2007年05月31日

伯母のお通夜


 昨日、伯母が亡くなった。

 28年前に亡くなった私の母の長姉である。病床の母の世話をしてくれ、母の臨終を伝える医師に何も言わず深々と頭を下げた、凛とした人だった。生前の母に聞いた話だが、霊感が強く、タヌキと話ができたらしい。霊感が強いとなんでタヌキと話ができるのか子供心にも不思議だったが、「おばちゃん、タヌキと話ができるん?」と尋ねると「誰に聞いたんや? おかぁちゃんか?、、、、、、、、、できるよ」と子供の私にきっぱりと答えるような人だった。謹んで冥福を祈りたい。

 彼女の夫にあたる伯父はずいぶん以前になくなった。子供はいない。だから寂しいお通夜だった。親族と、ご近所のお知り合いらしい方々の、全部で30人にもならない参列者の中、会場の公民館で読経だけがなんだか所在なげに響いていた。母の、やはり姉にあたる伯母達もすっかり歳をとっていた。20数年ぶりに会った従姉妹達もすっかり歳をとっていた。人のこと云えた義理ではない。自分もすっかり歳をとっているのだ。

 お通夜は、伯母の家のあった大阪市内の淡路の公民館でとりおこなわれた。幼い頃何度も行った懐かしい町並みのなか、クルマを走らせながら「みんな昔のままではおれんわな」と当たり前のことを考えた。ん〜、、みんな歳をとった。

 ところでウチの親父は82歳になったろうか? 元気である。実家(つまり親父の家)のある上本町から自転車で淡路(東京でチェックしてみると目黒から本郷三丁目までくらいの距離)に来たらしい。じてんしゃぁ〜? 10km以上の距離を82歳のジイさんが自転車で来て、お通夜が終わってまた自転車で夜道を帰っていく。親父は元気である。 それと、ひとつ判ったことがある。 私の自転車好きは親父ゆずりだ。

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2007年05月29日

ヒライ、響子さん、海原雄山、秋元、伊武谷万二郎


「気まぐれコンセプト・クロニクル」 昨晩、読了。

 相変わらず寝る前の数十分間のチラチラ読書が続いている。まとまったヒマがないのだ。でも何とか読了。
本書は1000ページ近くある4コマ漫画。全部で約2000の4コマ漫画の集まりである。これを読むのはなかなか醍醐味がある。世間の流行や時事や広告業界事情を上手く取り上げているので、これを年代を追って読むのは面白い。が、最後半にはワンパターンの下ネタが続いたりするのでちょっと閉口する。でも20年以上続いてきた偉大な作品であることは認めてよいだろう。それまでの重要なキャラクターだった荒鷲エージェンシーの営業のカヤマやシロクマ広告社のヨシオカが、連載途中で突然登場しなくなるのはなぜか? どーでもいいが、ちょっと気になる疑問も残しつつ、、読了した。

 おもえば「気まぐれコンセプト」時代は、「めぞん一刻」「美味しんぼ」「ぼっけもん」「陽だまりの樹」などなど、面白くてそしてテーマのしっかりとした漫画が目白押しだった。(「美味しんぼ」は今も連載中みたいですけどね)今の大学生達も面白い漫画をたくさん読んでるのだろうか? おーきなお世話ながらちょっとそんなことが気になった。
 気になったから、どう、ということはないんですけどね。

*ZARD坂井泉水さん、昨日死去。もう少し活躍して欲しかった。
*松岡農林水産大臣、自殺。命より大事な守るべきものがあったということか?、、、全くわからない。

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2007年05月28日

ゴルゴ13のように

 またもやコマゴマとした雑用のために、本来のサイエンスに関わる仕事があまりできなくなった。1日を振り返ると大したことをやっていない。どこそこに電話して交渉したり、やってきた書類に目を通して回答したり、、。そんな些細な仕事のためになぜに本来の仕事が妨げられるのか? 例えば、論文を書くという作業を2時間するとする。その前後の30分〜1時間ほど、論文を書くために集中力を高めるというかテンションを上げるというか、そういうことに私は時間を使ってしまうのだ。1時間使って気分を盛り上げ、論文を書き始めて30分、そこで緊急の回覧メールが来たりする。仕事を中断してこれに回答メールを出す。すると、また30分から1時間ほど、本作業に入る前の準備時間が必要になる。

 これは他人から見ると全く無駄な時間である。そう、無駄だ。けど実際そんな時合いを経なければ仕事ができんのだから仕方がない。論文を書くには集中力が必要だし、集中力を高めるにはそれなりの時間が必要なのだ。でも、もったいない時間であることは間違いない。

 んで、ゴルゴ13のことを思い出した(相変わらず、唐突で脈絡なくてすまんね)。
ゴルゴ13シリーズのあるエピソードでのことである。ある国の要人の狙撃を依頼されたゴルゴは、いつものように照準の中に標的をおさめ、集中力を高めて引き金を絞る。ところがこの時の要人には集中した人間(とくにゴルゴ)のオーラを感じる超能力者がガードマン(女性だった)として付いていた。事前にゴルゴのオーラを察知したガードマンはいち早く要人をゴルゴの視界から隠し、銃弾から守ったのである。
ゴルゴの百発百中神話は崩れ、彼は依頼人からなじられることになる。

 超能力者のガードマンの存在を知ったゴルゴは、ある精神科医(だったと思う)のもとを訪れ、眠りから覚めた直後でも百パーセントの集中力を発揮できるように訓練する。そして、要人の乗った船が通る河の岸で居眠りをして気配を消しながら待ち伏せし、船の通る時間に合わせたアラームで目を覚ましてすぐさま要人を狙撃、さらにガードマンも撃ち殺すことに成功する。

 そうそうこれこれ、、。これを応用して(どう応用するんや?)、たとえ居眠りからでも百パーの集中力でいきなり論文を書けたらいいじゃん。コマゴマ雑用で邪魔されても、そのあとすぐに百パーで論文に戻れる、、。ええがな〜。、、、でも、そんなことしたら頭の中の別のどこかがプチッとイッてしまいそうな、、。

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2007年05月27日

音楽のある生活

 長年(たぶん10年以上)だましだまし使い続けてきたPIONEERのコンパクトスピーカーがお亡くなりになった。

 私はこう見えても(どう見えてるんやろ?)、音楽を聴きながら何かをするのが好きである。フォーク(フォーク、って、、、、J-POP, J-POP ! 、、J-POPの間違いです)、ROCK、Instrumental、Jazz、Classic、何でも聴く。ただ、新譜をたえずチェックしたり、音楽雑誌を読みあさるまでのマニアでもない。まぁ、要するに「だだもれ listen 」が好きなのだ。

 壊れかけのそのスピーカで、最後の数ヶ月はノイズ入りまくりの音楽を聴きながら、次に購入すべきスピーカをいろいろと調べていたのだが、いきなり片方のスピーカがウンともスンともいわなくなった。音楽中毒というわけではないが、こうなるといかん。音楽を好きなときに聴けんような生活はちょっとイヤ。んで、狙いをつけていたスピーカについてネットの価格比較サイトでいろいろ情報を集め、本格的に検討すること30分。(30分かい!)

 「ふむふむ、確か近くの家電量販店で展示してあるのを見た覚えがある、、、とりあえずそこへ価格調査に行って、、音質を確かめて、、慎重に検討するべか、、」とか独り言をいいながら量販店へ。

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 んで、すぐ買うてもた。、、、意志の弱い私をわろてくれ。

 Harman/Kardon 社のSoundSticks II というやつである。巷ではクラゲスピーカと呼ばれている。

 これがなかなかよろしい。あんまり宣伝するのも何じゃからして詳しくは書かんが、価格に見合う満足感はじゅーぶんある。このブログを書きながら、そのおなじコンピュータ(PowerBook G4 12")のiTunes -> AirMac Express -> スピーカ経由で音楽を聴く。一昔前には考えられんかったことじゃ。満足満足。そうじゃそうじゃ、衝動買いしても満足すればええんじゃ、、あぁ〜満足満足。
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2007年05月24日

微研新党、もとい新棟


 微生物病研究所の多くの分野が入居する予定の、新棟の建設が決まったのは半年ほど前だったろうか?
その新棟の概要が図面となって上がってきたので、今後の方針を検討すべく昨日今日と立て続けにミーティングがもたれた。来年初頭に着工、21年3月に竣工だそうだ。まだ間がある、と思ってはいけない。今から、移設する什器類や機械類などを全てリストアップし、入るべき部屋の配置図まで作成しなければならないそうだ。

 そのためにはまず新棟の部屋割りを済ませなければならない。研究所の方針によると、現状では私の研究室と同じフロアに菊谷研と目加田研が入る予定だそうだ。菊谷研と目加田け〜ん?立場弱いがな〜。

 新棟竣工のあとは、微研関係の建物は順次改修されていく。だから、最終的にどの分野がどの建物に入ることになるのかは未定である。つまり、いまの新棟の配置は暫定的なのだ。それにしても、、菊谷研と目加田け〜ん? いや、両先生とも私はとっても超大好きですよ、。ですけどね。

「おぉっ、ホリグチ、なにやっとんのやぁ?、、そんなことやって何になんのや?」みたいな、ねぇ。
「ウチの論文、○○にアクセプトされたけど、あんたはどうや?」みたいな、ねぇ。
いやいや、両先生とも人格高潔・清廉爽快な方なので、そんなことは言われるはずはないが、、私にとって大先輩、大御所の先生方と同じフロアというのはムード的に、ねぇ。いやいや、イヤだというわけではないんですよ、、。でも、ねぇ。

 わぁ〜っ、いまから精神的にタフになるように鍛えとこっと。いやいや、それよりしっかりと仕事しよっと。

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2007年05月23日

その才能に嫉妬する


 松本人志さんが監督した映画「大日本人」が話題になっている。なかなかに奥深い内容で、カンヌ映画祭でも喝采を受けたとか、、。もちろん、私はまだ見ていない。

 浜田・松本の漫才コンビ、ダウンタウンがデビューしたころは衝撃的だった。腹の底から笑えるひさびさの大型新人の登場に学生時代の私は熱狂した(ちょっと大げさ?)。彼らは機知に富み、才能があり、テレビの向こう側で実に如才なく振る舞っていたように思う。その思いに違わず、彼らはもちろんテレビタレントとして大成功した。さらに浜田は歌手としてデビューして持ち歌をヒットさせた。松本の著書はベストセラーとなり、時に若者のオピニオンリーダーのように扱われたこともある。(あるいは、いまも扱われている)

 今度は映画だ。「大日本人」がカンヌで喝采を浴びた、と聞いて私はちょっと愕然とした。言っとくが私は間違いなくダウンタウンのファンである。だがちょっと待て、映画監督としてのデビュー作がカンヌで大評判はないだろう。もしそうならば、映画監督はチョロい商売だ。それとも松本人志は底抜けて才能に恵まれた人間なのか。あまりに才能に恵まれた人間に私は嫉妬する。世界のキタノも、映画監督としてぼちぼち騒がれはじめたのは三作目(だと思う)あたりの「あの夏、いちばん静かな海」以降ではなかったか?

 たしかに、私は才能に恵まれた人間に嫉妬する。宮本武蔵、平賀源内、寺田寅彦、シュバイツアー、森鴎外、なだいなだ、手塚治虫、永田和宏、石坂浩二、北野武、大森一樹、片岡鶴太郎、ジミー大西、柴咲コウ、(順不同、思いつくまま、敬称略、苦情は受け付けません)。

 そんな中、カンヌの続報が入った。「大日本人」について「マツモトは監督の才能はないのではないか?」との批判もあるとのこと。ちょっとホッとした。せめてもうちょっと、映画監督として成功するまで苦労して頂戴な。松本さん。

 とか思っていたら、毎日新聞。スポーツ特待生の問題を取り上げ、そのスポーツで成功しなかったときの挫折感に言及し、さらにスポーツ評論家のマーティ・キーナートさんの自著「文武両道、日本になし」についての本人のコメントを引用している。「人には同時に多くのことをできる計り知れない能力がある。しかし、日本では、教育制度と人々の考え方がその芽を摘んでいる」と。

 私が多彩な才能を嫉妬するのは、日本の教育制度のせいか?日本人特有の考え方のせいか? 違う違う、自分に才能がないから嫉妬するだけだ。

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2007年05月22日

SPring8 (2) ,,あかんかった。

 SPring 8 、昨日の続き。

 朝8時前に起床。シャワーを浴びて管理棟に向かって構内をユラユラ散歩。天気は良いし静かだし、爽やか爽やか。ほっほ〜!、っと、、、
 管理棟で今年度の研修(30分ほどのビデオ講習)を受講し、IDカードと線量計を受け取る。今日は午前10時スタートの予定だったがビーム調整とかで実際の測定は昼過ぎからになる。それまで宿舎の部屋でコンピュータをネットにつなぎ、しばし仕事。昼前に昼食をとり、いよいよビームラインでデータ収集スタート。

 じゃじゃ〜ん。
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 放射光施設は巨大である。右下に見えるのが私たちが利用するビームラインのブース。そのなかで豆粒のように見える二人は北所さんとキムジュン。

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 ブース内の様子。上の写真と同じ姿勢で北所さん(左、背中を向けている)とキムジュン(右)が作業中。右手のドアの奥が放射光照射の部屋である。

 いそいそと結晶をセットし、ラフな条件で回折データを予備的に採る、、けんども!

 あかんがな〜。解像度の高い回折像が採れん。この毒素は3年越しでいろんな条件でチャレンジしているのに、いい回折像を採らせてくれない。用意した条件でできた全ての結晶をセットしたが全敗。あえなく予定よりも早く撤収する。

 やはりこの種の仕事は、1種類の毒素を単発で解析していては効率が悪い。我が研究室の少ない人員で北所さんと共同研究のもと、もっと「しすてまちっく」にいろんな毒素の精製、結晶化、んで解析をせねばならんようだ、、、。

 ん〜、、どうすればいい?、、考えよっと。
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2007年05月21日

SPring8 (1)

 いま大型放射光施設・SPring8の宿泊施設にいる。明日の朝からのビームタイムをいただいたので、京大のキタドコロさんと新たな結晶の構造解析に挑むのだ。Spring8の環境はなかなかよい。宿泊施設は清潔で快適だし、広々とした施設の構内も気持ちがよい。一泊で仕事を済ませるのがもったいないほどだ。ただし、よい回折像が出ないと、空しく時間を過ごすことになる。明日はどうなるんでっしゃろか? 楽しみでもあり不安でもあり、、。 、、あかん。夜のあいだに高速道路を走ってきたのでなんか疲れが出てるっす。もう寝ます。

 明日、バッチグーなら、施設のビームラインのブースからアップします。それでは、、おやすみなさいませ。

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2007年05月20日

赤井動物病院

 本日は良い天気の中、愛犬ミューの歯石除去のために動物病院に行った。京都八幡市橋本にある赤井動物病院 である。ここの院長の哲ちゃんは私の大学院時代の後輩にあたる。私が博士課程3年の時に確か修士1年で研究室にやってきて、私と一緒にウエルシュ菌エンテロトキシン(CPE)の仕事をしてくれた。修了後、とある薬品メーカーの研究員として仕事をしていたが、いろいろ考えるところがあったらしくて開業医を目指すことに。んで何年かの修行のあと8年前に開業した。

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赤井動物病院院長の哲ちゃんで〜す。手元でグタッとしてるのがミュー。


 知り合った当時の私は学位の最後の章を完成させるのに躍起になっていた。残された時間もあまりなかった。そんなシビアな1年と半年を付き合ってくれたのが哲ちゃんである。彼とは一緒にCPEの 受容体結合領域の同定と解析 をした。濃密な1年半だったと思う。実験科学のど素人(あたりまえだが)で研究室に入ってきて、いきなり私のシビアな要求に、哲ちゃんは持ち前の頑張りと能力で充分に応えてくれた。いまや彼の病院は行列のできる動物病院となっているようだが、哲ちゃんの能力と人柄からすればオーナーさんに信頼されるのも当然だろう。

 病院には動物診療に関する洋書なぞが並んでいる。いまも一生懸命勉強してる様子がうかがえた。哲ちゃん頑張っとんなぁ〜。これからもミューの主治医として頼むわな。

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2007年05月18日

元気ですぅ


「このあいだから元気ないですね」とアヤっちが言う。

 そういえば「元気ないですね」とこの頃よく言われる。

 元気なくはない。日ごろやたら元気がありすぎただけだ、、(ほっとけ)。 
ただ、研究室の仕事をどんな風にドライブするのか、新たな一歩を目指して考え込んでしまっているのは確か。こうして悩むふりして、意味なく答えを求めるべくアマゾンで「ポチッとな」をする。(脈絡ないが許せ)

 今日届いたのは、「水源」アイン・ランド著、「ファッキン ブルーフィルム」藤森直子著、「考える日々」池田晶子著。悩める大学教授はサイエンスと関係のない書物に答えを求めるのだ。(すいませんウソです。ただ読みたいだけです)

 「水源」はアメリカ一般読者が選んだ20世紀の小説ベスト100の2位。2段組の1000ページの大部もの。熱烈にすすめる読者多数、というので買ってみた。「ファッキンブルーフィルム」はSM嬢でかつバイセクシャルの著者の毎日を赤裸々につづったもの。たまたま著者のホームページ日記(ブログなどなかった頃)を見つけて面白かったので、著書をしばらくいろんな本屋で探していたのだが見つからなかった。アマゾンはそんな珍本でもあっさり「ポチッとな」ができるので便利だ。この人の人物評や観察眼は素晴らしい。池田晶子さん、、ずっと気になっていたのだが、先日亡くなった。追悼(ほんとは生前に著書を読めなかったお詫びのつもり)の意味もあってやっとホントに手にすることになった。

 悩める大学教授は書物に答えを求めるのだ。(すいません、ウソです。逃避してるだけです。でも面白そ〜。楽しみじゃ)

 でも、このあいだ買った「気まぐれコンセプト」をまだ半分も読んでない。、、道のりは遠いっす。

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2007年05月17日

錯乱坊、、チェリーと呼んでくだされ

 先月の今頃に書いた が、微研のまわりにある桜はとっても立派である。その桜が実をつけている。さくらんぼ。

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 こんなかんじで鈴なりになっている。なんだか年々実が大きくなってきているような気がする。

 口に含むとしっかりサクランボの味がする(あくまで自分の責任で食べてね)。この時期、桜の木の下に自動車を置くと、落ちてきたサクランボのせいでおそろしく汚れる。

 全ての桜の木が実をつけているわけではない。何が違うんやろ? 雄株と雌株があるのか? まぁとにかく、微研のまわりでは、春はサクランボ、んで秋には銀杏が実を結ぶ。あっ、春はタケノコもある。微研に来て17年目。それぞれの季節にそれぞれの風情を楽しんできた。こういうのはずっと続いて欲しいなぁ。 

 今日はほのぼの微研ネイチャリングでした。
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2007年05月16日

論文書くのは学者のしごと


 いま書いている論文のとりあえずの粗原稿ができた。粗原稿も粗原稿、人に読ませるのも恥ずかしい。それでも投稿要領にしたがった形式と長さで前から後ろまで(表紙から文献まで)とにかく書いてしまった。まだまだ使い物になるような原稿ではないが、これを叩き台にして改良を進めていくのが私の論文作成法である。いったん粗原稿でも書き上げてしまわないと、その論文に対する愛着がわかないのだ。この粗原稿を一週間ほど寝かせておく。んで、新鮮な気持ちで改訂していく。ときにはぜ〜んぶ書き換えることもある。そんな風にして私の書く論文は仕上がっていく。

 これまで著者に名を連ねた英語論文(原著・レビュー・教科書)は全部で60編ほど(すいません、少なくて)。数えてみたら、そのうち24編を自分で書いた。んー、これが割合的に多いのか少ないのか自分ではよくわからないが、それでも自分の中では論文作成の苦労に歴史がある。参考にした指南書は数知れず。ちょっと思い出してみた。

「理科系の作文技術」木下是雄
「ライフサイエンスの英語論文」溝口歌子
「ライフサイエンスにおける英語論文の書き方」市原 A エリザベス
「日本人の英語」「続日本人の英語」マーク・ピーターセン

 これ以外にもたくさんの本を参考にしたけれど、ここに挙げたものには格別にお世話になった。市原さんのものはいまでもよく調べごとに使わせてもらっている。マーク・ピーターセンさんのものは何度も読み返しているばかりか、その他の文法書やら読み物も買いあさったりしている。完全にマークさんのファンである。この人の英語の使い分けに関する解説はほんとに分かり易い。

 いまは英語論文作成のハウ・ツーものはたくさん出ていると思う。これから論文を書こうという方、、何度も読み返すことのできる指南書に出会えれば、いいんじゃない? と思う。 がんばってね。

 ん? 私は指南書なんぞに頼らなくても頭の中で考えてちゃんと英語論文が書けるって?、、、 そんな人とはきっと私は話しもギャグも合いません! ふんっ!

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2007年05月15日

良いことは突然やってきても良いこと、悪いことは、、

 半村良さんは好きな小説家である。このごろ書店で見かけることが少ないのが残念でならない。半村さんは初期はSF作家として活躍し、その後人情話を多く書いた。どちらのジャンルの小説でも、半村良さんの描く世間の機微みたいなものが、細やかで含蓄に富んでいていつも印象に残った。

 例えば「太陽の世界」という小説。
 約束の地を求めて流浪する民族の中の一人の女性が、予知能力を備えた天才双生児を生む。そこで、双生児の資質をはかるべく、民族の長老が予知能力について彼らと問答をする場面がある。
「何でも予知できるのか?」と長老。
「良いことはあまり予知できないのです」
「なぜ?」
「良いことは突然やってきても良いことだからです」
「あ」
 われわれはとてつもない賢者を得た、と長老は思った。

 原文を見ずに思い出しながら書いたので多分細かな部分は違っていると思うが、大筋はこのような場面だった。良いことは突然起これば起こるほど喜ばしいことになり、悪いことは突然起これば起こるほど忌むべきことになる。だから、悪いことしか予知できないのは合理的なのだ。ただし、、予知できるとすれば、である。

 今日のニュース番組で、「考えられない」「予想外」と報道された、いくつかのいやな事件のことを知って、以上のことを思い出した。

 
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2007年05月14日

感じる感じる、、


 東野圭吾さん「幻夜」読了。先週のこと。

 「白夜行」の続編ということになっている。この「ということになっている」というコメントが書評などで一般に使われているのが不思議。どっからどう見ても続編だ。「ということになっている」どころではない。ただ、続編なのかどうか? ということも東野圭吾さんが仕掛けた謎のひとつなのかも知れない。あっ、ごめん。ひとつ謎を明かしてしまった。

 面白かったけど、私はやっぱり「白夜行」のあの空しく息苦しい不愉快さが好き。「幻夜」が続編である限り、あの不愉快さがなくなるのは仕方ないんだけどね。私は「幻夜」のさらに続編が出るのなら、かなり時間をおいてからではないか、と思う。その理由を言うといろんな謎解きになるので言わない。読んでない人にとっては何を言ってるか分からんね、すまん。でもミステリー系や、松本清張の小説などが好きな人は読んでみてチョ。少なくとも「白夜行」は私のお気に入り小説ベスト5にはいるかも、、。「幻夜」は「白夜行」を読めばきっと読まずにいられなくなると思う。

 東野圭吾さんは私と同じ大学の出身なのだが、それ以上に、彼が書く町並みの空気が私にはとても懐かしい感じがするのだ。これはいったいどういう事でありましょうか? と思って調べてみると彼は大阪市内の出身で、それも私が小さい頃自転車で走り回ったり、あるいは友達がたくさん住んでいたりした土地のすぐ近くの出身であることを知った(最近は、インターネットですぐにいろんな事がわかる。感謝感謝)。その土地の近くから、「白夜行」の物語は始まる。
 東野さんは小峰元さんの影響を強く受けた、というのはいまや有名な話だが、実はこの小峰元さんにも私は妙なシンパシーを感じていたのだった。小峰さんは「アルキメデスは手を汚さない」「ピタゴラス豆畑に死す」などの作品で知られている。多分、高校生時代だったと思うが、夢中になって読んだ覚えがある。んで、小峰元さんについてもあらためて調べてみると、神戸出身で、大阪外大に通っておられたらしい。小峰さんの学生時代、大阪外大は私の実家のすぐ近くにあった。

 んー、納得。
 東野さん、小峰さんの育った環境やよく知っている環境が彼らの書くものの背景に滲み出していて、さらにその同じ環境を知っている私がそのニオイを感じ取った、というのは考えすぎ? 
 二人とも大阪を舞台にした小説を書いただけやん。と思われるかも知れない。そんなことはない。例えば大沢在昌さんの「走らなあかん、夜明けまで」。これはもろに私のホームグランドである鶴橋あたりが舞台になったりするのだが、残念ながら東野小説や小峰小説のようなシンパシーは感じなかった。(いや、「走らなあかん、、」も面白かったんですよ、面白かったんですけどね)

 同じ空気を吸ってきた人間が何かのキッカケで共鳴するって、みなさんはそんなこと経験したことない?

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2007年05月12日

「感染マトリックス」班会議

 昨日は微研の新人歓迎パーティーがあった。各分野が料理を持ち寄って新しい仲間を迎える会だ。ちょっとしたイベントがあったりして、「よく来てくれた! 微研はこんな感じの気さくな研究所ですよ!」というシッカリとした主張があるので、わりと気に入っている。そのあと早めに帰るつもりが永井宏樹、明田幸宏の急襲をうけ、腹いせに飯田哲也を巻き込んで飲みまくる羽目になり、帰宅して床についたのは午前2時前だった(ひとのせいにしてすまん。ほんとは飲み助の自分がみんな悪いのよ。)

 んで、今日。
 文部科学省科学研究費補助金特定領域「感染マトリックス」の班会議があった。朝の6時過ぎに起きて、7時15分の始発飛行機に飛び乗り、9時には浜松町駅のプラットフォームに立っていた。交通が便利なのにもほどがあるがな。「なんでオレは今、浜松町におんねん?」と混乱し、自問自答しながらもとりあえず会場である東大薬学部に到着。お酒は残ってるし、もうフラフラ。

 ただ、会は面白かった。ちゃんと仕事されている先生方がしっかりと研究計画を立て、特定領域の目的に合致した成果を挙げるべく工夫を凝らされているのはよくわかった。こういうのは刺激になる。「しっかりやろうっと、」、とアルコールの残るアタマで考える。

 んで、いま新幹線の中。午後8時35分。品川駅をすぎたところ。懇親会のさなか、「えっ?帰るの?」という朝長啓造のトラップ、「ウチの家に泊まれますよ」という富田治芳の誘惑、「二次会行かないの?」という小安重夫の恫喝(? 小安先生、すんませんすんません)に屈することなく帰路につくことができた。ちょっとさみしいけど、しゃあない。次の機会(あわじフォーラムか?)まで楽しみはお預けということにしておく。明日の日曜日はゆっくり休みたいっす。

 月に何度も訪れる東京やけど、やっぱ遠いんよ。

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2007年05月10日

泣くのがイヤなら、さぁ歩けぇ

 二日前から書き始めた論文に今日は朝から取り組んだ。

 論文作成というのは実に複雑な作業だと思う。採用するデータを決め、論文全体のストーリーを決める。ストーリーの構築に必要な文献を慎重に選んで文献データベースに登録しながら書き始める。投稿する雑誌によって要求される原稿の体裁が違うのがまた面倒くさい。私は最初から投稿要領に沿ったカタチで原稿を書き進めるタチだ。実験データから図表をおこす。この図表の体裁も雑誌によっては細かく決められている。電子投稿が一般的となった最近では図表ファイルの形式や解像度が細かく決められていたりする。これに充分に応えるためにはコンピュータの知識も必要だ。第一、英語で作成するという大きな壁もある。そんなこんなで、ひとつの論文を仕上げるためにはかなりの労力が必要だ。かなりの集中力を要求されるので、合間に雑用をこなすなんて芸当はできない。

 とってもクリアな仕事だと書きやすい。できあがった論文も、高評価を得やすい、いわゆるインパクト・ファクターの高い雑誌にとおしやすい。一方で、狙い通りに進まずに四苦八苦した仕事だと論文作成にも四苦八苦する。できあがった論文は、ジェネラルではない少々マニアックな雑誌にやっと掲載されるかどうかだ。だが、どちらの論文を作成するにしても同じだけの労力と時間が費やされる。そこんとこが難しい。

 10年ほど前に微研の学術講演会で講演された柳田充弘先生は、絨毯爆撃のように網羅的なたくさんの仕事を紹介されたあと、「ひとつひとつの仕事には未熟な完成度の低いものもありますが、そのひとつひとつに研究員や学生の人生がかかってたりするのでどれも疎か(おろそか)にできません」とおっしゃっていた。誰だったか忘れたが、別のある先生は「下らん論文を書くのは時間がもったいないから、ジャンクデータはみんな捨てる」と豪語されていた。
 どちらの考え方も一理ある。けんども私にはそぉんな高邁な見識を持つ余裕も能力もない。とにかく出てきたデータをまとめてチマチマ論文を作るのだ。、、、人の一生は重き荷を背負いて遠き道を行くが如し急ぐべからず、、人生、楽ありゃ苦もあるさ、
 
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2007年05月08日

気まぐれコンセプト

 今とりかかっている論文を真面目に構成して書きはじめたのだが、調子が出ない。ウンウンうなって書いても良いものができるわけでもないので、今日はちょいと早めに帰宅。帰宅途中に本屋さんに立ち寄る。

 ゆえあって少々高額の図書カードが何枚か私の手元にある。それで最近は本屋さんによく立ち寄るのだ。時間もあるのでフンフン云いながら書棚のあいだを隅から隅まで徘徊した。

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んで、こんな本を見つけた 。思わず購入。



 きっと私と同世代の方々には懐かしい、「気まぐれコンセプト」の単行本である。前書きによると今も連載中らしい(知らんかった、すまん)。本書は以前に唯一出版された単行本に収録された初連載稿から1984前半までの作品を除いた、1984年〜2007年の23年分の作品が抜粋されて収録されている。タイトルに「クロニクル」とあるように、1984年から今までの作品にはさむように、流行や風潮についての解説が所々に挿入されている。

 制作はホイチョイ・プロ。最近では映画「バブルへGO!!」の制作でご存知の方も多いと思う(私はまだ見てませんけど)。その折々の流行を軽い(ほんっと軽い)タッチで紹介したり皮肉ったりするのが上手い。彼らの手による「見栄講座」や「極楽スキー」というガイド・マニュアル本もどきに踊らされた人も多いだろう(私も踊った踊った)。

 私が、「気まぐれコンセプト」をリアルタイムで読んだのは多分1987年まで。そっかぁ〜、、そのあと20年も続いてましたかぁ〜。まさに時代を食ってここまで来たんやねぇ。このしぶとさは見習いたい。本書は1000ページ近くある。本作品は云うまでもなく四コマ漫画である。これを一気に読むのはきっと正しい読み方ではない。ふっと思い出したようにいくつか読んで、あははと笑っては本を閉じる。そうして時代を楽しむのだ。あっ、トイレに置いとくのはいいアイデアかも、、(すいません、ウソです。わたしゃわりあい本を大切にするのでトイレには置きません)。ご同輩の方々、一読の価値はきっとありますゾ。
posted by Yas at 22:24| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月06日

こどもの日


 昨日はこどもの日。
 
 第一生命が小学生以下の子供達を対象に、将来になりたい職業のアンケートを採った。その結果、「学者・博士」が「野球選手」「サッカー選手」に続いて3位だった。この順位は3年間同じだったらしい。それほど子供達に人気の職業なのに、なぜか現場ではその実感はない。たとえば大学院が整備され研究を大きな柱として標榜する大阪大学の生命系に入学してくる学生さん達を見ても、学者になることや博士号を取得することに意欲的とは思えないのだ(学生さん達を批判してるんじゃないですよ〜、、念のため)。

 学者を志す子供達はいつの頃からその意欲をそがれていくのだろうか? ひとつは、学業を積む過程で「あぁ、オレには向いてない」と考えて目標を変えるパターン。これは「野球選手」や「サッカー選手」を志した場合でも多いだろう。もうひとつで心配なのは、向学心に燃えて入学してきた学生さん達が大学の講義を聴いて「なんじゃ、こりゃ?」と失望して脱落していくパターン。学者・博士を育成するべき大学が、実はその芽を摘んでる、というようなことのないように大学教員としては一所懸命頑張りたい(一所懸命頑張りたい、ってフツーのコメントですいません)。

 こどもの日は敗戦4年後の1949年に始まった。その時の毎日新聞の社説には「子供が大きくなって自分で何になりたいと思うまで、黙って見ている方がいい。殊に戦争に負けてからの日本は、何になったらよいかという目当てがつきかねている」「昔のことをいって、親がしかったり、なだめたりしても全く無駄のことである」とあったそうな。当時の日本社会の自信のなさが伝わってくるようだ。ウチの長男はすでに大学生。「何になったらよいか」のようなことは云ったことはないが、「人生を送っていくうえで、何をどういう風に考えるか」ということに関してはコメントしてきたように思う。親は子供にはやっぱりなにがしかのアドバイスはしたいのだ。

 もうひとつ毎日新聞の記事から(すいませんねぇ、毎日新聞しかとってないもんで)。高村薫さんが、世の中のフリーターや就職したくてもできない若者達にコメントしている。私は高村薫さんの考え方が昔から好きだ(文章も好きだ)。記事の中ではいろんな角度から意見されているが、なかでも「仕事にやりがいや評価、生き甲斐などを求める考え方は幻想でそれは副次的なもの。基本的には、働くのは食べるため」というコメントが目をひいた。

 みなさ〜ん。
小学生の時は「私は何々になりたいっ!」と元気よく言える人になりましょう!
大学生になって、つまらん講義に出くわしても失望してはいけません! 
社会人になって仕事に行き詰まっても、とりあえず食べるために職場に踏みとどまりましょう!
おじさんも行き詰まっても、踏みとどまって頑張りま〜す。

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2007年05月05日

昭和


 横山ノックさん死去。これで、このブログを始めてから青島幸男さん、植木等さん、横山ノックさんという昭和の偉大な三人のエンタテナーが亡くなった。ご冥福をお祈りします。ケーブルテレビの衛星放送チャンネルでは「昭和のエネルギーをありがとう」と題して植木等さん主演の「無責任シリーズ」と「日本一の男シリーズ」を連続放映するらしい。

 昭和といえば、嘉糠さん がこのブログを見て「昭和のニオイがする」と感想を漏らし、「ホリグチさんてどんな人?」と尋ねられて「昭和のニオイがプ〜ンとする人」と答えていた(またプ〜ンか )そうな。昭和というキーワードで青島幸男、植木等、横山ノックの大御所達と並べてもらえてとっても光栄だ(誰も並べてないですか、そーですか、すいませんね)。
大御所達と私では30歳ほどの年齢差はあるが、、、、、昭和という時代は長かったのだ。

 日華事変(日中戦争と呼ぶ人もいる)も太平洋戦争も昭和時代のこと。東京オリンピックも新幹線も万博も昭和だ。私は、東京オリンピックでマラソン2連覇したアベベ選手が競技中に補給していたブドウ糖液とか云う魔法の水にあこがれていたし、当時のおもちゃといえば新幹線だった。チョコレートもアメも新幹線のカタチをしたケースに入っていたように覚えている。

 大阪万博には10回以上も足を運んだ。私は今でも太陽の塔やソ連館をはじめとしたたくさんのパビリオンの絵をソラで描ける。それから、あの頃に初めてたくさんの外国人を見た。会場のトイレに入ったときに、隣で用を足していたインド人(だったと子供心に思った)が大きなオナラをして、「ゴメン」と子供の私に日本語で謝ったときはホントに感動した、、、、、、、、♯○★!♂?、、す、すまん。話がワケわからん方向に進み出したので、ここらで今日はやめる。ゴールデンウィークということで勘弁してチョ。 

posted by Yas at 21:34| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月03日

いやぁ、この頃ほんまエラいですわ、、(2)


 昨晩は久しぶりに啐啄(ソッタク)へ。よく考えてみるとソッタクには今年初めて行った。「なぁんか、心に余裕がなかったからなぁ〜」と、オーナーの順子さんや常連客のオーちゃん、タケちゃんと、やいのやいのとウダウダと楽しく時間を過ごす。んで、今日はちょっとお酒が残ってる。最近、前夜の酒量のわりに次の日のダメージが大きくなってきているような気がする。これって、年のせいかもしれん。

 ひとつ前のエントリで「日本の若者には覇気がないかも」という話を書いて、ずっと前に読んだ新聞記事を思い出した。ある国際ビジネスコーディネーターが大学生向けに自己啓発の研修会を毎年開催している。その研修会では、提起された問題の解決に向けて少人数のグループが限られた期間内に情報を収集して対策を企画すると云うものだ。研修生は各国の大学生達である。この研修会、ときどき頑張りすぎて体調を壊し救急車で運ばれる研修生が出ることがあるらしい。それで、そんな研修生は例外なく日本人である、というのだ。その記事は「身体をこわすほど頑張ってしまう日本人というものがよくわからないが、それを理解することがわれわれのビジネスチャンスに結びつく」というようなコーディネーターのコメントで結ばれている。

 「エラくなりたくない」という若者達と、このエピソードの「必死で頑張ってしまう」若者達はなんだか一致しない。やっぱり、斜に構えてるだけで、実は内に秘める闘志はあるんやろ? あるんやんなぁ?
posted by Yas at 18:51| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月01日

いやぁ、この頃ほんまエラいですわ、、

 少々旧聞に属するが、「高校生の出世意欲が低い」というニュースがあった。手元に新聞があるので引用する。

 日本・アメリカ・中国・韓国の高校生に対して「偉くなりたいか」と問いかけたところ、「強くそう思う」との答えが中国 34.4%、韓国 22.9%、アメリカ 22.3% に対して、日本は 8% にすぎなかった。調査した(財)日本青少年研究所は「食べることに困らなくなり、今の高校生は『偉くなりたい』という意欲がなくなってきている」と分析している。

 日本の若者は「偉くなりたい」と望むような覇気がない、というのが一般的な感想ではないかと思う。だが一部からは異論もある。私がいくつか目にしたその異論には、昨春亡くなったという経済学者のガルブレイス氏の言葉が例外なく引用されている。曰く、「日本は再び世界の偉大な模範になっているね。これでもう十分だ、と決めてしまった。物やサービスをもっと手に入れようと働き続けるより、余暇がある生活の方がいいというわけだ。執ように続く経済成長より、もっと幸せな公式を見いだした。(中略)これは世界でまったく例がない。リラックスした平和な存在たらん、というわけだ。」と。

 これを受けて、
「彼ら(若者たち)は世界で群を抜いて穏やかで、人を押しのけることもない。彼らの可能性を信じたい。」
「ひょっとして、日本人は煩悩を克服した国民と云うことで、それはそれでいいんじゃない?」
と異論氏達は言うのである。

 ひとつのデータから様々なことを云々するのは意味がない、とは思うが、それにしても楽観的な観測は慎みたいとも率直に思う。人間が最上のパフォーマンスを発揮したいと願うとき、それを最大限に支援するものは自らの向上心である。表面的にとしても、向上心が乏しいことを現す今回のデータは寂しい、というべきではないか。そこで異論氏達が云うところの、「向上心などいらない成熟した社会」を想ってみる。それで完結した世界ならそれは楽しいかも知れない。しかし現実には、「偉くなりたいか」と問われて「偉くなりたい」と答える若者の割合が2倍から4倍も多い、そういう国民を擁する隣国や同盟国があるのだ。日本の若者は、いずれ何らかの機会に、あるいはどこかのレベルで、そんな他国の勢力と競合せざるを得ないはずだ。その場に及んで、「ウチは成熟した社会ですから、、、」と言うのはもうゴタクにすぎない。

 ただ、私は、「偉くなりたい?」、、「エラくなりたい?」の「偉い」という言葉が、日本では恥ずかしい言葉になりつつある、ということを知っている。かくいう私も高校生時代に、「偉くなりたい?」と尋ねられれば、「ばかにするなっ!、偉くなんかなりたくないわいっ」と答えたかもしれない。

 「設問の仕方が悪いんちゃうん?」。 これが私の希望的観測だがいかがだろうか?

 とりあえず、調査結果の概要は「日本青少年研究所」のWeb Siteからダウンロードできるようだ、、直接リンクして良いのかどうかわからないので、興味のある方は自分でググってみてくださいな。

posted by Yas at 22:55| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする