2006年10月08日

養護教育

 昨日土曜日は、娘の高校の体育祭だった。娘は軽度の知的障害があり、養護学校に通っている。いま、養護学校は生徒の増加で飽和状態である。生徒が増えたのは、親のあいだで子の障害に対する理解が深まり、子供にはしかるべき機会にしかるべき場所で教育を受けさせたいという考え方が広がったせいと言われる。教室が足りず、本来教室以外の目的で作られた区画をも教室にして何とかしのいでいる状態だ。私の住む兵庫県には地域の養護学校とはべつに高等養護という学校が存在する。高等養護は少人数クラスで行き届いた教育が多方面でなされており、設備も良い。就職の状況もきわめて良好だ。毎年度、高等養護の希望者は募集人員の10倍以上あり、これを面接などで半年以上かけて希望者を振り落とし、最終的に入学試験時には3〜4倍程度の競争率にまで調整すると聞いている。そして入学試験の結果、成績の良い方から入学が決まる。つまり、障害児の世界でも競争原理がしっかりと存在するのである。高等養護に進学できるのは、ほんの一握りの子供達で、そうでない子供は地域の養護学校に進学する。私の娘もそうだ。

 昨年もそうだったが、養護学校の運動会を見ると担当の先生方の献身的な指導に頭が下がる。子供達の障害はさまざまで、たとえば徒競走などでは「走ること」以前に気持ちが不安定で落ち着かない子、「走ること」の意味がわからない子、そもそも「走ること」ができない子、がいる。そうした中で先生方はさまざまに工夫を凝らして徒競走やリレーを成立させている。中には子供よりも大きな声を出し、運動場を何度も行ったり来たりして子供達の手を引いて走り回っておられる先生がいる。見学席でもじっとしていられない子供達に目を配り、団体行動を成立させようと努力されている。中学校の特別学級で娘がお世話になったかつての先生も運動会には駆けつけてくださっている。ここまでして、「養護学校に運動会は必要か?」と一瞬考えたが、やっぱり必要だ。生徒達はやがて卒業し、何らかのかたちで社会と関係する。関係できるように親は願っている。その社会ではルールが存在し周囲と歩調あわせて行動することが求められる。彼らには普通に高校生活を送ることが必要なのだ。こうした現場で先生方は妥協することがあったりするのだろうか? あるいは好んで養護学校教諭という職を選ばれたのであろうか? と考えたりする。障害のある子には多分ゴマカシはきかないだろうと思うが、、。障害児の親としては本当にありがたい存在である。翻って、大学院で学生の高度教育に携わる者として自分はどうか? ちょっと、養護学校のあの先生方の一生懸命さには負けてるかも知れない。
 
posted by Yas at 23:26| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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