2008年09月13日

あわじ・ラプソディー2

 あわじフォーラムでは避けては通れない、英語のことを書く。

 8年間のあわじフォーラムに毎回出席してきて、つくづく「日本人の(いや若い人の)の英語は上手くなった」と実感する。あわじフォーラムには、一般演題ポスターからピックアップされる口頭発表がある。ここで登場する演者はどちらかというと若い人が多い。フォーラムが始まって最初の3〜4年ほどは、なんとか発表はこなせても質疑応答で破綻するというか、ハナから応答できない人がたくさんいたが、今はほとんどいない。

 たとえば、私の良く知っているマッティーの発表。彼女にとっては初めての英語での口頭発表だが、これが、アベッチも書いているが、とても良かった。はっきりと澱みなく喋り、質疑もちゃんとこなした。あとで尋ねると、何度も籠って練習したという。「初めての英語発表の前に練習するのは当たり前じゃん」と思うなかれ。これができない奴が多いのだ。

 私は、「何度も練習しなさい」と言われたにもかかわらず、練習せずに何となく中の下か下の上の破綻しない程度の発表で本番をやりすごした学生たちを何人も知っている。はっきり言うが、そういうヒトタチにはプロとして研究者を目指す資格はない。上の上を目指して研究のアウトプットをできない奴は、ペケポンである。マッティーの努力を評価したい。
 今回のフォーラムでは、発表者だけではなく、なんとか慣れない英語を絞り出して果敢に質問していた若者たち(し○○わ、のような、、天狗になるといかんので名は伏せる)にも好感を持てた。

 そういえば、何年か前のあわじフォーラムの招待演者のGisou van der Goot も「むかしは日本人の英語発表は聴けたものじゃなかったけど、最近は上手くなったわね」と私に言っていた。その時「何か理由があるの?」と尋ねる Gisou に、マミちゃんが「最近は英語に触れる機会が日本でもたくさんあるからじゃぁないかねぇ」と答えていたっけ。

 それはそうなんではあるけれども、、こんな話がある。

 江戸時代、通詞という幕府役人の専門職があった。当時の彼らの外国語力を示す逸話というのがいくつかある。
 ●オランダ・ハーグの国立中央文書館には、当時の日本の通詞によるオランダ語文書が残っているが、これが完璧なオランダ語であることが証明されているらしい。
 ●幕末、シーボルトの入港に立ち会った通詞が、シーボルトのオランダ語がオランダ人にしては下手だ、として疑いをかけたという。実際シーボルトはドイツ出身で、オランダ人と偽って入港しようとしていたのだった。このときシーボルトは、極東の島国の通詞が見事なオランダ語を話すのに狼狽し、これはオランダの一地方の方言である、と言い逃れた。

 江戸時代の彼らに「シャワーを浴びるほど外国語に触れる」機会などあるはずもない。教材も少なかったに違いない。そうすると触れる機会と育まれる外国語力との相関関係もある意味では怪しいのかもしれない。

 やっぱ、個人の努力と能力によるところが多いのかも、、と絶望的に考えてみたりする。
posted by Yas at 23:22| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする