2009年04月15日

ベールを脱ぐ、ほにゃらら

 この1−2日のあいだに、微研本館前で建設中の融合型ほにゃららふにゃらら研究棟(微研では「新棟」と呼ばれている)の足場と養生シートの一部が取り払われて、その姿を現した。

IMG_0260.jpg


 ばばーんっ
ここに、微研所属の一部の研究室と微研財団、そして日本政府が後押しする世界研究拠点のひとつ、「免疫フロンティア研究センター」がはいるのだっ。





IMG_0262.JPG「あの○○がですねぇ、、××やからですねぇ、、、△△したほうがええとおもうんですよ、、」
 新棟を前にしてやいのやいの、、、あーじゃこーじゃ、、、の、先生方、,。
「なんや、ホリグチ。また写真撮っとんのか? またブログに載せんのか?」
、、、、、、、、、、


 いま活況の微研と、日本を代表する研究領域である免疫学の錚々(そうそう)たる先生方が、吹田キャンパス・微研の敷地内に集結することになる。その集約効果はひょっとしたらすごいものなのかも知れない。だが一方で、微研の一角を担う先生方が免疫フロンティア研究センターの所属になる。いわば微研が分割される、という考え方もある。

「免疫フロンティア研究センター」と「微研」は車の両輪である。一体となって協調的に運営することが双方の利となる、という考え方は関係の多くの先生方の一致した考えだ。だが一方である先生は、微研から分かれ立った「免疫フロンティア研究センター」と「微研」をローマ帝国から分割統治されることになった東ローマ帝国と西ローマ帝国にたとえられた。この例えは、的を射てなかなか微妙な点をついている、と私は思う。

 ローマ帝国が分割されたとき、息子たちに分割統治を託したテオドシウス1世は、あくまでローマ帝国の基礎を保った分割統治を期待していた。が、その後の東西ローマ帝国は independent に統治され、それぞれ(特に西ローマ帝国かな)の弱体化を早める結果になった。免疫フロンティア研究センターと微研のどちらが東西ローマ帝国に当たるのか? とかいうのはまぁいいとして、それから、微研をローマ帝国に喩えるのはどうなのか?とかいう有りそうな感想も、まぁいいとして、、。

 微研と免疫フロンティア研究センターは一体で運営していかねばならない、という覚悟がきっといる。歴史から学ばねば、,。と思うけど皆さま、どうでしょう?

posted by Yas at 22:43| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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