2006年10月13日

運慶

 昨日のことになるが、審良研のスタッフ、河合さんのセミナーを聞いた。RIG-IやMDA5を介した抗ウイルス応答に関わるシグナル伝達分子の話である。彼の話に登場した分子名は正確にすべて覚えていないのと、ブログで正確に書く必要性も感じないので詳細はゴメンするが、仕事量の多さとその結果から紡ぎ出されるstory の美しさは素晴らしかった。この河合さんの話を聞いて思い出したのが、漱石の短編「運慶のはなし」である。ちょいと調べて紹介する。正確には「夢十夜」の「第六夜」である。

 漱石は近所で運慶が仁王を彫っているというのを聞いて散歩がてら見物に行く。野次馬が色々蘊蓄を垂れているが、その中にあって「よくあんなに無造作に彫ってみごとに仁王像を造形できるものだ」とひとりごとを言いながら感心する。すると、野次馬のひとりが応える。「なに、あれは造形しているのではない、木の中にすでに埋まっている仁王様を掘り出しているだけなのさ」と。

 河合さんの仕事もそのようで、まるでそこにある結果を丁寧に掘り出して、そして素晴らしい成果を挙げているかのような印象を受けた。私のこの例えは河合さんの仕事を過小評価するものでは、もちろんない。

 そこで、私の学生時代のボスでクリスチャンでもあった阪口玄二先生に教えられたことを思い出した。研究(research)が re (もう一度) + search (探す)と言うのは何故か? 真実ははじめから存在し、それを神が隠したもうたのである。われわれ人間はその神が隠した真実をもう一度探すので research という言葉を持って研究を指すのである、ということだった。、、、まさしく運慶でんがな。
posted by Yas at 23:04| Comment(0) | 私的先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする