2008年09月25日

経験という厄介なもの 2

 昨日の続き、、。

 研究の次への過程で、いくつかの選択肢があるとする。私は自分の経験に基づいて、そのうちの一つを研究室のメンバーに指し示すことができない。なぜなら、経験というのを信用していないからだ。という話である。

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と云う。一方、塩野七生さんは「そりゃぁ、歴史も経験も大事だろう」と著書「ローマ人の物語」で書いている。私は塩野さんに賛成だ。私だっていっちょまえの経験を重ねて、若造の頃よりは小マシな人間になったと思っている。経験が人を育むのは間違いない。けれど、実験の話に戻れば、方法論も材料も取りまくインフラもすっかり様変わりしているのに、それでも自分の経験を振り回すような恥ずかしいまねはできん。私はとくに成功者の経験談は参考にならん、と思っているし。

 おまけに、色んな制度疲労で社会のあちこちがおかしくなっとるという時に過去の成功体験なんぞは役に立たん、という思いもある。先を示すことができるのは、しっかりした知識と予見性に基づいた判断である。自分の経験で自分が成長しているのは間違いないが、他人にそれを当てはめることができるのかどうか、、ということも疑問。

 では、自分に正確な判断をもたらす十分な知識と予見性があるのか、、? ということで、やっぱり、

「そう、、君がそう思うんやったら、そうしなさいな、、」ととりあえず言ってしまうのだ。


posted by Yas at 21:23| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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