2014年03月31日

ホリプレ論文篇22「なぜ論文が書けないのか?」(第87回日本細菌学会総会2)

 今回の学会では、昨年の第7回若手コロッセウムで奨励賞をいただいたオカケ−が、受賞者の義務である若手セッションでの口頭発表を務めた。それと、サーヤがポスター発表。これは前回書いたように、優秀賞なるものを頂戴した。そして私は、若手の先生に依頼されて若手向けの講演をすることになっていた。依頼されたテーマは「論文の書き方」である。

 一度は断ったのだが、セッション世話人の徳島大の田端さんに「どうしてもお願いします」と粘られた。粘られると弱いのが私の欠点で、結局引き受けることになった。んで、どうせ引き受けるのなら言いたいことを言ってやろと心に決めて書いたのが、ちょっとエラそうで厳しい、以下の講演抄録である。

なぜ論文が書けないのか? ー「ホリプレ」論文篇ー

 科学論文とは、科学研究成果を記載した報告書のことをいう。しかしそれだけではなく、それが「科学論文」であると一般に認められるためには、その報告書が雑誌・書籍で掲載(公表)されなければならない。掲載(公表)されるためには、その報告書は一定の様式に則って記述されなければならないし、研究者仲間の批評に晒されかつその批評に適正に対応しなければならない。こうした「must-do」を乗り越えて、はじめて正当な「科学論文」であるということが認められるのである。一方、こうしたハードルのない学会発表の抄録や研究助成金の報告書の類いは科学論文とは認められない。
 上記のように一定の手順を踏んで公表した科学論文の質や量は、ほぼそのまま著者である研究者の評価につながる。この事実に対して色々と異論を唱えるのは自由だが、研究者のコミュニティーでモノを言うためにはとりあえず論文を書かないと一人前とは見なされず、一人前ではない人間のいうことなどには誰も耳を傾けたりしない。研究者は論文を書いてこそ、研究者なのである。しかし、周囲を見渡すと年齢や研究歴に関わらず、学会抄録は書けても論文は書けないという人は実は非常に多い。そこで、本演題では「なぜ論文が書けないのか?」を中心に科学論文の書き方について考えてみたいと思う。論文が書けない理由は様々だと思うが、本演題の議論で「書く」ためのヒントを掴んでいただければ幸いである。

 

 私は、生命科学系の大学や研究機関に所属する研究者のうち3−5割くらいの人が論文を書けないのではないかと経験上感じている。初学者はもちろんだが、年齢を重ねた研究者でも論文を書けない人は書けない。そんな思いが「なぜ論文を書けないのか」というタイトルを私に選ばせた。科学的論理を構築する能力があれば、科学論文を書くのに文才はいらない。書き方の作法やルールを勉強して訓練すればよいだけの話だ。それを怠るから書けない(もっとも、科学的論理性のない人には別のトレーニングが必要だが)。この講演ではそのようなことを伝えようと思った。当初、発表時間が20分だというので「それは無理だ」と25分程度に延長してもらった。論文の書き方を話すには25分でも本当は足りないのだ。、、、最初は断ったくせに、えらい気合の入れようである。

 用意したスライドは39枚。日頃ホリプレで「スライドは講演時間1分あたり1枚」と言っている私にすれば異常な枚数である。これを超早口で喋って24分で講演を終えた。話している最中のフロアの反応は割り合い良かったし、講演後には多くの方にも色々とよろしげな感想を頂いたので、出来栄えはそんなに悪くはなかったろうと思っている。
 
 さて、今回の学会場では、羊土社さんがブースを設けて拙著「研究者の劇的プレゼン術」や盟友アベッチの著した「もっとよくわかる! 感染症」を販売してくださっていた。拙著のことは、私と同じセッションで講演した新潟大の小田さんが講演中に宣伝してくれてもいた。そこで、会期途中にブースにいらした担当の方に聞いてみると拙著は完売したという。どひゃー、すげぇーじゃん、と東京弁で驚いたが、さらによく聞くと今回用意していただいたのは10冊だったという、ちょっと微妙な話だった。


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