2014年03月10日

Misty

 さらに前回の続き。

 どんなに優秀な研究者であっても、一人で論文を科学雑誌に公表するのは不可能である。その辺は当たり前だがブログなどとはずいぶん違う。まず原稿の段階で、論文は研究グループの間で何度もやりとりされて修正される(はずである)。雑誌社に投稿すれば、科学者である academic editor の手を経て、一般には複数の査読者に回されて内容を精査される(はずである)。つまり、論文が公表されるまでには、執筆者以外の多数の科学者が論文をチェックする(はずである)。一方、当時私が関係したこの不正行為は、全部で30件以上、1件に数カ所から数十カ所の不適切なデータの貼り合わせや重複が認められた極めて悪質なケースだった。それがなぜ、8年間も誰からも指摘を受けることなく続けられたのか? 残念ながら、査読者がまともに査読していないことを伺わせるような論文は巷の科学雑誌にあふれているので、百歩譲って、査読の段階では上手くチェックの目を逃れられたということにしておいてもよい(よくはないが)。しかしそれでも、同じ研究グループの人間がなぜ8年間も、100カ所以上ものデータの不正使用を見抜けなかったのか? 

 調査を始めた時、私はひと目で不正使用を発見することができた。別に私の目が良いというわけではない。実に無造作にデータが使いまわされていたのですぐに見つけることができただけである。大した隠蔽工作をするでもないおびただしい数のデータの使い回しを見て、鳥肌が立つほどだった。私の調査結果を見た知人は「この人は、ほんとは不正行為を見つけて欲しかったんじゃないか?」とまで言った。それが、長年の共著者であり論文の内容に応分の責任がある研究者たちの目には止まらなかったのだ。不思議でならない。

 共著者の一人は「彼/彼女が、そんな不正行為をするなんて信じられない」という言葉を繰り返した。「共著者である以上、あなたも『不正行為をした』ことになるんですよ」と私は思ったが、私の役目は調査であって糾弾ではないのでそれは言わずにおいた。別の共著者は「私は何も知りません」と憮然としていた。私は、共著者が何も知らないなんて言うべきじゃないでしょ?と思いながら、被害者然としているその人を眺めるばかりだった。それと、あの筆頭著者の憔悴しきった顔。奇妙な印象だけが残った。私がこの件で知っている話はこれだけである。その後の調査委員会の報告では、私が当初報告したものよりも小さい範囲で不正を認定し、ほぼすべての論文の筆頭著者で説明責任があるとされた研究者は所属機関を去った。

 あの筆頭著者は果たしてデータを流用することが不正行為に当たると理解していたのかどうか。私は今でもよくわからない。もしかすると「結論に間違いはないのだから、データなど流用しても構わない。論文の中身が杜撰でも構わない」と本気で思っていたのかもしれない。あるいはそんな考え方が普通であると錯覚するような経験をしたのかもしれない。

 今や、研究に関わる多くの人間が研究のインパクトや新規性やストーリーの整合性ばかりに気を取られて、論文の客観性や正確性には注意を払わなくなった。研究グループ内においても、論文の査読段階でも、さらには出版社の編集者の頭のなかにも、そんな悪習(悪臭でもいいか)が蔓延るようになったと感じることが多い。研究員や学生の書いてきた論文の Introduction や Discussion には熱心に添削を入れて意見を言うが、Materials & Methods や図表やその legend (説明文)は全く見ないという指導者が結構いる、という話も聞く。科学雑誌の数は増える一方で、しっかりとした倫理観と方法論をもってしっかりとした論文を書ける研究者は、もしかして減っていくのか? 悪貨は良貨を駆逐する。いま、そんなことが起きているとしたら、間に合わなくならないうちに、若手研究者や学生を指導する立場の人間は厳とした論文作成の指導についてまじめに考えるべきだ、と思う。

 以上、最近のSTAP細胞にまつわる一連の報道を見て私が思い出したことを先月末からダラダラと書いた。私の経験した不正行為の事例と今回の STAP 細胞の不正疑惑は、とても状況が似ているように感じている。 


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posted by Yas at 20:23| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする