2006年11月04日

甘いんちゃうん?


 50コマを補習上限とするんでしたっけ、70コマで手を打つんでしたっけ? 高校生の履修不足問題。あかんやろ! 不足した時間は全部受けんかい。該当する高校生達は不足必修科目の時間に受験科目を受講してたんやろ。彼らは被害者ではなく、受益者やないか。責任の所在はどこにあるのかはべつにして、必修科目は受けるのが当たり前やん。救済措置があること自体がおかしいがな。そのあとで、学校に対して訴訟でも何でも起こしなはれ。高校が不正をした。その結果生徒は恩恵を被っている。ところが、必修科目(必修科目ですよ!)の履修不足の救済に大人達が右往左往するという。こんなことをしていて、この国の大人達は子供達に「公正(FAIR)」ということをどうやって教えるつもりなのか?

 そもそも、受験競争(受験戦争と私らの世代では言われた)はそんなに過酷なのか? 現役高校生が聞けば怒るかも知れないが、受験とは過保護な、やわな競争である、と私は思っている。受験の時期は毎年決まっている。自分が受験競争にさらされるのはいつなのかあらかじめ予想できるわけだ。自分の学力相当の大学がどこなのかもあらかじめ知ることができ、そして受験する大学は選ぶことが出来る。もし失敗しても、来年の同じ時期に再度チャンスが与えられる。もし、受験に何度も失敗して大学入学を断念せざるを得ないとする。だが人生は終わりではない。若い人たちには別の可能性があるし、そもそも大学全入時代と言われる昨今、自分が入ることが出来る大学を見つけるのは難しいことではない。人生にはもっと過酷なことがあるだろう。営業で大きな契約が取れるかどうかの乾坤一擲のコンペティションもあるだろう、その結果、家業がたちいかなくなって破産廃業に追い込まれる中小企業の経営者の方もいるだろう。中堅以上の会社に入ったとしてもリストラにあうかも知れない。そのような苦境はたいてい突然やってきて、自分でその苦境の程度を選ぶことは出来ないのだ。受験競争が厳しくて生活が破綻することはないと思うが、その後の人生では生活破綻に追い込まれるような苦境というのはいくつもあるのではないか? 社会が、というか国が、こぞって受験競争は過酷で厳しい! というほどの実態が大学受験にあるのか? とっても疑問である。

 村上龍氏は著書「13歳のハローワーク」で「いい大学に入って、いい会社に入れば人生は安心という世の中はとっくに過ぎている」と書いている。賛成。あなたに人間として評価されうる能力があれば(誰かが人間力っていってたような)、希望大学に入れずとも、あなたはきっと道を開くはずだ。逆に、受験勉強の環境に恵まれていて運良く「いい大学」に入ったとしても人間として評価に値する美点が乏しいとすれば、「○○大学生でもアホはおるんや」とそしりを受ける。大学受験は、ほんっとに通過点に過ぎない、と言うことを知ってほしい。問題は、通過点を最終目標と見まがうほどはやし立てる社会(大人)ではないか? もう一度いう。受験競争はたいしたこと無い。希望の大学に入れないともちろんあなたは落胆はするかもしれないが、頑張っているあなたに見合う大学は複数あるはずだ。受験の結果次第によっては、少々人生の目標も変更せざるを得ないかも知れない。しかし受験のあと、受験に失敗しようが成功しようが、そのあとのあなたの努力で獲得できるあなたへの評価の方があなたの人生の糧にきっとなる。、、、、エラそうに言ってすいません。でもそう思う。
posted by Yas at 22:15| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする