2010年07月07日

高山彦九郎

 私の母親は、私が19歳の時に亡くなった。だから私は母親と、私の子供の頃の思い出話をすることができない。思い出話ができないので、母が幼い私に語ったりした話の内容や真偽を確かめることができない。あのときに母親が話したことはどういうことだったのか? 幼い私の曖昧な記憶とともに、幼い頃に謎だった母の話は今も謎のままである。それは聞き間違いだったのか? それとも幼い私のアタマでは理解できなかっただけなのか? それさえも確かめようがない。

 例えば、大阪の淀川沿い、新大阪駅の近くに柴島(くにじま)浄水場というのがある。この近くに親戚宅があったので、幼い頃には頻繁に家族でその柴島浄水場の近くをクルマで通った。その時に母親は幼い私に、「ここはみんなの水道水を作るところや。淀川の水をプールに貯めてな、そこにオタマジャクシの大きいなんみたいな機械があって、それが水をきれいにするんやで」と云ったのを覚えている。その「オタマジャクシの大きいなんみたいな機械」が、私にはいまもって謎である。意味がわからん。でも、もはや本人に問いただすことはできない。

 そのような類の謎に、「高山彦九郎」があった。ある日、幼い私は母親と電車に乗っていた。ふと車窓から、土下座した人物の銅像が見えた。「あぁ、あれは高山彦九郎さんや。心を入れ替えて謝ったはるんや」と母親が私に語った。それがいったい何処だったのか、高山彦九郎とは何者なのか、なぜ土下座してる姿が銅像になっているのか、私にはちっとも判らなかった。幼い私の記憶だったが、それは京都のどこかだったように覚えている。乗っていた電車は京阪電車だったようにも思う。
 私の小学校、中学校、高校で習う日本史には「高山彦九郎」は登場しなかった。そのうち「高山彦九郎」と「高山右近」がごっちゃになって、あの銅像はキリシタンだった高山右近が信長か秀吉に詫びを入れている像なのか?とも一時は考えたりした。やがて、京阪電車は七条駅あたりから地下線になってしまったので、車窓から京都市街にあるかもしれない銅像を探すこともできなくなった。そんなこんなで、この謎は謎のまま、なんとなく私のなかでは放ったらかし状態であった。

 その謎が、先週の東京出張の新幹線の車中で、突然解けた。車内で見かけた京都特集の雑誌に「高山彦九郎」がいたのだ。あの土下座の銅像はやはり高山彦九郎で、あれは土下座ではなかった。銅像は三条大橋東詰にあるということもわかった。地上を走っていた当時の京阪電車からなら、見える場所である。

 高山彦九郎は幕末・維新期からさらに百年ほど前の尊皇思想家。勤王の志士のハシリのようだ。銅像は土下座ではなくて、皇居(御所)遙拝の姿である。さらに知りたい方はネットで調べてみてくださいな。この雑誌の記事を見たおかげで、母親の言葉を思い出し、さらにネットで調べる気になって、一挙に長年の謎が解けた。

 下世話な表現だが、なんだか長〜いあいだの便秘が通じたような、すっきりした気分になった。

 でもまだ「オタマジャクシの大きいなんみたいな機械」の謎が残っている。この謎も、いつか解けるときがくるだろか? でもこれは、ネットで調べてもわからんやろしな、、。




posted by Yas at 23:59| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする