2014年03月08日

It's a sin to tell a lie 2

 前回の続き。

 この一連の論文データの不正使用の調査が始まった当初、説明責任のある研究者側からは不正箇所ごとに三通りの対応が示された。いわく、「著者が確認したところ、『問題ない』と判断する」「データの重複等を確認したが、不注意によるミスである。再実験をして再度データを提出する」「データの重複等を確認した。不注意によるミスである。出版社に著者訂正を申し出る」というものであった。
「『問題無い』と判断する」というコメントも「不注意によるミスである」というコメントも、問題を調べあげた側から見ればとても容認できるものではない。さらに納得いかなかったのは、前回に書いたように「(一連の研究結果とその)結論に間違いはない」という著者らからのコメントだ。「結論に間違いがなければ、データの使い回しなど(百歩譲ってケアレスミスならばなおさら)大したことではない」というコンセンサス(共通認識)がもし科学界に存在するのなら、誰が4日間もかけて不毛な調査などするものか。データが際限なく重複するような杜撰な論文は、科学への信頼を揺るがすものだ。そんな論文を許せるはずがない。その認識がないとしたら、それだけでも科学者としての資質を問われるべきだ。誠実さがない。私はその研究者のことをそう思った。

 科学における不正行為には、剽窃、改竄、捏造、二重投稿などがある。なぜ科学者はこうした不正行為に手を染めるのか。上司からの圧力で止むに止まれぬ状況になったのか、立身出世主義者が手っ取り早く一旗揚げるために企んだのか。この時の問題も、そんなことが原因なのだろうと私は漠然と思っていた。

 しかし、調査が始まると不思議な印象を受けるようになった。この時の問題で最も責任が重いとされていた研究者は、私が調査中に会った時にはかなり憔悴して疲れているように見えた。調査のために提出を依頼した実験ノートや生データは保管が悪く、またそもそも記録を正確に残すことをしていなかった(たしか、この人は『そういう習慣がない』と驚愕の説明をしたように覚えている)らしく、すでに存在しないものが多数に及んだ。コンピュータのハードデスクに保存してあったデータなどは、ある日、突然何者かに消去されていたという。にわかには信じられない説明である。そして、とにかく疲れきっているが誠心誠意調査には協力する、というこの研究者の奇妙な姿勢が強く印象に残った。少なくとも、手っ取り早く成果を挙げるために本人が自分で計画的に不正行為に及んだようには思えなかった。

 その後、私は調査委員会から外れた。しかし奇妙な印象は残った。事の発端となった最初の私の調査では、不正とみられるデータの修正や使い回しは、あの研究者が初めて筆頭著者となった論文から始まっている。その時、本人が大学院在学中かあるいは修了後だったのかは今では思い出せないが、どちらにしてもこれから研究人生を歩む最初の一歩を記すような論文で故意にデータの不正使用などするだろうか? またこんな話も聞いた。データの不正使用は電気泳動の内部標準の泳動バンドで多数見られたのだが、その人は「内部標準などというのは、何度やっても同じようにバンドが出るので実験毎にデータを取るのは無駄である。だから写真を使いまわした。何の問題もないはずだ」と弁明したという。これはつまり、本人が実は科学的な考え方を涵養するような教育をまともに受けてなかったのかもしれないことを示している。

 ところで、一連の問題の論文はほとんど全て同じ研究室から発表されている。だから、その研究室に属する何人かは問題となるすべて(あるいはほぼすべて)の論文に共著者として名を連ねている。

 この人達は一体何をしていたのか? 、、、、つづく。


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posted by Yas at 22:02| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする