2008年08月13日

飯田成子先生

 昨日の朝、高校時代の恩師、飯田成子先生が亡くなった。今夜、西田辺であった通夜から今しがた帰ってきたところだ。

 飯田先生は私の三年生の時の担任であった。何かというと「話し合い」あるいは「総括」と称して生徒に議論会をさせるのが主流であった我が母校のホームルームの時間、委員長の私に「クラスで決めれば、ホームルームの時間は何をやってもいいわよ」とおっしゃり、実際に「卓球大会」だの「演芸会」だの「ピクニック」だのリクレーション目白押しの委員長提案を笑って許してくださった。

 ある日の実力試験、現代国語で三島由紀夫の「金閣寺」が出題された。題名と著者名が問題になっていた。「あれは金閣寺や、読んだことがあるから知っている」と試験後に級友に自慢する私に、通りがかった飯田先生は「あなた、いくら読んだことがあってもしっかり身に付いてないとダメだわ」ときっぱりおっしゃった。飯田先生は国語担当である。答案用紙が戻ってきてみると、私は「三島由紀夫」と書くべきところを「三島由起夫」と書いていたのだった。それを試験中に見かけられて、いい気になっている私をきっちりとたしなめられたのだ。 

 高校最後の文化祭。やはりお固い「研究課題発表」で多数を占められるのが我が校の文化祭だ。そんな中で飯田学級は映画作製を決める。それを許し、強力に援助してくださったのが担任の飯田先生だった。私はこのとき脚本・監督をさせていただいた。高校生の素人映画としては傑作だったと自負している。

 進学先に農学系あるいは獣医系の大学を志望する私に
「どうして? あなたはジャーナリストか作家か、なにかモノ書きになるのがいいと思うんだけど?」と何度もおっしゃった。
志望先の最終決定日に、やはり獣医を志望する私に
「仕方ないわね」と言い、「ふぅ」と大きなため息をつかれた。

 あの、「ふぅ」は耳に残ってます。けっこうききました。

 おのれの変な思想信条で生徒にモノを言う教員が多かったあの学校の中にあって、物腰は柔らかく上品で、しかしきっぱりとモノを言う、本当の大人の先生でした。

 安らかにお休みください。   合掌
posted by Yas at 00:03| Comment(2) | 私的先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
またまた、もの凄く驚かされてしまいましたので、思わず、書き込みさせて戴きました☆
実は、清水谷高校3年生の時の私の担任の先生も飯田成子先生でした!
加えて私の母も清水谷高校出身で、飯田先生が担任をされていた様な。。。久しぶりに実家に連絡を取って確かめてみます☆
2年前に他界されたのですね。。。。。
遅まきながら謹んでご冥福をお祈り致します。
Posted by 小川 真智子 at 2010年06月17日 22:39

 あ、なんだかそんな気がしてました。小川さんも飯田先生のお世話になったのではないかと、、ぜんぜん理由はないんですけどね。
 飯田先生は私にとって思い出深い良い先生でした。本編でも書きましたが、「どうして獣医なの?」と何度も尋ねられたことはほんとによく覚えています。ん?ひょっとして小川さんと私は同級生? ということはないですわな。

Posted by Yas at 2010年06月20日 20:47
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