2009年02月16日

Papers in preparation

 私もいくらか年をとったとみえて、人事選考・人事考課や組織の業績評価で他人の業績目録を目にする機会がずいぶんふえた。その業績目録を見て、とても気になることがある。

 多くの人の業績論文リストの中に、 "in preparation" と注釈の入った論文がいくつも挙げられていることである。あるいは「業績のまとめ」と称して、論文になっていない内容がいくつも列挙されていることがある。私はこれが好きではない、というか、はっきり言って、このことでその人の評価をいくぶん厳しくしたりする。

 こういう人たちは「業績」というのをどう考えているのだろうか。業績をあげる、というのは大変なことである。結果をまとめて見栄えのよいように図表を作成し、ストーリーを考えて、慣れない英語で10-20ページにもおよぶ論文原稿を書き、投稿し、レビューアのコメントに沿って実験を追加したり、説明を加えたりして何度か編集者とやりとりし、それで何ヶ月か(時には1年をまたぐこともある)の後にやっと雑誌に論文が掲載されて、それではじめて「業績」と認められるのである。それが、「業績」だ。だからみんな業績を上げるのに四苦八苦しているのだ。

 そのことを認識しているのかどうなのか、こういう人たちは「業績まとめ」のなかにメモのような解説を書いて「業績」とし、「業績目録」のなかに適当な(あえて、適当といわしてもらう)タイトルと著者名を入れて "in preparation"と注釈を入れつつ「業績」とする。そんな検証不能なものを業績とできるなら何だって業績になる。

 業績目録を見て、何かを評価せねばならない立場の人は、ほとんど例外なく経験を積んだ研究者である。その人たちが、そんな上げ底の「業績」を見てどう感じるのか、想像して欲しい。「おぉっ、まだ論文にはなってないがこの人はがんばってるじゃないか」とは絶対思わない。業績を上げるのが大変なことを知っている彼らは、そんな「業績」が評価に値しないことをよく知っている。私なぞは逆に、「この人は業績というものがなんたるかわかっていない、あるいは甘く見ている」と感じて評価を厳しくしてしまう。

 こういう「業績」に甘い考えを持っている人が、それなりの立場になって他人を評価する立場になったときにどうするのだろう? と、考えるのは杞憂だろうか?



posted by Yas at 22:40| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]