2006年10月26日

高校時代

 先日からお騒がせの、高校の履修不足問題。一部の学校では架空履修報告まで行われていたとか。ゆとり教育のあおりを受けての授業時間数減や受験競争のプレッシャーなど、原因となる問題は色々あったと思う。んで、偉そうなコメントはやめとく、というかできない。代わりに、自分の高校生時代のことを思い出してみた。

 私の卒業した高校は、いわゆる学区での一番校ではなかった。それに、今はどうか知らないが30年前の当時、その高校では多くの教員が受験競争に背を向けていて、「大切な勉強とは何か」とか言う、生徒にとってはどうでもよいご大層な念仏(当時の私にはそう聞こえた)を唱えるばかりで、質の高い授業を出来る人はきわめて少なかった(お寺関係の方すいません、「念仏」は単なる喩えです)。その結果、入学当時は一番校の入学生とそれほど大きな学力差のないはずであった生徒達は、卒業時には一番校の卒業生と大きく水をあけられることになる(このことは、この学区では有名なハナシであった)。勉強したい生徒は、当時まだそれほど一般的ではなかった現役生対象の予備校のコースに通うか、なんとか自己流で勉強方法を開拓して修行僧のように世俗(つまり学校での授業の進度や深度)とは無関係に自分を磨くしかなかった。わたしは、そんな念仏唱和派の教員達が好きではなかった。「教員の仕事をちゃんとしろよ」と高校生ながら生意気にも思っていた。

 そんな中でも個性的な先生方はいらっしゃった。岡竹先生という地学の先生。この先生は地球と月との関係を説明するのに、ボールを持って「このボールを地球と見立てる、僕は月だ」と言って月から見た地球の話をした。高校生の私は自分の住む地球を中心に考えない天体運動の解釈に感動した。東大の服部正平先生(私の高校の先輩です)も同じような、岡竹先生にまつわる話をされていた。先生は北極と南極を水平にして、垂直に自転する地球を書いて自転を説明されたそうだ。想像だが、そんな教え方にマニュアルはなかっただろう。岡竹先生オリジナルの考え方だと思う。そしてそんな先生のことを服部先生も私も印象深く覚えている。共通一次試験もセンター試験もなかった当時、地学は一般的には受験科目ではなかった。

 古文の飯田先生。年配の女性の先生で、非常に上品な方だった。物腰の柔らかい話し方をする方だったが、最初の授業だったと思う、「古文を読み解くには古文独特の文法を勉強しなければなりません」ときっぱり言い、生徒に配布された古文の文法書を手に掲げて「この本をボロボロになるまで読みなさい」とおっしゃった。勉強の仕方をストレートに説明された、私の高校ではあまり聞かないその言い方が印象に残った。私は言いつけを守り、文法書をボロボロになるまで繰り返し使った。おかげで在学中の古文の授業は楽しかった。理系の大学を受験した私には、結果として古文は受験科目ではなかった。

 英語の今田先生と数学の石原先生。三年次に行われた実力試験で、普段の定期試験の(わりあい簡単な)問題作成の鬱憤を晴らすかのような難問を出題された。その時の平均点は10点ぐらいではなかったか。その時にお二人の先生は、それぞれの授業中に示し合わされたかのように同じ趣旨のことを言われた。「この学校のぬるま湯になれてたらイカン。世間の受験のレベルはあれぐらいなんじゃ」。勝手な思いこみかも知れないが、念仏唱和教員が大多数を占めていた当時の高校でなんとか質の高い教育を施す、ということに腐心されているように感じた。

 履修不足問題で揺れる高校の先生方、がんばれぃ。
posted by Yas at 22:50| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする