2015年05月27日

あるベテラン秘書さんを偲ぶ会

 先日の日曜日(5月24日)。リーガロイヤルホテルにおいて菊谷研の秘書さんだったKKさんを偲ぶ会がしめやかに執り行われた。彼女は昨年の9月22日に、病気療養のかいなく亡くなられた。ちょうど、微研と東大医科研が主催する「第13回あわじ免疫・感染症学フォーラム」が開催される前日だった。彼女は微研・菊谷研究室の秘書として、このフォーラムの運営には深く関わってこられた。その開催時期に亡くなられたのは不思議な縁、と言っていいのかもしれない。

 KKさんは山村雄一先生、岸本忠三先生、菊谷仁先生のもとで秘書として仕事をされた方である。山村先生と岸本先生はそれぞれ11代総長と14代総長を務められ、菊谷先生も微研所長を務められている。いずれの先生も(あえて云うのも恥ずかしいが)著名で、輝かしい業績と経歴をお持ちである。こうした先生方が口を揃えて「彼女なしでは何もできなかった」とおっしゃるほど、研究室の裏方として素晴らしい仕事をされた。これは万人が認めるところだろうと思う。

 私は、菊谷先生が微研に移ってこられて暫く後に開催された微研の何かのパーティーで、木下タロウ先生夫人(はっちゃん)に紹介していただいて、初めて彼女を知った。その時はなぜ秘書さんをわざわざ紹介してくれたのか、よくわからなかったのだが、そのあと、私の研究室のすぐ上階にあった菊谷研に私が頻繁に出入りするようになってその意味がわかった。それほどこの人は菊谷研にとって(あるいは微研にとって)大切な人物だったのである。

 私が微研初のテニュアトラックであったプロジェクト助教授に就任したとき、「キクタニからお祝いしてもらうわ」と、(菊谷先生にお伺いを立てる前にさっさと)KKさんは私のために事務什器をあれよあれよという間に業者に注文してくれた。キクタニならそうするはずだ、という彼女の判断だったようだ。菊谷先生とKKさんとの信頼関係を示す出来事だった。
 上述の「あわじ免疫・感染症学フォーラム」の第1回は菊谷先生が担当された。教授になったばかりの私は(なぜか)まるで菊谷研の番頭さんのように、KKさんと相談しながらフォーラム運営の事務処理をして、その時にたくさんのことを彼女に教えていただいた。あるとき、フォーラム後に宿泊するホテルが取れずに困っていた外国人演者のために、「満室です」と予約をことわる一流ホテルに「大阪大学総長岸本忠三のゲストなんですけど、お宅では賓客のために部屋をリザーブしているんじゃないんですか?」と食い下がり、みごと一部屋を勝ち取った。彼女の実力を垣間見た瞬間だった。(まぁ、こんな事は彼女にとっては何でもないことだったと思うけれど)

 偲ぶ会は、岸本忠三先生や谷口維紹先生をはじめ大阪大学旧細胞工学センターや医学部第三内科の関係者のお歴々など100名以上が参列した。事務職員である秘書さんを偲ぶ会としては異例の規模である。いやそもそも、秘書さんを偲ぶ会が大学関係者主催で開かれることが今まであったのかどうか、これからあるのかどうか、、。このことを考えても、このKKさんがどれほど優秀な秘書であったか想像できる。

 岸本先生は「ワシが死んだら、偲ぶ会を仕切ってくれ」とKKさんに頼まれていたそうだ。なのに、KKさんの偲ぶ会の発起人に自分がなるとは思わなかった、と嘆かれていた。本当に、早すぎるお別れである。

 KKさん、今までありがとうございました。
 あらためて安らかにお眠りください。


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posted by Yas at 21:50| Comment(0) | 私的先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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