2006年11月19日

勝敗のある小気味よさ


 高橋尚子さん、東京国際マラソンで3位に終わる。30 km すぎから失速して土佐礼子さんに離されて、さらにそのあと尾崎朱美さんにも追い越された。これまでの高橋さんの栄光から考えると惨敗に近いと言っていいのかも知れない。34歳。体力の衰えは否めないのだろう。かつての強者が年を経て落日の迎えを予感させるようになる。プロスポーツを観戦していると、そんな光景をときおり目にする。これまでにもっとも印象深かったのは、ボクシングの輪島功一さんの最後の世界戦。私は当時高校生くらいだったと思うが、年齢による衰えが明らかな輪島さんの悲愴感いっぱいの試合と惨敗ぶりに寂しい思いをした。

 このごろでは、すっかり勝てなくなって巨人を去る桑田投手やストレートを全く打てなくなった清原選手の例がある(キヨハラはまだ現役ですけど)。さみしいことだが、ゲームを通じて第一線で活躍できないことを思い知らされるのはむしろ小気味よい、と考えるべきかも知れない。少し話は違うが、研究を職業とするのに向かない若い人にどのようにそのことを伝えればよいのか(あるいは伝えるべきなのかどうか)、最近よく考えている。研究にはたいがい勝敗はないし対戦相手もない。おのれの今の力を測るすべに乏しい。だから「私は研究者として充分やっていける」という勘違いをくつがえす具体的な根拠を示すのは難しい。日本ではここ数年、ポスドクといわれる有給研究員のポストの数が著しく増えているので、研究職は少なくとも若いうちは「ぬるい」職種になりつつあると思う。今の少々バブルっぽいポスドクの雇用環境で甘やかされたまま年をとり、そのまま転職に難しい年齢になって路頭に迷うような人が増えてしまわないかと(杞憂かもしれんが)心配する。勝てなくなったら仕方がないというスポーツのようなキリの良さ、そんな仕組みがこの世界にも必要なんじゃないかと思うんだが、今のところどうすればよいのかよくわからない。んー、、どうもしなくてもいいのかも知れんけど、。
posted by Yas at 21:53| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする