2018年04月01日

膝の痛み、その後3

 ケイデンス・スピードセンサーを購入してから、二度の日曜日があった。最初の日曜日は仕事の関係で吹田キャンパスを往復、今日の日曜日は前日に事情があって置いて帰った車を取りに吹田キャンパスまでの片道を走った。前者は素直なコースを走って往復30 km、後者は片道だけど回り道をしたので40 km の距離だった。


 本日のコース。出発してから4 kmほどログをとるのを忘れていたので、実際には40 km ということになる。伊丹の南側を走る山陽新幹線に沿って神崎川に出て、その右岸を北上する。途中で分岐して支流となる安威川をさらに茨木まで遡って
西国街道から吹田キャンパスに入った。神崎川と安威川の下流部は河川敷のコースが整備されていて走りやすかったが、安威川の中流域は整備がよろしくない。河川敷コースでは通行止めに遭ってバイクを背負って土手の階段を三度登った。しかし中流域より上流は水も澄んでいるし景色もよい。土手うえの道路を走る車も少ないので、サイクリングコースとしてはそんなに悪くなかった。でもさすがにこのコースを走るローダーは全くいなかった。

 さて、先日購入したケイデンス・スピードセンサーだが、これをセットした最初の走行で私の平均ケイデンスは65-75rpmだということがわかった。今後はこのペースを基礎にして距離を伸ばしていけばいいのかなと思っていたら、今日は全くセンサーが動かなかった。iPhone との接続を調べてみると、全くセンサーが検知されていない。ネットで調べてみると「Topeakの製品に付属している電池はほとんどもたない」という書き込みを見つけた。なんだよー。前回のエントリでTopeak製品を褒めたのにさー。

 ということで、とりあえずは電池を変えてみることにする。あ、。膝はまだ完治していない。痛いというほどではないが、やはり違和感がある。しかし着実に距離を伸ばしていけているので、次回のリハビリサイクリングは60 kmを目指すことにする。んで、今年の秋は東海道走破だっ。


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2018年03月21日

膝の痛み、その後2

前回のエントリから2週間が経った。その間、一度も自転車に乗っていない。いい天気な週末もあったけれど、自転車で乗り出して道中で膝が痛くなったりしたらイヤなので自重した。

しかしこの2週間、ぼんやり過ごしていたわけではない。二度とこういう事が起こらないようにと色々と考えていた。なぜ、膝なんか痛めたのだろう? いまのアンカーくんを購入してから、1日100 kmの距離を何度も走ってきたけれど、それまで膝を痛めたことなど一度もなかった。だから、自転車のポジションが極端に悪いということは考えにくい。アンカーは発注時に特別な機械でフィッティングしてくれるし。

やはり、最初に膝を痛めた日、寒かったのでスピードを上げて早く目的地にたどり着こうとしてガシガシとペダルを踏んだせいだと思う。無茶な踏み方をしたので、もともとスマートではない乗り方も重なって膝を痛めたのだと思う。そこで、二度とそういうことにならないように、こんなものを買ってみた。

4FDB3A07-4997-4571-A4F9-6B9217237B8F.jpeg ケイデンス(クランクの回転数)・スピードセンサーである。これからは無茶な走り方をしないように、これで自分の走行状態を管理する。このセンサーをbluetooth経由で iPhoneに繋いでサイクルコンピュータ(サイコン)代わりに使う。サイコンを買っても良かったのだけれど、せっかく高価な iPhone を持っているのだ。こいつにしっかり働いてもらおう。センサーのメーカーは Topeak という。無骨だが機能的にはしっかりした製品をつくるので、いつの間にか私の自転車周りは Topeak ばかりになった。
いそいそと荷物を開封して、センサーをチェーンステーに取り付ける。

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こんな感じ。さらにクランクの裏側とリアホイールのスポークに磁石を取り付けてセッティングは終了。 スポークへの取り付けには付属のホルダーを使うが、クランクにはペダルの取り付け穴の裏側に磁石をそのままくっつける。んで、iPhoneにインストールした Panobike+ と Runstatic road bike で動作をチェックする。

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これは Panobike+ を起動したiPhoneの画面。今日は雨だったので、スタンドに立てたアンカーくんのクランクを手で回してみて動作確認した。ちゃんと速度とケイデンスが表示されている。これでオーケーだ。今度の日曜日(最後に自転車に乗ってから3週間! お医者の言いつけを一応守ったことになる)に実際に走って(センサーとサイコンアプリと自分の膝の)具合を見ることにする。







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2018年03月07日

膝の痛み、その後

前回のエントリで報告した膝の痛みのその後。

ちょっと危険な痛みを膝に感じてサイクリングを中止して電車で帰宅したのが2月11日。その後は膝のことを慮ってしばらく安静、にできるはずもなく、、、、我慢できずに2週間後に試しに北摂に出てみた。膝が大丈夫なら能勢街道を抜けて篠山まで行こうとぼんやりと考えていたが、そんな思いもむなしく、 15kmほど走ると早々と膝に違和感を感じ、一庫ダムにたどり着いたところで違和感が痛みになった。これはあかん。前回は市街地だったので電車に乗って難を逃れたが、この辺りには適当な公共交通機関はない。もし痛みがひどくなって走れなくなったりしたら厄介だ。、、ということで、一庫ダム周辺を回って帰ることにした。

激しい痛みでも出たら大変だーたいへんだーと、おっかなびっくりで帰路についたが、一庫ダムから自宅までは基本的に下りなのが幸いしてか、痛みがひどくなる事もなく無事帰宅することができた。でも繰り返された膝の痛み、これは不吉なパターンである。そこで翌日、スポーツ整形を看板にする近所のお医者に行ってみたら、「腸脛靱帯炎ですね、。安静にしてください」と言われた。この病気はランナーに多いらしいが、自転車でも起こるとのことだ。安静というが、どれくらいの期間安静にしたらいいのだろう? お医者さんは目安として最低2−3週間という。じゃ、2−3週間後どうしたらいいのかというと、明確な説明がない。ただ、膝が痛くならない程度なら自転車に乗ってもよいと言う。

 そこで、毎日湿布を交換して1週間後、おそるおそる自転車で大学まで行ってみた。片道15 kmである。この時は6-7 kmで早くも違和感を感じたのだが、何せ怖々とペダルを踏んでいるので、「羮に懲りて膾を吹く」の言葉通り、過敏になっているだけかもしれない。そんな見極めが出来ないまま極端に速度を落として走り続けて、痛みを感じることなく何とか大学にたどり着いた。帰路も同じようにゆっくりと走って事なきを得た。

 うー、こわい。こんな調子ではとても長距離を走りきれるものではない。ということでしばらくは、10−40 kmの距離をたまに走って様子を見ることにした。(対策編につづく)


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2018年02月13日

膝が痛い:目指せ、東海道走破5

ここのところずっと、めちゃくちゃ寒い。
「もうええかげんにせな、おっちゃんも怒るよ」と天に向かって言いたいくらい寒い。

その寒い中、「トレーニングじゃ」と称して、この日曜日も自転車で出かけた。目的地は大阪府の南東部、千早赤阪村の観心寺である。楠木正成公ゆかりの名刹で、小学校だか中学校だかの遠足で訪れたことがあったりして、なんとなく親近感があったので今回の目的地にしてみた。しかしこれが大きな間違いだった。
観心寺までたどり着くのには、とにかく伊丹から大阪市内を斜めに走り抜けて、八尾南あたりから大和川沿いに大和川・石川サイクリングロードに出れば簡単だ、と考えた。前回「面白くもない、あまり好きじゃない」と言っていたのに、またしても大阪の市街地を抜けてサイクリングロードを走るようなコースを選んでしまったのである。

朝、8時半頃に出発。伊丹方面から湾岸経由で大阪市を抜けようとしたが、大阪湾にそそぐ数多くの川を渡る国道の橋は、ことごとく自転車の通行を阻むかのような作りになっている。そのためにある時は歩道橋(自転車兼用)を渡り、ある時は川底トンネルを自転車を押して渡り、ある時は橋の路肩のゼブラゾーンを縫うように走って、大正駅あたりから恵比須町あたりに着いた頃にはすでにかなり消耗し、さらに大和川沿いの府道にようやく出た頃には、観心寺を目的地に選んだことを後悔していた。

しかしここからサイクリングロードに続く道は自動車の通行がほとんどなく存分に走ることができる。んで、この日は風が強かった。川沿の堤防などはなおさらである。しかも寒い。早く目的地に到着したいと、この時ついペダルを踏む足に闇雲に力が入ってしまったようだ。

大和川から石川に入ったところでようやく我に返り、「風も強いし寒いし全然楽しくない」と悟って目的地を観心寺から、すぐそばの道明寺に変えてそこから帰路につくことにした。ところが、近辺で昼食(ラーメン)をとって再び自転車にまたがると、膝に妙に違和感がある。最初は違和感があるだけだったが、地下鉄長原駅の近辺を過ぎたあたりで膝の外側にはっきりと痛みを感じ始めた。帰路はまだ40 kmほどある。激しい痛みではないけれど、これは危険だ。電車の駅が近くにあるうちに輪行して帰ったほうがいい。歳も歳だし、へんに膝を痛めたりしたら治るのに手間取るかもしれない。そんなの嫌だ。

ということで携行してきた輪行袋を取り出して、そそくさと自転車をたたみ、出戸駅から地下鉄に乗って、南森町駅でJR東西線乗り換えで伊丹駅に帰った。

この日の走行ログ。
伊丹駅で再び自転車を組み立てて恐る恐る自宅まで自走で帰ったが、この時には痛みは全くなかった。

しかし膝が痛くなるなんて初めての経験だ。これまで軽いギアでゆったり走るのがモットーだったのに、寒い中で我を忘れて力を込めてペダルを踏みすぎたのかもしれない。んで、結論。めちゃ寒い日はもう自転車で遠出しない。幸いなことに、今月の残りの週末は予定が入っているので自転車を乗る時間はきっとない。ということで、次の遠出は3月まで待つことにする。

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2018年02月03日

清滝峠を越えて。:目指せ、東海道走破4

 この水曜日(1月31日)、大学センター試験監督の代休をいただいたので、自転車で出かけることにした。せっかくの平日のおやすみだし(何が「せっかく」なのかわからんが)、東海道走破のトレーニングを兼ねて少し長距離を走ってみた。

 自宅のある伊丹から、東に真っ直ぐ進んで旧国道163号線で清滝峠を越えて木津まで走り、そこから木津川沿いの嵐山・木津サイクリングロードを北上して、木津川・桂川・宇治川が合流する背割堤で有名な御幸橋から大山崎へ渡って西国街道を伊丹に帰る、というコースである。
 伊丹から豊中、吹田、守口、寝屋川を抜ける道はほとんど普通の道路である。面白くもないが、街の景色が変わっていくのでそれなりに飽きることはない。四條畷から集落のあいだを縫うように清滝街道かと思われる坂道を上がって旧163号線に合流した。部分的に勾配はあるが、それほどキツいわけでもない。そのまま淡々と登坂してGoogle先生が示してくれた近道を行こうとしたが、途中で未舗装山道になったのであえなくUターン。無事に足をつくこともなく清滝峠を越えた。ちょっと満足感があったが、あとでネットで調べてみるとこの峠は「初心者にはトライしやすい」と紹介されている。なんじゃ、そうですか。それじゃタイムトライアルでもしない限り、淡々と登れるのは当たり前だ。

 さらに163号線を走り、ときどき脇道にそそられてあらぬ方向に行ったり来たりしながら、木津駅前に着いたときはちょうどお昼時だった。駅前のひので食堂というところで、かやくごはん定食と食後のコーヒーをいただいて30-40分ほどまったりして再出発。ここから嵐山・木津サイクリングロードを北上する。が、ぜんぜん面白くない。

 以前にもこのブログのどこかで書いたことがあるが、街中にしろ山中にしろ、自転車は風景のなかに紛れてこそ走る味わいがある。隔離された鉄道路線のようなお仕着せのサイクリングロードはやっぱり性に合わない。おまけに川沿いに設定されたコースは風が強くて難渋する。それでもブツブツ文句をいいながら18 km ほど走って御幸橋についた。そこで木津川・宇治川・桂川をわたって大山崎に出て、ダイハツ京都工場横のファミリーマートで小休憩。しかしこの日はライトを持って出なかったので、日没の早い冬場は時間が心配だ。ということで、そこからは西国街道をひたすら走って帰宅した。

 今回のコースのなかではゆったりと景色が変わっていく西国街道が最も走りやすくて楽しかった。久々の100 km超えのサイクリングだったけれど大阪府内をご機嫌で横断できるコースを見つけないと、ちょっと何度も行こうという気にならないかもしれない。やはり北摂が一番楽しいかな。ただ、いまの季節はきっと寒いので北摂行は春まで待つことにする。

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2018年01月29日

目指せ、東海道走破3

 さて前回の続き。今年の秋あたりに自転車で東海道走破をしようかなと思っているという話。

 これは行き当たりばったりのテキトーな思いつきではない。実は小学生の頃に、少年サンデーだか少年マガジンだかで江戸時代の東海道の旅の様子を書いた読み物(当時の漫画雑誌は、漫画ではない読み物も掲載していた)を読んで、いつか自分も旧東海道を辿ってみたいと思っていたのだった。そこにちょうど自転車という(私としてはまともな)趣味ができたので、じゃぁ自転車で旧東海道を走ろう、、というごく当たり前の考えになった。

 自転車を趣味にしてまとまった距離を乗り出したのは、このブログの記事によると2001年からのようなので、私にしてはかなり長い趣味になっている。しかし意識して長い距離を走るようになったのは、昨年の人間ドックの健康指導で「このままろくに運動していないとまずいことになりますよ」とお医者さんに言われたからである。そんなことも手伝って、去年の7月にはシクロクロス(自転車の種類)のプロントくんから、より走行性能の高いRNC7(セブンくん)に自転車を乗り換えた。その結果、Strava(サイクリングのログなどをとるアプリ)によると、昨年の自転車総走行距離は1,859.3 km、獲得高度は18,439 mになった(年間を通じてログをとったことがなかったので、これがどの程度なのかよくわからないけどね)。

 今年は東海道走破のトレーニングと本番の東海道走破を合わせて 3,000 kmは走るつもりをしている。今年はまだ130.4 kmしか走っていないけれど、もう少し暖かくなったら距離を伸ばすつもり。、、んで、。「目指せ、東海道走破!」である。

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2018年01月23日

去年のことなど:目指せ、東海道走破2

さて、とびしまーしまなみ海道サイクリング2日目。
岡村島の岡村港から自転車を分解せずにボートに乗り込み、小大下島、大下島を経て大三島の宗方港に午前9時前に到着した。そこから小一時間ほどで大山祇神社である。日本の甲冑類の国宝・重要文化財の約4割が保存されているという由緒正しい大山祇神社だが、午前中の早い時間とあって参拝客がほとんどいない。境内はきれいに掃き清められていて清々しい。そんな境内を歩いて、安全に帰宅できるように真面目にお詣りする。重要文化財満載(なんか不敬な言い方だけど)の国宝館や博物館にも立ち寄りたかったが、明るいうちに新尾道駅まで行きたかったので、それはまたの機会とすることにした。



大三島から多々羅大橋をを通って生口島、生口島から生口橋を通って因島に渡り、生口橋たもとの和食店「ことのは」さんで昼食をとる。時間に余裕があるので、ここからはさらに淡々とゆっくり尾道を目指す。しまなみ海道はとびしま海道よりもさらに整備されていてコースは走りやすいし、サイクリストをサポートする事を唱っているカフェやレストランがたくさんあった。これはこれで安心して走ることができるのでいいのだが、私自身は野趣のあるとびしま海道の方がちょっと好きかもしれない。

因島からしまなみ海道最後の向島に渡る前に、因島名物・はっさく屋の「はっさく大福」をいただいて、サイクリングの証拠写真にこれから渡る因島大橋をパチリ。

IMG.jpg向島に渡るとサイクリングを楽しめるのはあと少しだ。海岸線から街中へと県道を入っていくと尾道行きのボートの案内看板に何度も出会う。実はこの時に初めて知ったのだが、向島ー尾道間の渡船会社は複数ある。そのうち、尾道駅の目の前に渡してくれる会社の渡船に乗って尾道に着いた。そこから新尾道駅までは数10分である。



IMG_2892.jpg新尾道駅にて、、。
予定よりも2時間ほど早く到着したので、窓口で予約の時間よりも1本早い新幹線に替えてもらった。この時、窓口で何もお願いしなかったのだが、駅員さんはちゃんと輪行のしやすい車両最後尾の座席をとってくれた。さすがサイクリングのメッカ、尾道の新幹線駅である。そのおかげで5時頃には新大阪に到着。1階入口の動輪のモニュメントの横で自転車を組み立て、マミちゃんと別れて伊丹まで小一時間。2日で伊丹−新大阪間を含めて約200kmの走行だった。

実は、今年の秋に、東京の日本橋から自宅のある伊丹まで、東海道を自転車で走破してみようと目論んでいる。その準備の様子を「目指せ、東海道走破」シリーズで書いてみようかなと思っている。ブログも日常生活も、マンネリ打破が今年の目標である。

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2018年01月21日

去年のことなど:目指せ、東海道走破

 お久しぶりです。いままで読んでくださっていた方にも、このブログの事なんてもう忘れられてるかなぁ、と思いながらも、少し去年の話から。

           *                *
  去年の12月上旬。お休みをいただいて2日間の日程で、大府大の三宅先生(マミちゃん)と一緒に瀬戸内海のとびしま海道としまなみ海道を自転車で走ってきた。朝の5時半頃に新大阪駅に集合、始発の新幹線に乗って広島まで行ってそこからとびしま海道からしまなみ海道を抜け、新尾道から帰阪するという計画である。



 広島駅から呉線に乗り換えてとびしま海道最寄りの仁方駅まで行くつもりだったが、通勤列車のラッシュに揉まれてあえなく断念。広島駅隣の天神川駅で途中下車して、自転車行をスタートした。この日は平日だったので朝の通勤自動車の列を横目に見ながらおそるおそる広島市街を抜けて呉に到着。ここで海上自衛隊呉資料館(てつのくじら館)を見学して少し休憩。そこから音戸の瀬戸方面経由で遠回りして安芸灘大橋からとびしま海道に入る。

 この頃にはちょうどお昼時になっていたので、とびしま海道の最初の島、下蒲刈島でお好み焼きを食べた。私とマミちゃん。大阪人の二人である。大阪のお好み焼き屋さんでいつもやるように、焼きそばとお好み焼き(そばなし)を二人でシェアしようと一つずつ頼んだのだが、あいにくここは広島文化圏だった。関西のブタ玉お好み焼きなどない。出てきたのは、そばのない広島お好み焼き(想像してくださいな)と小麦粉の生地のない広島お好み焼きで、これを、ぼそぼそと二人で分け合って食べる羽目になった。いや、美味しかったんですけどね、。広島と大阪には大きな隔たりがあるということを実感させられたお好み焼きだった。

 そのあと下蒲刈島から投宿先のある岡村島までひたすらゆっくりと走る。このあたりの島は、利用できる土地という土地がほとんどミカンやらレモンやらの柑橘類の畑に利用されている。それ以外は雑木林だ。植林されていない林は植物相が豊で見ていて飽きない。大崎下島の御手洗町で柑橘生ジュースをいただいて、岡村島にある唯一の宿であるコテージシーガルに到着。冬期のためか、平日だったためか、この日はコテージ到着直前に出会った一人以外、サイクリストには出会うことはなかった。コテージの客もマミちゃんと私の二人だけだった。

 とびしま海道は呉市から島に渡るが、実はとびしま海道の西側から4つの島までが広島県呉市で、その次の我々が宿泊した岡村島は愛媛県今治市になる。だがすぐ東の同じ今治市管轄の島々とは橋で繋がっていないので全く親近感がない、というのをコテージのママさんから聞いた。翌日は午前8時過ぎに今治市営のボートに乗って、その「親近感がない」という大三島へ向かった。

、、、つづく。


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2017年10月31日

10月の出来事

2ヶ月のご無沙汰でございます。

どうしても最近はブログを更新するモチベーションが上がらず、気になりながらも捨て置いていたら2ヶ月も経った。明日からは11月になる。いっそのことどこまで放っとけるのか試してみてもよかったのかもしれないが、この10月はいくつか書きたい出来事があったので、まとめて書いちゃうことにした。
*                     *

バスケットボールと野球の話。
10月1日。初めてBリーグの観戦に行った。私はこう見えても(どう見えているのか知らないけど)、高校時代から大学院を出て千葉県の研究所に就職するまで、10数年間バスケットボールを嗜んできた。割と真面目に取り組んだと思う。くじ運が大きいとはいえ、大阪府のクラブチーム大会で4位にもなったことがある。まぁつまり、真面目にやってきた。真面目にやってきた経験者にとって、昨年から始まったバスケットボールのプロリーグはやはり気になるところである。特に今年は地元西宮(私の居住地は伊丹ですけど)のストークスがB2リーグで優勝してB1に昇格してきたので見逃せない。ということで、西宮に住む高校時代のチームメートのフルセとホームアリーナの西宮市立体育館に出向いてみた。西宮ストークスのエースである谷直樹選手は、フルセがキャプテンを務めた大学チームの後輩だ。対戦相手は富樫選手のいる千葉ジェッツである。

行ってみると思ったより楽しかった。そうやって観ていると、プロ野球の観戦経験が何年あろうとやはり自分は野球は素人だ、ということを痛感した。自分が選手として経験したバスケットボールを観ていると、プロ野球観戦よりも色んなことがわかって楽しいし、色んなことがわかって歯がゆかったりするのだ。試合中は完全に西宮ストークスの一員(しかもコーチ目線)になってしまって、「リバウンドやろっ」とか、「そこっ、シュートチェックっ!」とか、なんだかエラソーな声援になってしまったのはご愛敬である。試合の合間のエンターテインメントも割と楽しいし、また来てもいいと思った。ただ、試合場の西宮市立体育館はやはりプロのアリーナとしてはかなり物足りない。プロのリーグができただけでも、自分が現役だった時代とは隔世の感があるが、プロ野球のスタジアムのような専用のアリーナでゆったりとビールを飲みながらバスケットボールを観戦するのにはまだ少し時間が必要なんだろう。

試合後に、西宮北口駅近くの居酒屋でフルセと少し飲んだ。この店は美味しいものを出してくれたのだが、いかんせんカウンターの向こうの板前さんの愛想が悪い。注文をしようとすると聞いてくれず、「フロアの係に注文しろ」と言う。なんや、商売する気ないんかい。苦々しい気持ちで飲んでいて、ふと見るとカウンターの隣に野球解説者の小山正明さんがいらっしゃった。あの村山投手と双璧で阪神タイガースのマウンドを守った名投手である。声をかけようかどうしようか迷ったが、結局店を出られるときに握手だけしていただいた。

小山さんは「もうただの80過ぎのじいさんです」と仰ったが、その声や話し方はラジオやテレビの野球放送での解説のそれそのものだった。小山投手と云えば、絶妙のコントロールで有名だった。確か無四球試合の連続記録も持たれていたと思う。野球解説での口癖は「プロのピッチャーともあろうものが、狙おうたところに投げられないというはね、信じられないですよ」だった。そんな話をフルセとしていると、急にカウンターの向こうの板前さんの態度が変わった。常連客の小山さんの往年のことを私が知っているとわかって嬉しかったのか、急に愛想が良くなってイカ刺しのイクラ和えをサービスしてくれたが、あまり嬉しくなかった。お前、そんなことより客を区別せんとちゃんと商売せぇよ。

小山さんはとても元気そうだった。

*                    *

10月4日。午前4時半。父親の誠士(”あきお”と読む)が亡くなった。誕生日を目の前にしての数え年93歳だった。9月20日頃に「息が苦しい」と言いだして、近くの日赤病院で検査を受けて間質性肺炎と診断された。26日に自分で歩いて受付をすませて入院したらしいが、あまりに経過が早くてその一週間後に息を引き取った。前日に見舞いに行くと、私に茶碗を持たせて酸素マスクを外しては少しずつ、しかし一杯のおかゆを全部食べていた。息を引き取ったのはその12時間後だ。おそらく最後の最後まで自分が死ぬなどとは考えていなかったことだろう。いよいよの時、ベッドサイドにいた兄に銀行口座の暗証番号を伝えて、さらに小さく「南無阿弥陀仏」と唱えて逝ったそうだ。私は伊丹からクルマを走らせたが間に合わず、残念ながら死に目に会うことはできなかった。

大正の生まれである。通った四條畷高校では剣道で大きな大会などにも出場していたらしい。戦時中、二十歳になるかならないかで招集されて満州まで渡ったがそこで終戦を迎えた。復員してきて京橋駅辺りの空襲の惨状を見て、なぜか母親(つまり私の祖母)のもとに帰らずに、鶴橋で商売を始めたと聞いたことがある。最初は素人の商売ゆえに何度か人に騙されたりもしたという。高度成長時代に乗ってそれなりに商売は順調に進んで、おかげで兄や私は無事に(金持ちではなかったが)育ててもらえたのだが、日本の経済状況をもろに受けてやがて鶴橋の店も閉め、ここ10年以上は隠居状態で兄夫婦と一緒に暮らしていた。私の母親は確か1978年に亡くなっているのだが、それから40年近く独りで過ごしたことになる。頑固で気楽な変人だった。ピンピンコロリでこれ以上ない亡くなり方だったと思う。ありがとう。お疲れ様でした。

*                    *

明日から11月になる。実は1日付けで、愚息の一樹(”いっき”と読む)が阪大工学部に助教として就職する。採用していただいた研究室は、私のいる微生物病研究所の道路をはさんだ向かい側の建物にある。本人は将来に漠とした不安があるようだが、私の見るところ工学系と生物系では色々と事情が違うのでアドバイスできることはあまりない。「まぁがんばりぃや」と言うしかない。これから数年の人間関係や仕事の成果がきっと人生を左右することになるかもしれないね、、。確実に言えるのはそんなことしかない。子供の頃に微研のソフトボール大会にもぐり込んでバットを振っていた彼がお向かいさんの助教とは、、、私も息子も歳をとったものだ。きっと時々、微研下のセブンイレブンで顔を合わせることだろう、。向こうの先生にご挨拶なんぞに行ったらきっと本人は嫌がるだろうな、、、、、、、、。



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posted by Yas at 22:58| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月28日

2年ぶりの「なかやパーティー」お知らせ

第16回あわじしま感染症・免疫フォーラム(AIFII)にご参加の皆様へ。

 2年ぶりの「なかやパーティー」を開催します。9月6日、午後7時くらいから、、。場所はもちろん「なかや」さんです。予算は5,000円+交通費。定員は30名までで、現在10名程度の参加者が決まっています。

 あと15-20名ほど、どなた様も奮ってご参加ください。研究分野、年齢、ポスト、国籍、全く問いません。ご参加希望の方は、ホリグチまでメールか、あるいはこのブログのコメント欄から申し込みください。あるいはどなたか知り合いを通じて連絡いただいても構いません。

 それではみなさま、楽しみにお待ちしております。


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posted by Yas at 18:25| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月27日

ANCHOR RNC7 その2

 ANCHOR RNC7(セブンくん、と命名)の納品からほぼ1ヶ月経った。 ここまでにだいたい200kmほど走ったので再び感想を書いてみる。

 セブンくんはとにかくニュルニュルと走る。前のプロントくんは、どちらかというとガシガシ・ガチガチと走る感じだったのに比べると対照的だ。どのくらい対照的かというと、在来線に乗って新大阪駅にゴットンゴットンと揺られたあとに、新幹線に乗って「あらあら、えらいニュルニュル走るやん、なんて気持ちいいのかしら」というくらい対照的だ。ギヤシフトもプロントくんの10年以上前の105(コンポーネントの名前です)よりもカチカチ決まる。セブンくんのコンポーネントも105なのだが、やはり10年間の技術革新は侮れないということだろうか。

 自転車がニュルニュル走って、シフトがカチカチ決まると、やはり楽しい。楽しいのでついついペダルを踏む足に力が入って、速いスピードで長い距離を走ろうとしてしまう。



 んで、こんなに走ってしまった。このログによると距離はそれほどでもないが、獲得高度が1,789mにもなっている。多分、人生最大の獲得高度である。

 ゆっくりゆったりが信条だったのに、新車購入でサイクリングスタイルが変わりそうな予感がする。


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2017年07月30日

ANCHOR RNC7 EQUIPE

 昨日のお昼に、新しい自転車を受け取りに行った。購入した自転車ショップは大学近くの「バイシクル かごしま」さんである。3ヶ月ほど前、プロントくんの修理のことで相談に行ったら、マスターがとても懇切丁寧に説明してくれたので、もし次の自転車を買うならこの「かごしま」さんにお世話になろうと決めていた。それから1ヶ月ほどして、自転車の購入を相談に行ったときも色々とアドバイスをしてくれた。んで、その1週間後、自転車をオーダーした。

 それで昨日、受け取ったのがこれ。
IMG_2833.jpg
 ブリジストンのブランド「ANCHOR」のRNC7 EQUIPE という自転車である。クロームモリブデン鋼という金属でフレームができている。この金属は強度に優れているので細身のパイプでフレームを構成できる。ハンドル部からサドル部までを繋ぐチューブ(トップチューブという)が地面と平行(ホライゾンタルフレームという)になっているのが特徴だ。私らの世代の子供の頃は、ホライゾンタルフレームのクロモリ自転車に憧れていたものだ、。そのあこがれを引きずって、ええ年になっても、今さらのクロモリ自転車を注文したというわけだ。だって、カッコいいだもん。

 ただしクロモリは重い。軽量素材のアルミやカーボンファイバーに押されて、今や時代遅れのフレーム素材であるとも言われている。でもいいんだ。カッコいいから。、、、しかも侮ることなかれ、アンカーのクロモリは独自の「NEO-COTテクノロジー」に基づいて、職人さんが手作りするという、とてもとてもありがたい世界最高峰のクロモリなのだ。しかも、この RNC7 はオプションでいくつかコンポーネントの構成を変えることができる。そこで、なるだけ軽量化を図ってホイールをフルクラム・レーシング3というのにしてもらった。それとペダルもおごってPD-A600という軽量上級品を選んだ。それで車重は9 kg を切るので、まぁそこら辺のアルミよりは軽い、という構成になった。

IMG_2834.jpg 取りあえず、昨日と今日で、短い時間だけどそれなりに50 km ほど走ってみた。プロントくんとの比較でしかわからないのだが、、まず走りが柔らかい。路面の凸凹の衝撃を優しく受け止めてくれる。プロントくん(アルミフレーム)は、路面の状況を律儀なくらい受け止めてしっかりハンドルに衝撃を伝えてくれる(あんまり伝えていらんのだが)のに比べて、RNC7くんは、その衝撃を優しく柔らげてくれる。あと、色々とあるのだが、その感想は次回にいずれ、、。

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posted by Yas at 18:57| Comment(0) | 自転車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月28日

プロントくんと10年

 私の愛車(といっても自転車)のプロントくんにはチェーンホイール(前のギアのこと)が三枚ある。ホイールの性格はその歯の数でだいたい決まる。プロントくんには52/42/30の歯数の三枚がついている。

 普通のロードバイクのチェーンホイールは二枚である。プロントくんは、道なき道を走ったりするシクロクロスという範疇の自転車なので、細かいギヤ比を構成するためにチェーンホイールが三枚になっているわけだ。初心者の頃にプロントくんを購入した私は「ギヤ比が色々ある方が便利かも」という程度の認識だった。そんな私の普段使いのホイールは、最も気楽なセンターホイール(42枚歯)だった。

 それから10年たった。お世話になっていたプロントくんもかなりくたびれてきて、修理の必要な箇所も出てきた。その修理見積を出してもらうと相当な額になっていたりする。走りにも慣れてきたので、シクロクロスではなくて正調ロードバイクも欲しい。そういう成り行きで(なにが「成り行き」だか)、新しいロードバイクを注文した。無論、チェーンホイールは2枚しか無い。ふむ。次のロードバイクはチェーンホイールが2枚だ。そう思うと、予行演習のつもりでアウター(いわゆるハイギア。52枚歯)を中心に使ってプロントくんを走らせたくなった。それでこの日曜日。走ってみたのが下のコースである。



 走ってみて驚いたのだが、アウターを中心に使って走ると平均速度が1.5-2 km ほど速くなる。この後に通勤コースでも同じ事をやってみたが、やはり速かった。
 「あー、10年走ってても、色々試してみんとわからんことはわからんままなんやな」と反省した。んで、注文したロードバイクを手にする日が楽しみになった。今度の自転車は、シクロクロスだったプロントくんよりも 1 kg以上軽いし、チェーンホイールが2枚だ。しかも世界最高峰の「クロモリ」である(クロモリが何かわからん方には申し訳ないが解説なし)。

 んで、今日の夕方「自転車が組み上がりましたー」というお電話を、注文した自転車屋さんからいただいた。明日、その自転車を受け取りに行く。


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posted by Yas at 22:01| Comment(0) | 自転車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月23日

ミュウ

愛犬のミュウが亡くなった。ヨークシャテリアの17歳と2ヶ月。寿命を全うしたと云っていいと思う。

DSC00128.jpg亡くなったのは、7月11日午後9時50分。私は有馬温泉で開催されていた毒素シンポジウムに参加していた。ちょうどこの時間は、懇親会の最中だった。もしかすると隣に居た金沢大の藤永さんとペット談義をしていた頃かもしれない。その夜には家内から連絡があったがどうすることもできず、シンポジウムの終了を待って早いうちに帰宅し、すぐにペット霊園に行って荼毘に付した。

それまでほとんど何の病気も無く元気に暮らしていたのが、昨年末に白内障が出始めるのと同時にほとんどの躾が外れて(要するに「おすわり」も「待て」も「お手」もしなくなった)、トイレのルールもほぼ守れなくなった。今年に入るとほとんど寝てばかりになって、6月には足腰が立たなくなった。それから1ヶ月は流動食などで繋いできたが、ついに大きな欠伸を三度繰り返したかと思うと静かに息を引き取ったということだ。

ミュウが我が家にやってきたのは2000年の6月下旬のことだ。生後50日くらいだった。ほとんどの躾は3日ほどで入ったし無駄吠えもないし、実にやりやすい愛犬だった。絶妙な甘えん坊で、必ず家族の誰かとスキンシップをしていないと落ち着かないようで、いつもみんなの後をついて回っていた。そんなミュウに飼い主達はあっさりと籠絡されたものだ。そのミュウがもういない。巷ではペットロス・ストレスがしばしば問題になったりするが、それも「宜なるかな」と実感するほどである。

IMG_2829.jpg

ペット霊園では充分な配慮のもとねんごろに弔っていただいた。いま彼は、我が家のリビングで静かに佇んでいる。




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posted by Yas at 19:08| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月19日

丹波篠山 ー往きはよいよい帰りは怖いー

 このブログ、最近はすっかり自転車ブログの様相を呈してきたが、、また自転車行の報告をする。

 昨日、自転車トレーニングの距離を稼げないことに業を煮やして、無理矢理に目的地を設定して100 km 弱のコース設定で走ってみた。その目的地は丹波篠山、、篠山城下である。朝8時前に家を出発し、昼まえに篠山市内に到着、名物の「麦とろ」か「蕎麦」をいただいて帰ってくる、という計画である。


 往路途中でログを取り損ねたので中途半端なルート表示になってしまったけれど、往路と復路でほぼ同じコースを取ったので、どこをどう走ったのかはわかっていただけると思う。復路の距離から大雑把に計算すると大体 95 km を走ったようだ。県道12号線を北上し、西峠を越えて後川(「しつかわ」と読む)から、さらに篠山への峠(不勉強で名前を知らない)を越えて篠山に入る。すると、

 IMG_2802.jpg こんな風景の広がるご機嫌なコースが篠山市内まで続く。サイクリングの醍醐味といっていい。機嫌よく篠山城下の旧街路を抜けて、適当に良さげな蕎麦屋で蕎麦会席をいただく。ここまではご機嫌だった。「どちらから自転車でいらっしゃったんですか?」と店員さんに聞かれたのだが、
「伊丹からですけど、、どうやって帰ろかと思てます」
 そう応えたのは本心からだ。

IMG_2801.jpg 実は、大阪と篠山を結ぶ県道12号線の二つの峠は、大阪側からよりも篠山側からの方が登りが長くてキツい。大阪側から見ると、まさに「往きはよいよい帰りは怖い」だ。案の定、帰路は二つの峠を越えるまで、何度も何度も休憩する羽目になった。大阪側に出た頃には、自分のトレーニング不足を嘆きながらも、疲労困憊で事故に遭わないように安全に走るのに精一杯でサイクリングを楽しむどころではなかった。

 んで今朝。菊谷先生と会ってその話をすると、「後川から籠坊温泉を抜けて峠を避けるコースがあるよ」と教えてくださった。そうかー。自転車ブログで大阪から篠山に行く話がたくさんネットにアップされているのに、篠山から大阪への帰路で峠までに全くサイクリストに遭遇しなかったのはそういう事なんだー、と勝手に納得した。

 ということで、もう一度、近いうちに篠山へのコースを挑戦してみようと思っている。


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posted by Yas at 22:24| Comment(0) | 自転車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月17日

ガチャピンが来た

 6年前に大学院修士を出たガチャピンがラボを訪ねてきてくれた。

 ガチャピンとは、もちろん本名ではない(当たり前ですけど)。ハシモトマキコという歴とした名前があるのだが、博士前期課程(修士課程)に入学しラボに参加してきた彼女が、「ガチャピンが好きなんです」とばかりガチャピングッズで身を固めていたためにあっさり「ガチャピン」というあだ名が付いた。それ以来、たぶん私は彼女をガチャピンと呼び、ハシモトとも、マキコさんとも呼んだことはない。

 ガチャピンは笑いの閾値が低くてなんでも笑ってくれるのでよいが、「笑かし」のテクニックを磨く(何のために?)相手としては向いていない、というまぁ、とにかくいつも陽気な学生だった。彼女の地元である徳島にある化学系のメーカーで、バイオ系の研究をするというので就職したがバイオ部門はすぐに閉鎖されたために今は純然たる化学系の仕事をしているらしい。しかし、そのことを気に病んでいる様子はない。久しぶりのわがラボで見かけたオートクレーブテープ(生物系の実験でしか使わない消耗品)を見て、「なつかしいですわー」とケラケラと笑う。その化学系の仕事に関わる学会が、すぐ近くの関西大学で開催されるというので立ち寄ってくれたらしい。

IMG_2798.jpg 学会の開始時間にはまだ少し間があるというので、一緒に昼食に出た。時々、本ブログを覗いてくれているようで、私の近況もよく知ってくれている。

 パスタを楽しみながらの話は徳島での生活のことにおよんだ。そうだ、徳島に帰ったら「いさみ寿司」というところに行ってみてよ。いさみ寿司の若主人はオレの行きつけやった福島/奴寿司で板前をやっていたのでよく知ってるんや。名前はね、「スズエユースケ」やったかな、、、。と言うと、「『スズエユースケ』という幼稚園の同級生がいました」とガチャピンが言う。スズエくんはFacebookの友達だ。生年月日を調べてみたら、まさしくガチャピンと同い年だった。
 へぇそりゃ、もしかするともしかするかもね。じゃ「いさみ寿司」には必ず行って、知り合いだったかどうかわかったら、また知らせに来てね。北千里駅まで送りながらそう言うと、ガチャピンはまたケラケラと笑いながらクルマを降りた。

 じゃぁガチャピン、今度は「いさみ寿司」で会おう。その時はよろしくね。

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2017年06月12日

甲山から岡本曾呂利

 昨日、神戸方面に自転車を走らせた。

 以前にお医者さんに指摘された体調維持の問題もあるし、東海道走破に向けたトレーニングもあるし、ということで機会のあるごとに自転車で走ろうと最近は心がけている。それでこのコース。


 これだと仁川から高台の住宅地を越えて、山側から甲山森林公園に入る。ここまでの登り坂はそれなりに険しく、私にとっては鬼門だが自分の登坂能力を確認するために、あえてこのコースを選んでみたら、あら不思議、割とあっさりと最上部までたどり着くことができた(息は上がりましたけど)。

IMG_2795 (1).jpg 公園から神呪寺を抜けて、真っ直ぐに住宅地のなかを下ると、突然大阪湾を望む光景に出くわす。こんな景色のよいところに住んでいる人がうらやましい(それはそれで不便かも知れんけど)。坂を下りきると夙川である。ここまで来ると早くも目的がなくなってしまって、まだ10 kmほどしか走っていないのに途方に暮れた。仕方がないのでもう少し足を伸ばして、先日も行った岡本にある「せいろそば曾呂利」で昼食をとることにした。一応目的ができると、自転車で走る気が起こるのである。しかし1時間も走らないうちに到着。おそばを食べちゃったらまた目的を失って走る意欲がなくなった。海岸まで降りて海辺沿いに埋め立て地を巡るか、とも思ったがこの時にはすっかりやる気がなくなって真っ直ぐ自宅に戻ることにした。

 ということで、午前中に意気込んでスタートした割には 40 km にも満たない走行距離で、あまりトレーニングにもならん自転車行であった。どうやら私は明確な目的地がないと走る意欲を失うようだ。普段の生活は割合と行き当たりばったりなのにもかかわらず、行き当たりばったりでポタリングを楽しむというのは性分に合わないらしい(と今ごろ気がついた)。今度は、40 km くらい先に目的地を設定して、往復で80-90 km くらい走ることのできるコースを考えて走ることにする。

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posted by Yas at 19:58| Comment(0) | 自転車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月07日

マスダゴロウはどこにいる?

 少し前のこと、。 キタのお初天神界隈で小学校時代の友人3人と飲んだ。クラス同窓会を企画するための集まり(飲み会)である。メンバーはミネくん、ウーさん、ミヤギくんだ。昨年の末にミネくんが同窓会の開催を持ち出したので、それに協力しようと他の面々が集まった。しかし何のことはない、45年前のクラス名簿の確認と大体の開催期日を決めてしまうと、あとは決めることもないのでただダラダラと飲むだけになった。そこで、当時のクラスメートのマスダゴロウの話になった。マスダゴロウはいわゆる越境通学組だった。

 私たちが小学生だった1970年前後は、学区外からの越境通学が盛んだった。子供の頃のことなので、その規模や経緯はよく知らないが「しない、させない、越境入学」とかいう標語が出回るほどだったので、きっと社会問題になっていたのだろう。この日集まったメンバーにしても、ウーさん以外は私も含めて越境通学組だ。私などは隣の小学校の学区からの越境だったので可愛いものだが、ミネくんやミヤギくんは違う行政区から通学していた。小学生の感覚では「途方もなく遠いところから来ているな」という感じだった。

 そんな越境通学組のなかでも、マスダゴロウは(確か)東大阪市から通うというツワモノ中のツワモノだった。私の記憶の中の彼は男前で温厚でクラスメートに絶大な人気があったのだが、遠いところから来ていた彼のこと、卒業後は全く消息がわからなくなった。ここ20年ほどで小学生の同窓会のようなものが何度も開催されるようになって、その度にみんなマスダゴロウを懐かしむのだが、今も彼の行方はようとして知れない。小/中学の私たちの同窓会専任で、行方不明の同窓生を探し出す役目を担っているナガイ調査員(古書店経営)の調査網にも引っかかってこない。

 今度の同窓会でマスダゴロウと会えたらいいねぇ、会いたいねぇ。この日の飲み会ではそんなことが何度か話題になった。マスダゴロウはどこにいる? どなたか、1959年度(昭和34年度)生まれのマスダゴロウという人を知っていたら,ぜひお知らせくださいな。


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2017年05月15日

くろまんぷ再び

昨日5月14日、久しぶりに北摂に向けて自転車(プロントくん)を走らせた。記憶が正しければ、池田・川西を抜けて能勢に足を向けるのは実に3年ぶりである。

ポタリングや自転車通勤をあまりしなくなったのが一昨年ほど前からで、これではいかんと今年から再開を志したもののあまり自転車頻度ははかばかしくもなく体力も戻らず、しかし近いうちに「東海道走破をするのだ」と無謀な計画を立てたので、トレーニングをする振りだけでもしなくてはいかん。ということで目的地は3年前と同じ「くろまんぷ」。そしてその時の記事で、asyuuさんからアドバイスのコメントをいただいた「佐曾利ー多田銀山」コースを辿ってみることにした。



取りあえずトレーニングも兼ねてと心に決めたので、私にしては珍しく、わき道には目もくれず、国道/県道をひたすら走って川西能勢口-猪名川町役場経由で道の駅「いながわ そばの館」に1時間ほどでたどり着く。そこから歴史街道に入って楊津小学校のわきからくろまんぷを目指す。


IMG_2779.jpg三年前と同じ場所で記念写真。ここまではまだ機嫌よく走れていたのだが、、。いかんせん長いブランクの間にすっかり登坂能力が衰えていて、くろまんぷまでの坂道をスムーズに登れない。気のせいかとても長く感じた登り坂を「ゼイゼイ」いいながらなんとかたどり着くことができた。三年前にはほとんど意識しなかった程度の登り道だったのに、体力の衰えとは恐ろしいものである。

IMG_2780.jpgくろまんぷ。3年ぶりです、ごきげんさん。
相変わらずここは静かである。まるで「シーン」と音がしているかのような錯覚に陥るほどである。そこに一陣の風が吹くと、昨夜の雨粒やら小枝がそこらの木々から落ちてきて「ザワザワっ」と一度に音を立てる。その音にビビって「クマでも出るんちゃうか」と恐れて、その場を慌てて立ち去った。厳かというのかなんというのか、ずっと居るとちょっと怖い。

IMG_2782.jpgそこから佐曾利という集落に出て、asyuuさんのおすすめのコース(だと勝手に思った)で多田銀山を目指した。途中の風景はこんな感じでひたすらただの田舎道である。県道/国道とちがって全く自動車にもであわない。しかし、体力の衰えは隠せず、この間に、大した坂道でもないのに二度も自転車を降りる羽目になってしまった。情けない話である。

IMG_2783.jpg下り坂に入ってこれで楽になるかなと思ったのもつかの間、途中から粗い砂利道(グラベルとヒトは呼ぶ)になって、今度はおっかなびっくりでブレーキをかけながらユルユルと下る。この道、間違ったかも、、いやいやasyuuさんなら難なく降りることができるのか? と自問自答しながら5分ほど降りると舗装路に出た。

IMG_2784.jpg二つ目の目的地である多田銀山跡、。「多田銀銅山悠久の館」(資料館)の優しそうなおじさんが「よかったら寄っていってね」と誘ってくださった(入館無料)のだが、こっちはヘロヘロ気味だし、予定していた時間も迫っていたので、そのまま帰宅することにした。

私にしては割と速いペースで走りきったのだが、帰宅後にビールを飲んだらそのまま気を失うように眠り、目覚めてからも身体中がダルくて少しも動けなかった。、、、東海道走破への道のりはまだまだ遠い。


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posted by Yas at 18:59| Comment(2) | 自転車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月23日

岡本の曾呂利

今日はいい天気だった。
しかし、あいにく風邪を引いていて、私は家に閉じこもりっきりであった。先週土曜日のソフトボール大会で体力を使い、おまけにのど風邪を引いて一週間ゴホゴホと咳で苦しむ羽目になった。健康増進が目的のリクレーションのソフトボール大会なのに、それで体調を崩すとはどういうことや? と不摂生をした自分を棚に上げて誰にということもなく文句を言ったりしている。

んで、悔しいので、2週間ほど前に自転車で出かけたことを備忘がてらに書いてみる。
4月9日の日曜日、目指すは岡本にある蕎麦屋「曾呂利」である。阪大吹田キャンパスを活動拠点にしている方々には懐かしい名前かもしれない。同じ名前の蕎麦屋が、吹田キャンパス千里門を出て山田の集落方面に出る道路沿い、コーナンを過ぎたあたりにあった。これが道路拡幅の影響で立ち退きを余儀なくされたのか、閉店されたのが一年以上前だったかと思う。その後、曾呂利の所在がしれなかったのだが、吹田の曾呂利が閉店した頃に時期を合わせたかのように、阪急神戸線岡本駅近郊に同じ「曾呂利」という名前の、せいろ蕎麦を出す店が開店したことを「食べログ」で知った。これは関係がないはずがない。と、確かめるためにTikitくんでゆったりと出かけてみたわけだ。


ゆっくりゆっくりと走って1時間半ほど、「曾呂利」は岡本の閑静な住宅地の中にあった。メニューは吹田の「曾呂利」よりも豊富だ。せいろ蕎麦もしっかりとある。ふと縁側から外を見ると、吹田の曾呂利にあったテーブルや椅子が、順番待ちのお客さん用に並べてあった。吹田「曾呂利」ゆかりの店であることはもう間違いがない。注文を聞きに来たバイトの子に尋ねると、吹田「曾呂利」で修行した店主が、のれん分けの形で備品も含めて店名を譲り受けたのだそうだ、。

IMG_2762.jpg店内は適度に混んでいる。注文したせいろ蕎麦は、吹田「曾呂利」よりもツルツル感があって、ダシもマイルドだったかもしれない。吹田「曾呂利」の親父さんは時々店に顔を出すらしいが、この日はいなかった。ソバ湯をいただいて、曾呂利気分を満喫して店を出る。


IMG_2774.jpgそれから、住吉川沿いを真っ直ぐと南にくだって、六甲アイランドを散策。さらに海沿いを東に南芦屋浜に出る。南芦屋浜は(多分人工だと思うが)ほどよく広い砂浜が広がっていて気持ちが良い。そこからは北東の方角に適当に(ホント適当に)走って伊丹に帰った。

しかし、われながらユルい自転車行である。来年あたりに旧東海道走破をしたいといっている割には、トレーニングとしてはユルすぎる、、。あ、でも旧東海道の本番でもユルく走ればいいのか、、。いっそのこと10日間くらいかけて走ろうかな、、。そんなに休暇を取っても怒られないかな?、、、、そもそも、ソフトボールをやったくらいで体調を崩すんやし、、。風邪のせいか、なんか自分を甘やかしときたい気分の本日日曜日であった。


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2017年03月29日

丹生都比売神社とあまの凡愚

 先週の土曜日、和歌山県の橋本近辺に出かけた。同行者は菊谷先生、目加田先生と菊谷先生の研究室の方々(ブログにお名前を書く許可をもらってないので匿名)である。どちらかというと、私は菊谷先生と目加田先生のお供をさせてもらったというのが実際のところかもしれない。

 行き先は丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)とその近くにある蕎麦屋「あまの凡愚」である。どうやら、菊谷先生と目加田先生(と私)が、いつぞやにどこかで飲んでいたときに、以前は大正区にあった蕎麦屋「凡愚」が和歌山県かつらぎ町の天野というところに移転したらしいこと、その天野は菊谷先生のご実家ゆかりの地であることなどが話題になって盛り上がり、ハイキングがてらにそばを食べに行こうということになったらしい(「らしい」というのは、つまり、私はそのことをよく覚えていない。まぁ、お酒を飲んでればよくあることである)。

 北摂からは新今宮か天下茶屋から南海高野線に乗って橋本まで行って JR 和歌山線に乗り換えて4-5駅先の笠田というところで降りる。そこからコミュニティーバスに乗って30分ほど揺られて天野に到着する。結構な距離である。私の住む伊丹からだと朝の7時過ぎのバスに乗って、10時半過ぎに丹生都比売神社に到着する、という案配だ。

IMG_2737.jpg  丹生都比売神社は1700年前の創建。応神天皇が社殿や社領を寄進したと由緒書にある。弘法大師の高野山開山にも関与したという、まさに由緒正しき神社である。菊谷先生はその社家の47代目に当たるということだ。これまた由緒正しい家柄である。神社で、菊谷先生の親類筋に当たる宮司さんから神社の由緒についてお話をしていただき、いい頃合いになったので「あまの凡愚」に向かう。丹生都比売神社からは歩いて5-6分ほどであった。

 IMG_2742.jpg あまの凡愚は蕎麦屋と言うよりも、山小屋でお蕎麦を出しているような風情と佇まいである。間仕切りのない広いフロアには暖炉と石油ストーブが焚かれている。季節の野菜から始まって、太切そば、手挽きそば、変わりそば、そばがき、かも汁そばと続いてデザートとコーヒーで締める。これを3時間ほどかけてゆっくりといただく。まことに贅沢な時間を過ごさせていただいた。


IMG_2743.jpg 腹ごなしに周囲を散策して午後4時半のコミュニティーバスで笠田駅に戻り、往路をそのまま辿って天下茶屋に着く頃にはすっかり夜になった。非常にゆったりとした休日だったのだが、地下鉄堺筋線に乗ったところで「夕飯、食べに行く?」ということで菊谷/目加田先生と私は南森町で下車、そのあとは毎度変わらぬウダウダ言い合うただの飲み会になった。

 せっかくゆっくりした時間を過ごしたのに、、そのまま終われずに最後にウダウダガサガサと飲むのは、きっと自分の落ち着きのない性分のせいである、と思ってワインをたくさんいただいた。

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2017年03月12日

確定申告の季節に

 確定申告の季節である。ことしも取っておいた源泉徴収票を引っ張り出して、e-taxのWebサイトで申告書を作成した。昨年から出張依頼をお断りすることが多くなったので、それほどの手間は掛からない。昨年に比べれば随分と簡単だった。この確定申告の作業、今年は”ある事”を思い出しながらの作業になった。きっと、このあと毎年確定申告のたびに同じように思い出すことになると思う。”その事”とは友人の急逝である。その友人は、昨年のこのブログでの確定申告の話題のFaceBookリンクにコメントを付けてくれた。

「すごい量の源泉徴収票!こんなにあるのに返ってこなくて逆に納税?ややこしいね。私はパソコンから送信するのはカードリーダーがいるとかで、あきらめて、プリントアウトして送りました。混雑した税務署に並ぶ体力がなかったから助かりました。」

 このコメントのあと、4ヶ月と少しで彼女は卵巣癌で亡くなった。何度か私のブログ記事にコメントしてくれていた彼女だが、これが最後のコメントになった。彼女(仮にシオと呼ぶ)は高校の同級生で、やはり同じ同級生で私の親友のバンちゃんの奧さんになった。シオは3年生時のクラスメートで、バンちゃんは同じバスケットボール部のチームメートだった。卒業後もほかの仲間達と一緒によく飲みにいった。バンちゃんは大学卒業後は大手百貨店に就職し、シオは趣味と仕事と主婦業をバランス良くこなす良妻になった。笑顔が無敵の八頭身美人で、私はシオがまゆを引きつらせて怒ったような姿を見た事がない。ひょうきんなところもあって、高校3年生の時、文化祭にクラスで製作した映画(私が脚本・監督を務めた)では女性としては恥ずかしい(と思う)ギャグ連発の脇役を喜んで引き受けてくれた。そんな女性だった。

 これほど親しい友人を失ったのは、わたしにとっては初めてのことである。彼女が亡くなったあと何ヶ月もしてから、例えば夜遅くまで飲み歩いて帰る時、ふと彼女の生前を思い出して涙が出そうになったりする。あるいは何かの事あるごとに「こんなええ加減な事してたら、シオに叱られるな〜」と考えたりする。親しい友人を亡くすというのはそういうことだと思い知った。

 シオの人柄を示すエピソードがある。ある日バンちゃんとシオが、何かの事で言い争いになった。シオにとってはバンちゃんに非があるのに、夫であるバンちゃんは決して頭を下げて謝らない。腹に据えかねたシオは一計を案じた。後日、朝に何気なくバンちゃんの出勤を見送った彼女は、そのあと追うようにしてバンちゃんの勤める百貨店に向かい、開店と同時に入店した。当時、店頭に立つバンちゃんは当然百貨店の玄関で開店直後の来客に頭を下げる。そのバンちゃんの前にニコニコと立ち、見事「いらっしゃいませ」と頭を下げさせて溜飲を下げたそうだ。

 このエピソード、友人の間ではまことにシオらしいと評判なのだが、バンちゃんは「そんな出来事はなかった」と今でも言い張っている。


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2017年03月06日

旧堺燈台とせいろ蕎麦「ちく満」

昨日の日曜日、久しぶりに自転車で出かけた。

ここのところ忙しい(という言い訳で)あまり自転車に乗っていなかった。すると、人間ドックの結果がすこぶるよろしくなくなった。「運動しないと、このままじゃまずいですよ」とお医者さんに言われたので、少し心を入れ替えて時間を作ってでも自転車に乗るようにしようと思った。しかし自転車を続けるのには「運動しないと、このままじゃまずいですよ」の医者の言葉だけでは力が弱い。そこで、自転車用iPhoneホルダー、新しいテールランプ、新しいビンディングシューズ、新しい自転車用ポロシャツ、ウインドブレーカー等々の自転車グッズを今年に入ってからやたらめったら買ってみた。お金を出して買ったからには、使わないと損をする。自転車グッズを使うには自転車に乗らなければならない。、、、というわけだ。、、、、私は自分を限界まで追い込むタイプである。

この日は久しぶりの長距離行なので平坦なコースで、しかも今まであまり足を向けたことのない南の方角に行ってみることにした。取りあえずの目的地は堺市大浜にある旧堺燈台である。ついでにお昼に堺のせいろ蕎麦で有名な「ちく満」に立ち寄ることにした。



こんな感じ。「ちく満」からは環濠に囲まれた旧堺地区を少しだけポタリングして、紀州街道・国道2号・山陽新幹線沿いをたどって伊丹に帰った。61 km 。 これから少しずつ身体を長距離行に慣らして、来年あたりには小学生の頃からの夢だった旧東海道の自転車走破を達成しようかなと思っている。しかしそのためには、もう少し力が必要だ。

ということで旧東海道走破用に、それなりの新しい自転車を買おうかなと思っている。、、、、、私は自分を追い込むタイプである。


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2017年02月26日

バイリンガルニュース

 ポッドキャストの番組、「バイリンガルニュース」を紹介したのは2年半以上前だ。以来、毎週木曜日に更新されるエピソードを通勤中のクルマのなかで欠かさず聴いている。それで英語が聴けるようになったかどうかはよくわからないが、なんとなく英語担当のキャスターのマイケルの言っていることが以前よりはわかるようになった気がしている。

スクリーンショット 2014-07-23 20.05.58.png 以前にも書いたが、この番組は一週間の間にキャスターのマイケルとマミが様々な分野から拾い上げてきたニュースを英語と日本語の両方で解説したりコメントしたりするという構成でできている。そして時折、ゲストを交えて英語と日本語でインタビューする特別番組が通常番組の間にはさまれる。んで、実は、先週木曜日に配信された特別番組のゲストがなんと網膜の再生医療で活躍されている理研の高橋政代先生だった。

 高橋先生をゲストに選び、また本当に番組に迎えるマイケルとマミの目の付け所の良さや行動力にはまったく驚かされる。おかげで、2時間の高橋先生のインタビューを無料で聴けるのだ。何とも得した気分である。彼らはスポンサーを付けずに、特製Tシャツや番組のトランスクリプション(文字書き起こしテキスト)ファイルを販売したりして番組を維持している。私は応援の意味を兼ねてトランスクリプションの定期購読(月額240円)をしている。

 なんか宣伝してしまってますけど、。英語(勉強用)のポッドキャストを探している方々にはやはりお勧めしたいと思う。


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2016年12月31日

風の森

大晦日

IMG_2709.jpg
 奈良のお酒、「風の森」をいただきながら過ごしております。「風の森」は奈良県御所市のお酒。大流行の山田錦ではなく、秋津穂というお米を使って醸造されています。味わい深いお酒です。ぜひ、冷やでどうぞ。

 紅白歌合戦の、タモリさんとマツコさんのよくわからん寸劇。最高です。

 では、また来年。ごきげんよう。


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posted by Yas at 21:10| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月30日

高校生のためのWinter School @微研

 先日(12月27日)に、「高校生のための Winter School@微研」という催し物が開催された。研究活動を広く外部に伝える、いわゆるアウトリーチ活動のひとつである。 とても盛況で、会場は今回の対象の高校生達で溢れていた。

Wintersch.jpg 私が様子を見に来た時は、ブース展示の説明の時間だったのか高校生の質問とそれに応える展示者達の声でとても賑やかだった。開催準備がよかったということだろう、微生物病研究所広報室の方々のご努力には感謝するばかりである。当研究室からは助教のシンザーと大学院生のイッシーが細菌の顕微鏡観察のブースで参加してくれていた。ラボのメンバーがこうした形で参加してくれるのは、ラボを主宰する立場としてはとても嬉しいものでもある。

 微研は最近、広報に力を入れ始めている。そのための予算措置の比重も高くなった。社会に向けて活動をアピールすることはいまの国立大学(法人)にとって非常に大切なことなので当然と言えば当然かもしれない。微研内でも「広報に力を入れる」ことは暗黙の合意事項のようになっている。しかし「なぜ広報に力を入れないといけないのか?」を考えると、すこし暗澹とした気持ちになってくる。無論、広報は必要だし、いまの微研の広報室の皆さんの努力をみると頭が下がるばかりなのだが、ことはそんなに単純でもなさそうだ。

 なぜ広報が必要なのか? 社会へのアウトリーチ活動は、一般の方々に基礎科学(の営み)を理解していただくために絶対に必要である。今回のように高校生が対象ならば、理科教育における啓発とか将来の科学者を育成するという観点で大切だ。一般社会人対象だと、基礎科学を支援する空気を醸成するのに役に立つかもしれない。基礎科学の存在意義を知っていただくために、こういったことは必要だ。その報いはいずれ、大学に戻ってくる。しかしそれはずっと先の話だ。これに私たちは今現在の研究所の予算を使っている。

 一方、大学の運営費交付金は「大学改革促進係数」というわけのわからない名前の係数(大阪大学は確か1.3%)分を毎年削減されるという仕打ちに遭っている。まるで財務省や文部科学省から「国立大学(法人)は自助努力で稼ぎなさい」と言われているようだ。私はそのような文言を官公庁が発行する文書で読んだことはないが、多分そう言うことで間違いないだろう。これに対応するために国立大学の授業料を値上げするのには限界がある。(今でも私たちが学生時代だった頃に比べ充分高い。ちなみに私の学部生時代の授業料は確か9万6千円/年だった)。知財で大学の運営費を稼ぐなどは、現段階では夢物語だ。そもそも資金に乏しい大学が、自己資金で特許申請できる件数などわずかである。では、寄附はどうか? 大学の活動を理解していただいて寄附を潤沢に頂戴できるようになるまでには、寄附という行為がそれほど社会に根付いていない我が国では、かなりの時間が必要だ。そして繰り返しになるが、そんなことをも視野において、私たちは減額され続けてている予算内で広報活動に注力している。今年も来年もそのために予算を使う。これはまちがいなく自助努力のひとつである。しかしそれで「大学改革促進係数」で減額された交付金分を稼ぐのは今は無理だ(ひとによっては「永久に無理だ」というかもしれない)。つまりこれは、今のところ、砂漠に水を撒いて池を作ろうというような努力に似ている。水を撒くのが無駄だというのではない。砂漠に身を置かざるを得ない状況が理不尽だという意味だ。

 繰り返すが、微研の広報室の方々の活動は微研として自慢できるし、無くてはならないものだ。しかしその先に明るい見通しがあるのかと考えると、脳天気なことは言っていられない。と思う。


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posted by Yas at 19:05| Comment(3) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月26日

吉田拓郎

 先日 NHK で放映された 「SONGS スペシャル 吉田拓郎」を録画で見た。予想していたよりもずっと良かった。

 吉田拓郎さんも70歳になったらしい。拓郎さんは「50歳を過ぎたあたりから保守的に、、内向きになった」と言い、「70歳になって、『エナジーが足りない』と感じるようになった」と言う。どちらも、57歳のいまの私が感じていることだ。

IMG_2706.jpg

 私の吉田拓郎アルバムベスト3は「LIVE '73」「今はまだ人生を語らず」と写真の「TOUR 1979」である。前の二つはデジタル版が出回っているが、「TOUR 1979」だけは iTunes でも Amazon Music でも見あたらない。とっても残念である。 





 ブログの更新をご無沙汰している間に、義姉が急逝し、同い年の友人も癌で逝った。否応なしに自分の年齢を考えてしまい「エナジーが足りない」と確かによく感じる様になったし、忙しくて疲れているということにして休日は朝から晩までソファで寝そべっている。そんなこんなで「内向きになってるかな」と感じているのも確かだ。それと、今年に入ってから自分の定年退職までの9年間を逆算して考えるようになって、モノの見方が随分と変わった。すなわち「この仕事をするのに何年かかるので、それからなら定年まであと何年」、「これを済ましておかないと定年間近になって困ることになる」云々、、、それでまだまだ時間に余裕のある(本当は自分だって余裕があるはずなのだが)若い人を頼りにすることを考えたりしている。

 吉田拓郎さんの名曲に「人生を語らず」というのがある。それを受けて「70歳になられた今は、人生を語ることができるのでしょうか?」とインタビュアーの桑子真帆さんに尋ねられて、「そうだねぇ、70年生きてきて太い時も細い時も、色々経験してきたからねぇ、今なら何か語れると思うねぇ」と拓郎さんは応える。それを観て、そうだねぇ、いま少ししんどいのは、これは細い時やからやろねぇ、、と自問自答する。「『エナジーが足りない』のは唄ってないからじゃないかなと思った。だからコンサートを再開してみた」とも拓郎さんは言う。番組内で放映されたそのコンサートでは、エネルギッシュ(エナジッシュ?)に唄う拓郎さんがいた。それを観て、忙しいとかしんどいとかゴチャゴチャ言うてる場合ちゃうな、、と反省した。

 忙しくてふさぎ込んでいるのは、自分の能力に見合わない仕事をたくさん引き受けてしまうからだ。それはわかっていたのだがここ何年も上手く調整できずにいた。しかし今年の後半から真面目に外部から依頼される仕事を大方整理して、あとは来年いっぱいで終わる「あれ」くらいを残すところまで来た。そろそろ「エナジーの足りない細い時」を脱け出さないと恥ずかしい。なにより、拓郎さんの名曲「落陽」の意味がわからんとかいう若い人たちなんぞにまだまだ頼るわけにはいかん、、。

 録画で観た吉田拓郎さんに、勝手に元気づけられたクリスマスである。


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posted by Yas at 19:43| Comment(0) | 私的先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月25日

20世紀少年の願い

 ここのところ、研究室メンバーの論文、日本語レビュー、教科書原稿などなどの執筆(の締め切り)が重なっていて、毎日毎日一日中キーボードを叩いて過ごしている。

 言うまでもないが、こんな日々は結構疲れる。昼を過ぎたオヤツ時には気分転換も必要だ。ということで、こんな時には微研・先端棟一階にあるセブンイレブンに気分転換のネタを探しに行く。そして、たいてい買い求めるのはこんなもの、。

IMG_2597.jpg 
 干し梅に、おしゃぶり昆布に、ベビースターラーメン。50代のおっさん(あるいは20世紀少年)にとってはオヤツの三種の神器と言ってもいいラインナップである。

 一段落を書いては干し梅を口に入れ、お気に入りの表現を搾り出しては昆布をしゃぶり、1ページ書き終えるたびにべビースターラーメンを頬張る。50代のおっさん(あるいは20世紀少年)にとっては至福の時である。

 だが本当はベビースターラーメンではなくて袋入りのチキンラーメンを生のまま頬張りたい。これが、チキンラーメンとともに育ってきた(チキンラーメンは1958年生まれ、例えば私は1959年生まれ)我らの世代の偽らざる願望だ。しかしセブンイレブンには袋入りチキンラーメンはない。あるのはパチモノのベビースターラーメン(おやつカンパニーの皆様、すいませんすいません)ばかりである。だから、今日も何となく自分を納得させながらベビースターラーメンを頬張っている。いや、ベビースターラーメンもいいんですけどね、、、。やはりチキンラーメンを生で齧りたい。

 ということでセブンイレブン7FS大阪大学店さん。できればっ、カップ麺ではなく、ポテトチップスとのタイアップ製品でもない、日清食品の袋入りチキンラーメンを置いてくださいませ、。これは多分、近隣の阪大部局の50歳代以上の教授たちの切なる願いだと思います、、。チキンラーメンを生でバリバリと頬張りたい。これが教授陣の願いですっ。

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posted by Yas at 22:50| Comment(0) | 非科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月23日

実験ノート

 お久しぶりです。

 一昨年あたりから「出張を減らして研究室に居る日を絶対増やすぜっ」と考え始めて、ようやく今年度あたりからそれが実現できるようになった。、、、、講義や講演出張をお断りした他大学の皆様方、お許しくださいませ。ホリグチは幸せにやっております。

 ところが、出張を減らして油断していたのかもしれない。雑誌や教科書の原稿依頼を迂闊に引き受けていたら結構な数になっていた。そのそれぞれの締め切りが 7月−9月のうちに迫っていて、実は密かに焦っている。その上、当研究室では珍しくというか久しぶりにと言うべきか、論文(もちろん原著ね)の作成・投稿ラッシュ現象が起こっている。メンバーの論文がふたつ。これはメンバーの書いてきた原稿を私が添削することで作成が進む。それから8年がかりで紆余曲折の末にデータを集めた仕事の論文。こちらの方は実験に関わった主要メンバー全員がすでに異動しているので、図表などの粗稿は残してくれているものの、私が全て生データの所在を確認しながら論文を作成しなければならない。この図表の再作成に二日間かかって、あまりに疲れたので一息つきながらこの記事を書いている。しかし、こんなことが二日間でできるのも当研究室の実験記録システムがそれなりに機能しているおかげかなと思っている。

 当研究室では、研究室に参加したメンバーには実験者記号が与えられる。YhとかNaとか、大抵は名前のイニシャルに由来した記号になるがそうでない場合もある。そしてそれぞれが行う(行った)実験は、その目的によって実験者記号の入った実験番号が振られることになっている。もちろん、実験で作成した材料にはその実験番号が付くし、図表に成形された実験データにも実験番号がつく。実験記録にも実験番号がつく。そうすることで、すでになされた仕事は実験番号と日付をもとにノートを遡って生データや実験方法を確認することができるという仕組みである。今回のように何らかの事情で私がメンバーの仕事で論文を書かないといけない時には、このシステムが大いに威力を発揮する。

 しかし実験番号のつけ方、実験記録の取り方のガイドラインは説明していても、その実験ノートの出来具合はメンバーによって大きな差ができるものだ。気持ちよく元データに辿れるノートもあれば、整理の悪さに愕然として四苦八苦しながら実験方法を探らなければならないノートもある。それでもなんとかなるのは、この方法が長い年月をかけて工夫されて成熟してきたからだと思う(実はこの実験記録方法は、私の学生時代のボスがアメリカに留学していた時に学んだ方法らしい)。私のような雑駁な人間が多人数の実験を管理するのには非常に有効な方法だと思っている。

 ところが世の中、コンプライアンス、コンプライアンスと煩くなってきている。おまけに莫大な額の研究費を不正使用した輩などが本学で出てきたりして、どうやら学内全体あるいは部局全体で共通した実験ノートを作る計画が検討されているとかいう話が聞こえてきている。全くもって余計なお世話なのだが、しかし不正を働いた奴がいたのは事実だし、小保方さんみたいに「笑かしたいんか?」と思ってしまうような実験ノートがあちこちで出回ったりするのは困るし、、、如何ともしがたいか、となんやらすっきりしない気持ちで悶々としている。

 でも、今さら実験ノートのつけ方を変えろと言われたら、やっぱり嫌やなぁ、、。


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posted by Yas at 19:43| Comment(0) | 科学的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月07日

SIMフリー iPhone を海外で使ってみた

 実は先々月と先月の前半にそれぞれ海外出張でアルゼンチン・ブエノスアイレスと韓国・慶州に短期間滞在していた。ブエノスアイレスは遠かったけれど肉が美味しかったし、慶州の名所観光と帰りに立ち寄った釜山の焼肉は美味しかった。でも、そういう話題ではなくて、今回は SIM フリー iPhone を持って行ってプリペイド SIM を購入してみたので、各国のプリペイド SIM 事情などを書いてみたい。

 いわゆる SIM カードには様々なサイズのものがあるが、私の持っている iPhone 6s に適合するのは最小形状の nanoSIM である。海外でのモバイル生活はこの nanoSIM を手に入れるところから始まるが、あいにくプエノスアイレスの空港は通貨両替ブースさえ一箇所しかないほどで、携帯電話会社の出店はおろかコンビニも何もない。仕方ないのでそのまま学会が用意したバスに乗り込んで市内のホテルに到着する。ホテルのフロントでひと通り宿泊手続きを終えたあとに「この辺りで SIM カードを手に入れるにはどうすればいい?」と尋ねると、「SIM カードはキオスクで売ってる。キオスクはホテルを出て200メートルほどのところにある」という返事。キオスク=売店かぁ、、と思いながら言われた方向に歩いて行くと、その通りには品揃えこそ少しずつ違うものの売店ばかりが並んでいる。文房具店みたいなの、家電ガジェット店、パンと雑貨を置いてる店、宝くじ屋だと思しき店、どの店も SIM を置いていておかしくなさそうな雰囲気である。

 仕方ないので200メートルと見当をつけたあたりの店に片っ端から入っていくことにした。しかしどうもブエノスアイレスの街中では英語はあまり通じない。
「あぁ? お前の言ってることはわからんが、スマホを見せて話をしているところを見ると携帯電話に関係あるものがいるんやろ? それはここにはない。隣の家電ガジェット屋に行け」とスペイン語で言われたようなので行ってみると、ガジェット屋にもプリペイド SIM は無いという(この「プリペイド」という言葉、ブエノスアイレスでも韓国でも通じなかった。世界共通的には他の単語があるのかしらん? あるいは発音が悪いだけか?)。最後に行き当たったのが文房具屋さんだった。
 ここでは少しだけ英語のわかるおばあさんがいて、携帯会社をどれにするかと SIM のサイズを聞いてくれた。事前に調べていた携帯会社は Movistar、んで nanoSIM が必要だと言うと、
「nano SIM はない。マイクロ SIM をハサミで切ってサイズを合わせろ」と言う。んなアホな、と思ったがおばさんは真顔だ。SIM カード本体の値段は20アルゼンチンペソというから150円ほどである。安いし、ここまできてスゴスゴと帰るわけにもいかないので、これを買ってホテルでハサミを借りて nanoSIM のサイズに切ってみた。

IMG_2578.jpg
 その結果がこれ。こんな感じに歪(いびつ)に切れ込みの入った自家製 nanoSIM を iPhone に挿入してみると、、。どうやらつながった。シグナルの強度を示すアイコンには Movistar の文字が見える。 さらに、すぐに Movistar からメッセージが届いたのだが、スペイン語なのでなんのこっちゃ全くわからん。しかしネットには繋がらない。iPhone の設定を色々変えて見たが、やはりつながらない。時差ボケで疲れていたし、日も暮れて来たのでこの日は諦めることにした。

 翌日、学会場の受付で若い兄ちゃんに「SIM を買ったのだけど、繋がらん。たぶんどこかでチャージしないとダメだと思うのだけど、どこに行けばいい?」と聞くと、「スペイン語が分からないのなら、たぶん難しいからここでやってやる」と言って、私の iPhone を使って WiFi 経由で Movistar のサイトに入って、 自分のクレジットカードで7日間分のチャージの決済をしてくれた。その代金250ペソをキャッシュで彼に支払って一件落着。iPhone の操作は世界共通なので、私の日本語版の iPhone の操作には迷わなかったようだ。iPhone 様々である。

 その後は快適なモバイル環境を楽しませていただいた。地図であろうと翻訳ソフトであろうと制限なしに使えるのは気持ちがよかった。7日間で(実際の滞在は確か5日間だった)で 270ペソ、2,200円程度のコストでのモバイル生活だった。


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posted by Yas at 19:45| Comment(0) | コンピュータ & ガジェット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする