2007年01月31日

ダーリンはシドニィシェルダン

 シドニィシェルダン氏が亡くなった。ベストセラー作家、さらに英語で苦しんでいる人にはおなじみの英語教材「ゲームの達人」などの作者だ。私もずいぶん前に「家出のドリッピー」を拝聴いたしました。謹んでご冥福をお祈りします。

 氏の手によるシリーズはとっても英語教材としては私に向いていたと思う。耳に心地よかったしストーリーも面白かった。ただ、英語教材としては割高だったかもしれない。「家出のドリッピー」は人から借りて楽しんだが、自分でその後のシリーズを定期購読するのには二の足を踏んだ。でももう少し安ければ続けていたかも。

 以前に書いたと思うが、私は英語が下手だ。アホ英語しかしゃべれないし、ヒアリングに関しては絶望的だ。そもそも留学経験のないことがコンプレックスにもなっている。だから、英会話の勉強に関しては色んなこと(お金のかからないモノがほとんど)を試してきた。シドニィシェルダン氏の英語教材もそうだし、Voice of America の聞き取り筆記もした。もちろん、英会話ガッコも一年ほど通った。CNNも聴いた。NHKのニュースを副音声で聴いた。さらにさらに「英会話勉強のためじゃ!」と称して iPod も買った。買ったDVDの洋画は一度楽しんだあとは英語字幕にして見るようにしている。おまけに、有名な「マジックリスニング」も買ってしまった。このマジックリスニングは、日本人にとって聞き取りのできない周波帯の音を12日間(でしたっけな)続けてCDで聴くことであら不思議、英語が聞こえるようになるという代物なのだ(!)。マーシャ・クラッカワーさんのCD付き読本なんかも聴いたりした。今は英字新聞とその教材CDを購読し、新聞は一枚ずつ剥がしてお風呂で読み、CDは自動車通勤の朝の短い時間に必ず聴くようにしている。それでまぁ、なんとなぁ〜く以前よりは英語が聞こえるようになった気がする。

 だが、私にとって最も効果的だったのは小栗左多里さんの著書だったりする。知ってます? ある日、新聞広告で「英語ができない私を責めないで」の宣伝を見かけ、何の予備知識もなく本のタイトルに惹かれて購入した。そのあと「ダーリンは外国人」の1巻と2巻を続けさまに買って一息に読んだ。云っとくが、この本は英語の教材本ではない。しかしこれはわろた。彼女の本のおかげで、英語で喋ることについては最近はかなり肩の力を抜くことができるようになった。相手の言ってることが聞き取れなくても「えぇっ? なにぃっ? ゆうとることがわからんがな」とある程度は気楽に聞き返せるようにもなった。ある程度は文法なんぞを気にすることなく、まず話す、という姿勢をとれるようにもなった。小栗左多里さんのことを知らない人、詳しくは実際の本を手にしてみてチョ。

 こうやってカメの歩み、ん〜、、もといナメクジの歩みで少しずつ英語上達を目指している。継続は力なりぃ〜、千里の道も一歩から、人生楽ありゃ苦もあるさ、、、、
 んでもホントはドラえもんのホンニャクコンニャクがほしいのだ。

 
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2007年01月30日

東京2

 交通機関が発達した今も東京は近いようでやはり遠い。朝ゆっくりとした時間に家を出て、伊丹空港へ。午前11時発の羽田行き。正午過ぎに到着する。そのままモノレールで東京へ。行きつけのラーメン屋でラーメンをかきこんで会議に臨む。この会議、メンバーになってひょっとしたら3年目だろうか? 実はあまり発言の機会はない。最近は二言三言なにがしかは云うが、以前は一言も喋らずに帰っていたこともある。そんな会議のために大阪からわざわざ上京することもないやろぉ、とも思うが来期もお引き受けすることにした。担当の方がおっしゃるには「細菌毒素のことになると、わかるのは堀口先生だけなので、、」とのこと。そんなこともないようにも思うが、細菌毒素を研究のカンバンに公的予算を頂戴している身としてはそのようなお言葉に背を向けるわけにもイカン。それに、会議中の議論がとっても勉強になったりするのだ(討論すべき会議で勉強してたりしてすいません)。

 ということで、来年度も東京出張は続く。今日はちょっと長引いた会議後に飛行機の時間に間に合うように走って東京駅へ、んで浜松町から空港へ。モノレールから富士山のシルエットを眺めながら(私はモノレールからの東京の眺めがわりと好きだ。富士山も昔から強烈に好きだ)、「富士山を日常で眺めることのできる大阪人もそんなにおらんし、まぁ楽しい出張ちゃうん?」と感慨にふける。結局、5時前に会議室を飛び出して6時の飛行機に乗って、帰宅は7時半。、、まぁ、近いような遠いような、、。

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2007年01月29日

東京

 「東京へは、、もう何度も行きましたね〜♫ 君の住む、花〜のミヤコ〜♪。」、、、マイペースの名曲「東京」だ。

 明日も東京出張。今月4回目ですぜ、4回目。色々な仕事でお呼びがかかるのは無視されるよかありがたいが、ちょっと多いかも。それで出張の往復時間を有効利用するために一時は新幹線でじっくり仕事をすることを試みたが、他のお客さんが多いと気になるので結局半分挫折。帰路の新幹線はDVDシアターと化してしまった。今年はちょっと飛行機中心で出張してみる。飛行機ならせまい座席に拘束される時間も45-50分と短いのも魅力。まぁとにかく科学の世界も東京一極集中だ。今年は何回上京することやら、、。

 「悲しくて〜悔しくて〜、、泣いて泣いてばかりいたけ〜れ〜ど〜♩、、かけ〜が〜えの、ないひ〜とに、逢〜え〜た、東京ぉ〜♯♪」、、やしきたかじんの「東京」も名曲だ。

 それでは、行ってまいります。

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2007年01月27日

PNAS

 いま、羽田空港で午前10時発の伊丹便を待っている。実は昨日からの東京出張、日帰りのつもりだったが色々あって一泊した。昨日の朝、出発前に論文投稿先のPNAS office から receive 通知が届き、東京に着いて北里大の阿部研でメールを開くと暫定 accept 通知が届いていた。Editorial board の正式決定を待たないといけないけど、おめでとう、、という感じのメールだった。EMBO J で4分で reject された論文だが、再々投稿ながら5時間ほどで PNAS に accept されたわけだ(研究に関係ない人、何のことかわからないと思うが許してくれ)。ちょっとリベンジ気分。

 他人の研究室で論文のaccept通知を受け取った経験は多分はじめて。阿部ちゃんと桑エッチ(桑江くんのことです)と一緒にガッツポーズをとる。やれやれです。しかしPNASに accept されたからといって昔ほど嬉しくない。そのことを言うと、阿部ちゃんに「またまた〜、、」と言われ、会議で北里大にいらしていた笹川先生からは慰めとも励ましともつかないお言葉をいただいた。「Direct trackでしょ、それはすごいよ〜、いやたいしたもんですよ。」、、でもなぁ、笹川先生はScienceやらNature Cell Biology やらを連発しているからなぁ。

 とりあえず、ここんとこ続いていた長いトンネルの出口がちょっと見えた。まぁよしとしよう。夜は阿部・桑エッチと田町で祝杯をあげる。
      
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 とにかく一段落だが、こんなことで落ち着いてもいられない。来週からまた頑張るっす。そろそろ搭乗が始まるのでこれでおしまい。



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2007年01月25日

匂艶 THE NIGHT CLUB

昨日はコロッセウムの感想を淡々と書こうとしたのに疲れからかグチっぽくなっちまったすまん。慰めのメールを何人かの方からいただいた。阿部ちゃん、小原さん、富田さんありがとう、というよりすまんかった。昨晩は午後8時頃からウトウトし結局朝8時前まで12時間近く寝た。そいで朝イチから教授室の扉を閉め、サザンの曲を鳴らしまくりながら論文の改訂をする。午後4時、再投稿終了。投稿時の曲は「匂艶 THE NIGHT CLUB」。アホなコメントを繰り返すレビューアの要求を優しくかつきっぱりと退けつつ、改訂のためにわれわれは努力してるのよ、という演出のためにFigureのうちのどうでもいい顕微鏡写真を交換する。心の中では「アホをレビューアにするな!」と Editor にも悪態をつく。とにかく投稿した。3人のレビューアのうち2人は掲載を strongly recommend してくれていて、問題はひとりのアホレビューアのみ(この人も基本的には仕事の quality は認めてくれている)、、。これでrejectされたら笑うしかない。アホレビューアが日本人で、これを読んでたりしませんように。

 今回の改訂ではハナの貢献が大きかった。ハナはここ半年ほどでとてもしっかりしてきた。指導教員のひとりとしては嬉しい限りである。いろいろ考えて、ハナの努力に報いるために、彼女が出してくれた結果は改訂版には使わずに続報になる論文で採用することにした。ハナ、必ずいい論文にするからね(といっても半分以上カミちゃん任せだが、、)。

 明日は東京出張。朝8時の飛行機に乗る。

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2007年01月24日

コロッセウム

「細菌学・若手コロッセウム」から帰ってきた。私としては学問的にはとても面白かったが、かなり消耗もした。これは、昨晩、北里大の桑江くんに説教されながら深酒をしたせいばかりではない。昔は若さにまかせて自分の思うことをバンバン云いながら目立つ位置にいて行動することが何度もあったが、今回、第一回の新しいミーティングの発起人であり世話人であるのが実はつらかった。この会はなぜ始められ、将来はどうするのか、1日目の夜に永井さんにストレートに尋ねられもしたこの問いに答えるのが気恥ずかしくもあり億劫でもあった。いま、細菌学会総会は再生の努力が始められているが、情報を交換し外部資金獲得に向けての実のあるネットワークづくりを模索するための機会としては機能していない。一方で細菌学領域を柱とする外部資金のパイはどんどん小さくなっているのを感じる。そんな危機意識から、情報交換と若手育成の場として機能する会としてこういうものを企画した。だが、今後の運営のためのコンセプトや手順についてはみなさんにお任せしたい。私が運営に関与して若い人に向けてトップダウンで(アドバイスのかたちにしても)何かをやってもらうのはイヤだし、気恥ずかしいし、そんなに無茶苦茶立派な構想を持っているわけでもない。みなさん、頼みますわ。

 科研費の援助を背景に、親分面してみんなを招集した、と見える今回の構図はほんとイヤだった、んで消耗した。先ほど、琉球大の鈴木さんから「御礼」と題したご挨拶メールをいただいて、やっと何だかホッとすることができた。参加者の中でこれをお読みになっている方のために、各方面にアナウンスするために作成した本会の趣意書を付けておく。


文部科学省科研費特定領域研究「感染マトリックス」/「応用ゲノム」ジョイントミーティング・「細菌学・若手コロッセウム」趣意書

 近年、感染免疫学の重要性が再認識され、関連する領域内で一翼を担う分野として細菌学が注目されてきております。また病原細菌を中心とした微生物ゲノム解析が急速に進展してきており、ゲノム解析領域においても病原微生物のゲノム研究グループが重要な位置を占めるに至っております。これらの動向に伴い関係領域の交流が活発化し、文科省科研費特定領域研究「感染マトリックス」や「応用ゲノム」のように領域間交流を前提とした大型研究予算も編成されてきました。
 このような状況は感染症やゲノム領域の研究者には喜ばしいことです。しかし、細菌学領域内を振り返りますと、個々の病原菌やその病原性を研究対象とする研究者やゲノム解析を研究基盤とする研究者で相互に交流する機会が乏しく、それぞれの連携や情報交換も充分とは言い難い状況にあります。また将来を担う若手細菌研究者の育成状況も良好とはいえません。こうした状況の中で、日本の細菌学が将来にわたって生命科学研究の中でも存在感を示し続けるためには、細菌学領域内での交流の活性化と人材育成が急務ではないかと思われます。
 私どもはこのような現況を鑑みて「細菌学・若手コロシアム」を企画いたしました。本研究会は、研究対象菌種や研究手法の違いを問わず、細菌を主な対象として活発な研究を展開している研究者に情報交換の場を、若手研究者に研究成果の発表と議論の場を提供します。
 先生方には以上のような趣旨をご理解いただき、是非とも積極的な参加をお願い申し上げます。

2006年11月1日
発起人一同

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2007年01月21日

ちゃんとしようぜっ、ちゃんと。

 私が幼稚園から小学校の低学年の子供だった頃、私の誕生日には心斎橋の不二家で家族で食事するのが恒例だった時期がある。いまでも心斎橋の不二家の前を通るとその時のことを思い出す。その日に千日前の百貨店で魚雷戦ゲームを買ってもらったように覚えている。その千日前百貨店はずいぶん以前に大火災でなくなり、いままた不二家は不祥事まみれで私のハレの日の思い出もずいぶん色あせた物になってしまった。不二家さん、私の思い出をどうしてくれる。

 健康バラエティー番組で捏造が発覚した。捏造を云うまでもなく、あの番組に出てくる似非科学、、例えばパーセンテージを出しているが分母のサイズがわからないデータ、陰性・陽性対照のないデータ、基本的な科学的事実を無視した結論などは視聴者を惑わすイカモノ以外の何ものでもないと以前から思っていた。毎日新聞によるとあの番組に対して何度も質問状を出したお医者さんもいらっしゃるとか、、それに対する回答は一度もなかったそうだ。あれに類する番組を親類や家族と一緒に見ていてデータの不備を指摘すると、「また、自分の専門を振り回して、あんたはいつも理屈っぽい、」みたいなことを云われたことがある。なにがしかのロジックを交えて話をすると、「理屈を言いやがって」と批判的に思われる。だが理屈でモノを考えるのは大事だ。不二家の担当者も賞味期限の牛乳を材料に使ったりしたらどんなことが起こりうるか(色んな意味で)ちょっと考えれば想像できそうなものだと思うのだが、、。「途中でモノを考えるのをやめるな」というのは私が学生さんに常日頃云う言葉だ。あの番組にしてもちょっと論理的に考えれば後ろにウソが潜んでそうなことがわかるし、それで翌日に納豆やらコンニャクやらが売り切れるとか云う出来事ももうちょっと何とかなると思う。、、まぁそんなことを言っとるのが専門バカの専門バカたる所以かもしれないけれど。

 明日から「細菌学・若手コロッセウム」を神戸で開催する。今までなかった細菌学会の若手の会を試験的に始めてみようと思って、宮崎大の林さんを始め色んな方に相談し、さらに科研特定領域「感染マトリックス」の代表者の東大の野本先生のご理解・ご援助をいただいてて実現にこぎつけた。なん〜にも企画のない、参加者の発表だけが淡々とスケジュールされているほんっとに素朴なミーティングである。だが会場は研修に特化した施設で、勉強やディスカッションのための環境は整備されていると思う。参加される方、ともに楽しみましょう。待ってます。

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2007年01月20日

オナカ・イ・タ・イ

 今日は東京への日帰り出張。いま帰ってきた。二時間ほどの会議に飛行機の往復で出張。ホントに必要かどうか考え直した方がいいかも、、って私が考えることでもないけど。それにしても昨日の微研研究発表会。レベルの高い仕事ばかりだった。所長によるとこの業績発表会は今年で10回目らしい。年々レベルが高くなっていくのを感じていたが、とくに昨日はキョーレツだった。「こんな中でしのぎを削るように仕事をしていかないかんのか」と途中で胃が痛くなった。「いや〜、このごろの微研の研究レベルは高いねぇ〜」と菊谷、審良、目加田といった先生方はニコニコと嬉しそうだが、こっちはついて行くのに必死だ。最近微研に移ってこられた吉森先生は「イヤ〜これから大変やわ」と言いながらも余裕の表情をかます。いや、冗談抜きでこっちはきつおまっせ。

 その夜、夢を見た。助手からプロジェクト助教授、さらに教授へと私にチャンスを与えてくださった当時の微研所長の西宗先生が現れた。あの西宗スマイルで「堀口さん、ちゃんとしっかり頑張ってもらわな、困りますがなっ!」と叱咤激励された。こっちは「はいっ、、がんばりますっ、、がんばりますっ、すいませんっ」と平身低頭、、、。んで目が覚めた。

 いまの規則で考えると63歳の定年まで16年、、いつの日か「イヤ〜レベルが高いねぇ〜」と笑えるようになるだろうか、それとも16年間苦しみ続けるのだろうか。うぅ〜、考えるだけでも胃が痛い。

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2007年01月18日

Far away

 明日は微研の業績発表会。各研究グループごとに演題を出し、ポスターと口頭発表でその成果や内容を競う。各研究員は優秀と認めた演題に得点を入れ、最優秀賞と優秀賞が決定される。ポスターは一週間(正確には月曜日から木曜日)掲示され、金曜日つまり明日に口頭発表がある。私はこの発表会が好きだった。いや、今もまぁ好きだ。このイベントは私がプロジェクト助教授になる一年前に始まった。その第一回は私に転機を与えてくれたのは間違いがない。その頃はポスターをなめるように見て、演者と話をし、口頭発表の日も気合いを入れて望んでいたものだ。おかげで色々と吸収させていただいた。

 それが最近、かなりつらくなってきた。例えばポスター。ちょっと色々教えてもらおうと演者に近づくと、演者さんが妙に構えるのがわかる。彼らは教授に対してなんとなくかすかに、教えを請う、あるいは話を拝聴する、というムードになる(ホントにそう思っているかどうかは別にして)。これはやりにくい。こっちは教えてほしいだけなのに。ウチの研究室の面々は遠慮がないので気楽に色んな話が出来るのだが、他の研究室の若い人となるとやはりそうはいかないようだ。こちらもなんだかホントの話が出来ないような気分になっていつの間にか足が遠のくようになってきた。加えて色んな雑用に襲われる。だから、今日のポスター討論の時間も、会場に行かず研究室に居た。

 こんな風に、このごろは研究のホントの現場から離れていっているような気がしてちょっと寂しい。教授には教授にしか出来んこともあるやろ、、と考え直すが、こちらは教授としては甚だ未熟な身だ。ん〜、なんか中途半端。まぁ、ごちゃごちゃ言うてんと、明日は口頭発表会、楽しむべし。

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2007年01月17日

阪神大震災のとき

 阪神大震災から12年。12年前、伊丹の公務員宿舎に住んでいた。それより以前、1987年から1990年まで千葉県柏市に住んでいた。この頃、関東は群発地震に見舞われていた時期で、夜討ち朝駆けの地震を何度も経験した。そのせいか私には、本格的な揺れが始まる直前に目が覚めるという特技が身についていた。目が覚めたあとも枕に頭を着けていると地震の揺れがこちらに近づいてくるのがわかる。あの朝も同じように目が覚めた。揺れが近づいてくるのもわかった。当時のせまい公務員宿舎の寝室では家族全員が寝ていた。二段ベッドに子供達、その対面に重厚な洋ダンスがあった。私はあらかじめ洋ダンスを手で押さえた。その直後強烈な揺れがやってきた。

 経験したこともない激しい揺れに加えて、まだ暗かった空に稲光のような閃光が何度か走った。冗談ではなく、「どこか近くの化学工場の大爆発か、どこかの国からのミサイル攻撃ではないか?」と短いが激しい揺れのあいだに考えたりもした。揺れがおさまったあと、あたりを見回した。あらかじめタンスを押さえていたせいもあって寝室は何事もなかったが、他の部屋は滅茶苦茶になっていた。冷蔵庫は元の位置から50センチほど移動し、しかもお盆やらなんやらの部屋の小物が落ちたその上に鎮座していた。その他にもありとあらゆる物が床に倒れ落ち、食器やガラスが割れ散って、まず玄関に行って草履を履かなければ部屋の中を移動できないような状態だった。ベランダから尼崎方面を見ると、すでに煙が上がっていた。地震直後に停まった電気はすぐに戻った。ラジオでは妙に冷静なアナウンサーが、入ってくる情報を淡々と紹介していた。それで、これが化学工場の爆発でもミサイル攻撃でもなく、やはり地震であったことがわかった。

 それからあとはニュースで報道された通りである。阪急伊丹駅は崩壊して1階にある交番に詰めていた2人の警官が亡くなった。スーパーはもちろん、ちょっとした小物屋さんにあった食べ物という食べ物はあっという間になくなっていた。我が家では前日の夕食に残った大量のたこ焼きが、この日の1日の食料になった。公務員宿舎では幸運なことにガスも水道も1日以内に復帰した。部屋の片付けに次の1日を費やし、研究室に出たのは震災後3日目だった。微研は7階建て。当時の細菌毒素学分野の研究室がある5階が最も被害が大きく色んな物が破損していたが、最も心配した1階のRI実験室ではガラスビンが一個、倒れていただけだった。

 道路は連日大渋滞だった。とりわけ私の住む伊丹は吹田キャンパス(つまり京阪)からみて神戸方面にある。そのため、通勤路は往路復路ずっと大渋滞だった。通勤に3時間、帰宅に3時間かかった。「オレは往復6時間もかけて、この時期に何をしに大学へ行くのだろう?」、、、率直な疑問だった。神戸では、お医者さんをはじめとして獣医さん、理容師さん、コメディアン、流通関係者が自分たちの出来ることで被災者の方々に手を差し伸べようとしていた。それに引き比べてこの非常時、研究者には出来ることが何もない。自分のことを世間の穀潰しのように感じた。「穀潰しが渋滞の中にクルマを乗り入れて、本当に必要な人たちの通行のじゃまをして、それでもやらねばならない研究などあるのか?」と切実に感じた。実際、その頃の私のプロジェクトではタンパク質の電気泳動の結果を出すことがポイントになっていた。神戸方面の方々が停電で苦しんでいたとき、私は隣町でひたすら電気泳動をしていたのである。

 昨年、あわじフォーラムに自転車で向かったとき、新長田から鷹取あたりではほとんど全ての家が新築であるという、異様な町並みの中を走り抜けた。私の住む伊丹でも地域によっては似たような光景を目にする。そんな町並みにも年期が入って普通の風景になったときはじめて震災の記憶は薄れていくのだろう、と自転車で走りながら思った。去年に大学生になった愚息はそれほど震災のことを覚えていない。私も具体的な記憶は薄れつつある。ただ、「研究者は基本的に世間の穀潰しなのだ。」、あの時の思いは今も胸の内にある。
 
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2007年01月16日

トシオトコ

 昨年あたりから、右足の付け根の外側がじんわり痛い。昨日は自転車通勤したせいかちょっとはっきり痛かった。「ずっと痛いというのは、身体が曲がってたりするのかもしれませんねぇ」というマミちゃんの言葉が気になってお風呂でちょっと見てみた。するとあなた、右足の脛が左脚より長くて、膝の位置が左右で1〜2センチ違うじゃあ〜りませんか。ちょいとショック。それでやたらと右足付け根が痛かったり左脇腹が痛かったりしたのだろうか。いつからだろうか?アキレス腱を切ってから? んなことはないか。長い間に消耗してきた結果かもしれん。

 今年は年男で48歳になる。小中学校の同級生の年賀状には「次の年男は60やで、おそろし!」というのがあった。身体のオーバーホールも気になるし心のオーバーホールも必要だし、、なんか生活の考え方というかパターンというか、そういうものに変化を与えたい今日この頃でもある。とりあえず目先の研究の進展に一喜一憂するのはやめよう、、、と思ったが論文の投稿先の雑誌のWebサイトで論文のステイタスが "Under review" から " Pending final recommendation"に変わっているのを見つけた。、、、と、とりあえずこの論文のカタがついてから、、、目先の研究の進展に一喜一憂するのをやめることに、、、、、。


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2007年01月15日

ワンパス

 最近は、むちゃくちゃ punctual な生活をしている。んで、ブログに書く出来事がない。びっくりするくらいない。朝、研究所に行く、教授室に入る、ひたすらディスプレイを見ながらなんやら仕事をする、昼飯を食べる、コーヒーを飲む、ひたすらディスプレイを見ながらなんやら仕事をする、電話を受ける、メールを見る、書く、みんなとウダウダと話をする、コーヒーを飲む、ちょいと文献なんぞを読む、最後にひたすらディスプレイを見ながら仕事をする、帰り支度をしてからもう一回りみんなの所をめぐりながらウダウダと話をする、んで帰る。この繰り返しの日々、、。なぁ〜んも目新しいことはない。

 しかし、このブログは壮大な計画のもと始められたのだ。書くことがないからといってしばしば休むわけにもいかない。実際、熱烈なファンからは「休まないでください」というクレームが届いたりする。しかも、その熱烈なファンはカミちゃんの奥さんのアカリさんだったりする(アカリさ〜ん、元気してる〜?)。ということでウダウダ書く。これも研究室とそれを担当する教授の日常である、、、あぁ〜っ!もう今日はおしまい!

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2007年01月14日

春までなんぼ

 先週の連休は特定領域「感染マトリックス」のシンポジウムがあったので、2007年はじめての日曜日休み。やっぱそれなりに疲れているみたい、午前中に散髪屋さんに行ったあとはバタンキュー(バタンキューて、、またわれながらベタな、、、)でしっかり昼寝してしまった。来週は微研の業績発表会、そのあと東京出張、週が変わって細菌学・若手コロッセウム、東京出張、んでさらに次の週に東京出張。まぁ、しっかり身体を休めるべし。20-30代の頃と違って体力には限りがある。

 相変わらず、改訂した投稿論文の返事はまだ来ない。こまったねぇ〜、この返事が来ないと研究室のプロジェクトの次の局面への計画を立てにくい、というかそんなこともないけれど節目と思っていた論文のケリがつかないうちに次の話をするのは気分的にイヤ。春まで2ヶ月半。来年度からは若干のメンバーの入れ替わりがあって、新しい体制で研究室が始まる。そこで順調にスタートを切りたければそれなりの準備が必要だ。来月以降はそんな準備に時間を使う。楽しみでもあり不安でもある期間。昨年までのエントリで何度も書いたような気がするが、ようやく研究室は長いトンネルを抜けつつある(と少なくとも私は思っている)。ここまでもってきてくれた研究室のみなさんに感謝したい。さらに来年度以降、どんな風に研究室をドライブできるのかはきっと私にかかっている。しっかり考えたいなぁ、、と思ったら目が覚めた。

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2007年01月11日

三題

 テレビドラマ「拝啓、父上様」。いま見ている。30年以上前の名作「前略、おふくろ様」の、えっとこんな場合なんというのだろう? 遠く離れたシリーズものか? 「前略、」は深川の料亭が舞台だった。「拝啓、」は神楽坂の料亭が舞台。私は「前略、おふくろ様」の大ファンだった。迷わず「拝啓、父上様」も見る。ほとんど同じシチュエーション、ほとんど同じ演出、全く同じテイスティー。板場なんぞは「前略、」の料亭「分田上(わけたがみ)」と同じなんじゃないか? と思うほど同じ雰囲気。、、懐かしく拝見しました。今後の展開を期待しております。

 ブッシュ大統領。イラクへ増派発表。力を信ずる者の力押しはフセイン大統領と同じ。フセイン大統領は兵の派遣で読み違いをして絞首刑になった。ブッシュ大統領は、どうよ?

 昨年から長期にわたって募集をしていた研究室のポスドク。21名の方の応募があった。応募された方はひょっとしたらこれをご覧になっているかも知れないが、これから書くことはあなた方ひとりひとりのことを指しているわけではない。いわば、応募者21人という抽象的な人格に書いていると思ってくれ。応募書類として要求された「自分の研究成果のまとめ」は、そのなかで「自分の売り文句」を書いてくれと云うことだ。学会の抄録ではない。履歴書は顔である。手書きされたのなら、達筆でなくても良いが丁寧に書いてくれ。履歴書のおもてづらであなたの人柄は判断される。あなたは年500万円以上の給与を保証された職を求めて応募したのだ。大学院入学志望者のようなセリフ、「堀口先生のところで勉強したい、、学びたい、、、学びたい」の繰り返しはいただけない。ここまで書いたこと、もし思い当たることがあったなら次の機会には工夫してみてくれ。
 面接に来ていただいた方、あるいはそうでない方にも可能性を感じる方はいらっしゃったが、こちらのプロジェクトの内容、数年後の人的配置の不都合、待遇面での不相応などの理由で採用を見送らせていただいた。結果として、今シーズンは研究室の思惑と状況に合致した人材に出会えることは出来なかったので、ポスドク採用を見送ることになった。

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2007年01月10日

だったらいいなぁ

 見ました? アップル社が発表したiPod携帯電話のiPhone。本体のほとんど全面が液晶画面でハードボタンはひとつだけ。あとは画面内のソフトボタンのみ。指で紙をめくったり手帖を繰ったりするような感覚でメニューを選ぶことが出来る。引力センサーがあって本体を横に向けると自動的に画面も横になる。話すために顔を近づけると誤動作が無いようにソフトボタンが自動的に非働化する。ジョブスの基調講演を見ている限り、画面を見ながらほとんど直観的に操作できそうだ。

 実は真面目に携帯を使うようになってから、「タッチパネルがコンピュータやPDA(日本語でいわゆる電子手帳ね)で使われているのになんで携帯のキーをタッチパネル様式にしないのか?」とずっと思っていた。この私の「だったらいいのに、、」を見事に実現してくれた。アップルさん、(というかジョブスさん、というべきか?)ありがとう。って、日本ですぐに発売されるわけでもなく、発売されても多分すぐに買うわけでもないと思うが、、、。でも、「だったらいいなぁを実現してくれてありがとう」感覚をアップルが味合わせてくれたのはとっても嬉しい。実はこの感覚はこれで二度目になる。

 20年ほど前、まだ私がキューハチで一太郎や花子をショボショボ使っていた頃、キューハチはマウスを入力デバイスとして既に採用していた。ところが、マウスはX-Y方向の二次元面を自由自在に動けるのに、画面ではカーソルが動くのみで、そのカーソルを起点にキーボードからコマンドキーを打たないとアプリケーションは動作しなかった。「なんで、マウスで画面のボタンを押すようにグリグリッとコマンドを操作でけへんのや?」と思っていた。だが、当時私はまだその存在を知らなかったのだが、その時すでにマックではGUI(グラフィカルユーザインターフェースっていうやつ)を実現して、まさしくマウスでグリグリッとボタンを押すようにコマンド操作ができていたのだった。そのあと数年経って、微研で初めて見たマックがMacintosh CXII だった。その時操作していたのは有田さん(現岡山県立大)だった。有田さんはクリケットグラフというグラフ作成ソフトでグラフの中にグリグリッと簡単に直線を描いていた。めっちゃショックで嬉しかった。その時の感動があって、それでいまもマックを使っている。

 「だったらいいなぁ」が実現すると感動は深い。研究においても、「だったらいいなぁ」が実現したときは感動が深いばかりでなく研究成果としてのインパクトもたいてい高い。それは「だったらいいなぁ」はその時に期待できる最高の理想だからだ(そうですよね、アップルさん)。それでは、もちろん根拠となる基礎データがしっかりしているという前提で、大胆に「だったらいいなぁ」をいつもあなたの作業仮説にすればどうだろう? 相手は「最高の理想」だけに証明するにはたくさんの煩雑な実験が必要かも知れない。でもそのようにしてアップル社はGUIをパーソナルユースで実現し、今度はiPhoneを実現した。(まぁもちろんそれまでにも iMac や iPodもあったけど、このふたつの製品は私にとっては「だったらいいなぁ」ではなかったので省略する)きっとそれまでにはクリアするべき技術的な障壁がたくさんあったのだろうと思う。だが、それを乗り越える努力を厭っていては「だったらいいなぁ」は実現できない。、、「飛雄馬よ、目の前にふたつの道が現れたなら遠い回り道の方を迷いなく選べ! 我に七難八苦を与えたまえ!、という山中鹿之助の言葉をお前に贈る!」

 今日もちょっと星一徹でした。
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2007年01月08日

「感染現象のマトリックス」第一回シンポジウム

 昨日今日と行われていた、科研費特定領域「感染現象のマトリックス」第一回シンポジウムから帰ってきた。シンポジストの講演は研究項目のコンセプト紹介と研究成果の報告が半々なのでまだ試運転か顔合わせの意味合いが強かったのだが、それでもやはり色々と得るモノがあった。

 この特定領域関連では、前回のプロジェクトから参加されている先生方から見ると私は新顔である。そこで私の仕事を紹介することができ、そしてそれなりに先生方に評価していただけたと思っている。これは良かった。ただし、他の先生方が扱われている生き物としての寄生体(ウイルス、細菌、寄生虫)とは違い、無生物の毒素を対象にした研究をどのように「感染症」研究につなげるのか? 「ホリグチはどうする気やねん(もとい、どうする気なんだ)」というムード(だけではなく直接的な議論もあったが)を感じた。私の研究グループは、タンパク質である細菌毒素の構造と機能を生化学的に解析することを主体にしている。だからその成果の如何によって感染症との関連づけの意味の大きさが変わってくる。

 懇親会では、諸先生方に色々とコメントをいただいた。野本先生、笹川先生、光山先生、小安先生、永田先生、堀井先生、ありがとうございました。中でも審良先生のピシャリの一言、、。「あんたの細菌毒素はほんまに感染に関係してんのか? 研究展開のキーポイントはレセプターやな」「はぁ、でも毒素のレセプターの同定はかなりむずかしいんで、、」「その難しいのをやるんやがな」。、、おっしゃるとおりです。


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2007年01月06日

チキンラーメンのこと

 日清食品の創業者、安藤百福さん死去。云わずと知れたチキンラーメンの発明者である。

 実は、私は知る人ぞ知るチキンラーメン好きである。私に何かあったときには研究室の面々が気をつかってチキンラーメンを買ってきてくれるほどだ。チキンラーメンは昭和33年に発明・発売された。私は昭和34年生まれである。私の人生はチキンラーメンとともにあったと言っても過言ではない。、、、、、、、い、いや、過言かも、、、、、、と、とにかく以前にも書いたが、私の父親は大阪鶴橋で商売を営んでいた。その店の隣には乾物屋さんがあり、そのせいなのかどうかは分からないが、店での食事やおやつは頻繁にチキンラーメンだった。その当時、チキンラーメンの輸送に使う段ボール箱の印刷技術が悪かったらしく、段ボール箱のイラストにあるチキンラーメンの包装の色は実際の色のオレンジ色ではなくてチョコレート色だった。これをネタに市場の若い人にだまされた。「もうすぐチョコレート味のチキンラーメンが出るんや、安彦くんはチキンラーメン好きやから楽しみやろ」と。それ以来、チョコレートチキンラーメンの登場を楽しみに待ったが、それはついに実現しなかった。

 ときにチキンラーメンは湯をかけずに生でかじる。ビールのアテに最高である。この食べ方が一般的でないことを北里研究所に勤務していた頃に初めて知った。研究室の飲み会の買い出しで、チキンラーメンをツマミに買おうとする私を必死で制止する学生さんに向かって、「あほかぁ〜!、大阪ではみんなチキンラーメンはビールのアテに生でかじるんや、湯ぅかけてラーメンにする奴なんかひとりもおらん!」とピシャリと言い放ったものである。

 とは言うものの、湯をかけたチキンラーメンももちろん美味い。実は昨日もチキンラーメンを食べた。私の体調を気にしてオニピンが買ってきてくれていたものである。仕事に煮詰まってくると、気分転換にはチキンラーメンが一番だ。湯は少なめ。時間も短め、2分くらい。これで最高のチキンラーメンができあがる。カップヌードルは私にとっては今ひとつ。やはりチキンラーメンの方がよい。

 考えてみると50年近くも同じ味で愛されたこのタイプの食べ物はチキンラーメンだけではないだろうか? 私が死ぬまではこの味を守っていただきたい。(実は一時期、麺に油脂を塗りたくった、生でかじることも出来ないチキンラーメンが売られていたことを私は知っている。あの時は悲しかったが、日清食品はすぐにその過ちを認め、昔の味に戻したようだった。チキンラーメンの味が戻ったとき私は思わずガッツポーズをしたものだ。)

 安藤百福さん、チキンラーメンをありがとうございました。ゆっくりとお休みください。

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2007年01月05日

永遠も半ばを過ぎて(とわもなかばをすぎて)

 「永遠も半ばを過ぎた 私とリーは丘の上にいて 鐘がたしかにそれを告げるのを聞いた。」

 中島らも、「永遠も半ばを過ぎて」の一節である。この、「永遠」がフルスケールになるような抜き差しならない状況でそれでも「半ばを過ぎた」とあえて言う虚脱感とカラ元気。私の好きなこの一節が昨日から頭をめぐっている。

 雑用が終わらんのである。次から次から次から次へとメールとともに仕事(雑用とか言います)が永遠にやってきて果てることがないような、、、。ええいっ!永遠も半ばを過ぎるっちゅうねん! 教授職というのは退職までこういうことを繰り返しながら朽ち果てていく職種なんじゃろか? 「今年は絶対雑用を減らす!」と言うと、マミちゃんに「それ、去年も言うてはりました。」と言われ、ときおり肩をもんでくれるハナには「いままでで最高に肩が凝ってます」と言われ、、、オニピンには「眼がむっちゃ腫れてます。」と言われ、、。新春早々なんだか散々だ。しかし皆の衆、やまない雨はないのだ。ひたすら明日も頑張るのみ!、、と、明日への英気を養うために三本目のビールを飲む。

 こうしてウツウツしながら帰ってくるが、いまの季節うれしいのは新着の年賀状が元気を与えてくれること。「この家族楽しそうじゃ〜ん」、、「ほぉ〜、その年で二人目を産みましたか〜、がんばれぃ」とか、年賀状のコメントに独り言で感想を言っていると気分も晴れてくる。そのために掛けてくれたその人の手間暇を考えると、年賀状をもらうのは嬉しい、、、年賀状っていいと思う。

 とにかく日曜日からのシンポジウムを終えて、それから投稿中の論文の返事も来てほしい、、、それから年度末のコマゴマした予算繰りもすっきりしたいし、、、それからあれもこれも、、(ブログでは書けんのでここでやんぴ)。とにかく、やまない雨はない!ということで。

 
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2007年01月04日

2007年、初自転車出勤

 2007年初出勤。自転車じゃっ。冬の自転車行はしっかりと風を切る感じが気持ちよい。世間はまだ正月気分。道も空いているのでるんるん気分で研究室に到着する。今年も頑張っていきまっしょい。さしあたってはこの7ー8日にある特定領域研究「感染現象のマトリックス」のシンポジウム、んで19日には微研の業績発表会。さらに開けて月曜日から「細菌学・若手コロッセウム」。うひょ〜、スケジュール満載。今月、何事もなく終わりますように。

 昨年末にちょいと書いていた「自転車の安全利用の促進に関する提言について」のことを思い出して、帰りは国道171号線(もちろん車道)を一直線に走って帰ってみた。これも前に書いたが、歩道と車道では舗装の質も違うし、だいいち車道は歩道に比べて圧倒的に段差が少ないのでスピードが出る。それできっちり交通法規(信号のこと)を守ってひたすら走ってどれくらいの時間で帰ることが出来るのか調べてみた。42分。ウチの家は伊丹市の西の端だが、ここと吹田キャンパス間を42分。車では25分程度。自分の脚で42分で帰れるのはやっぱそこそこええんちゃうん? 自転車の走行性能はそれぐらいは、ある。確かに国も警察庁も移動手段としての自転車についてもっともっと考えてもいいと思う。

 とか考えながら帰ってくると、仲野徹先生からの年賀状に「すっかりサイクリストになりました」とのコメントを発見。仲野先生は色んな意味で私のお師匠はんのお一人だが、力ずくのギャグで人を笑わせようとするのが玉にキズだ。、、、、まぁ、それにしても、そうかそうかフンフン、、「サイクリストになりました」か、、、。いっぺんどこかの自転車行にお誘いするかな? 

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2007年01月01日

おめでとうございます。

 あけましておめでとうございます。

 先のエントリを書き終わった頃から赤ワインを開けて飲み始め、いま全部飲んじゃいました。

 それでは、みなさま、深酒召されませぬよう、、、



 かしこ
posted by Yas at 00:20| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする