ここのところ、幸いにして〆切のある仕事がない。順調に自分のペースで仕事を済ませることができている。そうしたなか、本日は微研を去る大学院生やポスドクの研究発表会(微研コロキウム)があった。ちょうどいい。ここ数年は忙しくてなかなか参加できなかったので、顔を出してみることにした。んで、その衰退ぶりに驚いた。微研の規模から考えて、修了する大学院生や異動するポスドクは20−30人ほどはいるはずだ。実際、私が毎年参加していた頃は20−30題ほどの発表があったように思う。ところが、今日の発表はたったの7題。参加研究室は4研究室だけ。
こうした催事を企画運営する部員会委員長のトーガンくん、役員クラスのヒガシヤマくん、ショータくんが嘆く。部員会とは教授と准教授以外の全ての構成員が参加できる組織である。
「参加者は年々減るし、教授の協力は得られないし、部員会の活動はここ数年で終わりかもしれません」
つまり、助教、ポスドク、大学院生クラスの部員会活動への関心が薄れていたり、さらに研究以外に精力を傾けることに否定的な教授からのプレッシャーのために、参加しにくい雰囲気が醸成されたりで、部員会活動がままならない、ということらしい。
部員会の活動が研究室間の敷居を下げ、それが微研の研究活力の一部を支えていたことは、以前からの微研を知る人なら誰でも知っていることである(と私は思う)。私自身も部員会の活動を通じて知り合った仲間にずいぶん助けられてきた。こうした研究室間の風通しの良さがなくなると微研の特徴がなくなってほかの研究所や研究科と同じになってしまう。
人事の流動性を高めるという名目で導入された助教クラスの任期制や現行のポスドク制度のために、研究所に愛着を持つこともなく自分の研究の進捗だけに関心が向かうのは仕方のないことかもしれない。業績を挙げないと次の職がない、というのは確かに切実だ。でもそのことに縛られて、使い捨てのような抜き差しならない境遇を自ら作り上げていないか? 微研の古くからの優れた仕組みを利用して研究人としてのネットワークを広げるのもいいんじゃないか?
教授の先生方にもいいたい。若手名目のプロジェクトの推進時など、都合のいい時だけ部員会を利用していないか? 若手の活性化が必要だというのなら、部員会の活動は教授会からも後押しするべきではないか?
とまぁ、エラそーに言いました。でも、ホントにもったいないと思う。
こういうコミュニケーションが好きでない人というのは確実にいるので無理強いはしたくないんですけどね。
あまりにももったいない。
少なくとも、こうした活動を上から押さえるようなことだけは慎みたいと思うのですけど。、、これからは難しいかもしれません。
次の世代にうっとうしがられることをやらないという傾向が、研究も含めて社会を悪くしていると思うことない?
うっとうしいことをいっぱい言われやらされしたけれど、それが役にたっていることはないか。うっとうしいと思われそうなことを言うのがうっとうしいと思っていないか。自省すべきか時かと思う。
いまのヒトタチ(十把一絡げすまん)には、無理強いというか、「鬱陶しい」ことを言われるだけで相当なストレスを感じてしまうような余裕のない人が多いと思われませんか?
後進に忠言するのも難しい世の中になってるようにも思いますが、どうですか? まぁ、人によりますが、、。
か、あるいは、「ニセなかの」が現れたのかも、、。