

大村智先生、ノーベル賞受賞、誠におめでとうございます。かつて北里研究所に所属していた者として、とても嬉しく受賞の一報を聞きました。

また受賞のニュース直後にご連絡いただいた報道関係の皆様、対応をいたしませず失礼いたしました。ちょうどその時、ちょっと複雑な仕事をしていたこともあり、また対応できたとしても大村先生について大したコメントもできませんので、どうぞお許しください。中には、先日のブログで「大村先生と話をさせていただいた」と書いた記事を目ざとく見つけて連絡されてきた方もいらっしゃったようですが、、本当に少しお話しをさせていただいただけですので、、。気の利いたハナシができるはずもございません、、。

*               *

さて、受賞理由になったイベルメクチンのこと。「イベルメクチンってなんですか?」と家内を含めた何人かに尋ねられた。、、我々に身近なものでは、ペットのワンちゃんに夏場に毎月飲ませるフィラリアの薬がある。あの成分がイベルメクチンである。イベルメクチンのおかげで、イヌのフィラリアは死の病から予防できる病になった。もちろんイヌフィラリアのみならず、オンコセルカ症をはじめとしてイベルメクチンの適用範囲はさらに広く大きい。その社会的インパクトは凄まじく、当時私が所属した頃の社団法人北里研究所の経営を財政面で支えた薬でもある。だから、北里関係者(少なくとも薬学部関係者と旧北里研究所関係者)で、イベルメクチンを知らない者はいないと思う。

大村先生は日本細菌学会のただ一人の特別名誉会員でいらっしゃる。最近、あることで学会にご支援をいただいたので、先日はそのお礼とご挨拶を兼ねて訪問させていただいた。実は、大村先生とはそれまで何度も会合などでお会いしているのも関わらず、その時に初めてお話しをする機会を得たのである。短い時間だったが、大村先生はこの時、日本の微生物学(細菌学会かもしれない)の将来についてしきりに心配していらした様子だった。

IMG_2395.jpg


その時にいただいた、大村先生のご著書。いま思えば、サインも頂戴しておけばよかったかも。





ところで、私には、大村先生についてもう一つ思い出がある。30年近く前、博士号を取得した私はあまり深い考えもなしに、北里研究所の支所である家畜衛生研究所に就職した。就職してすぐに、家畜衛生研究所のニーズと私のやりたいことが全く合っていないことに気がついて愕然とし(就職について深く考えなかった私の方に責任があると言っていい)、転職することばかりを考えて仕事をする毎日であった。そうして1年が過ぎ、2年が過ぎようとしたある頃、白金の北里研究所(「本所」と所員は呼んでいた)に2ヶ月の出向が許された。好奇心の強い私は、出向中に所内の様々な研究室に押しかけて実験やディスカッションをして過ごしたのだが、それがきっかけで、私を本所に異動させるという話が持ち上がった。ところが、このことが本所で正式に決まる前に、間接的に家畜衛生研究所長の耳に入ることになって、異動話は本所と支所の間でこじれにこじれる事になってしまったのである。全くの誤解なのだが、「(家畜衛生研究)所長の頭越しで異動の話を進めるような奴(私のこと)はけしからん」というわけだ。
このことが当時(本所の)副所長だった大村先生の耳に入り、「そのホリグチとかいう所員の話を聞いてやるから、連れてきなさい」と、天下の大村先生が本所と支所の仲裁にはいる恰好になった。しかし、異動の話がこじれて長引いている間に、すでに私は退職して研究員で微研に移ることを決めていた。この話を内々に聞いて、ここで大村先生に仲裁いただいては微研に行けないと思った私は、面談の日程調整をされる前に即座に辞職届を出したのだった。

その時は「これが人生の分かれ目になるかもしれない」と、当時の私にすれば必死の思いで辞職したのだが、今は、大村先生に仲裁いただいて本所の所員となっていたらまた違った人生になっていたかも、、と気楽な事を考えたりしている。私が細菌学会の理事長になった時に、私の盟友である北里大学の阿部教授がそのことを少し大村先生に話してくれたらしいが、先生はあまり覚えてらっしゃらず「そんな人もいたかなぁ」と素っ気ない返事だったということだ。
当時の大村先生は、今の私と同年齢くらいだったと思う。あの頃から私にとっては「とっても偉い恐い先生」だったが、今回の受賞で「もっともっととっても偉い先生」になられた。

大村先生、この度は本当におめでとうございます。今後とも日本細菌学会をよろしくお願いいたします。


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2015年10月02日

シルバーウィーク 後編

長男一樹の結婚式。

新郎新婦の考えで、招待の来賓・参列者は少人数だ。かといって親類縁者の人数が多いわけでもないので、こぢんまりとした結婚式・披露宴になった。そしてその披露宴では、主賓の挨拶と乾杯のあと挨拶も余興もお色直しもない。ただ、新郎新婦と参列者の歓談が続くだけ。これも新郎新婦の企画である。

歓談だけで予定の二時間半がもつのかと不安だったが、まぁ、それはそれなりに恙なく会は進行し、最後は新郎の父(つまり私)と新郎の挨拶でおひらき。司会の方が気の毒に思うほどあっさりとした披露宴であったが、決して寂しい会と云うわけではなかった。しかし新郎の父としてはやはり気疲れをしたのだろうか、着慣れないモーニングを脱いだ頃には相当な疲労感がどんよりと残った。グイッとお酒を飲みたいが、街に出かけてバーに入る気力はない。ホテルの部屋でビールを飲んで、早々にベッドに入った。

翌日。鎌倉観光をしたいという親父(私の父親)のために、付添の兄貴をクルマに乗せて鎌倉に向かった。だいたい、連休のアタマにクルマで観光地に向かうなど、渋滞のキライな私からすればもってのほかの所業である。案の定、高速道路から一般道路に降りるところで渋滞に遭って、あらかじめ予約していた、父と兄が乗る鎌倉駅発の観光バスに乗り遅れた。「しゃあない。なんとかするわ」という兄貴と親父を鎌倉駅で降ろし、われわれは帰路についた。といっても連休中の鎌倉である。すんなりとクルマで脱出できるはずもない。湘南側の道路は絶対に避けるべきだ、と北鎌倉から大船経由で藤沢に出たが、やっぱり断続的な渋滞に遭って東名高速道路までたどり着くのに2時間ほどかかった。

それから休憩をいれて6時間半ほど、帰宅した時は7時半を少し過ぎていた。近くの回転寿司屋さんで夕食をとって、そのあと家でビールを飲んで(どんなときでもビールは飲むのだ)、速攻で寝た。愛車のレヴォーグくんの全車速追従機能付クルーズコントロールはこの日も快適で、今までのクルマよりも数段気楽に運転できたのだが、さすがの長距離ドライブの連続で身体が固まっていたのだろうか、寝ている間に脚を攣(つ)った。

とまぁ、そんなシルバーウィークであった

ホントはシルバーウィーク中編・後編と報告しようと思っていたが、話題の旬が過ぎちゃったので、これで終わり。、、、、明日(10月3日)は朝から岡山に向かって、日本細菌学会中国・四国支部総会に出席する。


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2015年09月27日

シルバーウィーク 前編

 9月の連休のことをシルバーウィークと呼ぶようになったのはいつ頃からなのだろうか? 5月の連休のことをゴールデンウィークと呼ぶのは、それが一般的になって久しいので違和感もないし何だかありがたみもあるが、シルバーウィークは何だかしっくりこない。「ゴールドの次はシルバーやろ」的な安易な発想が見えて、イマイチ有難みの湧いてこないネーミングだ。、、もしかして、敬老の日が含まれているのでシルバーウィーク? それもどうかと思うけれど、、。

 そのシルバーウィーク、、。土曜日に長男・一樹の結婚式&披露宴が横浜であった。ある事情があって、伊丹に住む我が家の家内と娘と私と愛犬ミューは、前日に家を出てクルマで河口湖で一泊、翌る日の結婚式当日の朝にそこから横浜に向かうことにした。河口湖にはペット同伴者に優しい宿泊施設が多い。その中でも私たちが選んだのは、1日3組だけのプチホテルで、とても静かで落ち着いたところだった。午後4時頃に到着して、夕食までのあいだテラスでぼんやりとコーヒーを飲んだ。ここのところあまりこういう時間を過ごしたことがないので、良いリフレッシュができた。

IMG_2386.jpg


テラスからレヴォーグくんを望む。プチホテル(と云うより、連棟の貸別荘のよう)は、こんな森の中にあった。



 翌朝、出発しようとしてナビをセットすると、横浜までの有料道路料金の総計が1万円以上になっている。「そんなはずはないやろ?」とは思ったが、念のために一般道路を使って御殿場まで走ることにした。一般道路は高速道路よりも時間がかかる。そのために予定していた時間より大幅に遅れて、やっとの思いでたどり着いた愛犬ミューを預けるペットホテルがまた狭い商店街の道路に面していた。狭い道路に駐車スペースを見つけてクルマを駐め、思いのほか多いクルマの通行にハラハラしながらミューの宿泊手続きを終えたが、今度はその商店街からの横道がいずれも狭すぎて、その一帯からクルマで抜け出すのにまたひと苦労した。気持ちは焦る。そんなこんなで、ホテルに到着したのは着物の着付けに約束した時間の5分前だった。

 会場は山下公園に面したホテルニューグランド。ナポリタンスパゲッティ発祥の地であり、サザンオールスターズの「Love Affair 〜秘密のデート〜」で唄われたバー「シーガーディアン」のあるホテルである。ここまで来るのにかいた汗が引くのを待ちながら、着慣れないモーニングを着て式を待つ。結婚式は午後4時から、披露宴は午後5時から始まる。(つづく)


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2015年09月17日

東大 弥生講堂

 今週火曜日15日、東京大学の弥生講堂で東大大学院・獣医学専攻の大学院生に講義をした。同大の大学院生は多い。1専攻なのに30-40人はいただろうか、、。講師は私ひとりではない。国立感染症研究所の小川道永先生、千葉大学の高屋明子先生、京都大学の中川一路先生と私との4人で、連続4コマの講義が組まれていた。

 学生の前で外部講師4人が連続で講義するというのは、学生にとってもつらいだろうが、講師の方も講義のやり方のコンテストみたいでなんだかイヤなものだ。私はその中でトリを務めさせていただいた。今回は講演形式の講義(なんかややこしいが)だったので、私のいつもの Talking class スタイルの講義は封印して真っ向から(未発表の)研究の話をしてみたが、概ね学生さん達の反応は良かった。質問は少なかったけれど、、、。まぁどこの大学でも同じようなものかもしれないけれど、、。

 弥生講堂は木造(一部鉄骨とか、、)の落ち着きのある建物である。こんなところで講義を受けることのできる学生さんは幸せだ、、、と感じるのは年取った教員側の勝手なノスタルジーで、学生さんの方は、多分、そんなことはちっとも思ってないだろう。講義が全て終了したあとは、世話人だった関崎教授が根津のかっこいい居酒屋さんに連れてくださった。いいなぁ、大学から歩いて10分ほどですてきな居酒屋さんに行けて、学生さんと楽しくお酒が飲めて、、、、東大の教員生活、、、憧れるなぁ、、、。

 この日は、その根津の居酒屋さんに後ろ髪を引かれながら、午後9時の新幹線に飛び乗って帰宅した。しかし明日から横浜に向かう。土曜日に横浜で、愚息の結婚式がある。


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2015年09月13日

自宅のリビングにて、、、

 先週初めに久しぶりに研究室に出てきたものの、教授懇談会、教授会と来客で半日を過ごして本来の仕事である研究のことは考えられずに終了。次の日はEditorial member を務めている雑誌に投稿された論文のトラブル(まさしくトラブル。このことについては改めて書きたいと思っている)を処理して、午後から「あわじフォーラム」に向かった。

 あわじフォーラムは8日から11日まで開催される。その間の運営会議や組織委員会議で、さらにお役目を頂戴してしまい(へろへろー)、適当に講演を聴いて(「あわじフォーラム」、この頃は盛り上がらんなーと確かに感じている)、適当に飲んで、、10日の昼には会場の淡路島夢舞台をあとにした。

 11日は宮崎大学である会議に出席。11時50分に宮崎空港着で17時40分には同じ空港を離れた。宮崎には何度も訪れているが、最短の滞在時間だった。12日の土曜日はさすがにヘロヘロで日中は寝込んでしまい、研究室に遊びに来た、以前の留学生ジェーンには会う事ができず。、、ジェーン、すまん。 夜は大学時代の恩師の小崎先生を囲む会に出席したものの、体力が持たず1次会で失礼した。こういう事って、あんまりないんですけどね、、。

 んで今日。朝から、研究室でどうしてもせねばならぬ仕事を終えて帰宅し、いまリビングでヨタクタとこれを書いている。明日に今日の続きの仕事を終えたら、明後日は東大で講義をする。

、、、、、ビールでも飲もっと、、。


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2015年09月05日

大分空港にて

 大分空港にいる。昨日の朝から参加していた別府で開催された日本細菌学会九州支部総会からの帰り道である。本日の午後6時55分発の飛行機で伊丹に帰る予定で、宿泊付きのパック航空券を購入したのだが、予想外にプログラム(チケット購入時にはプログラムがわからなかった)が早く終了してしまって時間を持てあましている。

 プログラム終了は正午。宮崎大学の三澤さんと昼食を取って空港行きのバスに乗ったのが午後2時過ぎ。そして空港に3時着。なぁんもやることがない。同じバスで空港に到着した、同じ研究所の飯田哲也(今回は特別講演に招かれていた)は早い便でさっさと伊丹に立ってしまった。冷たいやつである。念のためカウンターで搭乗便の変更が可能かどうかきいてみたが、やっぱりダメだった。仕方がないので、さほど大きくない空港ビルを一回りして、コーヒーを買って PC コーナーに陣取ってこれを書いている。だって何もやることがないんだもん。ぶつぶつ、、、。

ファイル 2015-09-05 16 33 56.jpg 九州支部総会は別府の山手にあるビーコンプラザというところで開催された。別府では、建物や施設の名前にやたらと「ビー」という単語がつくのだが、どうやら Bepp の B のようだ。まぁそんなことはどうでも良いが、、。総会の発表演題数は一般講演で32題。先日に参加した東北支部総会と同じである。しかし、発表内容の傾向はかなり違ったし、雰囲気も違った。行ってみないとわからないものである。こうして感じたことは、細菌学会運営の今後の方策に生かしていただこうと思っている。

 昨晩は九州大の林哲也さん、宮崎大の三澤さん、招待演者の京大ウイルス研の朝長さん、それに冷たい飯田哲也と飲んだ。林さんが「関サバと関アジが食べたい」というので、海鮮を看板にする居酒屋に入った。食べるものは大分県産のサカナ、タマゴ、ニラ、シイタケだ。どうも大分には特産品が多い。アジ・サバももちろん食べた。本当に関アジや関サバなのかどうか確認する術もないが、間違いなく美味しかった。午後11時頃に散会してホテルに戻り、シャワーを浴びて寝た。ホテルには温泉岩風呂もあったのだが、あいにく私はあまりお風呂に興味はない。翌る日、早朝入浴もできたが、それもせずさっさと会場に出向いたので、せっかく世界有数の温泉湧出量を誇る別府に滞在したのに、それを楽しむことはなかった。先日、博多に行ったのに「博多ラーメン」を食べなかったし、、。仕方ない。出張ですから、、、

 来週は、あわじしま感染症免疫フォーラムと宮崎出張がある。
 まだしばらく、出張が続く。


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2015年09月03日

福岡・博多

 福岡大学理学部化学科で、昨日・一昨日と2日間にわたって7コマの講義&講演をした。毒素シンポジウム仲間の塩井さんに依頼されてのことである。福岡というのか博多というのか、、、だいたい博多区って、区なのになんで新幹線の駅名になってるのやら、、他県人にはわからんが、、とにかく私にとって初めての訪問ではないが、ひとりで福岡市内を移動したのは初めてである。博多駅から天神までバスで行き、地下鉄七隈線で福岡大学に到着。

IMG_2382.jpg 理学部で講義や講演をするのは初めてである。私の持っているどんな話なら、理学部の学生さんに楽しく聴いていただけるのか少し迷ったが、「キミたちが『細菌学』の話を聞くのは、人生でこれが最初で最後かも知れませんぜ」と学生さんに細菌学の基本の基本から話を始め、2日間で細菌毒素の各論(と、「ホリプレ」)まで話しきった。聴講生は10名ほど。少ないがみんな極めて真面目である。私の講義は毎度おなじみ「talking class 」で、学生さんと質疑応答を繰り返しながら話が進む。質問されると、みんな真剣な眼差しでスライドの図表を見ながら頭の中で答えを探っている。こういうのを見ていると、講師としてはとても楽しい。おかげでハードワークなはずの7コマ連続講義も、楽しく過ごすことができた。学生の皆さん、ありがとー。

 初日、3コマ分のお勤めを果たしたあとの夜は、天神近くの日本酒の美味しいお店(奈良の「風の森」があった)に連れていただいた。この席には、福岡大の塩井先生や香月先生ばかりか、熊本は崇城大の上田直子教授やら九州大の中島欽一教授までが「ホリグチ、来とるらしいやんけ」とわざわざ来てくださった。上田先生、遠いとこありがとうございます、中島欽ちゃん、ごちそうさんでした。「来阪された時は、ごちそうしまっせ」と皆さんと別れ、次の日に4コマ分の講義をして夕方の新幹線に乗って帰阪した。車内で鑑賞しようと iTunes でレンタルした映画を用意していたのだが、さすがに疲れたと見えて途中で寝入ってしまい、そのまま新大阪に到着した。

 、、、そして明日から大分県は別府に出張する、、、。このパターン、今月後半まで続く予定である。


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2015年08月31日

国立国会図書館で「黒い秘密兵器」を読む

 先週週末は一泊二日で東京出張だった。初日は国立国会図書館、二日目は北里生命科学研究所と日本学術会議への用務だった。

 国立国会図書館へは、プレゼンテーションのやり方(ホリプレ)の出張講演の依頼を受けての出張であった。なんでも、国会図書館の方々、とくに「調査及び立法考査局」という部署で仕事をされている方々は国会議員に国政の課題を調査・分析してプレゼンテーションすることが業務のひとつとかで、そのプレゼンにおいてのテクニックや心構えを講演して欲しいとのことだった。へぇ、こっちはただの研究者でっせ。国会図書館の方々にお話しできるような内容なんかあるんですかいな? と躊躇したが、「どうしても」と国会図書館の業務内容やこれまでのプレゼンのスライド例のファイルまでお送りいただいたので、「それでは」とお引き受けすることにした。

IMG_2377.jpg 国会図書館。いつも通りにホリプレ講演をした(一部、国会図書館用の話題を盛り込みました)あと、普段は一般人の入ることのできない閉架書庫に案内していただいた。どうやら閉架書庫は地下8階まであるようだ、、、案内いただいたのは、雑誌専門の書架だった。「なにか見てみたい雑誌などはございますか?」と館員の方。昔の雑誌で見てみたいものと言えば、漫画雑誌だろう(皆さんそうですよね?)。そこで、しばらく考えて貸本時代の思い出がある「少年画報」と「ぼくら」が見てみたいと言ってみたが、あいにく両雑誌とも別の書棚に移ったばかりらしく見つからない。それではと、見せていただいたのは初期の少年サンデーや少年マガジンだ。両誌とも1959年創刊。私の生まれ年と同じである。漫画小僧だった私がこのふたつの雑誌を読み出したのは、多分5-6歳頃だったはずだ。そこで1965年発行のものを手にとって見せていただいたら、あら懐かしい、、。「紫電改のタカ」に「黒い秘密兵器」、「伊賀の影丸」に「オバケの Q太郎」。

 「紫電改のタカ」では主人公・滝城太郎の宿敵モスキトンが亡くなる場面だった。「黒い秘密兵器」では椿林太郎が秘球を編み出すためにロケットに野球ボールを投げつけるているし、「伊賀の影丸」では主人公の影丸が宿敵の阿魔野邪鬼(Wikipedia による。私の記憶では天野邪鬼だったんだけど、、、)と対決していた。
 思わず「うひゃぁ、どひゃあ」と興奮して、案内してくださった館員の方に解説したが、、まぁ、迷惑やったでしょうねぇ、、館員の方々は苦笑いするばかりだった。

IMG_2378.jpg この日は、夕方に宿泊するホテルのある清澄白河に行き、近くの飲み屋で夜から群馬大の富田先生と東大医科研のミムミムとで飲んだ。ちょっと微妙に珍しい組み合わせだったが楽しく飲んで、清澄白河・森下界隈が真っ暗になる時分まで飲んだ。

 次の日の午前中は白金の北里大学で、エバメクチンの発見者である大村智先生と少々お話しをさせていただいた。午後は日本学術会議へ、、。夕方には新幹線に乗り、夕食は駅弁で済ました。「湘南シラス弁当」。大変美味しゅうございました。

、、、、んで、明日からは福岡出張であります。


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posted by Yas at 20:21| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月26日

「なかやパーティー」再び

 あわじしま感染症・免疫フォーラム(AIFII)にご参加の皆様へ。

 今年も「なかやパーティー」を開催します。9月9日、午後7時くらいから、、。場所はもちろん「なかや」さんです。予算は5,000円。今年は、少し小規模で20名程度の参加人数を考えております。

 どなた様も奮ってご参加ください。研究分野、年齢、ポスト、国籍、全く問いません。ご参加希望の方は、ホリグチまでメールか、あるいはこのブログのコメント欄から申し込みください。あるいはどなたか知り合いを通じて連絡いただいても構いません。

 それではみなさま、楽しみにお待ちしております。



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posted by Yas at 12:06| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月25日

細菌学会東北支部総会

 日本細菌学会の東北支部総会に出席した。関西支部所属の私が東北支部総会に出席したのには、もちろん理由がある。日本細菌学会は財務状況が芳しくない。何かのプロジェクトが足を引っ張ったとかいう個別の問題ではなく、財務状況のよかった昔の状況を引きずって構造的に支出が多い組織になってしまっているからだ。本年から理事長を仰せつかった私の使命は、とりあえず学会の支出規模を縮小させることである。そのための方策のひとつに、全国で7つある学会支部との予算上の関係の見直しがある。しかし、各支部の活動も知らずに、一方的に学会本部の都合のよいように組織改編はできない。そう考えて、今年は理事長として各支部の総会に参加することにしたわけである。東北支部総会はその最初の総会である。

 会場は福島県郡山駅前のビッグ・アイという市民ホールである。実は私は、福島県には初めて滞在する。空港バスを降りてすぐに気がついたのだが、道行く人は、やはり福島弁を話している。私にとって、福島出身と言えば北里大学生命科学研究所の盟友阿部章夫教授である。この人は福島を離れて長いのにもかかわらず、いまでも福島弁を喋る。おかげで福島弁=阿部 という図式が私にはすっかりすり込まれてしまっている。だからここでは、行き交う人(福島弁を話す人)すべてが阿部先生に見えた。コーヒーショップの店員さんも、ラーメン屋のおばさんも、市民ホールの受付の人も、、、小さな子供までが福島弁を喋る。おかげで、どこに行っても阿部先生に囲まれているかのような居心地の悪い(「良い」とも言えるかも知れん)気分になった。もちろん、行き交う福島人に罪はない。

 さて東北支部総会である。この支部会では、本部が「細菌学会」であるにもかかわらず、細菌学者に加えてウイルス学、免疫学、あるいは腫瘍学に関わる先生方もたくさん参加されていた。聞いてみると、東北大・細菌学講座教授であり、総長でいらした故石田名香雄先生の影響が大きいとのことだ。石田先生はセンダイウイルスの発見者として有名なだけではなく、細菌学、腫瘍学、免疫学にも精通され、それぞれで業績を残されている。その石田先生に直接あるいは間接的に薫陶を受けた先生方が集まってくるのが東北支部総会ということだ。それならば様々な先生方が参加されるというのもうなずける。また、本部の細菌学会員ではなく、東北支部だけの支部会員の数が全会員の4割にも及ぶという。2日間の開催で、演題数は30を切ることはないということだ。、、、支部総会の世話人の回し持ちで、漫然と総会を開催しているどこぞの支部会に聞かせてやりたいような活動ぶりであった。まぁそういう話は、別の機会にするが、、。

 福島の滞在は2日間。会場前のホテルに宿泊したので、100メートルも離れていない郡山駅前の範囲をウロウロするだけの2日間だったが、初日の夜と2日目の学会終了後にラーメンを食べた。とくに2日目は福島で有名らしい「郡山ブラック」という独特のラーメンを食した。中身は濃口醤油ラーメンであった。

IMG_2374.jpg 円谷英二さんの故郷、須賀川に近い福島空港はウルトラマンのてんこ盛りである。玄関横にはビートル号、建物のフロアには円谷プロ自慢の怪獣達の像がそこかしこに鎮座している。建物に入る自動ドアには科学特捜隊の基地のような装飾が施してある。

IMG_0070.jpg
 福島-伊丹間の航空便は便数が少なく、飛行機も小さい。けれど、小さい飛行機はあまり高くを飛ぶわけではないようで、富士山をはじめ浜名湖や伊勢湾が近くによく見えた。

 来週の週末は九州支部総会がある。大分県は別府での開催だ。、、、別府には何度か行ったことがあるが、、、、もちろん九州支部総会に参加するのは初めてだ。、、それと、その前に東京出張がある。


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posted by Yas at 18:52| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月21日

夏休み2015

 先週末(8月15日)から19日まで夏休みをいただいた。私にしては珍しくアクティブな休暇だった。

 15日は朝からホームセンターに行って、簡易セメントとプラスチックのヘラを買い、ずっと前から割れて剥がれていたガレージ前のタイルの補修をした。こういう事には疎いのだが、ネットで手順を調べて、ホームセンターの店員さんに相談して、、自宅の施工業者からもらっていたタイルを12枚ほど貼り替えた。目地ゴテを用意しなかったのでタイルの隙間からセメントが溢れて、あまり綺麗には出来なかったが、まぁよかろ。この部分はクルマのタイヤに踏まれるところ(だからタイルが割れた)なので、体裁よりも頑丈に作ることの方が大切だ。ということで勝手に納得した。
 この日の午後は夕方から TOHO シネマズ伊丹で、話題の「ジュラシック・ワールド」を観た。娘に合わせて、3D の日本語吹き替え版である。 登場人物にイライラさせられて、恐竜にドキドキさせられるのはシリーズ前作と変わりがないが、本業の声優ではない俳優のアテレコが拙かったのと、無駄(に思える)3D が気になった。ナマの英語セリフと2D の映像を見ながら脳内3D 変換した方がストーリーに入り込めるかも、、と何度も思いながら観てしまったので、私としてはいまひとつ。

DSC01777.jpg 16日は完全休養。17日はイオンモール伊丹昆陽でオーダーメイド枕の調整と買い物。18-19日は広島に一泊ドライブした。片道380km ほどの高速道路のドライブだ。 目的地は三段峡と厳島神社。三段峡には、関西で言うなら赤目四十八滝のような峡谷ハイキングコースがある。ハイキングコースの全長を歩こうとすると、1日がかりの行程になってしまうので、片道50分の人気の黒淵コースを辿ることにした。このコースにはつづら折りの坂道を迂回する渡し舟がある。その舟から眺める渓谷はなかなかの壮観である。ハイキングコースは森の中を抜けるので暑くはないが、湿度が高いのでかなり汗をかいた。

DSC01786.jpg 19日は宮島へ。娘と私は二度目だが、家内は初めての厳島神社参拝である。盆明けの平日にもかかわらず観光客で一杯だった。とくに外国人が多く目についた。さすが世界文化遺産である。社内を歩いていると、ちょうど満潮時で神社回廊下に流れ込んだ満ち潮のなかを、大きなタイが泳ぐのを発見した。、、、さすが世界文化遺産、、。参道沿いの「いな忠」さんであなご飯弁当、「牡蠣屋」さんで牡蠣飯弁当を買い求め、帰路の宮島サービスエリアで食す。どちらの弁当も作りたてを渡してくれたので温かくて美味しかった。これで今回の広島ドライブの目的を全て達成できた。

 新しい愛車のレヴォーグ君は快調である。おかげで、今回の往復800km ほどのドライブをほとんど疲れ知らずで済ませることができた。「全車速追従機能付クルーズコントロール」は大変便利である。ただ、車速設定を高速にしすぎると、たくさんのクルマが走るなか、アクセルを踏んでいないのに高速で自車が走行するので、ちょっと心配になる。これも慣れの問題かも知れんけれど。

 ということで、私としては珍しく長い休暇をいただいたのだが、その間もひっきりなしに iPhone に仕事メール(そのうちのいくつかはとっても面倒な用件のもの)が飛んできて、実はあんまり心は休まらなかった。一斉休暇をはずして休暇を取ると、そのあいだ他の皆さんは仕事をしているので当然と言えば当然だが、、、おかげで、昨日(20日)はそのメールの処理に夕方までかかってしまった。恨むべきは仕事を断れない自分自身である、、。

 んで、いま、細菌学会関係の用務で福島県郡山市にいる。これからしばらく、毎週どこかに出張する予定が入っているので、気が向いて時間があればその都度報告しようかなとか、、思っている。 


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posted by Yas at 21:33| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月13日

佐藤勇治先生・博子先生

 先週の8月6日、無菌体百日咳ワクチンを開発された佐藤勇治・博子先生ご夫妻が研究室を訪問してくださった。佐藤ご夫妻と懇意にされている目加田先生と松浦先生の発案で、「ボルデテラ今昔懇話会」と銘打って当研究室の仕事をネタに、百日咳研究にまつわる四方山話をしていただくことになっていたのだ。

 百日咳ワクチンは1950年代に全菌体を成分として実用化され、そのおかげで百日咳患者は世界的に激減した。しかし、免疫付与能の高い製品ほど副作用も強いといわれ、実際に副作用による事故が社会問題となっていた。日本では副作用が原因でしばらくワクチン接種が見合わされ、その後に百日咳の爆発的な再流行を経験している。佐藤ご夫妻はこの問題を解決する副作用のほとんどない無菌体の成分ワクチンを開発された。このワクチンは1981年に世界に先駆けて我が国で実用化され、再び百日咳を激減させた。やがてこの無菌体ワクチンは世界的に普及した。今ではこのワクチンを「佐藤ワクチン」と呼ぶ国もあるほどで、佐藤夫妻は「微生物の狩人」として、例えば国内では北里柴三郎先生や志賀潔先生と並び称されてもおかしくない業績を挙げられたのである。

 私が論文の上で佐藤先生ご夫妻のことを知ったのは1986-7年。たしか博士課程の最終年次の頃だった。実際に初めてお会いしたのは、おそらく次の年。私が北里研究所附属家畜衛生研究所に研究員として勤務を始めた年だった。このとき、私の所属した部署が佐藤先生にあるサンプルの抗原解析をお願いしたのだが、お送りしたサンプルに手違いがあって先生にご迷惑をお掛けした。そのことでまず博子先生から電話でお叱りを受け、そしてそのお詫びと説明に、なぜか新米研究員の私が、当時の国立予防衛生研究所(現国立感染症研究所)の佐藤先生の研究室につかわされたのだった。いま思えば、そのときの責任者が自ら出向くのを嫌がったのだろう。その時、ひとしきりお詫びする私に向かって、憤懣やるかたない勇治先生は「キミのようなものが来て何ができるっ!? なぜ一人前の者を寄越して来んのかっ」と激しい口調で言い放たれた。それは当然のことだったのだが、私には勇治先生がとりつく島もない厳しい人に見えた。

 その翌年。青森の大鰐温泉で開催された毒素シンポジウムで、再び佐藤先生にお会いした。このとき佐藤先生は、その前年にお会いした時とはうって変わって「堀口さん、、こちらに来てご一緒しませんか?」と優しく昼食に誘ってくださった。そして、前もって配付されるシンポジウムの抄録集を開いて「DNT の精製の抄録を読んだ(当時の毒素シンポでは、図表や引用文献の挿入された詳しい抄録が配付された)けれど、何十年も誰も精製できなかったこの毒素をよく精製できたね」と言ってくださった。「キミのような者」から「堀口さん」に扱いが変わったのに面食らい、さらに DNT の精製の仕事をお褒めいただいて今度は感激した。これをみて佐藤先生のことを、態度の豹変する気むずかしい人物とかんがえるのは間違いだ。そうではなく、この先生は仕事だけを見てらっしゃるのである。この時も、私ではなく私のした仕事をお褒めくださったのだ。だから私などは「キミのような者」でも「堀口さん」でもどちらでもよいのである。研究者として誠に真っ直ぐな方である。私はそう感じた。

 国立予防衛生研究所を定年退職されたあと、私は勇治先生とも博子先生とも一度ずつ学会などでお会いした。それからおそらく10年以上の月日が経っていたと思う。この日お会いした佐藤先生ご夫妻は終始柔やかで、当研究室のメンバーの拙い発表を楽しそうに聴いてくださり(ラボのボスとしては冷や汗ものであった)、また率直にご意見をくださった。

 現在、百日咳感染は世界的に増加傾向にある。それは無菌体百日咳ワクチン接種の普及した国においても同様で、このことは無菌体ワクチンの見直しや改良といった問題提起を生んでいる。そのことに話が及ぶと、佐藤ご夫妻は現役の研究者の目になって、開発当初から無菌体ワクチンには改良が必要であることを予見していたことや、百日咳ワクチン開発の現況について色々とお話をしてくださった。私にとっては大変収穫のある懇話会であった。

F0000043.jpeg 最後に、佐藤先生ご夫妻と、懇話会発案者の目加田所長と松浦副所長、それから研究室のメンバーで一緒に集合写真を撮った。もし将来に、当研究室から百日咳ワクチンに関わる重要な仕事が出たら、これは記念碑的な集合写真になるだろうと思ったが、、、そんな日が来るのやらどうやら、、。それはきっと私の定年までわからない。


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posted by Yas at 19:12| Comment(0) | 私的先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月01日

夏目漱石のブログ

 夏目漱石の「硝子戸の中」という小品を読んだ。

 ある日、ぼんやりと「なんかええことないかいな」とネットで青空文庫を検索していて見つけた。小説ではない。日々、漱石の自宅を中心に身の回りで起こる事どもをあれやこれやと書いている、いわゆる随筆である。この作品の最初の項で、漱石は「私の書くような閑散な文字を列べて(新聞の)紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える」と書いている。作品のボリュームから考えて、本当に新聞紙面をある短い期間だけ埋めるために依頼されたものなのかもしれない。

 漱石特有の軽妙だが深みのある文章で綴られた「日々の出来事」が、漱石の人となりを透かして見せる。そんな作品である。「ある意味からして、だいぶ有名になった」猫の話が出てくるので「吾輩は猫である」以後に書かれたもののようだ*。世間で評判の話題を取り上げるでもなく、自らの経験に深い洞察を与えるでもなく、ただひたすら「犬も歩けば棒に当たる」ような在り来たりの話が繰り広げられている。

 これは、漱石のブログやな。ぼんやりと読みながらそう思った。意味深なメッセージが隠されたような、漱石のその他の作品とは全く違う、脱力感の漂うブログ。このブログは、あらかじめ用意されていたかのような、それまでの項をまとめるようなわざとらしい文章で三十九回目に突然終了する。「漱石の作品にもこういうものがあったんや」とちょっと驚いたのでここに書いた。

 ところで、話が全く変わるが、イエスのクリス・スクワイアが6月に亡くなったのを偶然知った。1970-80年代のロック好きなら彼の事をご存知だと思うが、私の好きなベーシストであった。謹んでご冥福をお祈りします。

*:あれっと思って調べたらやっぱり「吾輩は猫である」は漱石の処女作だ。だから「硝子戸の中」がそのあとに書かれたのは当然だった。


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posted by Yas at 14:08| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする