2014年02月28日

It's a sin to tell a lie

 前回の続き。ずっとずっと昔の、ある時ある所で起こった出来事について書く。

 その頃私は、ある学会で雑務一般を受け持つ担当役員だった。円滑に学会運営ができるように雑多な仕事を処理するのが役目だ。色々な事例に対応しなければならない。ある日、ある学会員の関係する論文のデータに不正があるらしい、という噂が私の耳に入った。しかしその段階ではただの噂だ。忙しいのにそんな噂話にいちいち対応していては、いくら身体があっても足りなくなる。だからその噂話は噂話としてしばらく放っておいた。しかしその数カ月後、別の情報筋から全く同じ話を聞いた。別のところから同じ話、それも良くない話を耳にしてしまっては、そのままにしておく訳にはいかない。仕方ないので(ほんとにそんな気持ちだった)、その真偽を確かめるべく噂話のターゲットになっている研究者の論文をダウンロードして読んでみることにした。、、、すると、内容を理解する必要もなく、ひと目でその論文にデータの使い回しや改竄(かいざん)のあることがわかった。そうしたいわゆる「不適切な」データの使用は、電気泳動や細胞の顕微鏡写真などの画像データ、FACSプロファイル、データグラフにまで及んだ。

 信じられない気持ちで、該当の研究者の論文をリストアップして発表年順に調べてみると、不正使用があると思われる論文は8年間に発表された15篇以上で、不正件数は30件以上。1件の不正使用に数カ所から数十カ所のデータの使い回しや改竄が見られ、それは150カ所を超えた。凄まじい数のデータの不正使用である。同じデータが別個の論文にわたって使用されている例も多数認められた。ある論文では、サンプル数が8種しかないのに、そのサンプルの内部標準だけがなぜか9種ある電気泳動像(つまり、1枚のゲルの電気泳動の同じレーンであるべきところが、試験データと内部標準でレーン位置がずれている)まであった。このデータを掲載した雑誌は、いわゆる中堅の、研究者から信頼されていた(はずの)雑誌である。この論文を査読したレビューアの目は全く節穴であると云うしかない。数十枚の顕微鏡写真から構成された図では、そのうちの3分の1ほどが縦横の比率を変えたり微妙に視野をずらした同じ細胞の写真だった。そしてそれらの写真は複数の論文で使いまわしされていた。

 研究の不正行為、すなわち論文に掲載された実験データの不正使用の調査などという行為は、このうえもなく不毛である。正確で詳細な調査には膨大な時間を要する。そして誰も得をしない。そんなことを思いながら4日間かかってすべての論文を調査し、報告書を書いた。それを学会が受理し、所轄省庁に報告した。そして、該当の研究者が所属する機関に調査委員会が設置された。私はその調査にもいくらか関係することになった。その調査中に何度も耳にしたのが、説明責任のある研究者側が口にする「結論に間違いはない」というセリフであった。

 つづく。

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posted by Yas at 22:33| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月23日

「研究成果そのものは正しい」と言ってしまう不見識

 現役の研究者としては何とも書きづらい話を、ちょっと書いてみることにした。

 先月末に発表された STAP 細胞の論文および以前に公表された関連の論文で、掲載された実験データの画像に不自然な点があるという問題についてである。新聞記事にもなったのでご存知の方も多いと思う。現在、関係機関等で調査中というのでその中身については問わない。書きたいのは、この問題を調査すると発表したその時に関係機関が「現時点では、研究成果は揺るぎないと考えている」とコメントしたことについてである。私は、まるで「結論は正しいんだから、まぁいいんじゃない?」と聞こえるようなこの言い方が気に入らない。とくに、この言い方が気に入らないと強く感じるきっかけとなった経験もしたのだが、そのことについては後述する。

 「結論は正しいから、まぁいいんじゃない?」? 冗談ではない。研究の世界は結論(成果)が全てではない。適正なルール(作法と云ってもいい)に則ったコミュニケーションのあり方そのものも、科学全体の質を維持するのには重要なのだ。科学の世界のコミュニケーションとは、つまり、論文である。科学論文は一定のルールに従って作成されるべきで、これに従わない論文は質の良くない論文ということになる。「結論は正しいから、いいんじゃない?」と、質の良くない論文ばかりが横行すると、科学の質も必ず低下する。

 科学論文の内容や構成には一定のルールがある。「要約・導入・材料と方法・結果・考察」の各セクションで構成され、「結果」で示したデータを獲った実験の方法は全て「材料と方法」のセクションに記載されなければならない。読者はそれを見て、論文に書かれた実験をそっくりそのまま再現できなければならない。「結果」では実験を発想した経緯を簡潔に述べるのはよいが、それ以外は淡々と実験結果のみを述べるべきで、「考察」では「結果」から言及できる理論あるいはこれまでの研究と今回の結果との関連性や普遍性、矛盾について簡潔に述べる。そこには無駄に敷衍した議論や粉飾があってはならない。ざっと挙げてみれば、こんなところが論文作成の基本的なルールだ。無論、実験データの使い回しや捏造はもってのほかである。そこには「単純なミス」では許されない厳格さが求められるべきだ。

 ところが、もしかすると私の専門分野だけのことなのかもしれないが、こうしたルールから外れた粉飾に満ちた論文が、最近、特に超一流と言われる雑誌でよく目にするようになった。論文全体は、売りになるデータ(インパクトのあるデータ)を飾り立てるためのきらびやかな修辞に満ちているが、細かな検証性に欠けている。本文に説明のないデータが図表として掲載されていたり、本文で指示された番号の図表が実際には存在しなかったり。冗長なデータが「Supplemental Information」としてダラダラと掲載されているわりに、「材料と方法」を読んでも情報が足りないために論文に記載された実験を第三者が再現することはできない。全てとはもちろん言わないが、こういう論文が際立って横行するようになった。このような論文を読むたびに「結果は正しい(すごい)のだから、細かい論文の内容は別にどうでもいいでしょ?」と言われているようで実に不愉快になる。

 以前、投稿した論文のレビューアに「『結果』のセッションにもっと実験方法を書け」とコメントされて激昂したことがあるが、こういう出来事も、質の良くない論文が横行している現状と(結果か原因かは知らんが)関係があるに違いない。また、少し前に Dr. Schekman が超一流雑誌を批判して話題になった(日本語速報はここ)が、これも同根だと思う。もし、STAP細胞の関係論文に不適切なデータの取扱があったとしたならば、それも今の風潮とは無関係ではないはずだ。とまぁ、この辺で「超一流雑誌に論文を掲載したこともないホリグチがエラソーなことを云うな」と言われそうだから、この話はとりあえず置く。

 しかし研究や論文作成の作法を軽視した仕事はやはりキライだ。それは「結論は正しいのだから、まぁいいでしょ?」などと言われても変わるはずはない。もともと、私は大学院時代にボスから論文作法を徹底的に教育されたからだと思うが、それだけではない。ずいぶんと以前、実は私は論文不正の調査に関わったことがあるのだ。次回(いつになるか知りませんけど)は、そのことについて書く。
 

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posted by Yas at 19:17| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月13日

高血圧 その後


 1ヶ月前に185/110 mmHg を叩きだした私の血圧。降圧剤を処方してもらったが、劇的に改善されることもなく、むしろ、薬が2種類に増えた。今はだいたい 140-150/85-95 mmHg のあたりをウロウロしている。

「ホリグチさんはタバコは吸われませんよね。できるだけ運動をするようにして体重を減らすのが一番ですよ。それからストレスは溜めないように、、、」とお医者さんは云う。

 人間ドックの悲惨な結果を見て以来、食事に気をつけてこの数カ月で4キロほど減量した。高血圧がわかってからは自転車通勤もまじめに再開した。お酒も少し減らした。けれど『ストレスを溜めないように、、』って言われても、どうすればいいのかよくわからん。

 だいたい、どんな職種であっても50歳半ばでそれなりに仕事をしていたらストレスが溜まらないわけがない。研究という職業でいえば、実験なんて思い通りに行かないのが普通だし、論文だって思い通りに書き進められないことが多い。研究費の獲得で頭を悩ませるのは宿命で、研究室の人手不足は慢性的だ。そんななかでストレスを溜めないでいるなんて無理だ。

 じゃ、溜まったストレスを吐き出すしかない。余暇を楽しむとか、趣味にいそしむとか、、? しかし休みの日はリビングでたいてい寝そべってテレビを見ているだけだ。とりあえず、なぁ〜んにも考えずにぼぉっとしているのが一番いい。どうやら「余暇を有意義に過ごす」というのとは程遠い休日だ。

 とにかくなんだか気持ちが焦っていて、週の終わりには疲れきってぐったりしている。こんなことでは趣味で時間を過ごすなんて優雅なことは当面できん。じゃ、美味しいものでも食べて楽しむか、、。ただいま減量中なので平日は我慢して、休みの日にはたまには美味しいもんを食べるとか?、、、。あとは物欲を満たすとか、、。実は自転車通勤を再開したものの、冬物のウエアが古くなってるので、かっちょいいおしゃれなジャージやらジャケットを買うかな、、。ふむ、つまり、グルメとファッションやな、、ふむ、、当面はこれをテーマにしよう、、、。

 とか、、、、20代の乙女のようなテーマを掲げて、しばらくは健康増進につとめてみることにする。


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posted by Yas at 22:46| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月05日

人間科学部での卒論発表

 当研究室には、人間科学部所属の異色の学生さんテルテル・チョコチップス(最近は縮めてテルチ−と呼んでいる)がいる。彼女の学部一年次に私が開講していた「基礎セミナー」という講義シリーズが縁で研究室で実験を始めるようになったのだが、そもそも人間科学部と微生物病研究所には教員が兼任したり教育カリキュラムを共有したりという仕組みがない。そこで、彼女は人間科学部の先生に直談判して卒論テーマに微研での実験研究を選択する許可をもらって実験をできるように自分で環境を整えた。それだけではない。昨今の生命科学研究では遺伝子操作に関わる実験は不可欠だが、そのような実験に従事するためには、それに対応する講習や健康診断を受けなければならない。そのためには微研でのなにがしかの身分が必要である。本来、人間科学部とは交流のない微研だが、そこは同じ大学だ。事務方の努力であっさりと微研での身分が保証された。同じ学内だから当然といえば当然なのかもしれないが、やはりこの辺りの大学の柔軟性はありがたかった。

 そのテルチ−も4年次までの全てのカリキュラムを終え、卒論を書き、残すは卒論発表だけとなった。今日は、その卒論発表会があった。これまで人間科学部の先生方には無理をお願いしておきながら、一度もご挨拶に出向いたことがない私だったが、この日ばかりは会場に出向いて本人の発表に立ち会うことにした。発表会が始まる前にはもちろん、担当の中村安秀先生にもご挨拶申し上げた。

 テルチーの所属するのは、人間科学部グローバル人間学科である。実験科学の分野ではない。一般にはテーマに沿ったフィールドワークと文献分析で卒業論文を書く。今日の卒論発表会でも、プログラムに並んでいる卒論テーマは
「外国ルーツの子どもへの学習支援における学生ボランティアの役割」
「グローバル社会における帰国生としての特性と自己意識」
「フェアトレードはなぜ日本で広まらないのか」
「日本における仮放免者問題」
「ムスリムとの結婚」
等々である。一方、この発表会でテルチーが発表するのは「百日咳菌壊死毒(DNT)の細胞受容体探索」だ。どうしたって浮きまくる。聴いている私はなかなかビビッドな気分で楽しかったが、しかし、分野が異なるとこんなにも違うのか? と驚くほど、スライドの使い方や発表の作法も違う。テルチーの発表時には、会場に妙な緊張感が漂って、参加学生たちはまさに水を打ったようにしんと静まりかえっていた。

 科学的に物事を考えるセンスに恵まれている、というのが私のテルチー評だ。だからこそ「基礎セミナー」の受講生だった彼女を実験に誘ったのだけれど。、、、そして確かに彼女は、ある程度のヒントを与えるだけで完成度の高いスライドや講演原稿、それに卒論まで作成してきた。学部生としては出色の出来といってよい。しかし、決して、それだけで良質の研究ができたり、研究者としてやっていけたりするわけではない。テルチーはこの春から医学修士課程に進学して正式に微研の学生になる。んで、これからきっとたくさんの壁にぶつかると思う。自分の経験をもったいつける気はないが、そうしたたくさんの壁を乗り越えられないとプロの研究者にはなれない(ホントのことだ)。

 テルチー、キミはきっと壁にぶつかる。ボクはその時を楽しみにしている。ふっふっふ。


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posted by Yas at 23:30| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする