2008年09月30日

ムードでロマンを、、

 先日、京都・伏見にある船宿の寺田屋は鳥羽伏見の戦いで焼失しており、現存のものは立て替えられたものらしい、というニュースが新聞等で報道された。寺田屋は薩摩藩士同士の切り合い「寺田屋騒動」(ちょっと前の「篤姫」でもその場面があった)の現場でもあり、坂本龍馬が幕吏に取り囲まれて命からがら伏見薩摩屋敷に逃れた「龍馬襲撃事件」の現場でもある。

 このニュースは結構ショック、、。ちょっとネットで調べてみると、中村武生という歴史地理学者の方がすでに2005年の10月13〜25日のブログに根拠を示してはっきりと書かれている(知らない人なので直リンクは避けた。興味のある方はググってチョ)。どうも再建説は間違いなさそう、、。

 現地には2度ほど行ったことがある。確かに隣の公園に「寺田屋遺址」という石碑があったのでちょっと変には思っていたのだけれど、、。幸い、建物内の見学料をケチって中には入ったことがないので「お龍の駆け上った階段」とか「お龍の入っていた風呂」とか、「龍馬の部屋」とか、当時の刀痕や弾痕とかには騙されないですんだ。

 寺田屋は何度か持ち主が代わり、現在の経営者はあまり事実を知らない様子である。それもどうなの? と思う。 なんとなく、あまり深く考えずにロマンをかき立てるようなムードで「当時そのままの寺田屋」を演出してしまったのだろう。心情的には、わかるけどねぇ。

 ところで、私が育った街には大坂冬の陣で真田幸村が大阪城と出城(真田丸)との連絡のために用いたといわれる「真田の抜け穴」の跡があった。三光神社という神社の境内にあって、そこは地元小学生にとって缶蹴りのメッカだったのでよく知っている。中にも入ったことがある。ちょっと行って左だか右だかに曲がるとすぐ行き止まりだったように覚えている。地元の人はこの抜け穴をあまり信じてなかったのではないだろうか。

 そんな感じで「真田の抜け穴」跡は私が子供の頃は全く放置されていたはずなのだが、今やその入り口は鉄の扉で堅く閉ざされ、ご丁寧にその扉には真田の六文銭の紋様があしらわれている。さらに、その前には真田幸村の銅像まで建てられている。大阪城天守閣(博物館になっている)の付近史跡案内にも「伝真田の抜け穴」と紹介されている。

、、、なんか、これもムードでロマンをかき立てているニオイがするのだが、こちらの方はネットで調べても正面から異議を唱えるサイトには行き当たらなかった。最近、20年以上振りでその三光神社に行ったとき、私の子供時代には考えられなかった観光客らしき人がそこに何人かいた。その、ムードでロマンをかき立てたかも知れない結果だろうか、、まぁそのかわり(と違うけれどね)、缶蹴りする小学生はいなかった。
posted by Yas at 19:27| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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