2016年02月29日

「ウチ」の「カキ」

 いま放映されている NHK 朝ドラの「あさが来た」をほぼ毎日見ている。脚本がいいのだろう、ストーリーがすっきりしていて、セリフのやり取りも面白い。こういう楽しい番組があるだけで、朝のひと時がすいぶんと違ってくる。

 しかし、ひとつだけこの番組で気に入らないことがある。舞台が大阪のこの番組で何度も出てくる「ウチ」というセリフの発音だ。主演の波瑠さんをはじめ、演じる女優さんたちの「ウチ」の発音が私にはおかしく聞こえるのだ。私にとって幼い頃に聞き慣れた「ウチ」の発音が違うと、その度にぎょっとしてドラマに集中できない。そういうと家内には笑われるが、本当に気になるのだから仕方がない。

「ウチ」は一人称の大阪弁である。一人称単数にも複数にも使う。ただし、一人称単数で使うのは女性だけだ。一人称単数では「ウ」、複数では「チ」と発音する。ドラマ「あさが来た」の女優さんはほとんど全員が一人称単数、つまり自分のことを指す「ウ」を「チ」と発音している。私にとって正しい発音をしているのは、私が見た中では女中「うめ」役の友近さんと、主人公「あさ」の娘である千代の友人の「田村宣」役の吉岡里帆さんだけだ。友近さんは愛媛県、吉岡さんは京都の出身である。少なくとも西日本出身の女優さんの「ウ」は私にはしっくりと聞こえる。

 ネットで調べてみると、発音についてはどうもいろいろと説があるようだが、少なくとも大阪市内の私の周囲(すなわちドラマ「あさが来た」の舞台界隈)では、そのような発音だった。
 

 言葉の発音は微妙で難しい。研究室で似たような話題になった時に、私や他の関西出身のスタッフが口にする「季」と「柿」と「牡」は、東日本出身のシンザーやイッシーには「夏季」以外は区別がつかないということがわかった。ええいっ。不便なやっちゃ。

 しかし、同じ日本国内でも日本語の発音に苦労するのだ、。英語の R と L とか、wh とか th とか、、聞き取れんでも発音できんでも構わんやろっ。と今更ながら改めて思ったりした。


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posted by Yas at 19:00| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月22日

レヴォーグ1周年

 本日、レヴォーグ納車から1周年。

IMG_2471.jpg 愛車は昨日、ちょうど12ヶ月点検から戻ってきた。1年間の走行距離は13,000 km と少し。これまで全く不満はない。驚くほど走行性能は高いし、燃費も悪いわけではない。前車のグランディスよりも4割ほど良いくらいで、前車と違ってレギュラーガソリンでいいので、月間の燃料代は半分くらいに減った。



DSC01717.jpg
 何よりも、これまで所有したクルマの中で、これほど運転していて楽しいクルマはなかった。点検中はスバルの別のクルマを代車に割り当てられていたのだが、レヴォーグが戻ってくるのが待ち遠しく感じるほどだった。

 そういえば、最近は遠乗りしてないな。、、春には何処かに行こうかしらん。



 一応、記念に、。ブログにアップしてみた。


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posted by Yas at 21:47| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月19日

「焼きのり」と「ブタの鼻」

 先日、久しぶりに「よしむら」で吉森先生とお酒を飲んだ。実は「よしむら」を訪れるのは1年ぶりだ。店の引き戸を開けて顔を出した時には、さすがに「最初見た時、誰だかわかりませんでしたよ」と言われた。、、、よしむらさん、不義理しててすんませんでした、、、。

「よしむら」さんは私が大阪で一番美味しくて居心地がいいと思っている居酒屋さんである(、、それならなんで1年間もご無沙汰やったんや? というのはナシにしてね、、)。魚、肉、野菜にかかわらず、出してくれる料理は完璧で、よしむらご夫婦との話も楽しい。鰆の昆布〆、太刀魚の焼き物、牡蠣昆布、、美味しゅうございました。

 楽しく飲んでいてふとメニューを見ると、1年の間に幾つか見慣れないメニューが増えている。その中に「焼きのり」というのがあった。「なんですか? これ? 焼きのりだけだしてくれるん?」と尋ねると、よしむらさんは「焼きのり、いきますかっ」と嬉しそうにいう。よほど自慢の「焼きのり」らしい、、。「焼きのり」が自慢? わけがわからんが、面白そうなので注文してみた。

 すると、出てきたのがこれ。

IMG_2468.jpg

 よしむらと彫られた木箱。? 事情を知っている吉森先生は大笑いして喜んでいる。こっちは何のことか、相変わらずわからない。




IMG_2469.jpg 実は、この木箱、フタを開けるとこうなっている。

 木箱の底には、火のついた炭がある。さらに和紙を底に張った中箱があってそこに海苔が入っている。どうやら、炭火で海苔をほんのりあぶりながら食べましょうという企画モノのようだ、、。お好みで、ワサビをつけて、、、。よしむらさんは自慢げである。

「なんで、こんな、、焼きのりにここまで凝るんですかっ?」と聞くと、、
「ホリグチ先生のブタの鼻の研究と同じですよ。なかなか他人にはわかってもらえない『こだわり』って言うんですか?そんな感じですわ」
 い、いやっ、オレのブタの鼻の研究は仕事やし、、、いやいや、よしむらさんの「焼きのり」も仕事か、、。でも、こ、こだわりって、、ちょ、ちょっと違うし、、、いや、一緒か、、。いやいや、しかし、「なかなか他人にはわかってもらえない」って?、、。

 一流の料理人であるよしむらさんの仕事を、私の研究に例えてもらって光栄である、、。焼きのりも絶品であった。
しかし、なんかちょっとだけ、しっくりこないものを感じた夜であった。



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posted by Yas at 10:37| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月10日

"without any requirement for ,,,"

 研究の世界に長くいると、多かれ少なかれ誰しも何らかの科学雑誌の編集委員(Editorial Board Members)を務めるようになる。私もそうだ。多くはないが幾つかの国際雑誌(と自称、他称しているもの)の編集委員に名を連ねている。

 そのうちの一つに、編集委員を引き受けたものの、その役目を果たすのに少し重荷を感じている雑誌がある。この雑誌の出版社は、いわゆるメジャージャーナルとその姉妹誌をたくさん抱えていて、超高額な講読料や話題性重視(偏重)の編集方針(と世間で思われている)で、時折り研究者コミュニティーからやり玉に挙げられている。その出版社が抱える雑誌のうち、私が編集委員を引き受けたのは Open access, Peer review, Fast decision を唱う、比較的新しい流行りのスタイルをとっている雑誌である。編集方針には「本雑誌に掲載する論文の要件は、技術および方法論が確かな原著であること。インパクトや新規性は問わない」ことが明記されている。論文の重要性の評価は読者に委ねるということだ。同様のコンセプトの雑誌は他の出版社(組織)からも出版されている。しかし実はこの編集方針が、時に編集委員にとって厄介なものになる。

この部分、かつては確かに"without any requirement for novelty or broad interest"のような表現になっていたのだが、最近 ",,without any requirement for impact or conceptual advance" に変更されている。「novelty(新規性)を問わない」ことに無理があると雑誌社も気づいたのだろうか、。

 少し前までの常識では、科学論文は堅固な方法論で成立していることは当たり前で、内容の評価は、新規性とインパクトの大きさに依って立っていた。レビューアは新規性のある結論を確かなものにするために追加実験を要求したり、より良い論文になるように助言を与えたりするものだ。ところがこの雑誌では新規性は問わないといい、その基準に従って論文を評価するように編集者やレビューアにも要求する。つまり、新規性も科学領域に与える影響もほとんどない結論の論文でも、方法論的にちゃんと実験していれば、この雑誌では採用されるということになる。普通に複数の実験をして、何らかの無理のない結論を導けば採用されるということだ。

 無論、この雑誌に投稿されてくる論文の中には、道理のわからない実験と稚拙な考察で構成されたようなものもある。このような論文は問題なく不採用だ。しかし、方法論には問題はないが全く新規性のないものや、結論にも問題はないが何の意義があるのかわからない論文を、この雑誌の基準で評価するのは難しい。基準をまさに尊重するなら、これらの論文は採用されてしかるべきである。しかし新規性や影響力を意識して研究を進めることに慣れた研究者の性が、これを許さない。レビューアは問題点を挙げて厳しい(本来正当な)評価をし、私は不採用を決める。

 不採用を決めると、しばらくして出版社のオフィスからメールが届く。「本当に不採用なのか?あなたが一度不採用を決めると著者は二度と再投稿できないのだが、しかるべき修正を加えることで採用にならないのかどうかもう一度考えてくれないか?」「レビューアのひとりはコメントの冒頭で『興味深い知見を含んでいる』と書いている。興味深いということは改訂をすれば掲載可能なのではないか?」 というのである。編集者としては、編集方針に照らし合わせてどこがどのように問題で不採用となったのかを(もちろん英語で)申し述べなければならない。不採用のたびにこんなやり取りが繰返される。これほど労力がかかって無駄なことはない。これに対して、論文を「採用」とした場合はオフィスからクレームが届いたことはない。それならばいっその事、どんな論文でも「採用」にしてしまえという衝動に駆られてしまうほどである。実際、そこまで極端ではないが、知見の新規性の乏しい(いわゆるつまらない)論文を編集方針の基準に照らして「採用」にしたことはいくつもある。

 なぜこれほどまでにこの雑誌社は論文の不採用を嫌がるのか? もしかすると、インパクトには欠けるが中堅どころのそこそこの論文を根こそぎ自分たちの雑誌で掲載して、他社の雑誌に回したくないのではないか? と勘ぐりたくもなる。

 こういうことをしていると、玉石混淆の論文が大量に投稿されてくるのは想像に難くない。一方、編集委員は今までの経験から、投稿された論文の担当を引き受けてしまうと大変な作業があとに待ち構えていることがわかっている。だから、よほど自分の領域にフィットした論文でなければ、担当を断ることになる(はずだと思う。私はこの雑誌に限ってそうしている)。その結果、大量に投稿された論文はオフィスでスタックし、オフィスのチェックが終わっても、編集委員をたらい回しにされてなかなかレビューアが決まらないということが起こる。

 実際、この雑誌はそんな状況に陥っている。つい先日、オフィスから「あなたの専門領域から外れることはわかっているけれど、担当してくれる編集委員がいないのよ助けて」と懇願するような依頼が来たので仕方なく引き受けた論文の履歴を見ると、12月23日に投稿、オフィスのチェック終了が1月6日、そのあと9人の編集委員に断られて2月5日に私のところに届いている。投稿からレビューアに回るようになるまで一月半である。その前に届いた投稿論文も同じようなものだった。もはや、この雑誌の売りであった Fast decision は望めない。さらにすでに書いたように、この雑誌で採用された論文の質は必ずしも良いものばかりではない。つまるところ「研究のインパクトは論文を掲載した雑誌のインパクトと無関係で、個々の論文がそれぞれ別個に評価されるべきだ」との考え方に基づいて考案されたこのような雑誌の編集システムはかなり危うい状態になっていると私は感じている。

         ー     ー     ー     ー     ー

 一方、有名な雑誌社のブランド名が影響しているのか、この雑誌の Impact factor は実は低くない。その Impact factor を目当てにまた大量の論文が投稿されて、またオフィスにスタックしてと、悪循環に陥っているようにも見える。普通に考えればこのような雑誌の Impact factor が高止まりするはずはないのだが、、、。この雑誌とほぼ同じコンセプトで編集されている別の雑誌の Impact factor は年々下がってきている。しかし、私が編集委員をしている方の雑誌の Impact factor は、驚いたことに上昇傾向にある。そんな Impact factor に見合うだけの論文が本当に掲載されているのか、はなはだ疑問だが、事実上がっているのだから仕方ない。私は別に Impact factor 信奉者ではないが、 この数字が今後どうなるのか少しだけ興味がある。

 こういう状況を見て、昔読んだショートショート(超短編小説)を思い出してしまった。作者は星新一さんか筒井康隆さんだったと思う。こういう話だ。ある日、主人公の男はテレビを見ていて、画面に合わせるかのように自分の目に数字が映るようになったのに気がついた。調べてみると、どうやらその数字は見ている番組の視聴率のようだ。見えた数字を記録しておいて、後日発表された視聴率と照らし合わせるとぴったりと合っている。この特殊能力は、最初は、男にとって特段役に立つものではなかったが、やがてそれが世間に知られるようになると様相は変わる。この男がいれば労力とコストをかけて視聴率を調べる必要がなくなり、テレビ業界は視聴率調査を男の手(目)に委ねるようになった。そしてついには、良い数字が見えたことにしてもらおうと、テレビ局関係者がこぞってこの男を饗応するようにまでなり、男は大金持ちになる。しかしその時、実はもう男には視聴率を感知する能力はなくなっていたのだった。だが男は全く困らない。なぜなら、世間にはすでに視聴率を調査するシステムが完全に失われていて、視聴率は男の思うままに決められるようになってしまっていたのだから、、、。
 
 雑誌の Impact factor は今もしっかりとした調査に基づいて算出されているのは知っているが、その計算に使われる数字が雑誌社のブランド名に引きづられて、掲載されている論文の実態とかけ離れて一人歩きしているとしたらどうだろう? 確かに Impact factor も視聴率も、論文や番組の質とは直接的には関係がない、という意味では同じなのかもしれない。そうだとすると、我々は今、このショートショートと似たような状況の中にいるのかもしれない。ショートショートの中の男の目は、雑誌社のブランド力に当たるのかもしれない。男を饗応する局関係者は、我々自身である。



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posted by Yas at 17:13| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする