2016年12月26日

吉田拓郎

 先日 NHK で放映された 「SONGS スペシャル 吉田拓郎」を録画で見た。予想していたよりもずっと良かった。

 吉田拓郎さんも70歳になったらしい。拓郎さんは「50歳を過ぎたあたりから保守的に、、内向きになった」と言い、「70歳になって、『エナジーが足りない』と感じるようになった」と言う。どちらも、57歳のいまの私が感じていることだ。

IMG_2706.jpg

 私の吉田拓郎アルバムベスト3は「LIVE '73」「今はまだ人生を語らず」と写真の「TOUR 1979」である。前の二つはデジタル版が出回っているが、「TOUR 1979」だけは iTunes でも Amazon Music でも見あたらない。とっても残念である。 





 ブログの更新をご無沙汰している間に、義姉が急逝し、同い年の友人も癌で逝った。否応なしに自分の年齢を考えてしまい「エナジーが足りない」と確かによく感じる様になったし、忙しくて疲れているということにして休日は朝から晩までソファで寝そべっている。そんなこんなで「内向きになってるかな」と感じているのも確かだ。それと、今年に入ってから自分の定年退職までの9年間を逆算して考えるようになって、モノの見方が随分と変わった。すなわち「この仕事をするのに何年かかるので、それからなら定年まであと何年」、「これを済ましておかないと定年間近になって困ることになる」云々、、、それでまだまだ時間に余裕のある(本当は自分だって余裕があるはずなのだが)若い人を頼りにすることを考えたりしている。

 吉田拓郎さんの名曲に「人生を語らず」というのがある。それを受けて「70歳になられた今は、人生を語ることができるのでしょうか?」とインタビュアーの桑子真帆さんに尋ねられて、「そうだねぇ、70年生きてきて太い時も細い時も、色々経験してきたからねぇ、今なら何か語れると思うねぇ」と拓郎さんは応える。それを観て、そうだねぇ、いま少ししんどいのは、これは細い時やからやろねぇ、、と自問自答する。「『エナジーが足りない』のは唄ってないからじゃないかなと思った。だからコンサートを再開してみた」とも拓郎さんは言う。番組内で放映されたそのコンサートでは、エネルギッシュ(エナジッシュ?)に唄う拓郎さんがいた。それを観て、忙しいとかしんどいとかゴチャゴチャ言うてる場合ちゃうな、、と反省した。

 忙しくてふさぎ込んでいるのは、自分の能力に見合わない仕事をたくさん引き受けてしまうからだ。それはわかっていたのだがここ何年も上手く調整できずにいた。しかし今年の後半から真面目に外部から依頼される仕事を大方整理して、あとは来年いっぱいで終わる「あれ」くらいを残すところまで来た。そろそろ「エナジーの足りない細い時」を脱け出さないと恥ずかしい。なにより、拓郎さんの名曲「落陽」の意味がわからんとかいう若い人たちなんぞにまだまだ頼るわけにはいかん、、。

 録画で観た吉田拓郎さんに、勝手に元気づけられたクリスマスである。


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2016年05月26日

関水先生とカイコ

 先日、研究所で主催するアドバンストセミナーの演者として、帝京大学医真菌研究センターの関水和久先生をお招きした。関水先生は昨年度まで東京大学大学院薬学系研究科で教授を務められ、今春から現在の職に就かれている。

 先生は生命科学分野の伝説的偉人である、DNA ポリメラーゼ研究で有名なアーサー・コーンバーグのもとに留学された経験をお持ちだ。ご自身も「かつては DNAの複製の研究をしていた」とおっしゃるが、今はカイコを実験動物に用いて、細菌感染の解析のみならず様々な分野でのカイコの応用を試みられている。カイコは代表的な病原細菌に感受性で、外来分子に対する代謝応答もあるし基本的なサイトカイン反応性も持っている。さらには糖尿病カイコを作ることだってできるしインシュリンで治療もできる。そのうえ、実験動物としては廉価で大量飼育も可能だ。これを抗菌剤や新規有用化合物のスクリーニングに使わない手はないというのが関水先生の持論である。これほど多彩なカイコ利用の技術開発を進められているのは世界的に見ても関水先生をおいて他にない。

 カイコといえば、幼い頃、私の住んでいた鶴橋・玉造界隈にはカイコと桑の葉を売るプラモデル屋さんがあって、毎年初夏になるとそれを買ってきては家で飼育していたものだ、。何が楽しかったのかよく分からないが、繭を作らせて蛾になるまで成長させて卵を産ませていた。ただし、卵から生まれた子虫はどうしても大きく育てることはできなかった。その話をすると関水先生は嬉しそうに「ホリグチさん、カイコのこと知ってますね」と笑ってくださった。聞くと、関水先生も子供の頃にやっぱりキリギリスやアゲハチョウを熱心に飼育されていたらしい。根っからの昆虫好きである。

 関水先生はこれまでに、カイコを使ってブドウ球菌の転写制御系の解析、有用乳酸菌の分離、新規抗菌剤の発見までされている。さらには、カイコの冬虫夏草を作って売り出そうとか、抗がん剤の開発をしたいけれどカイコが癌にならんとか、痴呆症の研究をしたいけど、痴呆症のカイコと正常なカイコの区別がつかんとか、カイコを中心にどんどん話が広がっていく。

「カイコが痴呆症になったら、やっぱり徘徊するんですかね?」
「いやー、あいつら普段から徘徊してるからねー」

 研究者同士の会話の醍醐味は、研究をネタにした馬鹿話にある(キッパリ)。関水先生はお酒を一滴もお飲みにならない(「普段からやさぐれて酔っ払ってるみたいだけど」、、とはご本人のお話である)ので、失礼ながら(失礼でもないかもしれない)私よりも何年も先輩の関水先生とこんな研究馬鹿話ができるなどとは夢にも思わなかった。おかげで、この日は先生と楽しい夕食の時間を過ごすことができた。

 関水先生は現細菌学会の会計担当理事でもいらっしゃる。先生、今後とも理事会運営でも研究でも色々とお世話になると思いますが、、よろしくお願いいたします。


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2015年08月13日

佐藤勇治先生・博子先生

 先週の8月6日、無菌体百日咳ワクチンを開発された佐藤勇治・博子先生ご夫妻が研究室を訪問してくださった。佐藤ご夫妻と懇意にされている目加田先生と松浦先生の発案で、「ボルデテラ今昔懇話会」と銘打って当研究室の仕事をネタに、百日咳研究にまつわる四方山話をしていただくことになっていたのだ。

 百日咳ワクチンは1950年代に全菌体を成分として実用化され、そのおかげで百日咳患者は世界的に激減した。しかし、免疫付与能の高い製品ほど副作用も強いといわれ、実際に副作用による事故が社会問題となっていた。日本では副作用が原因でしばらくワクチン接種が見合わされ、その後に百日咳の爆発的な再流行を経験している。佐藤ご夫妻はこの問題を解決する副作用のほとんどない無菌体の成分ワクチンを開発された。このワクチンは1981年に世界に先駆けて我が国で実用化され、再び百日咳を激減させた。やがてこの無菌体ワクチンは世界的に普及した。今ではこのワクチンを「佐藤ワクチン」と呼ぶ国もあるほどで、佐藤夫妻は「微生物の狩人」として、例えば国内では北里柴三郎先生や志賀潔先生と並び称されてもおかしくない業績を挙げられたのである。

 私が論文の上で佐藤先生ご夫妻のことを知ったのは1986-7年。たしか博士課程の最終年次の頃だった。実際に初めてお会いしたのは、おそらく次の年。私が北里研究所附属家畜衛生研究所に研究員として勤務を始めた年だった。このとき、私の所属した部署が佐藤先生にあるサンプルの抗原解析をお願いしたのだが、お送りしたサンプルに手違いがあって先生にご迷惑をお掛けした。そのことでまず博子先生から電話でお叱りを受け、そしてそのお詫びと説明に、なぜか新米研究員の私が、当時の国立予防衛生研究所(現国立感染症研究所)の佐藤先生の研究室につかわされたのだった。いま思えば、そのときの責任者が自ら出向くのを嫌がったのだろう。その時、ひとしきりお詫びする私に向かって、憤懣やるかたない勇治先生は「キミのようなものが来て何ができるっ!? なぜ一人前の者を寄越して来んのかっ」と激しい口調で言い放たれた。それは当然のことだったのだが、私には勇治先生がとりつく島もない厳しい人に見えた。

 その翌年。青森の大鰐温泉で開催された毒素シンポジウムで、再び佐藤先生にお会いした。このとき佐藤先生は、その前年にお会いした時とはうって変わって「堀口さん、、こちらに来てご一緒しませんか?」と優しく昼食に誘ってくださった。そして、前もって配付されるシンポジウムの抄録集を開いて「DNT の精製の抄録を読んだ(当時の毒素シンポでは、図表や引用文献の挿入された詳しい抄録が配付された)けれど、何十年も誰も精製できなかったこの毒素をよく精製できたね」と言ってくださった。「キミのような者」から「堀口さん」に扱いが変わったのに面食らい、さらに DNT の精製の仕事をお褒めいただいて今度は感激した。これをみて佐藤先生のことを、態度の豹変する気むずかしい人物とかんがえるのは間違いだ。そうではなく、この先生は仕事だけを見てらっしゃるのである。この時も、私ではなく私のした仕事をお褒めくださったのだ。だから私などは「キミのような者」でも「堀口さん」でもどちらでもよいのである。研究者として誠に真っ直ぐな方である。私はそう感じた。

 国立予防衛生研究所を定年退職されたあと、私は勇治先生とも博子先生とも一度ずつ学会などでお会いした。それからおそらく10年以上の月日が経っていたと思う。この日お会いした佐藤先生ご夫妻は終始柔やかで、当研究室のメンバーの拙い発表を楽しそうに聴いてくださり(ラボのボスとしては冷や汗ものであった)、また率直にご意見をくださった。

 現在、百日咳感染は世界的に増加傾向にある。それは無菌体百日咳ワクチン接種の普及した国においても同様で、このことは無菌体ワクチンの見直しや改良といった問題提起を生んでいる。そのことに話が及ぶと、佐藤ご夫妻は現役の研究者の目になって、開発当初から無菌体ワクチンには改良が必要であることを予見していたことや、百日咳ワクチン開発の現況について色々とお話をしてくださった。私にとっては大変収穫のある懇話会であった。

F0000043.jpeg 最後に、佐藤先生ご夫妻と、懇話会発案者の目加田所長と松浦副所長、それから研究室のメンバーで一緒に集合写真を撮った。もし将来に、当研究室から百日咳ワクチンに関わる重要な仕事が出たら、これは記念碑的な集合写真になるだろうと思ったが、、、そんな日が来るのやらどうやら、、。それはきっと私の定年までわからない。


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2015年05月27日

あるベテラン秘書さんを偲ぶ会

 先日の日曜日(5月24日)。リーガロイヤルホテルにおいて菊谷研の秘書さんだったKKさんを偲ぶ会がしめやかに執り行われた。彼女は昨年の9月22日に、病気療養のかいなく亡くなられた。ちょうど、微研と東大医科研が主催する「第13回あわじ免疫・感染症学フォーラム」が開催される前日だった。彼女は微研・菊谷研究室の秘書として、このフォーラムの運営には深く関わってこられた。その開催時期に亡くなられたのは不思議な縁、と言っていいのかもしれない。

 KKさんは山村雄一先生、岸本忠三先生、菊谷仁先生のもとで秘書として仕事をされた方である。山村先生と岸本先生はそれぞれ11代総長と14代総長を務められ、菊谷先生も微研所長を務められている。いずれの先生も(あえて云うのも恥ずかしいが)著名で、輝かしい業績と経歴をお持ちである。こうした先生方が口を揃えて「彼女なしでは何もできなかった」とおっしゃるほど、研究室の裏方として素晴らしい仕事をされた。これは万人が認めるところだろうと思う。

 私は、菊谷先生が微研に移ってこられて暫く後に開催された微研の何かのパーティーで、木下タロウ先生夫人(はっちゃん)に紹介していただいて、初めて彼女を知った。その時はなぜ秘書さんをわざわざ紹介してくれたのか、よくわからなかったのだが、そのあと、私の研究室のすぐ上階にあった菊谷研に私が頻繁に出入りするようになってその意味がわかった。それほどこの人は菊谷研にとって(あるいは微研にとって)大切な人物だったのである。

 私が微研初のテニュアトラックであったプロジェクト助教授に就任したとき、「キクタニからお祝いしてもらうわ」と、(菊谷先生にお伺いを立てる前にさっさと)KKさんは私のために事務什器をあれよあれよという間に業者に注文してくれた。キクタニならそうするはずだ、という彼女の判断だったようだ。菊谷先生とKKさんとの信頼関係を示す出来事だった。
 上述の「あわじ免疫・感染症学フォーラム」の第1回は菊谷先生が担当された。教授になったばかりの私は(なぜか)まるで菊谷研の番頭さんのように、KKさんと相談しながらフォーラム運営の事務処理をして、その時にたくさんのことを彼女に教えていただいた。あるとき、フォーラム後に宿泊するホテルが取れずに困っていた外国人演者のために、「満室です」と予約をことわる一流ホテルに「大阪大学総長岸本忠三のゲストなんですけど、お宅では賓客のために部屋をリザーブしているんじゃないんですか?」と食い下がり、みごと一部屋を勝ち取った。彼女の実力を垣間見た瞬間だった。(まぁ、こんな事は彼女にとっては何でもないことだったと思うけれど)

 偲ぶ会は、岸本忠三先生や谷口維紹先生をはじめ大阪大学旧細胞工学センターや医学部第三内科の関係者のお歴々など100名以上が参列した。事務職員である秘書さんを偲ぶ会としては異例の規模である。いやそもそも、秘書さんを偲ぶ会が大学関係者主催で開かれることが今まであったのかどうか、これからあるのかどうか、、。このことを考えても、このKKさんがどれほど優秀な秘書であったか想像できる。

 岸本先生は「ワシが死んだら、偲ぶ会を仕切ってくれ」とKKさんに頼まれていたそうだ。なのに、KKさんの偲ぶ会の発起人に自分がなるとは思わなかった、と嘆かれていた。本当に、早すぎるお別れである。

 KKさん、今までありがとうございました。
 あらためて安らかにお眠りください。


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2014年11月18日

野本明男先生

 東京大学名誉教授の野本明男先生が亡くなられた。野本先生には、科研費特定領域研究「感染マトリックス」で大変お世話になった。「感染マトリックス」は、当時の特定領域研究班としては多くの研究者を抱える格別に大きい研究班だった。その中には、野本先生と同じウイルス学者、細菌学者、免疫学者、寄生虫学者がいた。ウイルスや細菌や寄生虫を縦糸に、それぞれの感染のなかで見られる共通の現象を横糸にして、感染症研究者の有機的なネットワークを構成する(なんか、研究費の申請書みたいになってきた)というのが本研究領域の目的だった。野本先生はその領域代表者だったのである。野本先生のことは、これまでに何度かこのブログでも取り上げさせていただいた(こことかここを見てください)。

 私はこの特定領域で細菌毒素班のまとめ役を仰せつかっていた。感染現象を研究テーマに標榜するこの研究領域にあって、生きた寄生体を対象にしない細菌毒素という計画研究斑は、異質だった。「細菌毒素はねぇ、文科省に行っても説明が難しいんだよぉ」と野本先生はニコニコしながら私によく仰っていた。きっと、野本先生にはご苦労をおかけしたに違いない。

 特定領域研究は5年間の研究期間がある。研究班が始まったころは、「堀口さん」と呼んでいただいていたのが、2ー3年経つと「堀口っ」に変わった。さらに、お酒がお好きで、酔うと「お前はなぁ」と肩を叩かれたりした。酒飲み同士のよしみからか可愛がっていただいたように思う。「清濁併せ呑む」とは、野本先生のお人柄を表す時によく耳にした言葉だが、いろんな意味で大先生であった。

 私が長年参加していた霞ヶ関の会議でも、野本先生は座長を務められていた。手術入院から復帰されて会議に出てこられた先生に「復帰おめでとうございます」と無邪気に声をかけると、「いや、あんまりめでたくないんだよ」と遠慮がちに言われた。このとき、何もかもわかっていたわけではもちろんないが、迂闊に「おめでとうございます」という言葉を選んだことを後悔した。そしてこれが、先生と私との最後の会話になった。あの時、どんな言葉をおかけすればよかったのか、今までなんども考えたが、ついにお話しする機会を再び得ることはできなかった。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。


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2014年06月24日

シモザワ君

先日、千里中央で開かれたある会合に参加した。会合といっても、衛生行政関係の仕事に携わる大阪府立大学獣医学科の同窓生の少人数の集まりである。私は衛生行政に関わっているわけではないが、この会合(つまり飲み会)には時々誘っていただいている。
IMG_2136.JPG左隅のクスノキ君から、テーブルをぐるっとセト(マスモト)さん、ナカタニ君、ツムラ君、オガサワラ君、アサオ先生、シモザワ君。関係業界の方々には、あぁそぅ、こういうメンバーですかとお分かりいただけるような面々である。まぁ私なりにそれぞれの方々のキャラを興味深く思っているので、いずれ機会があるときに別々に取り上げさせていただきたいなと思っているが、今回はこの中にあって、私と同じで衛生行政に関わっていないがこの会合に参加していたシモザワ君のことを書きたい。

シモザワ君は、現在、中央競馬会に勤めている。学生時代、彼と私は同じ「獣医公衆衛生学教室」で学部3年生から修士課程の間を過ごした。、、、私の方は学部3年から4年の途中まではクラブ活動を優先していたので、ほぼユーレイ学生だったのだけれど、、とにかく同じ研究室にいた。三国丘高校の野球部出身。確か大学在籍中に、彼の後輩たちは甲子園に出場している。そのこととあまり関係はないが、当時、学生が集ってよくやっていた草野球の試合で彼と私はバッテリーを組んでいた。彼が投手で、私が捕手だった。かと言って、格別に親しくつきあっていたわけではなかったが、実は私は彼に強烈な影響を受けている。

当時の私は、周囲に対する薄ぼんやりとした身勝手な不満だか不安だかが心中にあって、世を拗ねたような不真面目な学生であった。大学の職員先生方とも他の学生とも、木で鼻をくくったような付き合い方をしていた。真面目に講義に出て勉強するようなクラスメートを半ば馬鹿にしていたようなところもあった。知り合った当初、私にとってはシモザワ君もその類のクラスメートだった。もし同じ研究室に配属されていなかったら、その印象のままで終わっていただろう。それに、私の人生も少し変わったものになっていたかもしれない。

真面目なシモザワ君は、しかし決して暗いわけではなく(真面目=暗い、と考えた当時の私のメンタリティーにそもそも問題があるが、、)、ユーモアのセンスもあるし、話もうまい。当時、彼は馬術部に在籍していた。獣医学科でかつ馬術部に所属して活動するのは、実に真っ当である。彼の場合はそのあとさらに、中央競馬会に就職した。、、、実に真っ当な人生である。、、んで彼は極めて真面目だった。真面目に実験をやり、真面目に当時の指導教員の不手際に怒り、真面目に研究室内のあらゆる立場の人達とコミュニケーションをとった。そして確実に、様々な面でなにがしかの成果を得ていた。同じ研究室に配属されると、例えプロジェクトが違ってもお互いのパフォーマンスはそれとなくわかってしまう。その辺りは、講義を受けるためにただ同じ教室に座っているだけの時とはずいぶんと違う。真面目に事に当たり、確実に目標を達成するシモザワ君の姿は、研究室内の私を含めた他の学生の中でも傑出していた。そんな彼を見て私は初めて「真面目にやる」ことの価値に気がついた(えらい遅い”気づき”ですいません)。それから彼を真似て、私も何事についてもとりあえず真面目に当たることにしたのである。そうして30年以上経った。私の日頃のいいかげんな言動に比べて「仕事ぶりはえらい真面目やがな、、」と私に感想を漏らした人がこれまでに何人かいるが、そうだとすればそれはこのシモザワ君の影響によるところが大きいのである。決して私の性格ではない。研究者として論文を書いて、ある程度の成果を上げてこられたのも、彼から習った姿勢に支えられた部分は大きいと思っている。

IMG_2137.JPGこの日は、会合の後も二人でさらに飲んだ。もしかすると二人で飲むのはこの時が初めてだったかもしれない。二時間ほど飲んで、タクシーで帰ることにした。彼は仁川に住んでいて(単身赴任である)、私は伊丹なので同じ方向だ。車内でしばらくすると、また気軽に連絡をとるためにLINE で友達登録をしたいと彼が言い出した。あぁ LINE ならオレもやってるよと応えると、彼は「ふるふる」という友達の登録方法を教えてくれた。近くにいる友達がそれぞれの携帯端末を振るとお互いを登録できるという仕組みらしい。そこで、二人でスマホを同時に振ってみたが繋がらない。なんかおかしいな? でもまぁいいやと振るのをやめようとする私に、彼は「なにやめてるんや、設定を変えてもう一回振ってみるんや」と何度も何度も「ふるふる」を繰り返す。最後は、すっかり飽きた私に「ふるふる」を強要までした。おかげで、道順を気にする運転手さんを無視して、伊丹に到着するまでオッサン二人が車内で一生懸命スマホを「ふるふる」し続ける羽目になった。登録を何度失敗しても、シモザワ君は決して諦めない。

50歳半ばを過ぎても、シモザワ君は真面目である。、、、、シモザワ君。またメールで連絡するわ、、。


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2012年12月04日

「三宅久之さんのように」と、酔っ払いながら考えた

 一昨日、先頃亡くなった政治評論家の三宅久之さんの追悼番組を見た。このブログで時々私が紹介した、稀代の名TV番組「たかじんのそこまで言って委員会」(東京では放映されていない)での特集である。

 三宅さんはコメンテーターとして、司会者(ただいま病気療養中とか)のやしきたかじんさんとともに、この番組で重要な役割を演じていた。常連のコメンテーターと正面から議論を戦わしているかと思えば、愛嬌のある語り口で冗談も言う(関西人にとっては、この冗談を言えるかどうかが、相手を認めるかどうかのキーポイントになったりする)。時に自らの信条に反することを相手が言おうものなら、大きな声で怒鳴る。そんな姿は頑固者そのものだが、しかし三宅さんには同時に相手をどこかで慈しむ風情があった(ときどき、どうしようもないゲストに全く容赦ない言葉を浴びせることもあったけど)。ほぼ話の噛み合わない田嶋陽子さんとの論戦(同番組の名物だった)でそれは顕著だった。「人間はいいけど、思想がよくない」というのが三宅さんの田嶋評だった。この言葉からも、意見の合わない田嶋さんに対してでも何かしらの愛情が感じられる。実は、それは三宅さんだけのはなしではない。この「たかじんのそこまで言って委員会」のレギュラーコメンテーター達には、お互い厳しい言葉を時に浴びせ合ったりするくせに、お互いに(程度の差こそあれ)どこかしら認め合っているような様子がある。そのために厳しい言い合いもどこかじゃれ合いのように見えて、私はそんな様子を見るのが好きだった。ひょっとするとテレビ的な演出も少しはあるかもしれないが、番組中でも明らかに仲の悪そうな田嶋さんと金美齡さんの様子を見ると、やはりその他のレギュラーコメンテーター達の間にはそれぞれに個人的な信頼感でどこか通じ合っているものがあるのだと思う。厳しい議論が許されるのは相手のどこかを認めているときだけだ。そうでなければ、それはただの醜い言い合いだ。どちらが正論か、という問題ではない。それと、相手を攻撃するためだけの議論も論外だ。

 さてそこで、研究室の話。私は研究室を主宰する立場で、研究室メンバーと議論する。その時に、私に相手を慮る気持ちがあるかどうかちょっと考えた。研究を進める上で、時にはメンバーと厳しい議論をすることはもちろんある。そんなとき、確かに基本的には相手の未熟を考えて言い方を選ぶようにしているのだけど、「相手の未熟」を考えることは信頼感とはちょっと違う。いや、だいぶ違う。
 一方、相手の様子を見ると、私に何かを言われて言葉を飲み込む風情を見せることがある。私は研究室のPIで、相手は構成員だ。そのコンテクストで彼らが言葉を飲み込んでいるとしたら、双方にとってそれは愉快なことではない。そんな議論は私にとっては中途半端で、相手にとってはストレスフルなだけの儀式なのかもしれない。

 あー 三宅久之さんのように、気楽に徹底的に言い合えたら楽しかろうに。 ビール3本目を空けながら、そんなことを脈絡なく考えた。

 三宅先生、ご冥福をお祈りいたします。


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2012年10月07日

「ほろ酔い細胞生物学入門」 吉森保先生

 先日、吉森保先生が市民講座で講演されるというので、目加田先生と一緒に出かけることにした。

 場所は京阪中之島線なにわ橋駅構内にあるアートエリアB1というところである。この駅の遊休スペース(ではないのかもしれない)は、京阪電車、大阪大学とNPO法人が中心になっている、様々な文化芸術活動に利用されているほか、その他の文化活動にもスペースを貸している。
DSC00288.JPG この日は、「日本酒1週間2012〜お酒にまつわるエトセトラ〜」という、居酒屋さんの集まりによる企画の一環で、吉森先生が講演することになったのだ。企画は毎度おなじみ「よしむら」のマスターである。
 左の写真は吉森せんせいとよしむらさん、、。開演前で気合いも入る。


DSC00297.JPG 会場は80席ほどか。ほぼ満席である。講演タイトルは「ほろ酔い細胞生物学入門」。この講演で吉森先生は、生物学の基礎から研究対象のオートファジーまでの盛りだくさんの話をされた。ポイントポイントで、酒造りの主役である酵母の話をはさむ。そのタイミングやボリュームの配分が絶妙である。そして、そんな内容をお酒を飲みながら話すように(実際、お客は美味しいお酒を飲んでいたのだけど)、気さくに話をされる。世界的に活躍されている先生なのに、そんな様子は見せない。物知りのおっさんが酒を飲みながら、ウンチクを語っているかのような講演だった。

DSC00310.JPG 講演のあと、よしむらさんご夫婦、吉森先生とその大学院生さん達、イベントのお手伝いをされた「よしむら」常連客の方々の慰労会に、目加田先生と私もご相伴させていただいた。場所は西天満の居酒屋さん。よしむらさんのお知り合いのお店で、ここで出された酒肴も最高だった。話は盛り上がり、深夜に閉会。もちろんタクシーで帰宅した。


 同じ研究領域で仲間内の研究者を相手に講演するのは比較的簡単である。研究分野の異なる研究者に話をするのは少し難しい。科学を専門としない、一般の方々に話をするのはかなりの工夫が必要だ。もし私が、吉森先生のお役目を仰せつかっていたら、自分の研究の話はほとんどしなかったと思う(実際、私はこれまでさせていただいた市民講座のような講演で自分の仕事の話をしたことがない)。その方が簡単だからだ。しかし、吉森先生はオートファジーの話をされた。自分の研究の話しかできないので、聴衆の種類に関わらずいつも通りの講演をせざるを得なかったわけではない。お酒と酵母と細胞生物学の話を面白おかしくされたあとに、無理なくオートファジーの話に結びつけて、聴衆を惹きつけたまま、まんまと自分の研究の宣伝までされたのだ。これには頭が下がった。

 ほんとにこの日は、吉森先生の研究者としての根性を見せていただいた。

、、、、いろいろ、盗ませてもらいましたで、。。


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2011年11月16日

三澤さん

 この月曜日と火曜日は宮崎出張だった。宮崎大学大学院の医学獣医学総合研究科の大学院セミナーで講演するためである。月曜日の昼過ぎに伊丹空港発の飛行機で宮崎に到着した。宮崎では毎度お馴染み、大学院時代の先輩の三澤さんが迎えにきてくださって、大学へ、、。

 講演は午後6時からで、時間に余裕がある。しかし、午後の6時から始まるという大学院セミナーのイメージが湧かない。どうも、生粋の(って変な言い方だけど)大学院生だけが聴講する集まりではなさそうだ。しかし、予定された時間は90分。これは講演というよりも講義のサイズである。そこで悩んだ末に、最初の3分の1で細菌感染の基礎的な講義をして、残り3分の2で我々の研究の話をがっつりする構成にした。、、けれど、どうやらあんまり上手くいかなかったみたい。聴講者の反応はいま一つ、、。会場には宮崎大医学部の林哲也教授がいてやたらとプレッシャーを感じるし、色んな年齢層の聴講者がいてまるで市民講座みたいな雰囲気だし、、。そもそも、私の気合いがちょっと足らんかった。やっぱりどういう状況でも対応できるように色んな講演パターンを持っとかないといけない。まだまだ修行が足らんと、先週のベルリンにつづいて反省する結果になった。ちょっとスランプかな、、どうも近頃、納得いくトークができないことが多い。

IMG_1125.png 講演が終わるともう午後の8時になっていた。夜は三澤さんのお宅でご馳走になる。私は三澤さんの奥さんとも旧知の仲である。美味しいものを頂きながら、やいのやいのとあんな話やこんな話で盛り上がる。宮崎名物のなんやらブタ(また名前忘れた)と宮崎牛(あ、これも名前忘れた)のしゃぶしゃぶとお刺身、美味しゅうございました。

 三澤さんは、学生の時代から、実直でひたすら真面目である。逆境にあっても折れない真面目さがある。宮崎大学に限らずいまの大学の教授は、私のような研究所に所属している教員とちがって、大学運営や教育研究その他の雑用で忙しい。三澤さんのように有能な人間はなおさらだ。それに研究室のスタッフも少ない。会う度に三澤さんは疲れた様子だが、しかし、研究の話をする時はきまって熱がこもる。もし私が同じような立場だったら、三澤さんほど一生懸命研究を続けているかどうかわからない、、。

 大学院生時代、三澤さんと私は同じ下宿に住んでいたが、学生として一緒に過ごしたのは1年間だけである。けれどその1年間、毎晩のように飲んでは、「いやー、これがね、面白いんだよ」と東京育ちのくせに宮崎なまりで研究の話をしていたものだ。

 その口調は、30年近く経った今も全く変わっていない。

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2011年10月18日

訃報 ー 阪口玄二先生

 今朝、私の恩師である阪口玄二先生が亡くなられた。ご冥福をお祈り申し上げます。

 阪口先生は私の大学院時代の研究室の教授でいらした。阪口先生の研究室は、実験に関わる多くのことがシステム化されていて、誠に合理的で効率の良い研究室だった。その精神はそのまま私の研究室運営の精神になっている。英語へのこだわり(阪口先生のそれとは比べ物にならないが)も、間違いなく先生の影響を受けてのものだと思う。それと、30年近く前に、いまのコンピュータでは一般的になっているGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)や、WYSIWYG (What you see is what you get) を具現化した富士ゼロックス製のワープロを初めて見せていただいたのも、阪口先生の教授室だった。私がスライドの構図やテキストのフォントに凝るのは、この時の印象が強かったからかもしれない。

 今日の昼頃、このブログを運営していてアドレスを公開している関係からか、直接ご家族からお知らせをいただいた。ご家族・ご親族の皆様には、謹んでお悔やみ申し上げます。

 数年前から、何度か体調を崩されているとは聞いていたが、そんなに深刻だとは思っていなかった。ここ数年は、先生がお住まいの宮崎に仕事で何度か出かけていたのに、お宅までお訪ねしなかったのが悔やまれる。いずれまた、あらためてお会いすることが必ずあると思っていただけに、実に残念でならない。
 
 阪口先生、本当にありがとうございました。


*:関係の先生方へ。 葬儀はご親族のみで執り行われるとのことでした。当ページでの、ご連絡先等のお知らせは控えさせていただきます。

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2011年09月28日

言葉を尽くす

 少し前のことだが、内田樹先生の「街場の大学論」を読んだ。

 内田樹先生は、神戸女学院大学の教授だったが、昨年度に定年退職された。ご高名はかねがね承っていたし、先生のブログもたびたび訪問していたのだが、私にとってはこれが初めてのウチダ本だった。内田先生のブログは、ブログには勿体ないくらい格調のある文章で様々な事柄を奥深い洞察で評論されているので、私にとっては実は読みにくかった。「この文章は、本で読むべきやろ」と本気で思った。

 それで先の「街場の大学論」を初めて読んだというわけだ。内容は期待通り、あっという間に読めた。勉強になった。とくに、これからの大学はダウンサイジングを目指すべきであるとか、研究者に必要な資質は「非人情」であるとかのご意見には、わが意を得たりの思いを持った。実は私は、内田先生のご意見とほぼ同じことをこのブログで書いている。高名なオピニオンリーダーと意見を同じくするとは、誠に光栄なことである

 ただ、しかし残念ながら、その意見を陳述する文章に格段の差のあるのを実感した。例えば、研究者に必要な資質について、私はこんな風に書いた。「今の日本の研究の世界は「それでも研究をやりたい」という人間しか残ってはいけないところである。脳天気に「好きだから」と、先行きのことなど考えずに一生懸命に実験する「実験バカ・研究バカ・科学バカ」のような人しか残ってはいけない」と、非常に雑駁な表現である。
 一方、内田先生は(以下引用します)「研究者に必要な資質とは何か、ということをときどき進学志望の学生さんに訊ねられる。お答えしよう。それは『非人情』である。それについてちょっとお話ししたい。大学院に在籍していたり、オーバードクターであったり、任期制の助手であったり非常勤の掛け持ちで暮らしていたりする『不安定な』身分の若い研究者達にとっていちばん必要な知的資質はその『不安定さ』を『まるで気にしないで笑って暮らせる』能力である。」という文章で始まり、その後にこの論を6ページに渡って語っておられる。

 言葉を尽くして説明する、ということにおいて、内田先生に比べて(比べたらいかんやろ、と言われそうだが)私は幼稚すぎる。本書を通読する間、ずっとそのことを思い知らされた。内田先生、、勉強になりました。言葉を尽くすとは、こういうことだ。

 とりあえず。日頃の「あーやって、こーやって、そこをググッとやったら、キュゥってできるやろ?」みたいな話し方を改めよっと、、。

:無論、本書を通じて様々な方法で表現されている、あらゆる事どもに対しての内田先生の思想は私の及ぶところではない。

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posted by Yas at 23:18| Comment(2) | 私的先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月22日

Giampietro Schiavo

 先週来、ずっと苦しめられていた風邪からやっと解放されたかな、、というこの月曜日、ロンドンからGiampietro Schiavo が微研にやってきた。

 Prof. Schiavo は Cancer Research UK London Research Institute に研究室を持っている。イタリア人である。20年ほど前にボツリヌス毒素がシナプトブレビンを切断することを世界ではじめて解明した。さらに、ボツリヌス毒素や破傷風毒素などの細菌性神経毒素の利用を切り口にして、神経細胞の軸索輸送のメカニズムや意義を理解しようとしている。私との研究の接点は直接ないのだが、彼の奥さんが昔の私の論文を読んでいたり、本人が私の投稿論文を審査していたりということがあったようだ。そのことを、第二回のAIFII (Awaji International Forum on Infection and Immunity) で演者として彼を招待したとき、彼が私に話してくれた。それ以来、ロンドンや大阪で会っては楽しく話をさせてもらっている。

 紳士である。人を不快にしないようにいつも周囲に気をつかっている。研究の話も政治の話も、なんでもマジメに一生懸命話す。日本や日本人のメンタリティーが好きだと云う。日本の食べ物には目がない。ロンドンでも自分で魚を捌いて刺身を作るそうだ。うどんだってラーメンだって好きだというので、昨日の昼食には天下一品のラーメンをご馳走したけど、大丈夫だったかな、、。

 夕方に予定されたセミナーは、直接には感染症とは関係のないタイトルだっただけに聴衆の入りが気になったが心配することはなかった。ここでも彼は、気をつかってか、特に病原体や毒素の軸索輸送の話題を多く盛り込んでいたように思う。

 夜はミシュラン1つ星の「ながほり」で、目加田先生と藤永さんと4人で夕食を楽しむ。(この「ながほり」、以前は長堀橋近くにあったのに、私の実家の近くに移転していたので驚いた)
「ここの刺身は美味い」と彼が言う。ふむ。ほんとに刺身の味がわかるみたい。夕食後、藤永さんと吹田方面に戻る彼と別れて、なぜか目加田先生と一緒に「伝真田の抜け穴」などを見物しながら懐かしい道を玉造駅方面に帰る。

 彼は今朝、新幹線で東京に向かったはずである。日本を離れるのはこの週末と聞いた。Prof. Schiavo ( gipi というのが通称だそうだ)、また会いましょう。

 
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2011年02月03日

西川禎一先生

 先週の木曜日は、東京出張。ある研究費の班会議で世田谷は桜新町の、とある研究所に出向いた。桜新町駅周辺の町並みは落ち着いていて私のお気に入りだ。この街はサザエさんの故郷でもある。

 昼食を班員の方々と一緒にすませ、そのあと14−15人程度で成果を報告する。班員のなかには、私の学生時代の先輩である西川禎一さんがいらっしゃる。西川さんは大阪市立大学生活科学研究科の教授である。私が修士課程の学生だった頃、西川さんは博士課程だった。

 大学院生というのは生意気盛りなものだ。しかも、点数で自分たちの優劣を決められた高校・大学学部時代の軛(クビキ)から外れたこともあってか、点数評価ではない曖昧な根拠で、やたらと同級生や先輩の品定めするのが流行った。色んな研究室の仲間を見ては「あの人はサイエンスのセンスがある」とか「あいつはアタマが切れる」とか言い合ったものだ。まぁ、はっきり云って、だいたいみんな大したことはないのだが(すいません、生意気云いました)、、。

 そんななか、後輩達から「あの人はすごい」と慕われてきた西川さんは、四半世紀過ぎた今でも大学院生時代の輝きを放っていらっしゃる。いまでも「すごい」のだ。研究への情熱はどこまでも熱く、仕事は真面目でフットワークが軽い。表情はいつも明るく、あふれるバイタリティーで疲れなどとは無縁のようだ。

 いまの研究室は決してスタッフに恵まれているわけではない。というよりも、かなりたいへんな状況で、西川さん一人でたくさんの学生の面倒を見て、研究室の運営も一人でこなされているようだ。それでいて新しい技術や情報にも貪欲で、線虫を使ったりマイクロアレイを使ったり、一人で新しい勉強をして学生の尻を叩いて結果を出すのはたいへんなことだと思うのだが、それで毎回の学会で面白い成果を発表されている。しかも、ただ物珍しいネタということではなく論理的に堅実に実験を重ねられている。これには頭が下がるばかりである。

 西川さんはどこまでも明るい。この日も、大阪府立大学の星先生と私と三人で帰ったのだが、新幹線車中でもビールを飲みまくって喋りまくった。もう、いい歳になって新幹線でビールを飲みまくるなんてことは、この班会議で西川さんと帰阪するとき以外にはない。

 あのバイタリティー、あの明るさ、、。 見習いたい先輩である。

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2010年12月14日

なかのとおるの、、、

 このブログの読者の方はよくご存知だと思うが、ブログの中で私は「ホリプレ」と称して「ホリグチのプレゼン」のやり方を紹介してきた。最近は、さらに「ホリプレ・論文篇」を始めたところである。そんなところで一通のメールが届いた。医学系研究科/生命機能研究科の仲野徹先生からである。「お前のはまだるっこしい。あるセミナーでオレが論文の書き方の真髄を語るからお前も来い! 名付けて『ナカプレ・論文篇』じゃっ」(実際は普通のオトナなメールですが、仲野先生のムードを出してみました)とのこと。仲野先生は私的先生のおひとりである。力づくのギャグで他人を笑わせようとする悪いクセをお持ちだが、先生の明快なモノの考え方には、多くのことを教えていただいたように思う。そこで本日、セミナーが行われる生命機能研究科の会議室に出向くことにした。

 セミナーは、本学のアプレンティスプログラムに参加する新進気鋭の若手研究者向けに行われたようだ。アプレンティスプログラムとは、
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文部科学省 科学技術振興調整費「若手研究者の自立的研究環境整備促進」事業は、科学技術のさらなる発展のために、若手研究者が自立して能力を発揮できる環境整備に取り組む研究機関を支援するため、平成18年度に新設された委託事業です。(期間:原則5年間、事業予算:年額2億5千万円)。

平成20年度には、大阪大学が提案した「生命科学若手研究アプレンティスプログラム」がその一つとして採択されました。医学系研究科、歯学研究科、薬学研究科、理学研究科、生命機能研究科、蛋白質研究所、の生命科学関連6部局が、独創性あふれる若手研究者を特任准教授として採用し、独自の研究を支援しながら、完全に独立した研究者になるためのサポートをおこないます。

(大阪大学生命科学研究独立アプレンティスプログラムHPより)
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ということだ。微研が参加していないとはいえ、恥ずかしながら私ははじめてこのプログラムのことを知った。厳格な審査のもとに選考に勝ち残っただけに、会議室には自信に満ちた様子の面々が集まっていた。

 セミナーの内容は、さすがに人気連載「細胞工学/なかのとおるの生命科学者の伝記を読む」の作者だけあって、先達偉人の金言を巧みに引用してわかりやすい。おかげでいくつかの発見をさせていただいた。それに、仲野先生と私とは年齢も経験も専門分野もパフォーマンスも違うが、研究とか論文作成について重要とするポイントはほとんど、いや全く同じであるということもわかった。これが一番の勉強になった。

 仲野先生、ありがとうございます。おかげさまで「ホリグチ・論文篇」を私が書いてもいいのかも、と自信が持てました。「ナカプレ・論文篇」を聴かしていただいたお返しに、「ホリグチの生命科学者の伝記を読む」を私が書く、というのはいかがでしょ、、、いや、これは絶対無理やな、、。、、すいません無理です。

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2010年10月05日

榊莫山先生

 榊莫山先生が亡くなった。享年84。

 私がこの方を先生と呼ぶのには理由がある。小学生の時、莫山先生は私の小学校の図画・書道(だったと思う)の先生だったのである。私のいた小学校は大阪市立でも何かしらのモデル校だったみたいで、オーディオを揃えた視聴覚室とか、全教室カラーテレビ完備とか、当時にすればハイカラなことが色々あったのだ。そのことと莫山先生が教員だったこととが関係があるのかどうかわからないけれど、、、、、。莫山先生は当時から有名な先生で、大阪の子供達には有名な夏休みの宿題冊子の「夏のとも」の表紙のタイトルを毎年書かれていた。生徒からは「バクダン先生、バクダン先生」と呼ばれていた。私の兄は図画の授業時間に遊んでいて、莫山先生に殴られたという経歴を持っている。、、、あ、それだけですけど、、。

 安らかにお眠りください。



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2009年09月16日

井上雄彦

 昨晩のNHKの番組「プロフェッショナル」で、漫画家の井上雄彦さんが取り上げられていた。「スラムダンク」「バガボンド」「リアル」などのメガヒット作を連発する超人気漫画家である。
 この人がドキュメント取材を受け入れるのは初めてのことらしい。静かな調子の、しかし重苦しくない、いい番組だった。

 井上さんは、あれだけ面白い漫画を書いていながら「ストーリー展開には興味がない」と言う。製作の時に力点を置いているのは「人間の心の動き」らしい。
 
 なるほど。

「井上作品の魅力はそれぞれのシチュエーションで登場人物達が何かを喪失したとき、あるいは何かを得たときの感覚のリアリティーにある」と、このブログで書いたことがあるが、その秘密がわかったような気がした。、、納得。

 それから、「手に負えない仕事をしたい」と言う。正確な表現は忘れたが、「漫画家でありつづけるために漫画を書くなんてつまらない」と彼は続けた。

 この言葉、研究者にも通用する。

「研究者であり続けるために研究するなんてつまらない」
「手に負えない仕事をしたい」

 全くその通りだ。


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2009年03月02日

本田武司先生 送別会

 当研究所の本田武司先生は今春で定年退職される。今日はその送別会が行われた。この会には微研の全教授が出席した。、、本田先生、ご退職、おめでとうございます〜。長い間ご苦労様でした、,。(もっとも、本当にご退職されるまではあと一ヶ月ありますけどね)

IMG_0219.JPG  びけんきょーじゅー,,そうそうたるメンバーじゃっ。iPhone のプアなカメラで撮ったので見にくくてすまん。
 微研の教授先生が定年退職されるときは、吹田キャンパス近くの同じ料理屋さんで送別会が行われる。前回は4年ほど前の品川先生の退職時だった。いつの時も和気藹々と、退職される先生の労をねぎらいながら、きゃぁきゃぁと酒を酌み交わす。そこらの学生コンパとそれほど変わるところはなかったりする。
 
 送別会の様子を iPhone でパチパチ撮影していると、「なんや、またブログに載せよと思てんのか?」と隣の席の審良先生が言う。それを聞きつけた周囲の先生が反応して「なに? ブログ?、、あのブログはひどい」とクチグチに文句たらたら、,,。(へっへっへ、、、その様子もブログで書かせてもらいますぜっ)

 誤解のないように断っておくが、キモになる話題でこのブログに登場していただくときは一応本人の承諾を受けてる(と思う)のだ。それに、そんなひどいことは書いてないし、,。K先生のように、「いややぁ」と言われた方にはちゃんとイニシャルでしか登場していただいてないし、、。

「いや、そんなことない! 僕はあんな書かれてるようなきつい大阪弁ちゃうし」と審良先生が言うが、「いや、大阪弁ですよ」と周囲に押しとどめられる。

「そうや、だいたい、あのブログはけしからん。まるで僕が飲み助のように書いてある」と目加田先生。「いや、飲み助でんがな」と周囲が諫める。

「僕なんか、天下一品のラーメン好きなことをばらされて、,,」と熊ノ郷先生。、、天下一品のラーメン好きなのは、ええがな、、。

「僕も飲み食いの時しか、ブログに登場してない」と不満気に吉森先生。いやいや、ブログの管理人の貴重な飲み相手になっていただいてありがたいです。ありがとうございます。
 ということで、微研の先生方がこのYas's Green Recipes を楽しみにしてらっしゃることが図らずも判明したのだった。、、、ご愛顧ありがとうございます、,。

 いやいや、そんなことよりも本田先生、,。

IMG_0221.JPG 思い起こせば25年ほど前、本田先生は私の学生時代に特別講義にいらしてくださった。あれが私にとっての初ホンダだった。あのときに話をされたテキサススター(コレラ菌の生ワクチン株)、、よく覚えています。微研を退職されても、別のところで元気にお仕事を続けられますよう、、期待しております。今後ともよろしくお願いします。



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2008年08月21日

宇津木妙子

 北京オリンピック、ソフトボール。日本が優勝した。金メダルだ。

上野投手をはじめ選手やスタッフの皆さんの努力と集中力の成果だと思う。祝福したい。

 それと、前監督の宇津木妙子さんにお祝いを言いたい。この人のTV中継時の解説はよかった。話し方はちょっと暗めのトーンで、「この人はネガティブ思考か?」と思うほど、浮かれたコメントは一切しない。だが、宇津木さんが日本女子ソフトボールを愛しているのは明らかだ。アメリカとの最終戦、解説中に何度も絶叫し、唸り、悲鳴をあげ、勝利の瞬間には絶句して涙声だ。

 いま午後11時。ソフトボールの表彰があったのは午後10時半少し前くらいか? すでにWikipediaに解説が載っている。以下、引用。

____________________________

北京オリンピックの中継では、自らのチームから参加する上野由岐子をはじめ、日本チームのミス(失投など)を見過ごさずに厳しく指摘し続けた。これは、「たとえ不本意な結果でも頑張った選手を称えよう」と心がける他競技の解説者とは大きく異なっている。その一方で、北京オリンピック決勝戦で見事金メダルを獲得した際には解説が続けられなくなるほど号泣し、表彰式ではメダルが授与される選手一人一人の名前とそれぞれの好プレーを挙げて褒め称えていた。
「宇津木妙子:ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典:最終更新 2008年8月21日 (木) 13:45」
____________________________

 他人の愛情や思い入れは第三者からはわかりにくいものだ。久々に他人の感激に感激させていただいた。感動を無理矢理に盛り上げるためのTV局の変な演出とは比べるべくもない。
posted by Yas at 23:32| Comment(0) | 私的先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月13日

飯田成子先生

 昨日の朝、高校時代の恩師、飯田成子先生が亡くなった。今夜、西田辺であった通夜から今しがた帰ってきたところだ。

 飯田先生は私の三年生の時の担任であった。何かというと「話し合い」あるいは「総括」と称して生徒に議論会をさせるのが主流であった我が母校のホームルームの時間、委員長の私に「クラスで決めれば、ホームルームの時間は何をやってもいいわよ」とおっしゃり、実際に「卓球大会」だの「演芸会」だの「ピクニック」だのリクレーション目白押しの委員長提案を笑って許してくださった。

 ある日の実力試験、現代国語で三島由紀夫の「金閣寺」が出題された。題名と著者名が問題になっていた。「あれは金閣寺や、読んだことがあるから知っている」と試験後に級友に自慢する私に、通りがかった飯田先生は「あなた、いくら読んだことがあってもしっかり身に付いてないとダメだわ」ときっぱりおっしゃった。飯田先生は国語担当である。答案用紙が戻ってきてみると、私は「三島由紀夫」と書くべきところを「三島由起夫」と書いていたのだった。それを試験中に見かけられて、いい気になっている私をきっちりとたしなめられたのだ。 

 高校最後の文化祭。やはりお固い「研究課題発表」で多数を占められるのが我が校の文化祭だ。そんな中で飯田学級は映画作製を決める。それを許し、強力に援助してくださったのが担任の飯田先生だった。私はこのとき脚本・監督をさせていただいた。高校生の素人映画としては傑作だったと自負している。

 進学先に農学系あるいは獣医系の大学を志望する私に
「どうして? あなたはジャーナリストか作家か、なにかモノ書きになるのがいいと思うんだけど?」と何度もおっしゃった。
志望先の最終決定日に、やはり獣医を志望する私に
「仕方ないわね」と言い、「ふぅ」と大きなため息をつかれた。

 あの、「ふぅ」は耳に残ってます。けっこうききました。

 おのれの変な思想信条で生徒にモノを言う教員が多かったあの学校の中にあって、物腰は柔らかく上品で、しかしきっぱりとモノを言う、本当の大人の先生でした。

 安らかにお休みください。   合掌
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2008年07月13日

福島・奴寿司

 先日の土曜日は、ある古い知り合い(都合により名を伏せる、すまん。)と久しぶりに飲みにいった。「飲み」の場所は、私にとっておなじみの「奴寿司」。このお店は福島(もちろん、大阪の、ね)にある。研究仲間で云えば、阿部ちゃんや国立感染研の岩城さん、ヨーロッパ人研究者ではチェコのPeter Sebo、フランスのEmmanuel Lemichezも私と一緒に訪れた、ホリグチ御用達の名店である。

 このお店はきちっとしたお寿司や魚料理をそれなりにリーゾナブルな値段で提供してくれる。店主の谷さんは、私とは15年ほどの付き合いになる。

20080712.jpg
 谷さん。この人、なかなかの人物である。

 昔は広告代理店に勤めていたらしいが、ある日、バイトしていた若い頃に培った寿司屋さんのツテを頼って寿司職人修行をし、それから寿司店を開いた。さっきも書いたが、おいしくてリーゾナブルな料金の魚料理を提供する、良心的な寿司職人である。んで、新しい味を追求する姿勢が常にある(試作品を私にすぐに食べさせようとする悪いクセもあるが、、、)ので面白い。いろんなことに興味をもっているので、私の職業を知っていろんなことを尋ねてくれるのも面白い。んで、寿司屋で客とマスターが、他の客が引くような「食中毒」の話題で盛り上がったりすることもしばしば、、。

 先日は、ほんとに久しぶりに奴寿司に行った。たぶん一年ぶりくらい。それでも谷さんは相変わらずだった。「相変わらず、ブタのハナの研究やってんの?」と聞く。ほっとけ、自分は相変わらず寿司を握ってるくせに、、、。谷さんの隣で寿司を握っている、この4月に店に入ったタナカさんが「谷さんのあんな姿初めて見ました。お客さんと谷さんは気が合ってるみたいですね、、」という。ふ〜ん、そうか。10年以上トシは違うし職業も全然違うが、、そんなこともあるのかも、、。たしかに、自分でも谷さんとは話の間合いが合っているように思う。話し上手の谷さんにとってはそんな客はたくさん居るだろうけど、そのなかに私が入っているのなら光栄だ。

 谷さん、これからもおいしい寿司を握ってくれ、、。また、変な奴連れて行くから、、、。

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2008年07月07日

櫻井純先生と毒素シンポジウム

  先日まで山中湖で行われていた第55回毒素シンポジウム。

 この会は会員制のセミ・クローズドミーティングである。数年前はクローズドミーティングでありがちな(無批判な仲間意識で切磋琢磨の気概が乏しい)悪い面が顕在化していてはっきり言ってかなり魅力を失っていたのだが、今回はずいぶんと様変わりしていた。蛇毒関係を含めた興味深い演題や一級の研究者による招待講演が用意されるなどメリハリのあるプログラムで楽しく過ごせた。これはおそらく、今回の世話人の明治薬科大の森田教授や毒素シンポジウムの事務局を務められている愛知医大の横地教授、全事務局長で今や毒素シンポジウムのご意見番である徳島文理大の櫻井純教授のご努力によるものだと思う。

 櫻井純教授は私の尊敬する先生の一人である。
私の毒素シンポジウムデビューは20年と少し前、細胞工学センターの、今は亡くなられた内田驍先生が開催された大阪での第33回毒素シンポジウムであった。その私の演題の座長を務めてくださったのが櫻井先生だった。そのときに座長として質問していただいたその内容も覚えている。ただ、櫻井先生はこの時のことを覚えてらっしゃらない。
それから、たしか櫻井先生ご自身が世話人をされた淡路島での毒素シンポジウムで一緒にお酒を飲んで、そこでやっと私の顔と名前をしっかりと覚えていただけるようになったと思う。

 櫻井先生は毒素の宝庫と呼ばれるウエルシュ菌(Clostridium perfringens)が産生する多くの毒素の研究でJBCクラスの雑誌にコンスタントに論文を発表されている。一昨年は日本細菌学会賞(浅川賞)を受賞された。いつも前向きで、楽しそうにしておられる。少なくとも私は機嫌の悪い櫻井先生を見たことがない。んで、素晴らしい教育者である。4年ほど前、あるシンポジウムで徳島文理大学に招かれたとき、櫻井先生の研究室を訪ねると学生さんたちが丁寧に挨拶をし、朗らかに迎えてくれた。私はあんなにフレンドリーな学生さん達であふれた研究室を見たことがない。聞くと、どうやら櫻井先生の人柄と指導の賜物らしい。これは、今の私には真似ることができない。

 さてそれで、毒素シンポジウム。今回は2晩にわたって深夜まで櫻井先生と酒を飲みながら話をする機会を得た。研究の方向、学生の指導、学会のあり方など、いろいろな話をしてくださり、先生から見ると若造の私の持論も聞き、率直に批判していただいた。1日目の夜はお誘いして私の部屋(同宿の長岡先生、コバヒデ君、ヒビノ君、つき合わせてすいませんでした)で深夜2時頃まで飲んだ。
 次の日、ヘロヘロの私をよそに櫻井先生は昼間にテニスを楽しまれたという。もうそろそろ70歳に手が届きそうなお年のはずなのに、、少し前にはフルマラソンを完走されたそうだ。なんか、無闇にお元気である。
 2日目、懇親会が終わって部屋に戻り、さてもう少しビールを飲むかな、と騒がしい廊下も気になって部屋のドアを少し開けると櫻井先生の姿が見えた。「さすがに、今晩はゆっくり休まれるやろ、、」と思っていたら、先生はいきなりこちらの方に突進してきてドアを押し開け、「さぁ飲むぞ!」、、、で、この夜も2時頃まで、、飲んだ。、学者とか大学人とかそういう前に、まず生き物としての櫻井先生のバイタリティーは、私なんぞのとうてい及ぶところではない、と思ってしまった。

 いやいや、私は櫻井先生に可愛がっていただいて幸せである。
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2008年06月30日

松浦善治のチェンジアップ

 先日までのタイ出張は、同じ評価委員の松浦善治教授と同道することが多かった。
 松浦教授は教授会でも控えめ。持論を開陳することなどほとんど、いや全く、無い。傍から見て結構テキトー(松浦先生、すんません)にも見える。

 タイに到着後の空港から市内への車内でのこと。
「高速道路のこちらから見てNIHはどちらの方角ですかね?」と尋ねる私に、訪タイ3度目のはずの松浦先生は
「知りません。全く覚えてないです。はぁ〜、明後日にならないと日本に帰れないんですよねぇ〜」と応える。全くやる気がない。
 もちろん、松浦教授は研究者としてはシッカリした方である。C型肝炎ウイルスに関する面白い研究をたくさんされている。しかし普段は「やる気ないな〜、このおっさん」と思わせることばかり言う。

 ところが、翌日のプログレスミーティングでのこと。評価委員ということで松浦先生と前席で隣り合わせに座った私の目に入ったのは、先生が用意したRCCに関する教授会資料である。松浦先生はその資料でRCCの特任教員の名前と顔を確認しながら発表に聞き入る。これは普通、かなり几帳面な真面目な人間がやることだ。細菌学セクションの発表はウイルス専門の松浦先生には縁遠いはず。だが、彼は質問するのも本来キビシイような発表にきれいな英語で懇切丁寧に質問する。その迫力はなかなかのものであった。ちょっと前の「やる気ないおっさん」はそこにはいない。

 さて、すべてのスケジュールが終了して私は航空便の時間まで松浦教授とバンコク市内を少し観光した。付き添ってくれたのはタイ人のトゥムさん。

tumu.jpg

トゥムさんは、バンコクならではのエメラルド宮殿とマッサージで有名なワット・ポー寺院に案内してくれた。ところが、ここではやる気のないマツウラが再び顔を出す。
「暑いぃ〜。うぅ〜、暑い〜」とせっかく案内してくれた名所をスタコラと素通りしようとする。なんて失礼な、、、。

matsuura.jpg

右下の青いシャツが松浦教授。バンコク1、2の観光名所もサッサと通り過ぎる。全然、美しい歴史的建造物に感嘆する様子もない。

 一方、バンコク市内を移動する際の車中では、ウイルス学会のこと、細菌学会のこと、いろいろな感染症研究者の研究のことなど、実にはっきりとモノをいわれる。これがまた、異論を差し挟む余地のないほどきっちりとした根拠にもとづいている。

 また一方、ワット・ポー寺院。ここには有名な付属のマッサージ学校があって、マッサージを格安(だと思う)で施してくれる。
「あぁ〜、マッサージ! やりたい!やりたい!」と教授が言う(せっかく市内案内してもらってるのに、、、)ので仕方なくおつきあいをした。私ははっきり言って(このときも松浦先生に言ったが)マッサージが嫌い。私にとっては痛いだけなのだ。

 しかし、建物中に広がるメントールの香りをききながら横になるのは気持ちがいい。まぁ変な風に関節を伸ばされるのもいいか、と思っていると、横で松浦教授が気持ちがいいのか「うふ。あはっ」とかムードある声を出している。この日の午前中の迫力ある松浦教授とは別人である。

 人間、オンオフの使い分けとか、ストレスを発散するとか云うが、どうもこの人の場合はそのあたりの使い分けがすごいようだ。松浦善治は抜くときは相当きついチェンジアップを投げる。これを知って、この先生とつきあうのが楽しくなった。

 今回は呆気にとられたが、次回はツボに投げてくるストレートを打ってみたい、と思う。

松浦先生:ブログのネタになるの、たしか了承してくれましたよね!?
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2008年01月04日

イチロー


 2日、NHKで放送された「プロフェッショナル・仕事の流儀、イチロースペシャル」を見た。

 以前にイチローについて書いたことがある が、これを見てまずその時に書いたことが正しかったと確認できた。やはり、イチローはフリーバッティングでボールをポンポンとスタンドに打ち込み、狙ったときにかなりの確率でホームランを打てる(と間違いなく本人は思っている)のだった。

 そして、毎日の昼食に必ずカレーを食べ、同じ時間にスタンド入りし同じ時間に同じメニューで練習をする。他人のグラブやバットは感覚を鈍らせるので決してさわらない。以前の自分を脱ぎ捨てて自分を変えるように常に心がけ、自分の目標のハードルを下げることがない。
 そうして7年連続200本安打やメジャーリーグのシーズン最多安打を達成してきた。そうすることで相手を圧倒し、圧倒的な結果を残す。多くの人々が、イチローのことを「圧倒的なスーパースター」だと認めているだろう。私も、むろん彼の大ファンであり、彼を尊敬する一人である。

 そうだ。イチローはスーパースターなのだ。少なくともあと数年間は活躍してくれるはずだ。だが彼が引退したあと、指導者としても成功するだろうか? 
 自分に課したのと同じような厳しさをメンバーに要求すれば間違いなく失敗する。「名選手は名監督たらず」という言葉もある。自分を磨くことではなく、他人を磨くことへと目標が変わったときに、彼はどう変わるだろうか? これは私が将来に楽しみにしている疑問である。

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2007年09月04日

小安重夫


 小安先生はとってもアクティブである。

 いま出席している「あわじフォーラム(AIFII)」でも、「感染症沖縄フォーラム」でも、感染症・免疫関連の会議(ひょっとしたらそれ以外でも)では必ず前の席に陣取って、発表講演に鋭い目を向ける。そしてかなりの確率で質問する。その講演内容が、専門の免疫学であろうと、ウイルス学であろうと寄生虫学であろうと細菌学であろうと、質問する。
 学問をやっている方ならおわかりになると思うが、質問するためには、その領域に関してのそれなりの知識とトレンドの理解が必要である。小安先生は感染症学やあるいは生命科学全般に、ホントに幅広い知識を持ってられるのでこれが可能なのだ。
 それと科学に対する飽くなき好奇心。例えば大阪でいえば、「儲かりまっか?」くらいのノリで「III型分泌装置で分泌されるエフェクターと狭義の細菌毒素で同じ作用があるとして、どちらのほうが比活性が高いと考えられるの?」とすれ違いざまに尋ねられたりする。小安先生は好奇心のカタマリだ。私はそんな小安先生を尊敬してやまない。

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小安先生。かんぱ〜い、、。



 たまたま、昨晩の食事に「寿司を喰いたい」と、「あわじフォーラム」でお世話になっているホテルのフロントで寿司屋さんを紹介してもらい、小安・菊谷の両先生と私で少し離れた場所にある寿司屋にタクシーを飛ばして向かうことになった。この寿司屋さん、こう書いてはスマンが失敗だった。親父さんは気さくで話し好きで良い人のようなのだが、店が不潔。おまけに、3ヶ月前から「寿司だけでは食っていけん」と焼き鳥やら居酒屋風の一品やらをメニューに加え、要するに何屋さんやらわからん状態になっていた。客はいったい何を注文したらいいのやら、、メニューのどれを見ても美味そうには思えないのだ。
 私はすぐに食欲をなくしてギブアップ。生ビールをひたすら飲むモードに変更した。

 ところが、小安先生はやはり違う。まるで意地になったかのように、ショウケースに並ぶ数少ない寿司ネタの握りを全て注文しだしたのである。ん〜、さすがに素晴らしい探求心をお持ちである。
「申し訳ないですが、ハマチを握ってもらえますか?」「つぎは、イカをお願いします」、、、しかも腰が低い!! 

 「学識は高く、腰は低く」、、、私はここに小安重夫の秘密を見た気がした。 
 
posted by Yas at 18:19| Comment(0) | 私的先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月25日

キムジュン


 眼の調子が相変わらず悪い。ワンパターンの話題ですまん。しかし本人は苦しんでいるのだ。なんやろねぇ、いったい。眼のあたりの感じが普段と違うように思う。「眼の感じがいつもと違うやろ?」とアヤっちに訊く。「はい、目つき悪いです」、、、いやそうじゃなくて、眼の感じが、、ちがうやろ?、、、ええぃっ、もういいっ!、、、、とにかく、眼はしんどくても、日々の仕事は巡りゆく。

 今日は水曜日定例のJournal Club。当番のキムジュンは自分の仕事に関連の論文を紹介する。自然、後半は彼の仕事についての話題に集中する。キムジュンはおっとりしている。「こいつほんま、わかってんのか?」と思うほど、議論の途中でむちゃくちゃ反応が悪くなる。実験はたくさんこなしているのに、重要なポイントになる実験結果を優先順位をつけずにマイペースで報告する。まるで吉本新喜劇の「すかしギャグ」のようである。「ひょっとして、こいつ、ギャグのウデを上げたんか?」、、、そんなはずはない。私ならいざ知らず、セミナー中に高度なギャグをかます余裕もギャグセンスもキムジュンにはないはずだ(「ないはずだ」って、すまんキムジュン)。そんな中で、これからちょっと面白くなりそうな実験結果が突然ふと漏らされる。一週間前に出た実験結果らしい。「なんで、そんなおもろい結果、出てすぐに言わんのや!」という私の言葉に、再びキムジュンはフリーズする。彼の名誉のために言っておくが、彼は一生懸命仕事をやっている。実験量も決して少なくはない。ただ、問題認識と次への展望が甘いのだ。

 ということで、5時半から9時まで。キムジュンのすかしギャグ、ちがうちがう発表は続いた。あ、今日はサッカーアジア杯のサウジアラビア戦やんか。と、インターネットで開始時間を調べる。試合開始は10時20分だった。「今日、サウジ戦は10時過ぎからやんか。今から帰ったら見れるがな、サウジ戦!」というと、キムジュン。「サワフジさん?サワフジさんって誰ですか?」、、、ん〜っ、こいつ、ちょっとクサいがやっぱりギャグのウデが上がったのかも知れん。

posted by Yas at 23:08| Comment(0) | 私的先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする